17話 一縷の望みほど支えにしてはならないモノはない
明けて月曜日。
「おはよーございます!」
「あぁ、はい。おはよーございます」
今日も元気な奥野女史。
アホな失敗を繰り返した俺とは違って休日をしっかり満喫できたようでなによりである。
(若いねぇ)
高校生らしい若さ溢れる挨拶を受け流しつつそのまま席に着こうとしたら、どこからか飛び込んでくる影があった。
「お、おはようございます松尾さん!」
「ん?」
俺が登校してくるのを待っていたのだろう。
奥野には劣るもののそれなりに元気な声で挨拶をしてきたのは、もちろんクラスメイト、ではなく、隣のクラスに所属している少女こと切岸さん。
どこか焦っているような彼女の手には、先日渡した契約書が……って。
まて。このパターンは。
「父親とは話をしてきました! これにもサインしています! だから例のアレ下さい!」
「……おぉう」
彼女の言葉を耳にして、一瞬時が止まったかと思う程の静寂に包まれたかと思ったら、次の瞬間にはざわ……ざわ……と噂話を始めるクラスメイトたち。
(奥野よりはマイルドではあるんだけどなぁ)
なんてフォローにならないフォローを入れつつ、入れ込み気味の切岸さんを余裕を持って優雅に落ち着かせようとした俺だが、この場にはそんな俺よりも早く動く者がいた。
教師? NON。
言わずと知れた忠犬キャラこと奥野である。
「ねぇ貴女。朝からナニを口走ってるの? 支部長に迷惑かけてるって自覚ある? 死ぬ?」
切岸さんに向けたダウナーな感じはまさしく記憶の中にある彼女と瓜二つ。
「あ、い、いや。わ、私、そ、そんなつもりじゃ……」
「は? どんなつもりかなんて関係ないでしょ? 貴女は、支部長に、迷惑をかけているの。わかる?」
「は、はひ……」
どこか懐かしさを覚えてほんわかした気持ちになっていた俺とは違い、声を掛けられている切岸さんは何やら情緒が不安定になっているように見受けられる。
どうやら奥野はただ言葉をかけているのではなく、威圧をしているようだ。
それも殺気まで含めて、念入りに。
威圧や殺気に代表される気配を扱う技術は、厳密にはスキルや魔法ではないのでそれなりのMENがあれば耐えられるのだが、逆に言えばそれなりのMENがなければ耐えられない――場合によっては気を失うこともある――非常に厄介な技術でもある。
もちろんレベル二の技術職である切岸さんが、レベル三〇を超えている奥野が放つソレを受けて無事で済むはずがないので、奥野もある程度は手加減をしているのだろう。
だがそれが救いになるのかと言えば、否。
このままでは遠からず切岸さんが気を失ってしまうかもしれない。
気を失うだけならまだいいのだが、そのまま失禁とかされたら後始末が面倒だし、なにより彼女が社会的に死んでしまう。
当たり前の話だが、敵ならまだしもこれから味方に引き入れようとしている人材を社会的に殺すのはよろしくない。
新入りに対して上下関係を刻み付けるにしても、それは今やらなければならないことでもないわけで。
「奥野さん。ステイ。少し落ち着こうか」
「はい! 落ち着きました!」
「「「……」」」
さっきまでの剣呑な雰囲気が嘘かと思えるくらい素早く行われた手のひら返し。
俺でなくても見逃すことはないだろうが、周囲の連中は敢えて触れない方向でいくようだし、俺もそれに乗っかろうと思う。
「彼女とちょっと話があるから席を外す。すぐに戻るし、会話の内容も後で話すから今は気にしなくていいよ」
「はい! 気にしません! お待ちしてます!」
「いや、別に待つ必要はないけど……まぁいいや。それじゃあ切岸さん。ちょっと向こうに行こうか?」
「は、はいぃ……」
――なにやら不自然なくらいに聞き分けのいい奥野を教室に置き、切岸さんとOHANASHIをすること一〇分程。
「それじゃ、放課後に」
「……よ、よろしくお願いします」
話した内容は奥野のときとほとんど一緒なので特筆することはなし。
違いと言えば切岸さんが必要としているポーションの数が一個であることと、親父さんがまだ工房の経営を諦めていないってことくらいだろうか。
経営を諦めていないのにも拘わらず、ポーションと引き換えに彼女が龍星会に縛られることを了承したのは、おそらく彼女に逃げ場を作ってあげたつもりなのだろう。
不器用な親心とでも言おうか。
黒羽の親父のような俗物と比べれば随分と真っ当な父親だと思う。
「まぁ、経営破綻している時点で駄目なんだが」
どんなに人格が優れていようとも、経営に失敗して家族を路頭に迷わせつつある時点で駄目人間である。
「全賭けするしかない状況で中途半端な手を打つのもよくないな」
娘を龍星会に預けて自分は自分でやれるだけやってみる?
