第87話:匂いという名のテロ
惑星ノーサリスへと到着したシアルヴェンは、光り輝く巨大なビル群の一角へと吸い込まれるように進んでいった。
その星は、まさしく『未来都市』であった。
これまで訪れてきた場所も、確かに高度なオーバーテクノロジーの産物ではある。
だが、岩石をくり抜いた閉鎖的な工業都市や、冷たい鋼鉄に囲まれた巨大船の中は、人が住んでいるとはいえ「一つの施設」という感じが強かった。また、最初に訪れたザルティスは紛れもない未来都市であったが、そこには退廃的で猥雑な、サイバーパンク特有の熱気が渦巻いていた。
だが、このノーサリスは違う。そこにあるのは、人類がかつて空想した「清廉で機能的な未来」そのものの光景だった。整備された美しいビル群は、地球のドバイを数十倍に拡大したような圧倒的な規模感を誇っている。特筆すべきは、巨大な高層ビルの一枚板のような外壁に、宇宙船がそのまま直接ドッキングできる構造になっていることだ。
もちろん、全ての宇宙船が可能なわけではない。直接ドッキングが許されるのは、『屑鉄級』と呼ばれる下から二番目までの小規模な船舶に限られる。それ以上のサイズは、専用の宇宙港を使うのがルールだ。しかし、この利便性ゆえに、宇宙港のドックスペースには「流れ」の商人や、自慢の掘り出し物を売りたい船乗りたちが、自前の船を店舗として連結させ、即席のマーケットを開くことができた。
また、この星にはもう一つ大きな特徴がある。ここは『常夕』の星なのだ。天文用語で言うところの『潮汐固定』の星である。月が地球に対して常に同じ面を向けているのと同様に、自転と公転の周期が一致しているため、恒星に対して常に同じ面を向けて静止している。その結果、太陽に晒される面は灼熱の地獄、逆に背を向けた裏側は絶対零度の極寒となる。しかし、その境界線にあたる「明暗境界線」だけは、常に穏やかな夕暮れ時のような適温に保たれているのだ。
宇宙から見れば、惑星の輪郭に沿って美しい光の帯が環状に浮かび上がって見える。ノーサリスを開拓した人々はこの黄金色の帯を基準にして惑星フォーミングを行い、機能的な文明を築き上げたのである。
現在、シアルヴェンは周囲の景観に馴染むよう船体サイズを一回り縮小し、とある高層ビルの中層階にガチリと連結していた。その連結時の振動と「ビルの一部になる」という体験を思い出し、遥斗はいまだに心を躍らせていた。
合体である。
ドッキングである。
船と船との合体も素晴らしかったが、宇宙船とビルのドッキングは合体ロボ感があって素晴らしかった。
なお例のごとく、ドッキングの映像を記録しようとドローンが飛んできていたので、この地にも『撮り船』はいるようだ。
「なあヴェラ、ここ、めちゃくちゃカッコいいじゃん!ちょっと観光しようぜ」
「ダメ。行くとしても、商売がうまくいく目処がついてからだ」
身を乗り出す遥斗を、ヴェラは取り付く島もなく切り捨てた。
「えー、なんでだよ。少しくらいいいじゃんか」
「いいわけねーだろ。ここの賃貸料金、分かってるか?1シクタで何カスも取られんだぞ!軌道に乗らなかったらマジで破産だわ!もし一月巡も全く売れなかったら、ダリスコルへの利子も含めて、これまで稼いだ金なんて全部吹っ飛ぶんだよ!」
ヴェラの必死な形相に、遥斗は少しだけ気圧された。確かに、前回の成功はダリスコルという『役者』と幸運があったからこそだ。未知の土地、しかも商業の中心地であるノーサリスで同じようにいくとは限らない。ただ、前回の経験から、天然物の商品がどう受け入れられるかという傾向と対策は、ある程度見えている。
「……まあ、ここはザルティスよりはかなりマシな場所だ。商売の星だからな。珍しい物や得体の知れない物も普通に流れ着く土壌がある。偽物や詐欺も多いから住民の警戒心は強いだろうが、全く相手にされないなんてことはないはずだ」
ヴェラは自分に言い聞かせるように呟きながら、借りたばかりの店舗スペースを見渡した。店舗といっても、シアルヴェンのハッチを開放して連結させただけの空間だ。そこに並べられているのは、地球から持ってきた色とりどりの――しかしこの世界の基準からすればあまりにチープなパッケージの駄菓子たち。どうしても「みすぼらしい」という印象を拭えず、ヴェラの顔には不安が滲んでいた。
「理由は分かったけどさ、俺もずっとここに張り付いてるわけにはいかないんだ。数は減らしたけど向こうの世界での仕事も、やらなきゃいけないこともあるし」
遥斗としても悩みどころだった。最近のヴェルナ村側は開拓作業ばかりで、本来の「ファンタジーライフ」が疎かになっている。そろそろバルバも戻ってくる頃だろうし、あちらの世界での活動時間も確保したい。
「わーってるよ。それを踏まえて急いでるんだ。アタシだけでも店番はできるが、軌道に乗るまでは『商品』について正しく理解してるお前のフォローが要る。それに、もしザルティスの時みたいに大騒ぎになったら、アタシ一人じゃ手が足りねえしな。かと言って、中身が中身だけに臨時のバイトを雇って機密を漏らすリスクを作るわけにもいかねえ。なんとか早めに目処をつけたいんだ」
