邪神殿(4)
時雨と女性は対峙し互いに見詰め合った。
「あなたは、また私に剣を向けるのですね」
「また?」
時雨は彼女に聞き返した。しかし、時雨はその答えを知っていた。
「狼の姿の時、私はあなたに一度殺されました」
「やっぱりね。でも君は何者?」
「私はこの宮殿を守る者。それが私に与えられた絶対的使命であり、破ることの出来ない絶対的な鉄の楔」
彼女の身体が少しずつ光を持ち始め白い服をゆらゆらと揺らめかせる。その光の中から直径20センチメートルほどの白く輝く光の玉がいくつもいくつも生まれ出るように飛び出し、彼女の身体の周りで停滞している。
その光の玉が30個ほど溜まった時、彼女はその玉を一気に解き放った。
光の玉は水の玉のように揺らめきながら、時雨目掛けて次々と飛んで行く。
「最初会ったときは悪い人には見えなかったのになぁ」
そう言い時雨は飛んでくる光の玉と玉の間を縫うように巧みに避けながら、女性に近づき一刀を喰らわせたのだが――。
時雨の手にはものを切ったときの感触が伝わってこない。確かに時雨の一刀は女性を捕らえていた。しかし、その一刀は女性の身体をすり抜けてしまっていたのだ。
時雨は目を白黒させた。
そんな時雨に女性は風のように近づき、自分の顔を時雨の顔の目の前まで持っていきこう言った。
「今の私に物理攻撃は効きません」
時雨は瞬時に後ろに飛び退き間合いを取り、女性に質問をした。
「どういうこと?」
「肉体はあなたに殺され消滅してしまいました。ですが私の魂魄までは消滅しません」
「じゃあ、最初から肉体なんて必要ないような気がするけどなぁ」
時雨の言う事は至極最もだ。しかし、女性は言った。
「それは違います。肉体の無い私はこの宮殿から出られないのですよ。ですが……」
彼女が突如右手を横に大きく振ったかと思うと、そこから三日月状の白く輝く刃が飛び出した。
「今の私は不死身です」
時雨は間一髪のところで状態を後ろに仰け反らせて、刃を避けることができたのだが、時雨が上を見るとそこには光の玉が降り注いで来ていた。
時雨はそれは避けきれず、全てもろにくらってしまった。その数約20、破壊力は一つ一つの玉が20キログラムの鉄球の玉と同じだ。
鈍い音が辺りに鳴り響く。時雨全身の骨は砕けてしまったに違いない、もう彼は動くこともできず苦痛の中を死んでいくだろう。
女性は時雨の元へ歩みより、膝を付き時雨の唇と自分の唇を重ね合わせた。そして、唇をゆっくりと放しこう言った。
「あなたの事は嫌いじゃありませんでしたがこれが運命です」
彼女は自分を覆っている光からナイフを作り出し、時雨の心臓を一思いに突き刺そうと思った瞬間地面が大きく揺れた。
彼女はバランスを崩し床に倒れ込んでしまい、その女性の耳元で誰かがこう囁いた。
「ボクも君のこと嫌いじゃなかったよ」
女性は声にならない悲鳴を上げると跡形も無く消えてしまった。今度は本当に消滅してしまったのだ。
時雨は『輝く剣』を持ち立ち尽くしていた。その姿からは神々しさすら感じられ、その姿をひと目見たものは皆失神してしまうだろう。しかし、帝都の天使の顔は何処か哀しげな表情をしているように見えた。
横目でちらっと時雨を見たマナは直ぐに視線を前方に向けた。
「あっちの方は決着が付いたみたいねぇん」
こっちの戦いのも決着を付けるべくマナは目を閉じ魔力を徐々に解放し始めた。
マナの身体は光に包まれ、少しずつ上へと上昇していく。
彼女の身体が地面から約2mの所に到達した時、彼女の目がカッと開かれ音も無く敵に向かって接近しながら、その身体からは無数の光の線がまるでビームのようにアポリオン目掛けて発射された。
無数のビームから逃げる術などない。アポリオンがビームの直撃を受け、怯んだ隙にマナは相手の正面に回りこみ相手の動きを封じる呪文を唱えようとしたその瞬間。アポリオンの口元に不気味な笑みがこぼれ、それを見たマナは一瞬ためらいの表情を浮かべたがそのまま呪文を唱えよう試みた。が突然マナの身体に異変が起きた。
「私の方が速かったようだ」
身体が動かない――。マナの身体はアポリオンの術にかかり動きを封じられ、魔力をも奪われてしまったのだった。
「くっ……」
マナの表情が険しいものに変わっていく。
