第89話:ヴェラえもんが数寝巡でなんとかしてくれました
臓器への大きな手術を受けたため、3週間ほど休養していました。
退院してようやくPCを叩けるようになったので、更新再開します。
惑星ノーサリス、フェルリモッシ総合ビルの第88エリア。本来なら「掃き溜め」と呼ぶのが相応しい行き止まりは、いまや甘美に奇跡を見た狂信者たちの聖域と化していた。
「……っ!?」
一人の男が、震える指で黄金色の球体を口に放り込む。ヴェクシス汚染された合成食料特有の、本能が拒絶するかのような雑味がない。代わりに広がるのは、暴力的なまでの卵の風味と、鼻を抜ける優しい小麦の香り。そして胃に満ちるかつて経験をしたことのない至福の満足感。
「……嘘だろ。これが本当の『天然素材』かよ」
あたりを見れば、同じように恍惚の顔で震えるワーカーたちの姿。振り返れば、どこまでも続く人、人、人の列だ。
まだこの聖なる食べ物を口にしていない可哀そうな者たちは、不安げに、しかし誰もがそわそわした様子で「店」の前に並び続けている。
「おい、マジかよ……最後尾がどこだか分かりゃしねえ」
「どいつもこいつも騙されやがって。どうせ『天然素材』だなんてデマに決まってるのにな」
「じゃ、お前は並ばなくていいぞ」
「お、俺はただ、デマを暴いて笑い話にしてやるために並んでるだけだ」
一方で、床に跪いた「常連」のワーカーが、呪詛を吐く。
「ちくしょおおお!誰だ、誰がここを漏らしやがった……っ!」
「お前か!?」
「バカいえ、そんなことして何の得になるってんだ。そりゃあれだけ匂いさせてりゃバレるのは時間の問題だったろうけど早すぎる!」
「まて……パーチクが来てねえぞ?」
「あいつならちょっと前に危険区域に行く労働船にイイスギとピーチクのやつと一緒に連れてかれてたぞ。多分、借金か契約で強制労働じゃねーか?」
「……あいつだ。どうせ当分戻れねーから情報を売りやがったんだ!」
実際、本当に彼らが犯人かどうかはブラックホールの中だ。
彼らは自分たちだけの黄金郷を独占したかった。だが、焼きたてのベビーカステラが放つ香りは、薄暗いビルの空気を塗り替え、隠し通すにはあまりに無防備で、あまりに鮮烈すぎたのだ。結局、その日用意した材料はわずか2シクタで底をつく。
「『回路はヴェクシス収束時に組め』だ。当面は続けて営業するぞ!」
当初、遥斗は三日置きの営業を想定していたが、あまりの反響にヴェラは方針を転換。その決定により、遥斗はすっかり屋台のベビーカステラ屋さんとして連日ひーこら言いながら店を開くことになる。
材料が尽きては日本へと跳ぶ。業務用小麦粉、卵、砂糖、さらには大量の駄菓子を買い付け、息つく暇もなく戻ってくる。それだけではない。エリドリアのヴェルナ村の開拓作業も本格化を迎えていた。
(……あっちもやることあるし、バルバさんも戻る頃か。ヴェルナクラフトの発送もしてるし体が三つ欲しいな、本当に)
一方、シアルヴェンと連結した店舗の奥では、ヴェラがジャンクパーツをいじくっていた。
ヴェラはヴェラで駄菓子類を売っていたのだが、客が殺到するたびに対応するのが馬鹿らしくなった彼女は、即席の自販機を組み上げることにしたのだ。ベビーカステラのおかげで、すでに店内の食べ物についても天然物であるという信頼は得ている。誰もが購入限度まで買いあさるため、入場制限をしても忙しさが止まらなかった。
「ヴェラ、それならベビーカステラも頼むよ。俺、もう腕が上がらない……」
「……目の前で焼くから価値があるんだけどなあ。ま、お前が倒れて在庫が途切れるのが一番の損失か。わーった」
そして数寝巡後、遥斗の隣には正確なリズムで生地を流し込み、完璧なタイミングで型を反転させる「自動ベビーカステラ製造機」が鎮座していた。材料の生地は日本のアパートで大量に仕込んで持ち込まねばならず、結局忙しさは残っているのだが、焼きの作業が自動化されただけでも救いだった。
(これで少しは、ヴェルナ村の開拓や日本の買い出しに時間を割ける……)
体が三つ欲しいという願いは、鋼鉄の相棒によって半分だけ叶えられた。だが、店舗エリアの外では、行列がさらに歪な進化を遂げていく。
「はい、最前列から141番目の『並ぶ権利』、20カスで売るぞ!」
「こっちは89番目だ!40カスだ!」
「ふざけんな!前回は30番目で売り切れだったんだぞ!」
場所取り専門の「列商」が現れ、その権利が奪い合うように落札される。
「これ、アリなのか……?」
遥斗の呟きに、シアが答えた。
