11. 第二王子アルフレッドは許されない
学園に入学してから6年。
アリスがいないまま、無駄に長い時間を過ごした。
以前にいたはずの側近は全て姿を消し、王族だからか同級生達も遠巻きにアルフレッドを見ているだけだ。
挨拶や声をかけた際の反応はあるものの、積極的に関わろうとするクラスメイトはいない。
間もなく卒業式を迎えようという中、未だなお、アルフレッドの婚約者は決まっていなかった。
不思議なことに、年齢を重ねるにつれて増えていく公務を片付けるのに苦労している。
以前ならば生徒会にも参加し、学園の成績は上位を保持し、それでも週末にはアリスと出かけていた。
それなのに時が戻った今は何故か量が多くて捌けぬままに、公務は積み上げられていくばかり。
いくらなんでも多すぎはしないかと訴えてみたものの、父である国王からは冷めた目で適量だと答えが返されるだけ。
アルフレッドの運命はアリス以外にありえないのだが、公務を手伝ってもらえるように婚約者を決めてほしいと言うも、婚約者には王族に連なるための血統と品位が重視されるゆえに簡単に選べるものではないこと、なにより面倒事を押し付けるための存在ではないと兄に説教をされる始末。
ならば増えぬ側近の増員を申し立てするも、希望者は最近伯爵位を賜ったばかりの家の令息や、新興貴族である男爵クラスの令息であるため、第二王子の側近として務めるには高い教養と行儀作法を身に付けてからになると返答があるばかりで、どういうことだと叫び出しそうになる。
時を遡る前の学園にはサージェント以外の侯爵家の令息だって、長き血統を誇る伯爵位の次男だっていたはずだ。
それなのに時が戻された今では、めぼしいと思われる生徒たちは誰もが留学している。
王家が設立した国内最高峰の教育水準を誇る学園に通わず、他の国にまで行って、役に立たない知識を学んでどうするつもりなのか。
そう声を大にして言い募っても、隣の帝国は高い教育水準を誇っているのだという回答だけが返ってきた。
この国より大きいだけで、他国の優秀な民を盗人の如く勧誘するしか能の無いくせに。
これも全てベアトリスのせいだ。
あの性悪な女が根回ししたに違いない。
大方、嫌がらせとして寄り子の貴族にでも命じて、入学前に悪い噂をバラ撒いたのだろう。
それが一番納得のいく理由だと思われ、より一層の憎悪が湧く。
だが、もうすぐ卒業となれば留学していた者達は帰ってくるはず。そして卒業と同時に成人となり、翌年の春には社交界デビューを迎えるのだ。
ルークも戻ってきたら参加が必要であるし、ならば婚約者として縛り付けているアリスを同伴するはず。
だとすれば、最愛のアリスをこの手に取り戻すのもその時になるだろうし、裏切った挙句にアリスを奪ったルークを断罪するのも、ベアトリスが悪女であることを証明するのも華々しい社交界デビューの場が相応しい。
アリスはもう二度と離れることがないように自身の婚約者へと据え、ルークは二度とアリスに手を出せぬように処刑し、一族郎党にも何らかの処罰を与えよう。
ベアトリスがいないことから卒業パーティーで断罪劇を起こすことができずにいたので、晴れ舞台は卒業後初めての夜会となる。
陛下と兄が怒ろうとも、夜会で宣言してしまえば無かったことにはできない。
少々のお説教と謹慎が罰として与えられるだろうが、王家の威光が陰らぬように押し切るに決まっている。
特に陛下はそういった人だ。
ああ、そうだ。目先の金につられて婚約を許したアリスの両親も許すことはできない。
処罰すればアリスは悲しむだろうが、新しい家族としてアルフレッドがいるのだから時間が解決してくれる。
ベアトリスとサージェント侯爵家にはバーリー侯爵家の罪を着せよう。
実はサージェント侯爵の謀略により、バーリー侯爵は謂れなき罪で陥れられたことにしたらいい。
宰相をしていた家なのだから王家にとっては重要だろう。陛下に頼めば適当な証拠を作り上げてくれるはずだ。
後はベアトリスを囚人か奴隷にでも堕とさせ、悔しさに打ちのめされながら公務をさせればいい。
以前も公務を割り振っていたのだから問題無い。これで仕事が終わらない問題も解決する。
そしてサージェントの者は全員殺害し、ジョージを探し出してサージェント侯爵の地位を与えるのだ。
これによって、ロバートもジョージもアルフレッドの元に戻ってくる。
