58_弟のような、小さな元飼い主
「リリーベル?ねえ、フェリクスって誰」
突然襲ってきた謎の肌寒さに、思わず腕をさすっていると、エリオス様が私の服の裾をちょんっと引きながらそう聞いてくる。
あら?さっきまでニコニコと嬉しそうにしていたのに、どうして急に不機嫌顔になっちゃったのかしら?
そう思ったけれど、そういえばエリオス様は名前のなかったあの頃から、とっても人見知りで、私以外に心を開かなかったんだったわと当時のことを思い出した。あの時も、私が知らない誰かと仲良くしていたりすると、ちょっと不機嫌になっていたから、なんだかお友達を取られて面白くない気分と同じなのかもしれないわね。
そう思い至った私は「大丈夫よ」の意味を込めて、エリオス様の頭を撫でてあげた。
うふふ!リリーベルだった頃は私が撫でられることの方が圧倒的に多かったけれど、今の私たちは人間同士だものね!それにエリオス様は小さな子供の体のままだから、私よりずいぶん小さくて、大変撫でやすいのだ。
エリオス様は目を細め、私の手に頭を擦り付けるようにして甘えている。私の白い毛並みに頬擦りする時も、同じような顔をしていたのを覚えているわ。
エリオス様はふわふわの猫っ毛だ。甘える姿もそうだけど、まるで猫ちゃんみたいだわ!いとかわゆし。
(本当に、エリオス様はあの子なのね。こうしてみると、見た目だけじゃなくて、仕草や表情なんかも全然変わっていない)
エリオス様は私の飼い主だったわけだけれど、彼はまだほんの小さな子供で、どちらかと言うと私が彼をお世話してあげているようなものだった。だから、他の飼い主とは違って、私の方が母のような姉のような気分だったのよね。
そしてそれは、今も変わっていないと気づいた。ううん、こうして人間の体で甘えられていると、余計にそういう気持ちが強くなっていく。
「ねえ、リリーベル?」
「なにかしら?」
「僕、今魔塔っていうところに住んでいるんだけど」
そういえば、そんなことを聞いていたわね。魔塔と呼ばれるとっても高い塔を建てて、そこに一人で住んでいるんだって。
「そこにひとりぼっちでとっても寂しいから、今日からリリーベルのおうちに一緒に住んでもいい?」
「まあ!もちろんよ!……と、今すぐそう言いたいけれど、私も実は居候のようなものなのよ。だから、きちんと家主に許可をもらわないといけないわ」
「ダメかもしれないの?」
「いいえ!きっと大丈夫だと思うわよ?だって、私は家主と同じ敷地に建てられた離れに一人で住んでいるし、家主も使用人たちも、みーんなとっても優しいから!ただ礼儀として先にお話は通さなくてはね」
「分かった。リリーベルを信じるね」
エリオス様は嬉しそうに笑って、私の手をキュッと握る。
そんな彼と目を合わせながら、私は力強く頷いた。安心してねの意味を込めて。
「ええ、信じていて!あと、ひとつだけ、それとは別にずっと気になっていることがあるんだけれど」
「なあに?なんでも言って?」
「エリオス様、私をリリーベルと呼ぶじゃない?たしかに私は元白猫のリリーベルだけれど、今はルシルなのよね」
ずっと気になっていたのよ!エリオス様、再会した瞬間からずっと、私のことをリリーベルと呼ぶんだもの。今伝えた通り、今の私はルシルであって、もう白猫リリーベルではないのだし、それに何よりフェリクス様たちにはリリーベルだった過去を話していないままだ。
フェリクス様の体調はもうほとんど良いということだったし、これからエリオス様を離れに住まわせてもいいか、聞きに行こうと思うのだけれど、みんなの前で私をリリーベルと呼んでは、何も知らない周りは困惑してしまうかもしれない。
(というか、そろそろ打ち明けても信用してもらえそうな気もするのよねえ)
ここまできたらなかなか打ち明けるタイミングがよくわからないだけで、別に隠しておきたいというわけではないのだ。
だけど、エリオス様は私の言葉にキョトンと首を傾げた。
「何を言っているの?リリーベルは、ずっと僕のリリーベルのままだよ?」
「ええっと」
うーん、たしかにエリオス様にとって、私は大事にしていた白猫リリーベルなんだものねえ。これだけリリーベルと呼んでいる中で、急に「これからはルシルって呼んでね!」なーんて言っても、すぐに呼び方を変えるのは難しいのかもしれない。
「まあいいか。そのうち、ね!」
途中で細かいことを考えるのが面倒くさくなって、あれこれと頭をひねるのをやめた。何事もなんとかなるようにできているのだし。
「それじゃあ、一緒に暮らせるように、フェリクス様にお願いしに行きましょう!」
「待って、またフェリクス?ねえ、フェリクスって誰なの?」
「あら、あなたは会っていたじゃあないの?……いや、魔力暴走してしまって覚えていないのかしら?あの日、あの部屋に一緒にいた体の大きな人よ!」
「やっぱり、あいつがフェリクスなんだ……。僕、あいつ嫌いだ」
「ええっ!?どうして?フェリクス様、見かけによらず優しくていい人よ?」
「……ふうん」
まだまだ不満そうなエリオス様だけれど、こういうのは聞くよりも実際に会って話してみた方が早いわよね!!
「えっ。ちょっと待って、本当にお前ら一緒に住むの?待って!ずるい!ずるいだろ!」
「ごめんね、マオウルドット。またなるべくすぐに会いにくるわね!」
「待っ、ちょ、ル、ルシルーーーー!」
私はさっそくエリオス様を連れて、レーウェンフックのお屋敷に戻ることにしたのだった。




