59_ひとりぼっちのエリオス(エリオス視点)
ねえ、リリーベル?リリーベルが僕の目の前で、僕の身代わりとなって魔法陣に飛び込んでしまったあと、僕がどんな時間を過ごしてきたか、想像できるだろうか。
リリーベルは、僕の唯一の味方であり、母であり、姉であり、誰よりも大事な存在だった。ずうっと、僕は将来大きくなったらリリーベルと結婚するんだと思っていた。
そう言う度に、リリーベルは生温かい目で僕を見ていたから、きっと子供の戯言だと思っていたんだろうね。だけど僕は本気でそう思っていた。猫と人間じゃあ結婚できないことはさすがに知っていたけれど、種族なんて関係なくリリーベルが大事だったから、大きくなるまでになんとかしようと思っていた。僕の世界は狭くて、小さくて、そこにはリリーベルしかいなかったけれど、それでもできると思っていたんだ。その時には、自分が生贄として飼われていることなんて、知りもしなかったからさ。
実際には、僕の時間は止まり、大きくなることはなかったし、リリーベルはいなくなってしまったけれど。
リリーベルは、いつだって優しくて、正しくて、厳しかった。僕のことをこれでもかと愛してくれていたけれど、間違ったことをすればいつだって叱ってくれた。
だから、きっと、リリーベルがいなくなったあとの僕のことを知れば、リリーベルは僕を怒るに違いにない。
(だけど、どうしてもリリーベルにまた会いたかったんだ)
リリーベルが生贄である僕の代わりに魔法陣に飛び込んだ後、悪魔は無事に現れた。僕より前に一緒にいた人たちのたくさんの力をその身に宿すリリーベルは、悪魔にとって、立派で極上な生贄だった。
生贄の力が強すぎて、本来よりもずっと強い力を得て召喚された悪魔は、どうなったと思う?
……悪魔を召喚しようとした人物との契約を、悪魔に優位な状態に修正し、本来受けるはずの制約を、ほとんど受けずに顕現したんだ。
リリーベル、知っていた?生贄ってね、ある程度ダメで価値のない奴じゃないといけないんだって。契約主よりも優れた力を持つ生贄では、今回のように契約主が制御できなくなってしまうから。……だから、生贄は僕だった。それを同時に理解した。
とにかく、そうして現れた悪魔に、僕は聞かれた。
『こんなに素敵な生贄をくれたお前の願い、特別に叶えてやろうか?』
きっと、生贄になったリリーベルが、僕にとって命よりも大事な唯一の存在であると、そいつには分かったから、そう言ったんだと思う。悪趣味だよね。だって悪魔だもんね。そして、そいつは付け加えた。
『もちろん、代償はもらうよ』
僕は迷わなかった。どうせ、悪魔からこの話を持ち掛けられなければ、僕は死んでいただろうから。だって、リリーベルのいない世界で、僕はひとりぼっちでは息も出来ないし、生きている意味なんてないんだから。
だから、何が代償かなんて興味もなかった。僕の願いはただ一つ。
「リリーベルに、もう一度会いたい」
リリーベルを生贄にした悪魔に、リリーベルとの再会を願って涙を流す僕は、なんて滑稽だったろうか。
けれど、この悪魔に怒っても、憎んでも、リリーベルは戻ってこないのだ。それなら、選択肢はひとつしかないよね?少なくとも、僕にはその方法しか分からなかった。人間として普通に生きる方法さえ知らない僕だもの、当然だよね。
だけど、後悔も少しした。代償は僕にだけもたらされたものではなかった。契約主には、死よりも長く続く呪いがもたらされた。そのこと自体には興味もなかったけれど、もしもリリーベルと再会できたときに、リリーベルがそのことを知れば、優しい君は自分のせいだと思ってしまうんじゃないかと思って。
