92_本当は、ずっとそう呼びたかったんだ。(エリオス視点)
「そうかもしれない……あは、あはは……僕は、僕も、歳を取れるのか……」
思わず笑いが零れる。
「僕にも、未来が、あるんだ……」
泣きたいのか笑いたいのか、もう自分でもよく分からない。
結局のところ、正直な気持ちを打ち明けるなら、僕はずっとずっと『未来』を夢見ていた。
当たり前に未来を迎える人には分からないかもしれないけど、夢見るってことは、それが叶わないと分かっているってことなんだ。少なくとも、僕にとってはそうだった。
夢見て、焦がれて、けれど決して訪れることがないと分かっていた未来。……今、僕はその未来を手にした。
「ああーーーーッ!?お、お、おいぃ!?そんなのありえないだろっ!?!?」
マオウルドットの絶叫で、ハッと我に返る。
小さいサイズに戻ったマオウルドットは、目をむいてワナワナと震えていた。
……はは、全く、マオウルドットは僕に、突然降ってわいた奇跡に打ち震える時間さえ与えてくれないんだからさ、もう。
マオウルドットの視線の先には……あれっ。小さな子供がいる???僕だって見た目は子供だけれど、もっともっと小さいよちよち歩きの子供だ。
これは誰だろう?
そう不思議に思っていると、クワッと目を見開いたマオウルドットが叫んだ。
「お前ら、ただの猫のくせにっ、猫のくせにっ、なんで人化してるんだよっ!!!!!」
その言葉に驚いて、僕はもう一度子供の方を見てみる。
黒髪の男の子に、少し背の高くて髪の長い女の子、そしてフワフワの茶髪を揺らした一際体の小さな女の子だ。
これがどういうことなのか、僕が理解するとともにリリーベルが驚きに声を上げた。
「まあ!まさかあなたたち、ジャックとマーズとミシェルなの?人間の姿になれちゃったの??」
そうだ、いつもリリーベルの側にひっつきまわっている3匹がいない。
すると、幼児三人は口々に話しはじめた。
「わあ!ぼく、人間になれちゃった!」
「わあ~、本当だ~ルシルとおそろいになれちゃった!」
「ちょっと~どうちてあたちだけ小さいのよう!ふんふん!」
……すごく性格がよく分かる会話だね。
僕は考える。マオウルドットは、悪魔の魔力を吸い上げて大きくなった。あの猫たち3匹はリリーベルに名前を与えられて半精霊になっていたから、リリーベルが振りまいた魔力を取り込んで、人化できるほどの力を得たってところなのかな。悪魔は力が大きければ大きいほど人に擬態するのが上手くなるけれど、精霊も力が大きいほど人化できるようになるものだから。
だけど、なんだかいいようのない違和感がある。なんだろう、なんだか不思議な感覚なんだけれど……。
「おい!オレを無視するな!お前らが人化できるなら、オレだって人化していいじゃないかーー!!!!」
「……マオウルドットは元々の魔力の器が大きすぎて、ちょっとやそっとじゃ人化できるほどの力が溜まらないんだろうね」
「ええっ、そうなのかエリオス!?うう、ひどすぎる……ずるすぎる……!」
つい答えを返してやると、マオウルドットはしくしくと泣き始める。
「マオウルドット、あなたが人化したいだなんて初めて聞いたわよ!」
「うるさい!オレだって今までそんなこと思ったことなかったけど、そいつらだけ人化したら羨ましいだろ!」
「あらあら……」
そんなマオウルドットをよそにこそこそと何かを相談している猫たち。
耳をすませて聞いてみると、「ルシルは、喧嘩になるから、最初はみんなだめね」と言っている。何の話をしているんだろう?