一度成し遂げたことだ。二度目だって上手くいく。
そして真実の愛によって結ばれた二人が社交界で話題となれば、アルフレッドの周囲に人が集まることになるだろう。
勝手に留学していた者達も寛容に許してやれば、我先にと自分に仕えるに違いない。
人々に囲まれ、アリスに求婚する自身の姿を想像する。
少し回り道となったが、最終的には誰もが在るべき場所に戻ることになる。
再び幸福な結末をアルフレッドが手にするのだ。
この日のアルフレッドの衣装はアリスの髪や瞳の色に合わせたものだった。
白地の絹には髪の色に一番近いと思われる金糸で刺繍を刺し、薄水色のチーフを胸に飾る。
婚約者もいないアルフレッドがやたら細かく色を指定してくることに、デザイナーと針子達は戸惑いの表情を見せていたが、特に口を挟むことなく粛々と礼装を仕立てた。
前回はベアトリスの色で作らないことで随分と揉めたが、今回はそういった面倒事が起きなかったのが楽でいい。
できることならアリスの着るドレスを贈りたいところだがサイズがわからないため、こればかりはどうにもならなかった。
まあ、再会してから婚約者として贈ればいい。
アリスはアルフレッドを見て何度だって恋に落ち、愛らしく頬を紅潮させた彼女へとアルフレッドは愛を囁き、そして二人を引き裂いた愚か者達に引導をくれてやるのだ。
逸る気持ちを抑えながら、会場へと一歩踏み出した。
目だけで探してみるも、柔らかく輝くピンクブロンドはどこにも見当たらない。
今日は多くの令息令嬢がデビューとなる。
家族が同伴していることから人も多い。探すのは容易ではないだろう。
後で給仕に頼んでルークと一緒に呼び出してもらおう。
そう考えていた中、見覚えのある顔を見つけて、思わず息を呑んだ。
ベアトリスだ。
澄ました顔で見知らぬ男のエスコートを受けている。
あの時は贈ってもいないのにアルフレッドの色をしたドレスを纏っていたのが滑稽だったが、今夜は隣の男の色を取り入れたドレスを身に纏っていた。
白から淡い茶色のグラデーションになったドレスは華やかさが足りないものの、洗練されたデザインと相手の瞳の色らしい緑で刺された刺繍は凝ったもので、夜会に参加した人々の目を引いている。時折照明の光を反射することから、硝子か貴石を砕いたものが一緒に縫い込まれているのかもしれない。
アップにされた髪は大ぶりのエメラルドで繊細な細工で作られた髪飾りで留められ、惜しげもなく晒されたうなじが艶めかしい。
こんな悪女に婿入りするなど金目当てで愛などないだろうと思っていたのだが、仲睦まじい姿を見せられて妙に苛々させられる。
なによりアルフレッドの婚約者であったときには見せなかった幸せそうな笑顔に、一瞬でも見惚れてしまったことに腹が立った。
あんな表情で情けを請うたのであれば、代わりに公務をこなす側妃か愛妾にでもしてやったのに。
アルフレッドと一切視線を合わせようとしてこないのも気に喰わない。
見つけたのだから、あいつが先だ。
あの女の悪辣さを周囲に知らしめ、そしてそのまま悪女の手先になったルークを呼び出して断罪する。
それからアリスを迎えに行けばいい。
陛下による開会の宣言とデビューしたての若人たちの挨拶が始まる。
少しすればベアトリスも姿を現したが、やはりアルフレッドに一瞥もくれることなく成人貴族としての誓いを口上したかと思えば、早々に陛下の前から姿を消した。
目で追えば、エスコートをしていた男のそばへと戻ってグラスを受け取っている。
確か帝国辺境伯の息子だったか。しっかりとした体つきと精悍さを持ち合わせた男はアルフレッドとそう変わらない年齢だったはず。
ベアトリスと言葉を交わしたかと思えば弾けるような笑みを見せている。
まるで貴族らしい利益を追求した家同士の婚約ではなく、恋人同士の語り合いのようだ。
男の方がチラリとアルフレッドを見たが、すぐに興味なさげにベアトリスへ視線を戻した。
まるで視界に入れる価値が無いとでも言わん様子に、無意識にこぶしが強く握られてブルブルと震える。
ベアトリス同様にあいつも生意気だ。
決めた。あの男もベアトリスの共犯にしてやろう。
サージェント侯爵家と一緒に便乗して罪を犯していたことにするのだ。
そうすれば帝国側の不祥事となり、なんだったら多額の賠償や貿易に有利な権利を手に入れることができるかもしれない。
