35話 吐き気を催す邪悪な存在
決闘のあと、すぐに学校を後にして藤本興業の本社に向かい、専務さんに『もしギルドが介入してきたらご助力お願いします』と各種証拠付きで決闘関連の書類を渡したところ、専務さんから「アンタは……」と若干引いた感じで見られたが、それらはギルドとの交渉に使える材料なので、是非とも上手に使って欲しいところである。
このまま何事もなく四〇〇〇万円を貰って終わり。というのであればそれはそれで問題ないのだが、そんな簡単にいくなら世の中はもっと優しい世界になっているわけで。
「だから、レベルアップしておこうか」
「はい?」
ふむ。どうやら彼女はまだ自分が置かれている状況を正しく理解できていない様子。
ここはちゃんと教えておかねばなるまい。
ギルドの恐ろしさってヤツをな。
「まぁ聞きなさい」
「はぁ」
「俺たちはついさっきまで、ギルドでそこそこ偉い人間の息子に目を付けられていただろう?」
「なんか、そうみたいですね」
「で、ああいう人たちって自分が探索者よりも偉いと思ってんのよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
管理職だから実際に偉いってのもあるが、そもそもギルドという組織が探索者のことを『自分から危険な穴に潜って貴重な素材を掘り出してくれる奴隷』みたいに考えているからな。
それを管理している自分たちを偉いと考えるのはある意味では当然のことだ。
だからこそ、彼らは奴隷の反逆を赦さないわけなんだが。
「で、そういう人間は今回の件を息子の自爆とは捉えない。ほとんどの場合『自分より劣る探索者が、自分の息子の面子を潰した。……いや、この場合は息子を通じて自分の顔に泥を塗った』と考える」
「……あぁ。なんとなくわかってきました」
「そうか。それは重畳。でもな。”なんとなく”ではまだ足りないんだ」
だから嫌そうな顔をしないで、ちゃんと説明を聞きなさい。
「彼は間違いなく俺たちに報復しようとするだろう。もちろんクランと揉めないために対外的には誠心誠意謝罪するんだがな」
「報復もなにもただの自爆じゃないですか。それに謝罪相手はあくまでクラン、なんですね?」
「そうだ。彼は未熟な学生に頭を下げるんじゃない。自分たちと同じ社会人の集合体であるクラン、今回の場合はクランを運営する藤本興業に頭を下げるんだ」
連中、取引先の社長に頭を下げるくらいならなんぼでもやるからな。
そうやって抗議を受け流しつつ、相手の油断を誘うというのが、彼らの常套手段である。
「クランとの交渉が終わればあとは怖いものはない。少し時間が経ってからになるだろうが……彼と付き合いのある探索者に、とある素材の回収依頼を発注する。それを受けた探索者が依頼を遂行している最中に偶然ダンジョンに潜っていた学生たちが偶然何かしらのトラブルに巻き込まれて怪我をすることになるかもしれない。もしかしたらその怪我のせいでそのまま帰らぬ人になるかもしれない。もちろんその探索者と学生の間にはなんの関係性もないので、その学生たちが帰ってこないのは単なる事故として処理されることになる」
ちなみに回収を依頼される素材で一番多いのは、ダンジョンの中で狩った対象の首である。嫌な討伐証明もあったものだ。
「偶然って。そんなことってあるんですか!?」
「ある」
実際ギルドナイトの仕事には、日本のダンジョンを荒しにきた海外の探索者や、ギルドに反抗的な探索者を処理する仕事があったからな。
連中は既得権益を守るためならなんでもするのだ。
「そういう偶発的な事故を防ぐためにもレベルアップは必要だ。少なくとも三〇は欲しい」
俺はあと二。彼女は四。三〇階層以降に潜れば二日でいけると思う。
「三〇ですか」
「あぁ。そこまでいけば偶発的な事故に遭っても無傷で切り抜けられるだろうからな」
逆に言えば三〇ないと危ないともいう。
もしギルドナイトが派遣された場合、装備するのは全能力+一〇〇と状態異常耐性(極大)の指輪になる。
俺の場合は今のままでもオール六五〇になるから十分戦えるが、彼女は危険だ。
一対一なら今のままでもなんとかなると思うが、複数だとやばい。
特に【上忍】と【大魔道士】がきたら間違いなく殺されるだろう。
なので彼女には誰が相手であっても最低限時間稼ぎをできるくらいの実力を持ってもらいたいのである。
俺としても『信じて送り出した彼女が翌日ダンジョンから帰ってきませんでした』なんてことになったら、今までかけた費用とか時間が無駄になるし。
まぁ、彼女が「面倒だから嫌だ」と拒否すればそれまでなのだが、彼女とてギルドが演出する不幸な事故に遭いたいとは思っていないはず。
「そういうわけでこれからダンジョンに行くぞ」
「い、今からですか!?」
「おうよ。今なら相手も動けないからな」
あの男の性格からして、責任問題を逃れるためにまずは情報の収集を優先するはずだ。
いや、それ以前にまだ報告さえされていないかもしれない。
そうだったら最高だが、まぁ希望的観測に縋るのは善くないことだ。
明日やろうは馬鹿野郎って言葉もあることだし、出来ることはその日のうちにやるべきだろうよ。
あと、今のうちにレベルを上げておかないと、面倒なことになりそうなんでな。
そういうわけなのでさっさとダンジョンに行こうとしたのだが。
「あの、ダンジョンに行く前に、ちょっと気になることがあるんですけど……」
「ん?」
なにやら逡巡している様子を見せる奥野。
出来るだけ誠実に現状を説明したはずなのだが、ナニカ不明な点があるのだろうか?
