知人の絶世の美女が鬼と化したので対処します・前編
鬼――それは日本古来より伝わる伝承上の存在。
神の零落や自分とは違う者達への差別視、果てはこどもを驚かすための都合のいい寓話といい、その発祥は枚挙にいとまがない。けれどどれも恐ろしい姿をしていることに変わりはないだろう。
額から生えたツノ、鋭く尖った牙、つり上がった目……。異質は、ひと目見ただけでも本能的な恐怖を呼び起こす。
だが、それらが絶世の美女にくっついたパーツだったとしたらどうだろう?
「あらぁ! ボクのおしおきが必要ね!」
艷やかな長髪がなびき、僕の隣に一迅の風を巻き起こす。身のこなしは猫を連想させるが、額から生えたツノはどう見ても完全に皮膚の一部だ。
彼女は器用に通行人の波を縫う。そしてついに一人の男に追いついた。
男が振り返る。焦燥を浮かべた表情の彼が大切そうに抱えるのは、明らかに女性のもののハンドバッグ。そんな男の視線は、正面ではなくほぼ真上に向けられていた。
「ボクの前に現れたのが運の尽きね! 観念なさい!」
高く跳躍した柊ちゃんが、鋭利な爪をぎらりと太陽に光らせる。哀れ男の情けない悲鳴を聞きながら、僕はこの顛末をどう警察に説明したものか頭を抱えていた。
ことの始まりは、僕がいつものように曽根崎さんの事務所を訪れた頃まで遡る。
「柊ちゃんが鬼になった」
信じられるだろうか。ドアを開けて最初に聞いた雇用主の言葉がこれである。
「え……おに? 何?」
「ああ、鬼だ。間違いない。君の知人である柊は鬼になった」
「ちょっとシンジ、ちゃんと説明なさい! 景清が困ってるでしょ!」
ガツンと口を挟んだのは毎度おなじみ絶世の美女・月上柊さんである。けれどホッとしたのも束の間、彼女の姿に僕は絶句した。
ツノが、生えている。それだけではない、唇の両端からは異様に長い犬歯が覗き、目はぎらぎらとした金色に変わっていた。
「しゅ、柊ちゃん? その姿は……!?」
「鬼よ!」
「それだと曽根崎さんの説明と何も変わりませんよ! ど、どうしてこうなったんですか?」
「わかんないのよねぇ。気づいたらこうなっちゃってて」
柊ちゃんは頬に白い手をあてて、かわいらしく首を傾げている。思わずドキッとしそうな仕草だけど、付け爪じゃ済まされない長さと鋭さの爪を見てしまえばそんな余裕はなくなった。
「ええー……曽根崎さん、これは……」
「本人がわからないのに私が知るわけないだろう」
「そんなご無体な。柊ちゃんも困ってるから怪異の掃除人に頼りに来たんでしょう?」
「理解が早いわね、景清。まったくもってそのとおりよ!」
「ですって。正真正銘依頼人ですよ。加えて柊ちゃんはお得意さんだし。完全に鬼になって山で自立した生活始めちゃったら、曽根崎さんの表向きの仕事なくなっちゃいますよ」
僕の言葉に曽根崎さんは泣きそうな顔をした。本当は嫌そうな表情を作りたかったんだと思う。彼は一応オカルト専門のフリーライターということになっているから、僕の指摘は耳が痛いのだろう。
「……わかったよ」
そして長身の男は、渋々デスクから立ち上がった。
「鬼に関する文献やここ最近の怪異情報などを調べてみる。柊ちゃん、念のため一週間の行動を教えてくれ」
「いつもと一緒よー? まあスケジュール帳を貸すわ。遠慮なくご覧なさい」
「はいはい」
柊ちゃんから小綺麗なレザーの手帳を受け取り、ぽすっとデスクの上に置く。それから曽根崎さんは僕に向き直った。
「じゃ、景清君は柊ちゃんについてやってくれ」
「へ、僕がですか?」
「当然。今の彼女は異形の存在なんだ。よって普段とは違った行動を取る可能性がある」
「問題ないわよ!」
「ある」
堂々と胸を張る柊ちゃんには目もくれず、曽根崎さんは断言した。……うーん、そこまで言うことないんじゃないかな? 確かに普段からエキセントリックな言動が目立つ人だけど、僕の知ってる人の中ではダントツに優しく温かな心を持った人だ。いつもの生活を送ってもらっても何ら支障はない気が――。
……ところで、彼女はなぜソファじゃなくてパイプ椅子に座っているんだろう。
「よいしょ!」
元気のいい掛け声とともに柊ちゃんが腰を浮かす。ミシッと音がした。見れば、柊ちゃんが掴んだパイプ椅子の背もたれがひしゃげている。
〝鉄パイプ〟が、ひしゃげている。
「……え? あれ? 柊ちゃ……」
「まあ! また曲げちゃったわね! すぐ直すわ!」
キュッという音とともにパイプ椅子の背もたれがもとに戻る。……厳密に言えば明らかに一度折れ曲がった形跡はあるのだが、とりあえず見た目は直った。
わなわなと絶句する僕に、曽根崎さんは追い打ちをかける。
「なお、彼女は本日、開いていた窓から跳躍でダイナミック入室を果たした」
「こここここ二階ですが!?」
図らずしもニワトリみたいになってしまった。
……という経緯により、僕は柊ちゃんの見張りという大役を負ってしまったわけである。正直荷が重い。けれど、僕も将来的には曽根崎さんと一緒に仕事をする身だ。頼られたなら多少無茶ぶりでも応えたい。
多少か?
「さあ行きましょうか、景清! お腹は空いてないかしら? 実はとっても美味しいプリンのお店を見つけたのよ!」
とはいえ、怪力と容姿以外はいつもどおりの柊ちゃんなのだ。朗らかな性格と人懐っこい笑顔は変わらない。これなら大丈夫かなと僕が油断した時である。
「ひったくりだ!」
――この叫び声により、状況は一変したのだ。
柊ちゃんの金色の目がぎらりと光る。強い正義感と無鉄砲に裏打ちされた輝きだ。かと思った次の瞬間、彼女は飛び出していた。
そして、冒頭の結果になったのである。ひったくり犯をお尻の下に敷いた柊ちゃんはハンドバッグを取り返し、僕のほうを向いてきらめく笑顔を見せた。
「景清ー!」
名前を呼ばないでぇぇぇぇ!!
慌ててハンドバッグを受け取り元の持ち主に返すと、あとの処理は周りの人に任せて僕らはそそくさと退散した。今の柊ちゃんは異形の身。下手に目立って周りの人を怖がらせるわけにはいかないのだ。
「その辺、しっかりわかってくれてますか!?」
「もっちろん!」
愛らしいグーサインが返ってきてはこれ以上責められない。それに、善行をしたのは事実なのだ。僕は柊ちゃんの手を引いて、大急ぎで人混みを離れたのである。
……後ろから無数のシャッター音が聞こえた気がしたけど、気のせいだと思う。気のせいであれ。