さっきまで呆然と立ち尽くしていた時雨であったが、マナの異変に気づき我に返り剣を構え直しアポリオンに斬り込みかかった。
「そうかもう一人いたのだったな、キサマを殺すのはあいつを倒した後にしてやろう」
アポリオンはそう言うと時雨の攻撃を備え向かえ討とうと気を集中させそれを一気に解放した。すると、大きな風がアポリオンを中心に巻き起こり、近くにいたマナがまず吹き飛ばされ壁に叩きつけられ意識を失い、時雨までもが風圧によって壁に叩きつけられ、手に持っていたビームサーベルを地面に落してしまった。
アポリオンはすかさず凄まじいスピードで時雨の懐に入り込むと手刀で時雨の胸を下から斜めに切り裂いた。
血しぶきが紅葉の顔を真っ赤に染める。
時雨は相手の強烈な一撃により、身体を思うように動かなくなってしまった。
アポリオンは口の周りにまで飛んで来た血と舌なめずりして見せた。
その姿は下品なものには見えない、それはそれをやっている顔が紅葉のものであるからでだろう。長髪の麗人がする舌なめずりする姿からは甘美、そして妖艶な色気を醸し出してさえいる。しかし、今紅葉の身体の中身に居るのはアポリオンだった。
「なかなかの美酒だ、こんなにうまい血は初めて飲んだ。もっと、もっとくれ、キャハハハ」
そこに立っているアポリオンはさっきまでのアポリオンとは別人にどんどんなっていく。
顔はどんどん醜悪なものへと変貌していく、あの麗人の紅葉の顔にここまで醜悪な表情をとらせるとは、紅葉がこのことを後で知ったとしたらどんなに恐ろしいか。
「キャキャキャ、血だ、血をもっとくれ」
この姿こそ本当のアポリオンなのだろうか?
アポリオンの手刀が再び時雨に襲い掛かる。
「血だ、血をくれ!!」
うつむいて壁に寄りかかって座っていた時雨の口元が動いた。
「ボク、低血圧で貧血持ちなんだよね……」
時雨はそう言うと近くに落ちていたビームサーベルを拾い上げ、紅葉の足目掛けて斬りかかった。そしてすぐさまバランスを崩したアポリオンの肩にビームサーベルを突き刺し、そのまま背中から相手を押し倒して床に串刺しにした。
時雨はアポリオンをビームサーベールと足で押さえながら動きを封じ立ち上がり、地面に這いつくばっているアポリオンを観ながら小さくこう呟いた。
「ごめん、紅葉の身体傷付けて」
一様ここで紅葉に対して謝っておいたが、あとで紅葉に直接もう一度謝る気は時雨にはなかった。その後の反応が怖いからだ。時雨はこのことは黙ってようと心に堅く誓った。
「許さぬ、許さぬぞ」
アポリオンは負傷をかえりみず、時雨のビームサーベルで自らの肩を切り裂き、蛇のように地面を這いつくばり、時雨の足を掴んだ。
「放せ、放せよ」
時雨は足をぶんぶん振って振り払おうとした。剣を使って相手を斬ることも可能なのだが身体の持ち主の顔が時雨の頭に浮かびそれは諦めた。
アポリオンは時雨の身体を伝って蛇のように登くる。紅葉の顔が時雨の顔の前まで来たときアポリオンは不適な笑みを浮かべこう言った。
「キサマの身体を」
そう言ってアポリオンは突然時雨の口に自分の口を重ね合わせた。
時雨は驚きのあまり身体の動かし方を忘れてしまった。
紅葉の舌が時雨の口の中に入り込んでくる。このことにより時雨の頭はパニック状態に陥り、そこに拍車をかけるようにある考えが時雨の頭を過ぎった。その考えとは、このことを紅葉に知られたら殺されるどころでは済まないということだ。
時雨は口の中にドロドロしたものが大量に流れ込んでくるのを感じた。息苦しさを感じ、思いっきりむせ返ったが液体はどんどん時雨の身体に浸透していく。
液体が全て時雨の口の中に流れ込むと、紅葉の口は時雨の口から放され、紅葉の身体は全身の力が抜けていったように地面に倒れ込んでしまった。
呆然と立ちすくんでいた時雨の頭の中で誰かの声が響いた。
『キサマの身体は貰った』そう時雨の頭の中で誰かが喋ったと思った瞬間、時雨は意識を失った――。
「はははは、もうこの身体は私のものだ」
その言葉を喋っている身体は時雨のものだった。そう時雨はアポリオンに身体を奪われてしまったのだ。
「おぉ、なんという力だ、この身体はすばらしいぞ、力が漲ってくる」
なんということであろうか、あの帝都の天使、帝都一のトラブルシューターがやられてしまうとは誰が信じようか。
