第29話:魔術刻印
「どんなの?すげえ興味あるんだけど!」
遥斗はリーリーに目を向け、声を高くしてそう問いかけた。リーリーは眠そうな目と柔らかな茶髪が特徴的だ。
つい先ほどまでは銅貨の山に呆然とし、チュニックの裾をぎゅっと握っていたが、遥斗の子供が新しいおもちゃを見つけたような無邪気さで詰め寄られ、リーリーは頬を赤らめながら指先で耳の後ろを掻いた。
「えっと……できるのは『風の囁き』『森の癒し』『葉の代償』『聖樹の守護』くらい、かなぁ……」
「うおおお!何それ、すげえ!超欲しい!」
遥斗が拳を握り、身を乗り出す。詰め寄られたリーリーは肩を縮め、慌てて手を振った。
「あ、あの!あんまり期待しないで……。どれも『そんな気がする』くらいの効果だから。ほんとに、気休めなの……」
「でも、ほんのちょっとだろうと効果はあるんだろ?…………あるんだよな?」
遥斗が少し血走った目で聞いてくる。リーリーは体を少し引きながらも小さく頷き、蚊の鳴くような声で答えた。
「うん……それは、あるよ」
「具体的に!どんな感じ!?『風の囁き』って!?」
リーリーの目が泳ぎ、唇を噛んで視線を床に落とした。自信なさげに、彼女の小さな声が響く。
「えっと……これから起こる危険を感知する効果なの」
「危険察知!すげえ!見えないところからの攻撃を察知したり、事故を防いでくれるとか!?」
「えっと……たとえば食べ残しのパンにカビが生えそう、って気がして、早く食べちゃおう、とか……」
「うん!……うん?」
遥斗が首を傾げる。これはエリドリアジョークだろうか。
そう思ってリーリーの真剣な顔を見つめるが、彼女は無言でじっと見返すだけだ。
工房の空気が微妙に冷える。
「えっと……『森の癒し』は?名前からして癒しの効果があるとか!?」
「うん、そう!」
来た!癒しの効果となればまさにファンタジーだ。
まだ地球でも「怪我を治す」のは基本的には人間の治癒力任せである。各種の医療は基本的にその効率を高めるものに過ぎない。
たとえ小さな擦り傷や痣を治す程度であろうと、魔法で治るならその効果はまさに革命だろう。
「すげえ!それでどのくらいの怪我が治ったりするの?」
「枕元に置くと、いつもよりぐっすり寝れる!……気がする、くらい」
「お、おう……」
どうしよう。魔法効果ではあるんだろうけど、思ったよりしょっぱいぞ!?
遥斗は己のロマン回路のトルクが小さくなっていくのを感じる。
「な、なら『葉の代償』!」
「身代わりの効果。自分に有害なことが起きるとそれを代わりに受けてくれるの」
「すげえじゃん!」
「蚊に刺されるのを1回防いでくれる、くらい」
「……せ、『聖樹の守護』!」
「退魔や解呪の効果。目に見えない悪意を防いだり、追い払ったりするの」
「そう、そういうの!そういうのもっとちょうだい!それは!?」
「夜、トイレに行くのが少し怖くなくなる、くらい」
「そっかー」
全部しょっぱかった。ロマン回路が「しゅるるるる」と急速に止まっていき、遥斗の肩がガクリと落ちた。
どれも効果があるとはっきり言えないものしかない。
この世界は魔法がある、ということは確実だろうし、リーリーに魔力があってそれを使って作っている、という点で『ホンモノ』ではあるのだ。ただ悲しいかな、その効果は気のせい、と言われても仕方ない程度しかない。
リーリーが「はあ」とため息をつき、肩を落とす。彼女の眠そうな目が、さらに申し訳なさそうに細まる。