奴らを陥れることで国の利益が増えたならば、陛下もアルフレッドの婚約を認めざるを得ないだろう。
どうせ自分はスペアなのだ。平民のアリスと結婚した方が国民からの支持も増える。
ようやくデビューしたての若人達の挨拶が終わったところで、軽やかな音楽が流れ始めて王太子と婚約者によるダンスが始まった。
アルフレッドに婚約者がいればファーストダンスに参加していたところだったが、今のアルフレッドには婚約者は不在のまま。
せっかくのデビューであるにも関わらず、陛下の席の傍に立ち続けているだけのアルフレッドに向けられる貴族の視線が鬱陶しい。
王子であるアルフレッドに相応しい娘を差し出すことのできない無能な者達が多いせいで、アリスと出会うまでの身代わりとなるよう、名ばかりの婚約者ですら選べないのだ。
全員恥じて俯くのが相応であるのに。
苛々と爪を噛むアルフレッドの視界の端で、息の合ったダンスを王太子達が終えれば、ここからデビュタント達のダンスとなる。
見ていたらベアトリスも参加して踊り始めた。
ここでも笑顔を絶やさず、相手と見つめ合いながらのダンスは息が合っている。
力強いリードに軽やかなステップが追いかけていく。
一見地味だと思っていたドレスは、翻すとスカートの内側から鮮やかな緑が顔を覗かせて、隠れたところまでも溺愛ぶりを物語っていた。
相手の男のジャケットの裾が宙へと捌かれれば、裏地が淡い紫で仕立てられていることがわかる。
ただ一人、踊る人々を見るしかない惨めさが、アルフレッドの怒りの灯に油を注ぎこんでいく。
もうベアトリスから目が離せなかった。
三曲きっちり踊った後、ベアトリスが男と別れて新しいグラスを受け取るとテラスへと向かうようだった。
絶好の機会だ。
これを逃したら今夜もう一度、アルフレッドにチャンスは巡ってこないかもしれない。
慌てて追いかけるアルフレッドの歩みは早く、途中で何度か人にぶつかっては非難めいた視線を投げられていたが、睨み返せば誰もが視線を逸らしてパートナーと離れて行く。
どうせアルフレッドに何もできやしないくせにと鼻で笑い、そうしながらも歩みを進めることは忘れない。
テラスへと続くガラス張りの扉を抜ければ、そこに長らくぶりの元婚約者がいた。
「ベアトリス・サージェント」
声をかければゆっくりと振り返る姿は、時が戻る前と同じようで異なるもの。
アルフレッドを見ても萎縮することなく背筋を伸ばした目の前の女は、艶然と笑う。
「輝く黄金の太陽が一席、アルフレッド殿下にご挨拶申し上げます。
初めまして、サージェント侯爵家が嫡子のベアトリスと申します」
見慣れたカーテシーをする姿は誰よりも美しい。
「白々しい。
お前が私に対して、逆恨みにも等しい嫌がらせをしているのは知られていないとでも思ったか」
吐き捨てた言葉に、けれどベアトリスという名前の女は笑みを絶やすことなく、アルフレッドから視線を逸らすことなく真っ向から見返してきた。
「これはこれは。会ったこともない方に対して私が何をするのでしょうか。
まさか、殿下が陰謀論者だとはつゆほども知らず」
「よくもまあ品の無い軽口を叩く下賤な女になったことだ。
あの石に触れた者なら記憶が残るのだということは把握している。
お前は悪意を持って、私からアリスを引き離したのだろう」
小さな笑いがこぼれる。
「帝国から帰って日が浅いので、王国では喜劇が流行っているとは存じませんでした。
帝国に残っている友人達にも教えてあげないと」
帝国の友人達、という言葉にアルフレッドは堪らず声を荒げた。
「お前のいう友人とはルークか!
よくも私の運命を裏切り者に与えてくれたな!」
もはや叫びに近い声量でなじれば、かつてのベアトリスならば身を竦ませて詫びてきたのに、今目の前にいる女は違う。
おかしそうに笑い続け、扇をパラリと開いた。
「何のことかわかりませんが、クラーク子爵はサージェント侯爵家の寄り子ですもの。
三男であるルーク・クラークに身分の釣り合う良い女性がいれば、紹介するのは当然のこと」
そうしてベアトリスは見たこともない、それこそ悪女のように妖艶に嗤った。
「どうして殿下とお会いしたことのない私が、殿下とお会いしたこともない平民の少女のことで、こうして誹りを受けるのでしょうか」
「ぬけぬけとこの悪女が!
