22_カインはおとぎ話を見る
カイン視点
……今、目の前で起きていることは、本当に現実なのだろうか。
俺──カイン・パーセルは、意識を失ったフェリクスを背負ってこのレーウェンフックの屋敷に戻りながら、本当は心のどこかで……もうだめかもしれないと思っていた。
だって、そうじゃないか。フェリクスが異常な状態に陥り、みるみるまに魔力を枯渇していっていることには俺もすぐに気づいた。だけど、フェリクスには魔力を渡す術がない。そんなことをすればたちまち渡そうとした側がミイラになって終わりだからだ。俺が干からびてフェリクスが生き延びるならそれでも構わないけれど、俺程度の魔力じゃ全然足りなくて、フェリクスを助けられない。
悲しいとか、絶望とか、そんなのも分からないくらい、混乱して、頭が真っ白だった。
……フェリクスが死ぬ?本当に?
俺は無力で、何もできない。
それなのに、そんな俺を笑い飛ばして、彼女──ルシルちゃんは今、フェリクスの手を握っている。気を抜くと、人の魔力を吸い上げてしまうからと、人前では絶対に外さなくなっていた特別製の手袋を外した、フェリクスの素手をそのまま。
どうして彼女の魔力は尽きないんだろう。あの華奢で小柄な体に、本当にそれほど莫大な量の魔力が宿っているというのか。
いざというときは、自分がミイラになってでも彼女をフェリクスから引き離そうと待機していた俺は、完全にただただ目の前の光景に見とれてるだけになっていた。
だって、そんなことができるわけないのに。一瞬でミイラのようになってしまうはずなのに。
それなのに事実として目の前の彼女は、苦痛や疲労の色などもなく、まるでぐずる子供をあやすような優しい声で、穏やかにフェリクスに声をかけ続けている。
「頑張れ、頑張れ、フェリクス様」
「にゃあーん」
「うにゃおん」
……さらに、なぜかその彼女の周りを猫たちが囲って、まるで彼女とともにフェリクスを励ますかのように鳴き声をあげている。
「負けるな、負けるな、フェリクス様」
「うみゃ!」
「なあおーん」
……逼迫した状況下、緊張感漂う場面のはずなのに、どこか力の抜けるような光景。
おまけに、よく見ると猫たちは別にフェリクスを励ましているわけではなくて、フェリクスを励ます彼女の優しい声に反応して甘えているだけかもしれない。
異常なのはこの光景だけではない。フェリクスの手を握り、魔力を渡している彼女の体がずっと淡い光を放っているのだ。さらに、その光が彼女からある程度離れると小さく温かな光の玉のようになって分離し、まるでシャボン玉のようにポワポワと少しの間漂っては消えている。
猫たちもその光が気になるのか、気まぐれに手を出しては遊んでいる。元の光の方は心地いいのか、ルシルちゃんの近くにいる子は喉をゴロゴロと鳴らしたり、気持ちよさそうに丸くなりまどろんでいたりする。
まるでおとぎ話みたいな光景だ。
大体、おかしいだろ。なんで猫たちにあんなにモテてるんだよ。フェリクスに付き合ってこっそり離れに様子を見にいた時も、なぜか猫の山ができていると不思議に思えば、その中に埋もれるようにしてルシルちゃんが寝ていたことがあった。
なんだよあれ。猫まみれなのも意味わかんないけど、なんで高位貴族のお嬢様が外で普通に寝てるんだよ。王子の婚約者だったんだろ?愚かで傲慢で心の醜い令嬢って噂だったじゃないか。誰だよ、そんなこと言っていたのは。
それに、ちょっと見れば全然違うってすぐに分かるのに、なんでフェリクスの大バカはそんな噂信じてたんだよ。お前が信じてるみたいだったから、俺も信じちゃっただろ。
「フェリクス様、大丈夫。呪いもそのうち解けますから」
唐突にルシルちゃんが呟いた、どこか予言のようなその言葉にドキリとする。
そんな俺には気づくこともなく、ルシルちゃんはさらにフェリクスに言葉をかけ続ける。
「呪いも解けて、運命のヒロインと出会って幸せになるんです。だから、怖がらなくて大丈夫」
運命のヒロイン。ルシルちゃんがどういうつもりでそんなことを言ったのかは分からない。なんだかしれっとして見えたから、案外何も考えてなかったのかもしれない。
運命のヒロインと『出会って』と言っていたから、彼女は本当にフェリクスにそういう意味での興味がないんだろうなと気付く。フェリクスのバカめ。だから言っただろ。後悔するって。さっさと起きて後悔して、死ぬほど頑張る羽目になればいいんだ。
……でも一つだけ。俺に言わせればルシルちゃんこそがフェリクスの運命のヒロインだ。
──しばらくそうしていると、フェリクスがゆっくりと目を開けた。
(……はは。本当に、ルシルちゃんはなんでもない顔して、フェリクスを助けちゃった)
フェリクスは自分の手を握るルシルちゃんの手を、ほんの少し、握り返して。
「ルシル。あなたの声が、ずっと聞こえていた」
掠れた声でそう言ったフェリクスを、ルシルちゃんは目を丸くして見つめる。
「あら、もう目が覚めたんですか?なんだ、やっぱりたくさん魔力を渡したって、まるまるに太ったりはしないのね」
「……俺は鍛えているから、そう簡単には太らない」
あまりのことに、二人に聞こえないくらいの声で、思わずぼそりと呟く。
「この状況で最初にする会話がそれ?マヌケ過ぎない?」
でもまあ、俺には分かる。フェリクスの、ルシルちゃんを見る目の奥に、今までなかった色の火がポツリと灯っていること。
「ま、最近は明らかに意識してたし、やっと自覚しはじめたってところかな?せいぜい苦労すればいいさ」
フェリクスの手を離した彼女に、周りでくつろいでいた猫たちがいっせいに集まって甘えだした。
だから、おかしいだろ……なんでそんなに猫にモテてるんだ……馬にもめちゃくちゃ好かれてるって聞いたし。
そしてフェリクス。おまえのその羨ましそうな目は、猫に群がられているルシルちゃんに向けられているのか、ルシルちゃんに群がっている猫に向けられているのか、どっちなんだよ……。
「全く、先が思いやられるね」
俺は二人のことを見ながら、思わず微笑んでいた。




