85_悪魔は私がやっつけます!
エルヴィラとフェリクス様に私の考えを話して、ジャック、マーズ、ミシェルをカイン様に託すと、私の準備は整った。
ちょうどいい頃合いのようね!だって、肌にピリピリと言いようのない空気を感じるもの。すごく強くて、痛いほど澱んだ魔力。ルシルとして生まれ変わってからは初めてのことだけれど、私はこの魔力にとても覚えがある。だって、リリーベルの頃の私は、何度か悪魔に遭遇したことがあるから。あの頃は知らなかったとはいえ、私の飼い主たちはどうやら『運命の英雄』と呼ばれる特別な存在だったみたいだから、きっとそういう機会が多かったのよね。正義は悪と対峙するものでしょう?うふふ!
それに、前世の最後は、この痛い魔力に飲み込まれたところで終わっているんだもの。忘れるわけがないわよね。
私達は、マオウルドットが封印されていたあの森に移動した。きっと悪魔はレーウェンフックに現れるけれど、少しでも町の人や、屋敷にいるサラや他の使用人、猫ちゃんたちを危険に晒したくなくて、ここを選んだのだ。
エリオスとカイン様は少し離れたところに待機してもらっている。感じる魔力が大きくなるにつれて、エリオスはどんどん辛そうになり、ついにはその場に座り込んでしまった。本当は今すぐ駆け寄って支えてあげたいけれど、少しだけ我慢してね、エリオス!
心の中でそう思いながら、私はその時を待ちつつ、ついでに闇魔法を使ってレーウェンフックの離れの方へ念話を送る。
私が念話を送った相手、マオウルドットからはすぐに反応があった。
『はっ!?ちょっと寝てる間にルシルいないじゃないか!おい、オレのことを忘れてどこに行ったんだよ!?』
どうやらずっと昼寝していたらしく、この念話で私がいないことに気がついたらしい。このねぼすけさんめ!まあ、マオウルドットもドラゴンで言うとまだまだ赤ちゃんみたいなものだしね。たくさん寝てたくさん食べて大きくならなくちゃいけないわよね!
ちなみに、私が直接そういったことをマオウルドットに言うと、『このオレを子供扱いするな!オレは強くて立派な大人のオスだ!!』とびっくりするほどへそを曲げるものだから、賢い私は心の中で思うにとどめている。
『ごめんね!だけど、何も忘れていたわけじゃあないのよ!ちょっと今から色々騒がしくなるから、もしもの時はマオウルドットにレーウェンフックの屋敷の皆を守ってほしくって!』
『は~?オレ、ルシルがいないんじゃあここにあんまり用もないんだけど……』
明らかに不満そうなマオウルドットに、私は誠心誠意お願いをする。
『お願い!マオウルドット!偉大で誇り高きドラゴンであるあなたにしか頼めないの!』
『ふ、ふうん?まっ、そこまで言うならちょっとくらいやってやってもいいけどお?ただし、帰ってきたら猫どもよりオレを優先していっぱい遊べよな!!!』
『ありがとう!さすがマオウルドット!大好きよ!』
『へっ!?へへ!えへへ、えへへ!仕方ないな、ルシルはリリーベルの時から、本当にオレがいないとダメなんだからな~!ち、ちなみにオレもだいす』
そういえば、最近はお互いがそれぞれいつも猫ちゃんたちに囲まれていて、あまり遊べていないものね。
このことが無事に終わって落ち着いたら、久しぶりに毒キノコと別の毒キノコを掛け合わせて毒ナシの美味しいキノコを作ったり、どっちがこの季節にあまり見ない珍しい虫を見つけられるか勝負したりして遊んであげようと思いながら、そろそろ気合を入れようと念話を強制終了させた。
私を中心に、少し離れてフェリクス様と、その側にエルヴィラが寄り添い、もっと離れてちょっとやそっとじゃあ被害に巻きまれないような位置に、エルヴィラが乗ってきたギガゴンゴルドや私たちの愛馬、エリオス、カイン様と猫ちゃんたちが控えている。
大きな力が近づくのを感じるにつれ、フェリクス様の周りに黒い魔力がピシピシと薄く渦巻き始めた。
「くっ……」
「フェリクス様っ……!」
フェリクス様が小さく呻く声と、そんな彼の身を案ずるエルヴィラの悲鳴じみた声が聞こえるけれど、今の私は振り返らない。
だって、今はまだ何もない空の向こうから目が離せないのだ。なぜなら、悪魔がすぐ側まで来ているのが分かるから。
「さあ、来るなら来なさい!このルシルがやっつけてやるわー!!」
私が叫んでみせると、見つめていた空間がゆらゆらと揺れ、そのうち歪み始めた。
その空間が裂けるように開き、どこからどう見ても禍々しく黒い魔力を全身に纏った存在が姿を現す。それは、私にとって、忘れたくても忘れられない、とてもとても見覚えのある姿。
(久しぶりね、この悪魔め!うーん、前世の最期ぶりだわ!)