「しょうがないでしょ……。ちゃんとはっきり効果が感じられるものなんて、金持ちの商人やすごい冒険者/開拓者、あとは貴族様じゃないと買えないよ。そんなの作れてたら、付与魔術師になってるよ……。その代わり、1日にいっぱい作れるんだから!」
冒険者。
その言葉を聞いた瞬間、遥斗には「開拓者」「冒険者」と二重の意味で伝わった。これは検証しないとはっきりしないが、おそらくはこの世界では『開拓する者』『冒険をする者』を合わせたような単語があるのだろう。だが遥斗自身にその語彙がないので、謎の翻訳機能がそのように意味を伝えた可能性がある。
これは便利であると同時に、細かい部分でいろいろ認識の齟齬が出るかもしれない。
だが今はとりあえず『冒険者』と認識すればいいだろう。
そのほうがワクワクするし。
異世界って言ったら『冒険者』ダヨネ!と誰に言うでもなくそう思った。
そんなことを考えていると、リーリーが麻袋をゴソゴソ漁り、刺繍の入ったポプリ袋を取り出した。5×5センチの麻布に、乾燥花が詰められている。布に直線的な記号の刺繍が施され、神秘性を漂わせる。袋を手に持つと、花の香りがふわりと鼻をくすぐり、素朴だが心温まるものだ。
「へえ、いい香り!」
「ポプリはイリスちゃんが作ってくれたんだよ」
「そうなん?めっちゃいいじゃん!」
遥斗がポプリ袋を鼻に近づけ、目を細めると、その仕草に何か思うことがあったのか、イリスが少しだけ顔を赤らめた。
「この刺繍が魔術刻印?」
遥斗が問うと、リーリーが少し胸を張った。
「うん。『森の癒し』の刻印だよ。あとは、こういうのとか……」
彼女が麻袋から小さな木片と、革でできたワッペンのようなものを取り出した。木片には葉の葉脈を直線で表したような記号が彫られている。革のワッペンには渦模様のような記号が、マイナスドライバーで彫り込んだように刻まれている。
ポプリの刺繍もそうだが、どこかで見たことがある記号だ。
(シア、この文様、どこかで見たことある気がするんだけど、何かわかるか?)
"形状としてはガルノヴァの言語に似ています。ただし、該当する文字はガルノヴァには存在しません。"
そう言われると、ガルノヴァで見た文字に似てる気がする。妙な偶然もあるものである。
「両方とも魔術刻印を入れたアミュレットだよ。木片は『葉の代償』の刻印。革飾りは『風の囁き』。効果が発揮すると刻印が壊れて力は消えるよ。刺繍なら糸がぷつっと切れたり、彫り込んだものならそこが割けたり欠けたりしちゃう。『森の癒し』はちょっと違って常時発動タイプで、ポプリの香りに魔力が乗るから、魔力が切れなくても匂いがなくなると終わりかな」
「これ、どうやって作るの?」
「魔力を込めて刺繍や彫刻をするの。人によるけど私の場合は針や鑿に魔力を流して、精霊の歌を小さく唱えながら刻むよ。石にもできるけど、石工の人に刻印の形を彫ってもらって、そこに私が染料を塗っていく方がいいかな」
「どのくらいで作れる?無理のない範囲で」
「刻印だけなら1日10個つくるくらいは魔力が持つよ。でも、作業としてだと畑仕事があるから、良くて1~2個かな。村で魔術刻印ができるのは3人いるけど、みんな同じくらいだと思う。刺繍はいいけど、革や石の加工は私はできないから、そういうのに入れるなら先にまず革細工と石工はスガライさんに頼まないとかな。ポプリもイリスちゃんにお願いだね」
「スガライさん?」
初めて聞く名前にあたりを見ると、ずんぐりした五十代の男が不愛想のまま前に出てきた。濃い髭ともみあげが特徴的で、服の袖が擦り切れ、革のベルトに小刀が差してある。