しかし、突然アポリオンの身に異変が生じた。
「な、なんだ、身体の自由がきかん……誰だ、まだ意識が残っているのか……いや違う…うっうう……」
なんと、アポリオンが突然苦しみだしたのだ。
「誰だ…誰だ私の邪魔をしているのは…!?……キサマか!!」
アポリオンの声が宮殿中に響き渡り、アポリオンは膝を付き、そして倒れ込みもがき苦しみだした。
「なぜだ…なぜ…お前が!!」
アポリオンの顔は狂気の形相を浮かべ、そして口から何かを吐き出した。それは血塊のようであったが血ではない。
吐き出されたモノはまるで苦しむかのような動きをしている。スライムのようなゼリー状の物体――そう、これがアポリオンの本体なのだ。
一番初めに意識を取り戻したのは時雨だった。
時雨はゆっくりと立ち上がると、辺りを見回した。
特に変わったものは一つもなかった。だた、あったのは床にえばり付いた”ただの”血の塊だけだった。
「…………」
時雨は自分の身に何が起こったのか考えてみたが全くわからない。
時雨は取りえず近くに倒れている紅葉に歩み寄り、丁重に起こした。
「……時雨?」
紅葉の第一声はそれだった。
紅葉も自分の身に何が起こったのかわからなかった。
荒れ果てた宮殿を見て紅葉は時雨に聞いた。
「いったい何があった?」
「紅葉と戦った」
「それで?」
「途中で記憶が途切れた」
時雨は首を傾げそのまま黙ってしまった。
「私を操っていたものはどうした?」
「さぁ?」
時雨は首を傾げる一方だった。
「ちょっと、二人とも手を貸してくれないかしらぁん」
マナは壁にもたれながら二人を呼んでいる。
「ねぇ、身体の骨が何本か逝っちゃったみたいで動けないから助けてくれなぁい」
「ボクだって、胸のところざっくり斬られて重症だよ、魔法で治せないの?」
時雨の負わされた傷は重症のはずなのだが、時雨の口調はそれを感じさせないものだった。
「もう、魔力は全部奪われたわぁん、ねぇだから手貸してぇん」
「『なぜか』私は身体のあちこち、そして足が特にやられていて動けん」
二人の目が同時に時雨に向けられた。
結局時雨は二人も担いで出口までいくハメになってしまった。
帰りの道は紅葉の一流のプロフェッサーとしての超的確な『勘』によって案内され出口に到着することができた。
時雨は出口に着くと全身の力が抜け上の二人に押しつぶされるように地面に倒れ込んだ。
それを見ていた、研究者や報道人がいっせいに周りを取り囲み騒ぎたてた。
それを聞きながら時雨の意識はどんどんと闇の中へと沈んでいった――。
それから数日――。時雨は自宅の茶の間で渋めのお茶をすすっていた。
時雨はここ数日の間、この家から一歩も出ずに一日中この部屋でお茶を飲みながら何か物思いに耽りながら過ごしていた。
「どうしたんです、テンチョ。テンチョがこんなだからお店の方ももう3日も休んじゃったじゃないですか、また赤字街道爆進まっしぐらになっちゃいますよぉ〜」
「うん、そうだね」
時雨の返事には感情がこもっていなかった。あの遺跡での出来事以来時雨はずっとこうなのだ。
「う〜ん、いくら考えてもわからないなぁ……もういいや、考えるの辞めよ」
そう言って時雨はここ数日間のことがまるで嘘だったかのように元気を取り戻した。
「そうだ! ここ数日ハルナちゃんに迷惑かけたし、今日はボクが腕によりをかけておいしい夕食を作ってあげるよ」
「ホントですかぁ〜、うれしいです。テンチョが料理食べさせてくれるなんてひさしぶりですぅ」
ハルナは本当に心の底からうれしそうな顔をしていた。
「じゃあ、一緒に買い物行こうか」
「はい!」
まだ季節は冬だというのにハルナの笑顔は部屋中を春の陽気でやさしく包み込んだ。
あの事件以降、遺跡での行方不明事件は一件も発生することはなかった。
行方不明になった人たちはあの事件の余日から一週間ほどをかけて全員遺体として発見され、遺跡からはだんだんと報道陣の数は減っていき、今ではもう都民の頭からは遺跡のことなどもうすっかり忘れさられてしまっていた。しかし、あの事件に関わった3人の、いや、2人の頭にはにはいつまでも疑問が付きまとうことになってしまったのだった。
しかし、全ての謎は……この遺跡で……。
邪神伝 完




