知人の絶世の美女が鬼と化したので対処します・中編
初っ端からひったくり犯を捕らえるという大功績をあげた柊ちゃんだったが、これだけに終わらなかった。
「食い逃げだ! 捕まえてくれ!!」
「あいつは常習犯なんだ! 今日こそはお縄にしてやりたいが、この足じゃ……!」
「いきなり人が倒れたわ!」
「大変……! 痙攣してる! 元々持病があるのかしら!?」
「誰かこの中に心肺蘇生法の心得がある人はいませんか!?」
「火事だ!」
「いやあああミツル!!」
「奥さん、中は危険です!」
「お願い、助けて! まだこどもがいるの!!」
矢継ぎ早に起こる事件とトラブル。誰かの悲鳴を聞くなり、柊ちゃんの金色の目は光を帯びた。
風の速さで追いつき、食い逃げ犯を片手に掲げては、
「お金を払わず逃げちゃった人はこちらで間違いないかしら!?」
凄まじい跳躍で人の輪を飛び越え、急病人の隣に着地しては、
「心肺蘇生法ならボクができるわ! どどんと任せときなさい!」
天を衝く火をものともせず家屋を駆け、煤で汚れた男の子を抱えて出てきては、
「ミツル君はここよ! ちょっと煙を吸っちゃっただろうから即病院だけど、怪我は一個もないし意識もハッキリしてる! 安心なさい!」
それはもう華々しい大活躍だった。アメコミヒーローに並び立つほどの輝きっぷりは、状況さえ許せば僕も周りに混じってペンライトを振っていたかもしれない。実際は柊ちゃんの解決した事件の後処理に奔走し、現場から彼女を遠ざけることに苦心していたのだけど。
だけど、流石にここまで立て続けに事件が起きれば違和感だって生まれるものだ。
「え? 不自然に治安が悪すぎるですって?」
屋外のテラスでようやく一息ついている時。柊ちゃんはトマトジュースをすすりながら、綺麗なアーモンド型の目を丸くした。
「はい。いくらなんでも問題が起こりすぎています」そんな彼女に僕は深く頷く。「しかも僕らが徒歩でいける生活圏内でですよ? 明らかに異常です」
「言われてみれば……。でも、どうしてこんなことになってるのかしら。景清はボクの鬼化に関係していると思う?」
「すぐに繋げるのは性急かなとは思いますが、可能性のひとつとして考えるのはありかと」
「可能性、ねぇ。鬼と化したボクを鮮やかに活躍させるために怪異が事件を起こしてるっていうの?」
「その怪異、ありとあらゆるマンガや小説に登場してそうですね」
冗談はさておき、こういう違和感こそ見逃してはならない気がするのだ。僕はじっと柊ちゃんの金色の目を見つめ――。
ん?
「柊ちゃん……ツノ、伸びてません?」
「そう? ……確かに言われてみればそうかも」
「あ、ツノだけじゃないですね。なんだか皮膚も浅黒くなってきたような」
「あら大変! 日焼けかしら」
「日焼けじゃないと思います!」
けれど日焼けじゃないのは柊ちゃんも重々承知だろう。この状況で導き出される応えは一つだからだ。
――鬼化が進んでいるのである。このままでは、柊ちゃんは二度と人に戻れない。
「しゅ、柊ちゃん……!」
「なんでアンタのほうが取り乱してんのよ。でも、こうしちゃいられないわね。至急佳乃とタダスケを呼ぶわよ」
「え? お友達の光坂さんはわかりますが、なぜ阿蘇さんまで?」
「決まってるわ! 今のうちに気になってたスイーツ全制覇するの!」
「鬼になる前提で動かないでください!」
「あと長期的な山籠りに最適なお洋服も揃えておかなくちゃ。ねえ、住民票さえ移しておけば郵便は届くと思う?」
「前向きすぎですよ!! 大丈夫です、完全に鬼になる前に曽根崎さんがなんとかしてくれ……!」
そこまで話した時である。急に僕らを大きな揺れが襲った。
「じ、地震ですか!?」
「いいえ、これは……!」
柊ちゃんの金色の瞳がぎらりと光を放つ。同時に体がぐらりと傾いた。いや、地面が歪んでいるのだ。
「地盤沈下よ! 景清は逃げなさい!」
「柊ちゃん……!」
「ボクは逃げ遅れた人を探してくるわ!」
柊ちゃんの長い髪がざわりと持ち上がる。黒く艷やかな一本一本が生命を宿しているかのように蠢いている。理屈では説明がつかないその姿は、輝かんばかりに神々しかった。
「だ、だめです!」
でも僕は彼女の服を掴んだのである。理由はわからないが、ここで引き止めなかったら手遅れになる気がしたのだ。
「離しなさい、景清!」
「嫌です! 柊ちゃんはさっきよりも鬼に近づいています! 人命も大切ですが、柊ちゃんが鬼になったら僕も他の人も悲しみますよ!」
「はぁー!? 甘えてんじゃないわよ! 速やかに立ち直りなさい!」
「意志が強い!!」
だめだ、僕では柊ちゃんを止められない。それにこうしている間も被害が拡大しているのは事実なのだ。けど、僕が諦めてしまったことで、柊ちゃんが取り返しつかないほど鬼になってしまったら……!
膠着状態に陥る僕と柊ちゃん。そこに割り込んできたのは、エンジンをうならせるバイクの爆音だった。
変形したアスファルトの向こうから猛スピードで白バイが近づいてくる。乗っているのは二人。フルフェイスヘルメットのせいで顔は見えなかったが、僕には彼らが誰かわかった。
「曽根崎さん! 阿蘇さん!」
僕が声をあげると同時に、バイクがコンクリートの破片を踏み台にして跳んだ。横倒しになってブレーキをかけた白バイの後部座席から下りてきたのは、僕が呼んだとおりの人。
「待たせたな、景清君、柊」
ヘルメットのシールドを親指で押し上げた先の鋭い目が、僕らを見つめている。
「今回も大騒動だが、案ずるな。――この怪異の掃除人が、全て片付けてやる」