いいから今すぐにアリスを呼び戻せ!」
アルフレッドが感情のままに怒鳴れば、コロコロと鈴の音のような笑い声が響く。
「残念ですが殿下、アリス・ホワイトは留学先の帝国で功績を認められ、その優秀さから準男爵位が約束されております。
ルーク・クラーク子爵令息も帝国の騎士団に入りましたので、功績を上げ、努力を認められたならば騎士爵を叙爵されるでしょう。
帝国は自国の者でなかろうと、貢献できるのであれば正しく相応のものを与えますから。
そんな二人の意志を無視して何かしようものなら、帝国も黙ってはおりませんのをご理解なさいませ」
なにより、とベアトリスの言葉は続く。
「あの二人は相思相愛。
恐れながらアルフレッド殿下の入り込む隙などどこにもありませんわ」
「嘘だ!」
吠える獣のような叫びが、ベアトリスを否定する。
「お前が黙って罪を着せられ、死んでいればいいものを逃げ出すから悪いのだ!
今度こそ逃がさない。この夜会で私が断罪すれば誰もが追従する。
それが嘘と偽りだらけだとしても、体面を考えたら陛下とて公正な判断など下さぬだろう。
バーリー侯爵家の罪をお前たちに押し付け、サージェントの一族は全て殺してやる!
来い!大人しく付いてこなければ、逃げられぬように足を折って引き摺られることになるぞ!」
ベアトリスに向かって手を伸ばした瞬間、
「そこまでだ!」
近頃は説教ばかりで煩わしくも聞き慣れた声と共に、近衛騎士達がテラスになだれ込んできた。
瞬く間にアルフレッドは腕を捩じられ、床へと押さえつけられる。
何が、という言葉は出なかった。
はくはくと開いては閉じるだけの口は言葉を形作れず、頭の中は真っ白になっているアルフレッドの前に現れたのは、王太子である兄のフレデリックだ。
「お前は昔からサージェント侯爵令嬢に執着していたからな。
何かあるならば、令嬢が初めて社交界に参加する場であろうと思っていたが……」
苦々し気に言う兄をただ見つめても、今の状況がさっぱり理解できない。
今日の計画は誰にも言わず、アルフレッドの胸の中に秘めていたものなのに。
まるで考えなどお見通しだといわんばかりに待機されていた近衛騎士達。
ベアトリス、と覚えのない声があり、動かせない体で視線だけ向ければ、会場内でベアトリスの隣に立っていた男が駆け寄ってきた。
「あ、兄上、違うのです!」
「サージェント侯爵から相談を受けた時にはまさかとは思ったが、お前の態度からそれを否定することもできなかった。
何も起こらなければ良いと祈っていたのに、お前は何ということを」
フレデリックから落とされる苦々し気な言葉から、非常にまずい立場に置かれていることは気づき始めている。
何より、このままでは再びベアトリスを追い詰めることもできず、このやり直された時間でアリスを手に入れることができない。
「兄上!聞いてください!
悪いのはベアトリスなんです!この毒婦が私から最愛を奪い、ルークを唆して婚約をお膳立てしたのです!
どうか私から愛する者を奪った罪で、忌々しいサージェントを罰してください!
今ならまだサージェント侯爵家に罪を与え、バーリー侯爵家を救えるのです!
そうすれば私も、ロバートも、ジョージも救われるのです!」
けれどフレデリックはアルフレッドの精一杯の願いを、首を振って拒否した。
「もはや何を言っても妄想に駆られた戯言にしかならぬか。
アルフレッドがこれ以上喋らないように猿轡を噛ませ、捕縛せよ。
人の目のないルートからアルフレッドの自室へと連れて行き、陛下からの処分が言い渡されるまでは縄を解かずに転がしておけ。
絶対に部屋から出すな」
すぐさまフレデリックの言い付け通りに猿轡がなされ、縄が体を横断して縛められる。
目立たぬようにと騎士の一人がマントを上から被せて視界から華やかな明かりが失せる前、彼女の婚約者によって抱きしめられたベアトリスがアルフレッドにしか見えない角度で嗤っていた。