「ここでは完全に合法です。連邦法を犯さない限り、この星ではあらゆる物、権利、技術、時間が売買の対象になります。中には『自分が死んだ後の体』や、『もし宇宙で未知の発見をして大金を手に入れた場合の権益』なんていう当てもないものを前売りして酒代にしている方もいますよ」
あまりの混雑に、ビル管理システムからは「この規模なら商業区画へ移転しろ」と警告が突きつけられた。
「システムからの警告ってことは、管理の人間側はまだ、アタシたちが『天然物』を売ってることには気づいてないな。ただの騒ぎだと思ってる」
ヴェラはふふん、と不敵に笑う。
「ここまで人が来るなんてなあ……調子に乗ってソフトクリーム機買ってそれも売ろう、とか思わなくてよかった」
「……あれか。ぜってー売れるのはわかってるが、アタシらのキャパが足りねーし、あれはとっておきだ。わかってんだろ?」
遥斗はヴェラにベビーカステラを紹介するとき、ついでとばかりにソフトクリームを持ってきていた。それを口にしたヴェラは、数秒間、彫像のように硬直した後、震える声で宣告したのだ。
「……ルト、これは店に出さない。特別商品として超高額をつけるか、さもなくば有力者とのコネ作りに使う」
「え、いいじゃん、売れば。またいくらでも持ってくるよ?」
「バカ言え!こんなとんでもないもんホイホイ売ってみろ、翌朝には大商会に船ごと拉致されかねんわ!」
結局、高級カステラや羊羹といった品々も「奥の手」として秘匿されることになった。ベビーカステラの時点ですでに「ホイホイ」売っている状態なのだが、ヴェラもまだ、遥斗が持ち込む物質の異常性の全貌を把握しきれてはいなかった。
「なあヴェラ、通販とかないのか?ネットを使えばもっと楽に……」
「星網脈のことか?あれは信用ゼロだと相手にされねーぞ。それに天然物の輸送にはバカ高い専用コンテナがいるんだ。それだって完璧じゃねえ。普通は食べる直前まで、専用ケースとかに入れて保管するんだしな」
「え、でも俺、こっちに持ってきたものって、その辺に置いちゃってるけど」
「だから目の前で焼いてるのが価値あるんだよ。通販するってんなら大金積んで専用コンテナを手に入れるかリースするかして、さらに本物を扱ってるっていう、有力な奴の『保証』が必要なんだ」
「それなら、ダリさんは?彼なら……」
「それは……ダメだ」
そう答えたヴェラの目からは、強い意志が見える。それは、ヴェラ・カルディスという女の、これ以上ないほど純粋な想いだ。きっと、譲れない何かがあるのだ。
「なんで?」
とはいえ、空気を読んだうえで気にしない我らが遥斗くんは、素直に聞く。するとヴェラは、口をとがらせながらぶー垂れた。
「アイツはヤダ!これ以上、借りを作りたくねえ!」
ただの意地だった。
さて、そんなこんなで数寝巡の連続営業の後、遥斗が絞り出すように休止を提案すると、ヴェラも「希少価値を保つためにも冷却期間は必要か」と同意し、店は休業に入った。ちなみに少し前からデバイスコードを使った抽選式に変えたので、混雑はだいぶ緩和されている。
翌日、二人は息抜きを兼ねてノーサリスの街へと繰り出した。客たちは絶望の悲鳴を上げていたが無視である。
「うわ……改めて見ると、とんでもないな」
遥斗は見上げるような超高層ビル群と、ザルティスにはなかった、その間を縫うように飛び交う無数の浮遊車両に圧倒される。空は常光の夕焼けに染まり、ビルが放つネオンとホログラムの広告が色彩の洪水を起こしていた。
「見てな。ここでは、金さえあれば何でも買える」
ヴェラの言葉通り、路地裏の露店には「死んだ船の解析不能なメモリー片」から「ウチの子供の名前をつける権利」まで、わけのわからないものも並ぶ。
そんななか、ふと遥斗の視界に緑が飛び込んできた。ビルの隙間に設けられた、手入れの行き届いた公園のようなスペースだ。良く整えられた木々の他、小さな池に魚が放されている。
「へえ、こんなところもあるんだな」
夕焼けに染まる公園は、どこかノスタルジーを感じさせる――ような気がしないでもないが、どこか歪に冷たい。遥斗が近づこうとすると、ヴェラが鼻で笑った。
「わかってんだろ?全部フェイクだ。精巧な合成ポリマーとナノマシンでできたオブジェだよ」
言われてよく見れば、葉の一枚一枚が規則正しく、あまりに完璧すぎた。上空を横切る鳥の群れも、その翼の動きは微かに機械的だ。
「あー……あれか。あの鳥とか魚も?」
「ああ。惑星ザルティスでも見ただろ?自律型の清掃・監視ロボットだ」
「……あっちよりリアルだな……本物と区別がつかねえ」
「まあ、見かけだけはな。だからリケを見ても誰も驚かねえだろ?」
「ケリテテス?」
そういえばそうである。