もしかしたら”ポーションがあればなんとかなるかもしれない”なんて考えているのか?
甘い。グラブジャムンに大量のハチミツをぶっかけるくらい甘い。
危機感がなさすぎる。
積極的に中小企業を潰そうとしているギルドを前に、一介の技術屋になにができるというのか。
まぁ確かに、これから親父さんの頑張りによって経営状態がV字回復する可能性は皆無ではない。
追い詰められたところから技術的なブレイクスルーを成し遂げたり、偶然優れた品質の装備を造ることに成功して、それが高く売れれば当座はなんとかなるかもしれない。
それだって所詮は当座の話。
親父さんの経営スタイルはすでに失敗している。
このまま続けても先はない。
補助輪のない自転車はいつか転ぶし、消火機構のない火の車は遠くないうちに燃え尽きるのだから。
で、V字回復が無理だったとして。
工房が潰れても彼女に借金が向かないように細工することは不可能ではないかもしれない。
おそらくだが、親父さんはこれからその準備に入るのだろう。
だが無意味だ。
ギルドが抱える金貸しを舐めてはいけない。
不渡りを出した時点で彼女には選択肢などなくなる。
奥野や藤本の娘さんが家族のためにその身を夜の店に落としたように、切岸さんもまた借金を返すために働くことになるはずだ。
それが夜の店か、工房かは知らないが、少なくともギルドの系列店で丁稚奉公させられるだろう。
親父さんにはそんなこともわからないのだろうか?
「わからないんだろうな」
所詮は大人の自己満足。
そんな自己満足に付き合うほど金貸しは甘くない。
それがギルドの息が掛かった連中となれば尚更だ。
彼女の恨みが自分たちに向かないよう情報を捻じ曲げた上で、ネチネチと追い立てるに違いない。
あぁ、なんてかわいそうな切岸さん。
彼女はこれからどうなってしまうのだろうか。
「……アホなこと言っていないで、さっさと準備に入ってもらおう」
結局、切岸一家がギルドの奴隷にならないようにするためには藤本興業に全賭けするしかないのだ。
そのことを理解すれば向こうから頭を下げてくるだろう。
「夢見がちな技術屋が現実を直視するのには、まぁ一か月もあれば十分だろうな」
不渡りを前にすれば嫌でも現実を見るだろうし。
ポーションという希望に触れた後に、ギルドという現実にぶつかって絶望する。
希望と絶望の落差が大きければ大きいほど、依存心も強くなる。
蜘蛛の糸が垂らされるのは一度限り。
”自分の選択ミスでそれを掴み損ねた”と実感したときこそ、親父さんが抱く絶望は極まるだろう。
手を差し伸べるのはそこからでいい。
切岸さんのレベルアップもそれからでいい。
助けるのは裏切れない環境を作ってからでいい。
願わくば、ギルドの息が掛かった金貸しが程よく追い込んでくれることを祈るよ。
いや、マジで。
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