ホワイトデーは男の財布が寒くなる
ホワイトデーは、楽しみだけど悲しい日。
それが、今までの私の認識だった。
理由は色々ある。
お返しという名目とはいえ、彼にプレゼントが貰えて嬉しいという、単純明快な女としての感情が一つ。
だけど、それと相反するように悲しいのは、毎年彼に手作りチョコをあげられなくて、密かに落ち込んでたりする私……。それに追い討ちをかけるかのように(彼自身はそんな自覚は毛頭ないのだろうが)渡される、彼の手作りお菓子を食べる度、私は悲しくなる。あまりにも美味しくて、もはや彼女ってなんなのかと真剣に悩む感情がもう一つの理由だ。
だが、それももう過去の話。今年はついに念願の手作りチョコが渡せたのだ。だから私は、もう……何も怖くない……!
「何でこんなに美味しいのよ! 貴方の焼くチョコスコーン!」
何て思ってた時期が私にもありました。
敗北感に苛まれながらも、やっぱりそれは頬っぺたが落ちるような極上の味で、私はもう彼に苦し紛れの悪態をつくより他に無かった。
時はホワイトデー。大学も休みな私と彼は、お返しにと作ってくれたチョコスコーンをつつきながら、部屋でのんびりと過ごしていた。
デートに行こうかとも思ったが、それは止めた。世が世なので、きっと街は人混みが凄いに違いない。行くなら、明日がいいだろう。彼の都合がいいなら誘ってみようか……。
そんな中、また一口味わったスコーンが、ふわっと口の中で溶ける。甘くて暖かくて、優しい味。これを私の為に作ってくれたんだと思うと、嬉しくてつい顔が綻んでしまう。が、同時に私は改めて、料理上手な彼にムカッとくる。やっぱり私から誘うのは止めだ。お前が誘えこの野郎。
そんな感じで百面相する私に何を思ったのか、彼は嬉しそうに頬を掻く。
「いやぁ、そこまで喜んでくれると、気合い入れて作った甲斐があったなぁ」
そう言う彼に、私はぐぬぬ……と、恨みがましい視線を向ける。悲しいかな、私の悔し紛れの文句やら表情も、彼の中ではいい仕草に入ってしまうらしい。本当に、どうにか彼をギャフンと言わせることは出来ないものか。
私はそんな事を考えながら、隙のない難敵を盗み見る。
ホワイトデーに彼氏の弱点探しとか、何やっているんだろうと思うけど。
取り敢えず、弱点……と、私は脳内で検索をかける。
球技やらスポーツ全般は、彼は苦手だ。走るのはそれなりに速いし、体力もある。故に徒競走では結構活躍するけど、それ以外はてんでダメなのだ。
サッカーならば相手にパスし。
野球なら三振とエラーを連発し。
バスケならばシュートしたボールが跳ね返ってきて顔面に当たり。
テニスなら、まずサーブが相手コートに入らない。
卓球なんてやらせた日には、彼は浴衣姿の私をガン見しててそれどころではなく……。
「綾? 頭抱えてどうしたのさ?」
「高校の時の修学旅行思い出したのよ」
「ああ、懐かしいなぁ……。みんなで卓球やったよね」
「ええ。思えばあの時から予兆はあったのよ」
「……何の話だい?」
貴方が変態になるって話。というのは、心に留めておいた。
しかし困ったな。運動音痴なんてこの場では何の役にも立たないではないか。
口で言い負かす。ダメだ。多分論戦で勝てる気がしない。
力づく。もっとダメ。というか、それはもはや女としてどうなのだというレベルだ。
料理。……うん、無理。一番無理。言ってて悲しくなるけど。
苦手……苦手……そう言えば彼、ミミズが嫌いだ。……だからどうした。私がミミズなんて持ってきたら、それはもはや彼女として間違っている気がする。
あれ? 私の彼氏、弱点そんなにない?