ヴェラは腕を組んで唸った。どうやってこの「奇跡の菓子」の価値を、このノーサリスの住民に知らしめるか。
「ま、何にせよ50シクタ後だな。商売するのに手続きもいるし、お前にもここで売る商品を持ってきてもらわないとだ。頼むぜ」
「わかった。向こうのバイトの合間に、いろいろ見繕ってくるよ」
こうしていったん日本に戻った遥斗は、大忙しで買い出しに走った。ヴェラへの報酬代わりのどら焼きはもちろん、定番の飴やチョコ菓子をリュックに詰め込んでいく。さらに、目に入ったカステラや羊羹なども「試し」に買ってみた。
その後、バイト先の『ハマトク』へ向かうと、バックヤードで店長の山田が頭を抱えて唸っていた。
「どうしたんですか、店長?」
「いやあ……ちょっと仕入れを間違っちゃってね。もっと小さい家庭用のつもりが、手配ミスでこんな業務用のを――」
「あー……これはデカいですね」
バイト仲間も苦笑いする中、遥斗はその機材を見て閃いた。
「こ、これ……俺に売ってください!買います!」
「え、遥斗君いいの?ありがたいけど、これ相当重いよ?」
「鍛えてるんで大丈夫です!よし、やるぞ!」
意気揚々と巨大な荷物を担ぎ上げる遥斗に、店長たちは目を丸くした。
「遥斗君、どっかで屋台でもやるのかい?」
「ええ、ちょっとした『イベント』に使うんです!」
さらに次の日。
といっても、常に夕暮れのこの星ではなく、あくまで遥斗の地球時間に基づいた「明日」である。
それはリーズナブルで有名な安宇宙港の一角、フェルリモッシ総合ビルで起きた。
ビル内の商業区画の最果て。
目的がなければ誰も足を踏み入れない、行き止まりの寂れたエリア。本来なら、人影さえ稀なその場所で、その伝説は始まる。
一人の男が、紫外線遮断システムの定期点検という、ひどく退屈な用事でその付近を通りかかった。
「ったく、こんな端っこまで来させやがって。システムに任せておけばいいってのによ……さっさと終わらせて、もっとマシな区域へ戻るとするか」
男が用事を済ませ、足早に帰ろうとしたその時だった。
「?……なんだ、この匂いは」
何かが、強烈に彼の本能を揺さぶった。それは――匂いだ。甘く、温かく、誘うような香りが、どこからか漂ってきて鼻孔をくすぐる。
だが、甘い匂い自体はこの星でも珍しくはない。最初はどこかで子供が安物の携帯食でも食べているのかと思った。あるいは、なにかの香水か。だが、それならばこれほどまでに心を引きつけられはしないはずだ。
(この唾液があふれ出てくるような、久しくなかった強烈な食への欲求……もしかしたら、どこかの金持ちのボンボンが、表通りの専門店で天然物の果実エキス入りの高級焼き菓子でも買って、この辺りに迷い込みでもしたのか?)
ヴェクシス汚染が少ない、天然素材と言われるもののエキスや欠片の入った食べ物。
それは無理をすれば自分でも買えなくもないが、ほんとうに、無理をすれば、である。
天然素材のエキスが入ったひとかけらのサプリメントですら、数カスは取られてしまう世界なのだ。ましてや天然の穀物の粉を混ぜて焼いた菓子など、その10倍、20倍以上の価格がつく。
まったく、鼻にも腹にも毒な誘惑だ。
そう思いながらも、抗いがたい香りにフラフラと「誘われたほう」へ目を向けると、そこには行き止まりの壁が見えるだけだった。
「……気のせいか?いや、しかし……」
男は吸い寄せられるように、本来行く必要のない行き止まりへと足を向けた。突き当たりまで来ると、そこには縮小した宇宙船がドッキングしており、ハッチが開放されていた。
そこには、頭に妙にねじったバンダナのような布を巻き、奇妙な機材の前で忙しなく手を動かしている一人の若い男の姿があった。機材からは薄く煙が立ち上り、例の「匂い」が爆発的に溢れ出している。あれは、何かを焼いているのだろうか。
「いらはいいらはい。ベビーカステラ、いまなら安くしとくよ」
「ベビ……なに?」
男は呆然と問いかけた。
「ベビーカステラ。甘い菓子だよ。1個7カス。5個入りだと32カス、10個で60カス。それ以上は割引はないが、20個ごとに、こっちのグミとか飴とか、うんめぇ棒とかのお菓子を一つサービスだ。ああ、単品で買うこともできるし、他の菓子もあるから興味あったら店の中に入って見てくれ」
「1個7カス!?正気か!」
あまりの値段に男は思わず叫んだ。ザルティスでの『伝説』を知る者が見れば破格も破格だが、この星の相場観からすれば、得体の知れない店の奇妙な食べ物としては法外な高値だ。だが、目の前の青年は、にこにこと愛想よく笑ったまま作業を続ける。
「そんな高いもん、天然素材が入ってるとかじゃなければ、わざわざ買うわけが――」
じゅう……っ!
男が反論しようとした瞬間、遥斗が熱せられた鉄の型に、なめらかなクリーム色の液体を流し込んだ。立ち昇る湯気と共に、芳醇な小麦と卵、そして甘い砂糖の香りが男の意識を完全にノックアウトした。
「……っ!?……おい、今の液体、まさか全部……」
男は震える指で鉄板を指した。
そこには、ぷくぷくと泡を立てながら、香ばしく黄金色に色づいていく宝石たちが並んでいた。