「俺がスガライだ。昔は狩人だったが、足を悪くしてな。今はいろんな役目のやつの手伝いで糧を分けてもらって暮らしてる。役目はねえが、革細工や骨、石の加工ならできるが……まあ雑用係だな」
「鍛冶師とは違うんですか?」
「村に鍛冶の『役目』はいねえ。ちゃんとできる奴がいねえからな」
「あれ、でもこの前、村から鍛冶の音が聞こえましたけど」
「そりゃ俺だ。穴の開いた鍋を叩いたり、自警団の銅の槍を研いだりするだけだ。古い炉と道具はあるが、真似事が精一杯よ」
そう言ってスガライが麻袋から取り出したのは、白い笛。何かの骨を削ったのか、10センチほどの管に葉模様が彫られている。彼が低く吹くと、フオオと微かな風と共に趣のある音が工房を流れた。
「角獣の笛だ。獣を従える儀式や、精霊様の祭りに使うが……まあ、子供の遊び道具だな。角獣の角は軽くて丈夫でナイフにもなる。他だとリーリーが出した革飾りも俺がなめした。だがこんなのは狩人は大体できる。あとは祭り用の石玉も磨くし、石碑も作ったり木工も手伝いはするが、どれも役目持ちの真似事だ。売りもんじゃねえよ」
「石は俺たちが拾ってくるんだよ!」
トゥミルたちキッズが自分たちも役立つとアピールした。
なるほど、と遥斗は感心した。
雑用と言いつつ、革細工、骨工、石工、木工補助とやってることは多芸だ。
だが、どれも専門職というほどではなく、そのような存在はただでさえ村の閉じた世界では需要が薄いのだろう。
おそらく、「ある程度のことは皆できる」からだ。
助け合いといっても基本は自給自足で、だいたいのものは自分で用意するのが当たり前の社会であるせいだろう。
『多くの人ができないことをできる人』は村において貴重だが、『多少器用』くらいの人は悪く言えば替えが利く。
そのためにどうにも器用貧乏な扱いらしい。
スガライの目には、自信のなさが滲んでいる。
「まぁ、俺はいい。生きていけるだけの糧はもらってる。それより、リーリーの話だ。こいつの家はな、子供が小さいから畑仕事だけで手一杯でよ。そのうえ去年は畑が獣に荒らされちまって、なけなしの銅貨を吐き出しちまってる。旦那のやつも働きもんでがんばっちゃいるが、刻印で稼げるとなりゃ新しい農具や塩が買えるし、イリスに作ってもらうための薬の触媒だって買える。こいつは死んじまったダチの娘でな、なんとかして暮らしが楽になってほしいんだ。なんとかなんねえか?」
「スガライおじさん……」
そう言って膝に手をつき、腰を落として遥斗を見た。任侠映画で見るような、仁義を切る前のやくざ者のような動きである。おそらくこれは、日本でなら深く頭を下げるような意味を持つ所作なのだろう。その証拠に、リーリーが申し訳なさそうにスガライを見ており、彼女の目には、感謝と気まずさが混じっていた。
だが、恩ある人がそのような態度をとったことに何か思ったのか、決心したように遥斗に向き直って問いかける。
「ハルさん……やっぱり……だめ?これ、売れない?」
リーリーの声が震え、工房の空気が一気に重くなった。
一方で遥斗はスガライのそんな態度にもう駄目だった。
幼女やショタなど、非力な存在たちの健気さに弱い遥斗であるが、壮年、老年のおっさんが自身のことなど捨てて恥を捨てて大切な存在を優先しようとする姿にも弱いのだ。
誰かのためにかっこ悪い姿を晒せる男はかっこいい。
遥斗は心からそう思っている。
昨今のサブカルチャーに染まってるともいう。
そんなだから、死んだダチの子供のため、とかさらに遥斗の琴線にズドン!である。
このおっさんの気持ち、それに応えようとするリーリーの想いは汲まなくてはならぬ。
ならぬのだ!




