49_呪われ辺境伯フェリクス視点
「ルシル・グステラノラ侯爵令嬢、ならびにフェリクス・レーウェンフック辺境伯、こちらに来てくれるか」
王太子殿下がそう言った後から、にわかに会場がざわついた。
「ルシル・グステラノラ嬢?あのバーナード殿下に婚約を破棄された悪女か?」
「いやいや、あれはバーナード殿下の暴走による冤罪だっただろ。しかし、それはそうと、グステラノラ嬢とは、あんな感じだったか……?」
「……なんというか、小さくて、可愛いな」
「そうだよな!?もっとこう、威圧的で、高慢で、いつもぴりぴりとしていたような……今は、ずっと微笑んでいるな」
「ルシル・グステラノラ嬢、あんなに可愛い人だったのか……!」
「辺境に送られて、何があったんだ?」
ルシルをエスコートしながら俺の耳に入ってくる話の大半は、男どもの彼女に対する印象の話だ。誰もかれもがルシルの姿に驚き、息をのみ、頬を染めている。
レーウェンフックで初めてルシルを見た時、確かに今の彼女とは随分印象が違ったものだ。愚かな俺が鵜呑みにしていた噂を彷彿とさせる姿であったから、きっと彼女の人となりも聞きかじったものとそう違いないのだろうと思い込んだ。
あの時の自分にもしも会うことができれば、そんな自分を殴り飛ばしてやりたい。
(カインの言っていた意味が分かる日が来るとは……)
『お前がいいならいいけど。俺、なんか嫌な予感がするんだよね。お前はいつか今日のことを後悔するよ、きっと』
あれは、俺が彼女に対して噂を鵜呑みにし、誤解し、ひどい態度をとったことを謝罪したときのことだったな。
俺は本当に理解できていなかった。自分の気持ちも、彼女に許されたからと、あの瞬間に詰められた分だけの距離を詰めておかなかったことで今になって生じる壁の高さも。
『謝罪って言うのはさ、自分が思ってる半分も伝わらないことの方が多いわけ。『君を嫌いだと言ったのは誤りだった』くらいはっきり具体的なことも付け足しちゃっても良かったと思うんだよ』
カインの言う通りだった。自分の思っていることの半分も伝わらない。それは何も、謝罪に限ったことではない。特に俺は、あまり感情を表に出すことが得意ではない。言葉でどれほど喜びや感動、彼女に対して湧き上がるこの感情を伝えようとしても、全く伝わっている気がしない。それはきっと、やはりあの最初の一歩がそのハードルを高くしているように思う。
俺の差し出した手をなんのためらいもなくとり、優雅にエスコートされているルシルをちらりと見やる。
彼女は、猫のような人だ。レーウェンフックでよく猫に囲まれているから、余計に猫のようだと感じているのかもしれないが。
しなやかで、自由で、気まぐれで……人の好意を受け入れるのが上手く、甘え上手。我儘を言わないわけではない。ルシルは時として、さりげなく周りを誘導して自分の望みを叶えている節がある。やりたいことは必ずやるし、やりたくないことを無理にしている姿は、少なくともレーウェンフックでは一度も見たことがない。
最初に手なずけたのが気難しいランドルフだったことは今でも笑える。おかげでランドルフは最近、騎士や使用人とも以前よりずっと打ち解けているように見える。それはそうだろう、あれだけ『ルシーちゃん、ルシーちゃん』と目じりを下げて笑っている姿を見て、誰が今までのように怯えていられるだろうか。
最初は俺の噂を信じ、使用人にあるまじき態度をとり、誤解が解けてからは罪悪感からルシルにたいして多少の遠慮をしているようだったサラも、今では小さな頃から一緒だった乳兄弟だったのか?と疑いたくなるほどの構いようだ。ときおり、ルシルにうっとうしがられているのが微笑ましいほど。
アリーチェがルシルを『お姉様』と呼びだした時には驚いた。誰にも心を開かず、常に気を張って、わざと自分本位な態度を取り続けていたアリーチェ。きっと、アリーチェを本当に救ったのは、ルシルが彼女の『特別』な部分を見つけたことではない。ルシルが、いつだってアリーチェを、『ただ一人の特別な存在』として接し、愛情を注いでいることこそが、アリーチェに本当の意味で『価値』をもたらした。彼女自身が感じる、自分自身の価値を。
彼女は愛され慣れていて、愛し慣れているように見える。そしてそれ以上に、周囲の人間は彼女といると、自分のことも愛したくなる。彼女がいつだって、自分自身の愛し方を、目の前で見せてくれるから。眩しいルシルの側にいると、自分もそう在れるような気がしてくる。
そんな風に思わせてくれる存在が、一体この世界にどれほどいるだろうか?
(いや、きっと、ルシルのような人は決して二人といないだろう)
俺は、呆然と俺とルシルの去っていく姿を見ているバーナード第二王子に視線を移す。
なんと愚かなやつだと思う。しかし、もっと何かを間違えていたならば、あれは俺の姿でもあったかと思うとゾッとする。
いやしかし、それにしてもこれほどルシルと話していて、彼女がルシルだと気がつかないなどと、さすがに愚かすぎるだろう。長い間婚約者だったはずだろう?噂には聞いていたが、どれほどルシルを軽んじ、蔑ろにしてきたのか。
腹は立つが、俺は自分勝手な人間なので、それ以上に湧き上がる感情が強い。
ありがとう、ありがとう、ルシルをレーウェンフックに送ってくれて。心から感謝する。
俺が彼女に出会えたことが、彼女に与えられた罰だというのなら、婚姻を処罰に使われるような人間だったのが、俺でよかった。
『呪われ辺境伯』などという不名誉な呼ばれ方がルシルを俺の住まう地に送ってくれたというのなら、その悪意と嘲りを含んだその呼び方さえも、今はもはや誇らしい。
エドガー王太子殿下のそばに歩み寄る。今回の功績を称える言葉が、ルシルに与えられる。
ルシルのここから先の未来の光も、願わくば側で見ていたい。きっと彼女は大人しくなどしていないだろう。次はどんな奇跡をもたらし、どんな驚きを与えてくれるのか。
そして、そんな彼女が自分では振り払えない厄災に見舞われた時には、他の誰でもない俺が力になりたい。
(今のところ、俺の出る幕がないのが少し悔しいが……)
俺はそんなことを思いながら、彼女に対する憧れと好意、羨望の眼差しを、その隣で見届け続けていた。
だいぶ自覚してきたフェリクス!