呪いそのものと言える悪魔が姿を現したことで、一気に空気が変わる。森の木は風のさざめきが広がる様に悪魔を中心に朽ちていき、草も花も枯れ始める。同時にフェリクス様の方から、何かが切れるような音が聞こえ始めた。
今、呪われているのはこの土地とフェリクス様。フェリクス様のその身に、彼を取り巻く黒い魔力がまるで鋭利な刃物のように傷をつけ始めていた。
「きゃあ!フェリクス様っ……!」
エルヴィラには、万が一フェリクス様が限界を迎えそうなときには治癒魔法をかけてほしいとお願いしている。そのために側についてもらっているのよね。
「はは……なるほど、確かにこれは、なかなかに痛くて大変で苦しいな」
「フェリクス様、傷を治します!」
「いや、まだ大丈夫だ」
焦ったエルヴィラがすぐに治癒魔法を使おうとするけれど、フェリクス様はそれを止める。
「でもっ……!」
「俺を今癒せば、恐らくこの黒い魔力は、俺を傷つけることができない分も、まとめて大賢者殿へ向かうのだろう」
そのエリオスは、もはや地面にひれ伏すようにしている。なんとか必死に顔を上げて、この光景から目をそらさないようにするだけで精いっぱいのようだ。
そう、フェリクス様の言う通り。やっぱり呪いをその身に受けているだけあって、どうなるかが肌で感じることができるのね。そして、今フェリクス様が呪いの力を受け止めるのを拒めば、エリオスはただではすまないだろう。
本当に、フェリクス様にはすっごく大変な役目を押し付けてしまって申し訳ないわ……!
「ごめんなさい、フェリクス様。全部無事に終わったら、どんな罰でも受けますから!」
私は心からそう言ったのだけれど、フェリクス様は瞬時に否定した。
「いや、その必要はない」
「だけど……」
そこまでフェリクス様に甘えるわけにはいかないわよね?エルヴィラも言っていた通り、フェリクス様は完全に巻き込まれてとばっちりを受けているだけの可哀想な被害者で、見る人が見れば自業自得ともいえる立場のエリオスを助けたいがためにこうしてフェリクス様を傷つけているのは、完全にただの私の我儘なんですもの。
しかし、そう思う私に、フェリクス様はニヤリと笑って言った。
「傷は治る。それに、この程度で俺を怯えさせることができるとでも?あいにく、俺はそこまで心の弱い小心者じゃないんだ。ルシルの役に立てる喜びに勝てる恐怖はそうないのだから、こちらは気にせず思い切りやってくれ」
その言葉に、私はいつかのフェリクス様とのやり取りを思い出す。
あれは、フェリクス様が魔力枯渇を起こした時に、私が魔力を送ってあげた後、呪いのせいで傷ついた手を心配された時だったわね。
『あの程度で私を怖がらせられると思っているんですか?それほど心の弱い小心者であると?なんて心外な!私を怖がらせたいなら、せめてドラゴンくらい──は、怖くないか。うーん、そうだなあ、私、何が襲ってきたら怖いかしら?』
まあ、フェリクス様ったら、これってあの時の私の言葉を意識したのよね?全く、なんてカッコつけたことをするのかしら!うふふ、お互いがお互いを支え合うような信頼関係を感じて、とっても素敵よね!
そして、私はこの信頼できる仲間がいるから、この悪魔に負ける気がしないのだ。
「リリーベル……運命は変わらないって、リリーベルが言ったのに……一体どうするつもりなの?」
エリオスのか細い呟きが聞こえて、私はちょっと面白くなった。
そうよね、私は確かにそう言った。未来は変わるけれど、変わらない運命はあるって。だけど、しかたないじゃあないの!だってどうしても受け入れられないんだもの!!
私は精いっぱい体を大きく見せようと胸を張り、ツンと顎を上げて、手を腰に当てて笑って見せた。
「ほーほほほ!!!なんたって私は、愚かで醜い嫌われ悪女としてこのレーウェンフックにやってきた女ですからね!運命が変えられないなら、悪女らしく無理やりにでもねじ伏せてやるわよ!!」
「みゃーおっ!」
「にゃあああ!」
「しゃー!」
後ろの方で、そうだそうだ!と言わんばかりに、ジャックとマーズとミシェルが囃し立てている。
ね、ほら!世界一自由な猫ちゃんたちも同意してくれているわ!
『何その高笑い……下手な悪役ごっこ、全然似合わねえの……』
ここぞとばかりにマオウルドットが呆れたような念話を送ってくるけれど、余計なことを言っていたら遊んであげないわよ?
そうやって騒いでばかりの私に、空間から完全に姿を現した悪魔の視線が、ゆっくりと向けられた。