「えっとですね。私たちが偶然不幸な事故に遭う可能性が高いってことはわかりました」
「そうだな」
そうとしか言えん。
「じゃ、じゃあですよ? もし私たちがその不幸な事故を乗り切ったら、家族はどうなるのかなって思いまして……」
「それか」
まぁそうだよな。自分たちの次は家族が狙われるんじゃ……って思うよな。
うん。正解。
「なにもしなければ狙われるな」
「や、やっぱり!?」
「あぁ」
勘違いされることも多いが、通常日本にいるヤの付く自由業の方々は、それをやれば自分たちが社会的に潰されることを理解しているが故に、そうそう堅気に手を出すことはない。
彼らが行うのはあくまで当人に対する攻撃や脅しであって、それに家族が巻き込まれることはあっても、最初から家族を狙うことは極めて稀なのである。
なお、海外のマフィアとかになると普通に家族に手を出してくることが多いようだが、それはここが自分たちのホームではないから、つまり社会的に潰されることがないと思っているからだし、日本にいる『半グレ』と呼ばれる連中が平気で家族を狙うのは、彼らが社会的制裁の恐ろしさを正しく認識できていないためである。
尤も、ひと昔前ならいざ知らず、社会全体が探索者関連の犯罪に敏感になっている今のご時世であれば、海外のマフィアだろうが半グレだろうが堅気の人間に手を出した時点で潰されるので、家族に手を出されるケースは稀なのだがそれはそれ。
重要なのは『暴力を売り物にしている人間は、善良な市民に手を出すことが極めてリスクが高い行為だと認識している』ということである。
もちろん彼らとて、それが必要なことだと判断したならばやるだろう。
想定されるリスクを上回る金を積まれたらやるかもしれない。
だがそれは、決して学生に面子を潰された程度のことでやるようなことではない。
当然、学生が積める金を提示された程度でやることでもない。
彼らができるのは、せいぜいが当人をダンジョンの内部で不幸な事故に遭わせることくらいのものだ。
対してギルドは違う。
彼らは最初から『社会の側に立った存在』であるが故に、探索者の家族に手を出すことを厭わない。
いや、正確にはギルドとて善良な市民には手を出せない。
それを指示した人間の責任問題になるからだ。
故に彼らは『善良な市民を善良ではない罪人に落として、排斥しても問題がない状況を作ったあとで仕留める』のである。
その手法は様々だが、一番多いのは情報操作を行い冤罪をきせた後で行方不明にする方法だろうか。
後で誰かが冤罪を主張したとしても、その証拠がなければ意味がない。
そもそも冤罪を晴らす当人がいなければ意味がない。
万が一冤罪が発覚しても、その時は少なくとも数年経過している。
適当な人間に謝らせて終わりだ。
そんな横暴がまかり通るのかって?
当然、まかり通る。
だってギルドのバックにいるのは国家そのものなのだから。
『お国のため』という錦の御旗の前には個人の人権など考慮するに値しない。
よって彼らに『お国のため』という旗を掲げられてしまえば、個人で対抗することは不可能となる。
そう考えれば、今回のようにギルドのお偉いさんに目を付けられた時点で「おしまいだ」と思ったり「もう駄目だ」と絶望するかもしれない。
だが、それは早計というもの。
大丈夫だ。まだ慌てる時間じゃない。
なぜなら【ギルド】と【ギルドの役員】は決して同じではないのだから。
俺が『ギルドの顔を潰した』というのであれば、彼らは国家権力を使ってでも俺を潰そうとするだろう。
よって、もしも俺が今回の件をこのまま放置していたのであれば、向こうは俺を『ギルドにとっての危険分子』にするよう動いていただろう。
そうなれば俺も、俺の家族も犯罪者にされて、社会的に抹殺されてしまうだろう。
ギルドによる防御も回避も不能の一撃。探索者は死ぬ。
だがしかし、その一撃が発動する前に彼を失脚させることができれば問題ない。
人は”敵”に対して一致団結する生き物であると同時に、三人いれば派閥を作って競い合う生き物である。
黒羽少年にも少し説明したが、彼の父親は権力者ではあっても絶対的な権力を持っているわけではない。当然競争相手が存在する。その競争相手を味方に付けることができれば、俺はギルド全体に敵視されることはなくなる。
そのための伝手は藤本興業が持っている……はずだ。
確実とは言えないが、少なくともただの学生でしかない俺よりはあるだろう。
ともかく。
競争相手や敵対する派閥の人間によって立場を失った男がどれだけ騒いだところで、俺の行いはあくまで『個人の顔を潰した』という形に収束される。そうなれば当然、ギルドによって家族が罪人にされることもなくなるというわけだ。
そういうあれこれを長々と語ってもよかったのだが、正直面倒なので要約して伝えよう。
「専務さんに色々渡した時点で俺らが取るべき必要な行動は終えている。だから家族に手を出される心配はいらないってことだ」
言ってから「ちょっと簡略化しすぎたか?」と思ったが、彼女としてはそうでもなかったようで。
「なるほど! わかりました! 家族が無事なら安心です! 懸念もなくなったことですし、ささっとダンジョンに行きましょう!」
うむ。予想以上にあっさりと納得したんだが、それでいいのか?
……いや、変に反発されるよりはいいんだが、本当にそれでいいのか?
面倒くさがって端折った説明をした俺がいうのもどうかと思うが、もう少し、こう、猜疑心というか……あるだろう? 色々と。
「どうしました? 急ぎましょう! 時間は有限ですよ!」
「お、おう」
なんとなく釈然としない気持ちを覚えたものの、時間が有限なのは紛れもない事実。
「んー。まぁ、いいか」
どうにかこうにか気持ちを切り替えた俺は、意気揚々と前を歩く奥野と一緒にダンジョンへと向かうのであった。
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