それを知覚した時、私が起こした行動は……。
「……ねぇ、貴方って、敗北感とかあるの?」
素直に聞く。なんて、お粗末なものだった。
万策つきたともいう。
そんな私の問いに彼は目をパチパチさせたまま、「斬新な質問だ……」何て言いながら、頭を捻る。
「スポーツで負けて悔しい。が、僕にはわからないんだよね。それは僕がそれに情熱を注いでないからかもしれないけど」
思えば、彼は勝負じみた事はそんなにやらない事を思い出す。彼が力を注ぐのは、決まって自身の好奇心やらを満たすもののみ。彼が悔しがるとしたら、そういったものが満たされないままに終わった時だろうか。
「料理……とかは?」
「う~ん、料理はなぁ。料理人にそんな感情は抱かないし、普通の人が美味しいのを作ったら、単純に凄いって思うだけかもね」
「あ、一応凄いって思う人はいたんだ」
少し驚く私に、彼はそりゃそうさ。と頷く。
「まず、綾のお母さんでしょ。牡丹先輩に、あ、雄一は炒飯だけなら凄い上手なんだ。後はメリーに……」
気がつけば、スコーンを刺す筈のフォークが、彼の方へ向けられていた。
彼がしまった。何て顔をしているが、もう遅い。
彼の間違いは二つ。
一つ。私の前で別の女の子を話題にしたこと(牡丹先輩はギリギリセーフ)。もっとも、これはまだ大丈夫なレベルだ。
二つ。その話題にした子が、今も私を悶々とさせている女の子だという事。
実は内心で私もしまった。何て思うが、上げたフォークはもう戻せない。
こうなれば自棄だ。聞くだけ聞いてしまおうではないか。
「え? 料理食べたことあるの?」
「い、いや! お菓子だよ! よく作ってくるんだ!」
「……ふぅん。で、普通の料理は?」
「……えっと」
食べたことあるのか。
「何処で食べたの?」
「い、いや、旅先……とかで……」
「……とか?」
「い、いや! 旅先です! はい!」
メリーさんの部屋に入ったことある……確定。
「……何が美味しかったの?」
「え、いや……」
「何・が・美味し・かった・の?」
「く、クラムチャウダーとか……ハンバーグとか」
それも結構な頻度で召し上がっていらっしゃるらしい。てか、クラムチャウダーとか何だ……クリームシチューすらまともに作れなかった私への当て付けか。ハンバーグって何だ。彼女か。私が作った時なんかミンチを通り越してグチャグチャになったんだぞ。スクランブルエッグならぬスクランブルミートだ。てか、さりげなく人の彼氏の胃袋掴むな。
「……ところで、メリーさんへのお返しは?」
「あ、明日サークル活動行くから……その時にでも……」
「彼女にも、お菓子?」
「は、はい……」
悲報、デートの予定潰れる。そもそも約束なんかしてなかったじゃんとか無しだ。自分でも表情が消えるのがわかった。
「……何、あげるの?」
「チ、チェリーパイを……」
「美味しそうね~。私と違う理由は?」
「そ、それぞれの好みに合わせてみました」
お返しに手は抜かない……素敵な事だ。惚れちゃいそうだし、恋しちゃいそう。……いや、してるけど。
だからこれは仕方ない。
「ハイキックとローキックと、ミドルキック……選んで」
「……全部痛い?」
「今ならサイキックも撃てる気がするわ」
「人間止めないで!」
涙声でそう言う彼氏は、全てを受け入れる菩薩のような笑みを浮かべて「全部」と答えた。男らしいことだ。
取り敢えず。
「彼女と友達……お返しが同格ってどういうことよ!」
『友達』を強調しながら、私は一瞬で三点を突く。勿論受け身も無意識の防御も許さない。
ローと見せかけハイキック……と見せかけてのロー・ハイ・ミドル。二段構えのフェイントから撃たれた連撃に彼は吹っ飛んで……。
「……最初に言ってよ」
それで済んだらどんなに良かっただろう。彼の消えた場所にヒラヒラと舞うのは、ちょっと高いレストランのディナーチケットだった。
誘ってくれるつもり満々だったのだろう。
「さ、流石にお菓子だけだとなぁ……と思って、頑張ってみました」
「……バカ」
嫉妬の炎は一気に燃えて、急速に消える。残されたのは消し炭でも、そこに暖かさは残ってて……。私は単純で、酷い女だと思う。けど。
「……レインボーブリッジでも眺めながら、夕食とかどうでしょう?」
吹き飛ばされ、叩きつけられた壁にもたれながら、笑顔でそう言う彼。その胸に飛び込みながら、私はちょっとだけ泣いてしまった。
ホワイトデー何て、男女がいちゃついてお菓子業界が儲かるように出来てるのよぉ! 何て牡丹先輩は力説してたけど……。どうやら本当だったらしい。
「可愛くしていくから」
「今でも充分可愛いよ?」
それでも頑張るのが、女という生き物なのだ。
最近買って、デート用にとっておいた新しい服を引っ張り出していこう。
ついでに明日立って行けなくなるくらいに誘惑するのは……止めておこう。流石にそこまでするのは恥ずかしい……。
不意に彼の携帯が鳴動する。ラインのメッセージにチラリと見えた、メリーの名前。内容までは流石に見なかったけど、それから目をそらしながら、私は意を決する。
恥ずかしいとか、言ってる場合じゃない……!
バカだとか、余裕がないなと笑うなら笑え。
実際にそんな状況になれば、笑い事ではないのだ!
結局、バレンタインデーもホワイトデーも戦争だという事なのだろう。
因みに。夜に出掛けたレストランにて。
「ここ、綾と来たかったんだ。きっと気に入ると思ってさ」
割りと単純な言葉で私が幸せに浸ってしまうのは、もうご愛嬌だった。
だって仕方ないじゃないか。いつもと違う、少しお洒落なレストラン。顔がにやけて何が悪いっ!
私のホワイトデーはこんな感じ。彼にチョロいと思われてないか、少し心配になった夜だった。