すると、パッと顔を上げ、それぞれぴょんぴょんと跳ねるように走り出した。
「アリーチェ、ぼくのこと抱っこして!」
「え、え!あ、あなた、本当にジャックなの……?」
驚きながら、飛びついてきたジャックを抱き留めるアリーチェ。
「じゃあ~マーズは、フェリクスにする~。えへへ、フェリクス、呪いがなくなったから、もうマーズのこと、抱っこできるねえ」
「あ、ああ、ええ」
可愛く小首を傾げながら、「嬉しいでしょ?」と言わんばかりのマーズに、フェリクスは戸惑いながらもおずおずと手を伸ばす。
なるほど、人の体で誰かに抱っこしてほしかったんだ。……たしかに、リリーベルはナシにしないと、誰が一番に抱っこしてもらうかで喧嘩になっちゃうよね。
そう納得していると、僕の前にミシェルが立った。
「エリオスは、あたちなの!ほら、早く、あたちを抱っこするのよう!」
「……僕もなの?」
予想外のことに、つい目が泳いでしまう。……あはは、これじゃあ、フェリクスのことを笑えないよね。
抱っこされるのが当然とばかりにふんぞり返っているミシェルが眩しい。この子は、この子たちは、愛をもらえることが当然だった子たちだ。リリーベルと同じ。自分が愛されることを疑っていない。疑うことを思いつきもしない。
……いいなあ。
だけど、そんなミシェルの体が、ひょいっと現れた腕に攫われていく。
「おいおい、お前、人の姿になってもかっわいいな~!!!ねえ、さっきまでお前たちを守ってたの、俺だったんだけど?」
「ああ~!!!カインじゃない!あたちを抱っこするの、カインじゃないのにい!シャーー!!!」
「ええ、なんでいつも俺だけ威嚇されてんの……」
そういえば、カインはいつもミシェルに威嚇されていたなあと思い出す。だけど、そんなことはお構いなしにカインはデレデレとミシェルに頬ずりをしては嫌がられている。
ねえ、君たちには分かるかな?そんな光景だって、僕にはとっても眩しいんだ。だってこれは、幸せそのものの光景なんだから。
すると、そんな僕に、明るい声がかけられた。
「じゃあ、エリオスは私ね!」
「えっ?……わあっ!?」
振り向いたときには、僕の体はもうリリーベルに抱き上げられていた。
「ミシェルは、今度エリオスに抱っこしてもらいなさい!今日は私がエリオスを抱っこするんだから!」
それぞれ抱っこされた状態で、猫たちがズルいズルいと声を上げる。
僕は、何も言葉を発せなかった。胸が、いっぱいで。
……ああ、なんて幸せなんだろう。僕に、こんな幸せが訪れる日が来るなんて。
思わずリリーベルの首に縋りつくと、優しい笑い声が降ってくる。
「うふふ、エリオスも、まだまだ甘えん坊さんねえ。これからいくらでも、私に甘えていいのよ!」
そう、これから。僕にはこれからがある。これからがあるんだ。
だけどその時、突然、さっき覚えた違和感の正体に気がついた。
そうだ。魔力だ。僕は魔力を感じるのが得意だったはずなのに、3匹の正体に、マオウルドットに言われるまで気づかなかった。人化するほどなんだから、その魔力は今までにないほど大きくなっているはずなのに。
自分の体を探ろうとしてみる。けれど、上手くいかない。
……まさか?
「エリオス?どうかしたの?」
そう聞いてくるリリーベルに、僕は呆然と告げる。
「魔力がない……僕、魔力が全くなくなってる……」
どうしよう……魔力のない僕なんて、リリーベルの何の役にも立てない……。
そうゾッとする僕に、リリーベルは驚いた目を向ける。
「あら、そうなの!だけど、まあ、大丈夫よ。魔力がなくったって、きっと未来は楽しいわよ!いいえ、私が楽しくしてあげるわね!!」
──ああ、本当に、どれだけ僕に幸せをくれるんだろう。
「ありがとう、リリーベル……ううん、ルシル」
初めて呼んだその名前は、くすぐったくて、なんだか少し照れてしまうけれど、一瞬目を丸くしたルシルが、すごくすごく嬉しそうに笑ってくれたから、僕はますます幸せな気持ちになった。
僕に、その名前を呼ぶ資格はないと思っていた。過去にしか生きられない、未来のない僕には。だけど、ルシルが、僕を助けてくれたから。僕に未来をくれたから。
ねえ、ルシル。魔力はなくなってしまったけれど、僕はきっと、ルシルをもっと笑顔にしてあげられるような大人になるね。




