魔王の城と戻れない私
混乱する頭は今すぐに考えることを止めろと警告してくる。しかし目の前の有り得ない光景が、私の真横に立つその存在が、どうしても色々と考えさせるのだ。
「魔界・・・此処が・・・」
「人間界とは随分と異なるだろうが、これらを構築している素養は人間界のそれとなんら変わりはない」
魔王にとっては島が浮いていようがドラゴンのようなものが飛んでいようが日常茶飯事なのだろうけれど、生憎人間界にそのような日常はない。だからそうなのですかと納得など出来るわけがなかった。
「さて、魔界の案内はいずれするとして・・・」
「なっ、なんですの?」
再び私を胸に納めるとまたあの浮遊感がやってきた。
「まずは我が城へ案内しよう。そなたの城でもあるしな」
紅玉をうっすら細めるのを見ていると、今度は一瞬で先程までいた場所とは違う所に立っていた。私はきょろきょろと周りを見渡す。荘厳・・・とは言えないけれど黒と銀で統一された印象の良い玉間には、同じく黒の美しい王座がその存在感を主張していた。
「お帰りなさいませ魔王陛下。そして我等の母神となられる御方」
魔王とは違う重厚な低音を響かせたのは、一人の黒を纏った壮年の男だった。ただ、普通と違うのはその背中に生えた蝙蝠のような羽があることだけど。
「マイヤーズか。クリスティーナ、この者は我の右腕、そしてヴァンパイア族を治める長のマイヤーズだ」
「お初にお目にかかります妃殿下。私はヴァンパイア族の長を務めております、マイヤーズ・ヴァルファーでございます」
ロマンスグレーの美しいマイヤーズと名乗った彼は、物語の中のヴァンパイア同様、年齢を感じさせない色気を纏っていた。
「初めまして。私はクリスティーナ・ミハエルと申します。あの、母神とか妃殿下とは一体どういうことなのでしょうか」
「陛下、まだご説明をされていなかったのですか?」
「此方に戻ってからでも遅くはないと思ってな。どの道我等には彼女しか頼みの綱はないのだから」
呆れ顔のヴァンパイアと、表情の変わらない魔王。もし・・・、もし私の思っていることが正しいのならば・・・
「では私の方から説明させていただきます」
そしてヴァンパイアの口から、長い長い物語が語られた。
「それで、その魔力を持つ人間の乙女というのが私・・・ということなのでしょうか」
「はい、そうです」
「ですが私、魔法なんて使ったことがありません」
やはり私は魔族の子供を産まなければならない役回りらしい。一瞬、凌辱、輪姦などを想像して身震いをしてしまったけれど、相手は目の前にいる美貌の魔王様のみであるということにあってはならない安堵を感じてしまった。
「それはそうでしょう。もともと人間に魔法・魔術というものは存在しないのですから。稀に私共に匹敵する魔力を持って産まれても、それを知らずに生を終えるなんてことは普通です。まあ、己が内に眠る魔力を知ったところで、それを扱う素養はないのですけれどね」
つまり私は今後も魔法を使えないということだ。折角ある力が無駄になるのはなんとなく勿体ないと感じるのは変だろうか。
「さて、話をもとに戻しましょうか。私共魔族は血を濃くし続けた為に生殖能力というものを無くしました。確かに血が濃いということはその種族にとってみればより強い者ということになるのですが、それを次代に繋げられないのならなんら意味を持ちません。しかし無駄にある自族優位、所謂プライドですね。それが他族と交わることを強く拒んでしまい、結果魔族全体の数を減らす結果になりました」
そこは人間社会と変わりはないのだなと思った。私達人間だってより尊い血筋を重んじているし・・・ただ違うのは魔族と違って人間は選ぶことが出来るという点だろう。
「でも待ってください。それなら、他の種族と交わることを嫌うならば、私の産んだ子供なんて受け入れないのでは・・・」
「ああ、そこは心配ありません。陛下に至っては只今種族という縛りがありませんのでなんの問題もありませんし、妃殿下の場合は受け継がれるのがその魔力のみになります。なので生まれ出でる子は純粋たる魔族ということになりますね」
つまり私は自分の血が一滴も入っていない子供を産まなければならないということなのか。貴族の娘として産まれた私は家の為にいつかは結婚し子を産むことを受け入れていた。しかしそれでも産む子供には半分は自分の血が流れているから大切にし愛せる。なのにそれすらないなんて、とてもじゃないけれど受け入れられない。それが私の出した答えだった。
「申し訳ありませんが私には無理です。私の産む子供なのに私は愛することもできないではないですか。私も女なのでやはり愛する方との子供を産み育てたいのです」
だからそれを受け入れられる他の誰かを見つけて私を人間界に帰してほしい・・・そう告げると、ヴァンパイアは首を横に振り申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「それは出来ないのです。陛下のお力があったからそれほど負荷はかかりませんでしたが、界を渡るということは人である妃殿下には死と同等のダメージを与えることになるのですから。すでに一度渡っている妃殿下の体は、もう一度の渡りには耐えられないでしょう」
つまりは、私はもう二度と人間の世界に帰ることも、お父様や義兄達に会うことはできないということか。あまりのショックに大きな眩暈がし、私の体はそのまま重力に逆らうことなく崩れ落ちた。
「陛下、妃殿下はご無事で?」
「うむ、精神的なものに加え、今になって渡りの影響が体に出たのであろう。少し休めばもとに戻る。部屋は・・・」
「既に陛下の続き部屋を用意しております。そちらにお通ししてください」
気を失った私を、魔王は抱き上げゆっくりした歩調で歩き出した。それはまるで私に負担をかけないように見えたと、後にヴァンパイアから聞くことになる。
「なんの説明もなしに拐うように連れ帰るとは・・・どうやら陛下のお心は妃殿下に囚われてしまったようだ。陛下自身はまだお気づきになっていない様子だが・・・」
時間の問題か、と私達の出ていった扉の先を見つめるヴァンパイアの姿が、そこにあった。