だから、リリーベルにもう一度会える日を心待ちにしながらも、僕は呪いを解く方法を探し、研究する日々を送った。リリーベル以外の誰かなんて信用できないし、必要もないから、一人で高い高い塔を建てて、そこにこもって、ときどき研究結果を試すために、呪いに囚われた誰かに会いに行く。
その繰り返しで長い時間を過ごすうちに、僕はいつの間にか『大賢者』なんて呼ばれるようにもなっていた。面白いよね。価値のない人間として生贄とされていた僕が、大賢者だって。この呼び方は結構気に入った。だって、リリーベルなら『すごいわ!さすが私の飼い主ね!とっても誇らしい』とちょっと大げさに褒めてくれるに違いないから。リリーベルは、僕が何かを成すことをいつも喜んでくれていた。それは、例えば嫌いな食べ物をきちんと残さず食べた時も同じだった。
呪いを解く力からたどり、僕の特異な存在に気付かれて、王家に管理されるようにもなった。煩わしくもあったけれど、呪いにかけられた人を自分で探す必要がなくなって、便利でもあった。
けれど、契約主の呪いを解く方法を探せば探すほど、僕は理解した。この呪いが、どういうものであるかを。僕が払った代償が、どういったものであるかを。
悪魔は、本当に悪趣味だ。
「フェリクス様、エリオス様を、離れにお迎えしてもいいですか?」
リリーベルは、フェリクスとやらの体調をしばらく心配して言葉を交わした後、背中に隠れた僕を気遣いながら、そう切り出した。
まさか、リリーベルが人間になっているなんて!こんなに長い時間待つ羽目になったことも含めて、本当に驚きだよ。
フェリクスは少し驚いたようで、まじまじと少し隠れた僕を見ている。この人、本当に大きいよね。いいなあ。僕も本当なら、こんな風に大きくなれたんだろうか。
羨ましくて、苦々しくて、気に食わない。
最初にこの人に会った時、一瞬で気づいた。この人の体には、リリーベルの魔力が溢れている。どうして?なんでお前が、リリーベルの魔力を持っているの?それなのに、どうしてリリーベルはいないの?僕のリリーベルはどこ?
そう思ったら、カッと目の前が真っ赤に染まった気がして、不覚にも魔力が暴走してしまった。
その後のことは、まるで夢のようだったなあ。気がつけば、僕はリリーベルの腕の中にいたんだもの。
ああ、どれほどこの瞬間を、待ちわびただろうか。
何年も、何十年も、何百年も待ち続けたリリーベルが、目の前にいる!
(感激で気を失って、目を覚ました時にリリーベルがいなかったときの絶望、君にはわからないだろうね)
心の中で、フェリクスに悪態をつく。どうせこいつは、リリーベルの側で、目を覚ましたんだろ。そして、今も、こんなにリリーベルに心配されている。
リリーベルを、裏切るかもしれない未来を持つ人間なのに。
その時、リリーベルは悲しむだろうか。いいや、案外あっさりしているかもしれないね。だって、リリーベルだもの。
未来は変わる。多分、もう変わっている。だけど、だからこそ未来なんてどうなるか分からない。
そんな『未来』が来る頃、僕はどうなっているだろうか。
フェリクスは、僕が離れにリリーベルとともに暮らすことに、迷いを見せた。
「いや、しかし。いくら相手が大賢者殿で、子供の姿とは言え、二人きりとは、その……」
本当は、すぐにダメだと断りたいんだよね。わかるよ、とっても。だけど、断られたくないなあ。僕はどうやってもリリーベルの側にいたいんだ。そして、リリーベルはこの場所を気に入っているみたいだから、できればここで一緒にいたい。……たとえ、ここがどんな場所でも、リリーベルがいる場所が僕の唯一の居場所で、天国だから。
どうしようか考えて、考えて、ひらめいた。話が受け入れられない方向に進んでしまう前に、すぐに思い付きを口に出す。
「ねえ、それなら、もう一人一緒に住むのはどうかな?そうしたら、二人きりではないでしょう?それなら、僕も一緒に住んでもいい?」