遥斗の肩にいるリケに、たまに「珍しい型だな」と眉を上げる男や、「かわいい!」という目線を向ける女性や子供がいるがその程度だ。
さらに歩を進めると、巨大な半球状のドーム施設が姿を現した。外壁には輝く文字が躍っていて、シアに聞くと『エデンの追憶』と書いてあるという。割といい人数が並んでいるようだ。
「あれは何の施設だ?」
「娯楽施設だよ。自然再現施設。中に入ればホログラムで大昔の惑星ガルノヴァの森や山、海なんかが再現されてる。シアルヴェンにもお前が訓練で使ったシミュレーターがあるだろ?アレの大規模で高品質なやつだな。匂いも音も空気感も完璧に再現されてるらしいが、所詮は光の束さ。どれだけ手を伸ばしても、指は空を切るだけだ。まあ、いくつかのエリアはオブジェクトの上にホログラムを重ねることで本物の質感の自然を再現してるところもあるけど」
そうやって、二人は様々なエリアを歩いていく。
そんな超未来的な輝きを放つ街の一角、大きな医療センターの前に、その親子はいた。三十歳前後の、疲れ切った顔の男が、一人の老人の体を支えてうずくまっている。防寒着を重ね着した老人の体は、小刻みに震えていた。その顔には、滞留したヴェクシス粒子が放つ、鈍い光の霞が漂っている。
「……あれは」
「……ヴェクシス蓄積症か」
ヴェラが苦い顔で囁いた。
「……まだ、空きは出てないのか?頼む、父を……助けてくれ。1回分の除染だけでもいいんだ」
老人を支える男の掠れた声が届く。老人の顔は蒼白で、瞳は焦点が定まっていない。
「何度も言ってるでしょう。貴方、保険入ってないし、入っていても莫大な費用が掛かるんですよ」
そういって、冷たく押し返す職員らしき男。追い払われた青年と老人は、悔しそうに顔を歪ませながら、去っていく。
「ヴェクシス蓄積症って?」
「ヴェクシス汚染によってごく稀に発生する細胞変異だ。普通は有機物がヴェクシス汚染されても肉体的な影響はほとんどない。だが、何十万人に一人という確率だが、一定値を超えた時に体の細胞が自身を攻撃しちまうことがある。そうなると、ああやって強烈な寒気を感じて体力を奪い、死に至る」
「治療法はないのか?」
「……方法自体は確立している。だが、それを実施するための専用の除染装置はアホみたいに高い。さらに除染には中和剤となるとてつもなく純度の高い天然抽出エキスが必要ときたもんだ。個人で対応したら全部で700万カス以上は吹っ飛ぶだろうよ」
700万カス。遥斗がこの数日で稼ぎ出した大金すら、一瞬で溶けるような金額。去っていく男の絶望的な瞳が、遥斗を射抜いた気がした。
何かできないか。
少なくとも、天然素材のエキスなら、日本から持ち込んだ新鮮なリンゴや、あの天然の蜂蜜。それらを使えば「薬」の代わりになるものをタダ同然で提供できるんじゃないか――。
「……ルト、変なことは考えるなよ」
ヴェラの静かな声が、彼の思考を遮った。
「一人の老人を救えば、明日には何万人の患者がアタシたちの船を取り囲む。それとも、一人に希望を与えて、何万もの人間に絶望を与えるか?」
「……いや」
「そうだ。今のアタシたちにできるのは、目を逸らすことだけだ。いいかい、そんな情けはこの星じゃ……宇宙じゃ命取りになるんだよ」
遥斗は男の震える背中から目を逸らし、深く拳を握りしめた。
「……分かってる。俺は、神様じゃない」
ここは日本ではない。偽物の鳥が飛び、偽物の森を愛でる、欲望だけが本物の星なのだ。
同時刻、巨大宇宙船『ハイガルヴ』。マルロイ・ファイナンスの本社そのものであるその巨艦は、予定を大幅に変えてノーサリスへと向かっていた。
「……社長、あと120シクタで入港します」
秘書の声を、ダリスコルは苛立ち混じりに遮った。
「わかっている!ったく、あのバカどもめ……」
モニターを見つめるその眼には、どこか怒りに近いものと、彼にしては珍しい焦燥が浮かんでいる。
「ヴェラのヤツも、あのルトとかいう男も、自分たちが何を握っていて、どれほどの怪物を呼び寄せようとしているのか、何もわかってねえんだ!」
ダリスコルは自身のデスクを叩きつけた。
荒れてますね、と口には出さない秘書だが、その気持ちはわかる。何しろ目の前のホロスクリーンに映し出された、ヴェラ嬢から買い取った菓子の最新データには、信じられないものが表示されているのだから。
それはーー
『データ成分詳細は以上。追記ーー全ての調査対象は、70%のヴェクシス汚染領域において30シクタ放置後も一切の汚染無し。ヴェクシス汚染への完全抵抗を持つ可能性を示唆。引き続き調査を実施する。』




