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二人の魔女(下)

 歩き出して10歩も満たない。マナは足を止めてしまった。

 辺りを見回して乗り物を探す。

 ちょうど角を曲がって現れたリムジンが見えた。

 マナはやるしかないと思った。

「止まりなさい!」

 マナは道路に飛び出し両手を羽ばたくように大きく広げた。

 甲高いブレーキ音とタイヤの摩擦で焼ける臭いが鼻を突いた。

 リムジンはマナと数センチのところで止まっていた。マナは冷や汗一つ流していない。絶対に相手が止まるという自信を持っていたのだ――確証もないのに。

 すぐに運転席からタキシードを着た初老の老人が降りてきた。

「お怪我はありませんか?」

 車の前に飛び出してきた者を気遣うなど、この街では大変珍しいことだ。使用人の教育が行き届いていることを考えると、雇い主は大そうな人格者かもしれない。

 マナは初老の老人に詰め寄り、真下からかなりの上目遣いで見つめた。

「私の人生の一大事なの。四季の森に連れて行ってくださるかしら?」

 困惑する使用人の後ろで車の窓が開く音がした。

「とりあえず乗せてやれ」

 子供の声だった。にも関わらず妙に大人びている。

「畏まりました、お坊ちゃま」

 使用人は後部差席のドアを開き、その中に手を向けた。

「どうぞ、お乗りください」

「ありがとぉ」

 マナは上機嫌でリムジンの中に乗り込んだ。

 そこで出会った一人の少年。

 年のころはマナよりも断然に上だが、それでも12、3といったところだろうか?

 短パンに白いシャツをコーディネートし、赤い蝶ネクタイまでしている。いまどき、こんなお坊ちゃんがいるなんて思いもしなかった。

 お坊ちゃんは読んでいた分厚い本を座席に置き、自分と向かい側になる席を指差した。

「そっちに座るといい」

「はぁい」

 マナが向かいの席に座ると、お坊ちゃんが尋ねてきた。

「お嬢さんはどちらまで?」

 自分みたいな女児に『お嬢さん』なんてと思いつつも、マナは悪い気はしなかった。小さくてもレディなのだから。

「四季の森に行って欲しいのだけれど?」

「爺、聞いていただろう? 向かってあげたまえ」

《四季の森まで行っておりますと、開演の時間に間に合いません》

 その声は備え付けのスピーカーから響いていた。

《お母上は紅葉くれは様とオペラを観るのを楽しみにしておいでです》

 お坊ちゃん――紅葉はため息をついた。

「くだらない。次のもすぐに交代になるのは目に見えてる。今回の母上が父上と1年以上持つなら仲良くすることも考えるけど、父上はすでに他の女に気が向いているよ」

 複雑な家族事情があるらしい。

 車はすでに走り出していた。使用人が無言になったことから、四季の森に向かっている違いない。

 紅葉はマナの瞳を射るように見つめた。

「まだお嬢さんの名前を聞いていなかった」

「私の名前はマナ」

「そうかマナか。僕の名前は秋影紅葉あきかげくれはと言う」

 この街で秋影と言ったら、マナはこれしか知らなかった。

「もしかして秋影コーポレーション!?」

「父は父、僕は僕」

「すっごいお金持ちの御曹司なのねぇん」

 このときマナは幼いながらも色目を使っていた。

 秋影コーポレーションは帝都で80パーセント以上のシュアを誇る医療メーカーだ。手術器具から、福祉などもやっているが、その売り上げの大半は薬品関係である。

 帝都特有の妖物やウィルスを研究して作られた薬品が主で、それが生み出す経済効果は計り知れない。そのため、帝都政府の取り締まりは厳しく、妖物の肉片一つでも外に持ち出すのは大変困難である。

 リムジンは順調に区を跨ぎニーハマ区に向かっていた。

 四季の森が近づいてきたところで、紅葉がマナに質問した。

「ところで四季の森になにをしに行くんだい?」

「冬の泉で魔導具の材料を手に入れるのよぉん」

「四季の森に入る気なのか、そこが迷いの森だと知って?」

「こう見えても私は魔導士なのよぉん」

 それは魔導法衣着ているので一目瞭然だ。

 やがてリムジンは四季の森の近くに停車した。

 リムジンを降りるマナに紅葉が身を乗り出して声をかける。

「無事に帰ってきたら成果を教えて欲しい」

「無事に帰ってくるに決まってるじゃない」

「僕の名刺を渡しておくよ」

 電子名刺を受け取ったマナは軽く手を振って、走り去るリムジンの背中を見つめた。

 視線を落とし、手に持った名刺を眺める。

 電子情報として表示される紅葉の経歴に、博士号取得の文字が羅列していた。


 四季の森に入って5分。

 すでにマナは迷っていた。

 舗装されたまっすぐの一本道。左右には木々が先が見えないほどに生い茂っている。

 後ろを振り返ると、地平線の先まで道が続き、その先に建物などの影はない。

 前を再び向いても同じ。

 道の先になにも見えないのだ。

 まるで永遠ループの道を通ってる気分だ。というより、おそらく永遠ループにはまってしまったのだろう。

 左右の森に足を踏み入れるという選択肢も残っている。

 足を止めたマナは後ろに気配を感じ、そっと振り返った。

 思わずマナは目を丸くした。

「何時の間に私の後ろに?」

「それは難しい問題だわ」

 そこに立っていたのはセーフィエルだった。

 突然、セーフィエルは手を振り上げ、マナの頬を叩こうとした。

 驚いたマナは避けるヒマもなく、そのビンタを喰らうはずだったのだが、どうしたことか、セーフィエルの手はマナの頬を通り抜けてしまったのだ。

「叩こうとしてごめんなさい。でも、百聞は一見にしかずというでしょう」

「どういうことなのぉん?」

「同じ場所にいるように見えるけれど、時間軸と空間軸が違うのよ。わたくしはマナよりも、ずいぶん先を歩いているの。わたくしはもうすぐこの一本道を出れるもの」

「前も後ろも同じ道なのに、どうやって出るの?」

 セーフィエルは振り返って後ろを指差した。

「まずは後ろに進むといいわ。マナのために印を残してあげたから」

「印?」

「そう、印。道しるべ。まずは後ろに進むの、するとやがて五芒星の印が地面にあるわ。それを一歩通り越し、次は前に進むの。するとまた五芒星があるから通り越して、また後ろに進むのよ。それを繰り返せば道の先に出ることができるわ」

「本当に?」

 マナはセーフィエルを疑った。どうして、ここまで親切にしてくれるのかわからない。先ほども道具を分けてもらったが、すべて罠かもしれない。

 セーフィエルはマナに答えを返せず消えた。数歩を歩いたセーフィエルが忽然として消えたのだ。別の時間軸、別の空間に移動してしまったに違いない。

 少し考えたマナはセーフィエルの言ったことを実行することにした。信じたわけではないが、このままヒントもなしで歩いていても意味がないと判断したのだ。

 後ろに進みはじめて100メートルほど、そこでマナは地面に描かれた五芒星を見つけた。砂の上に指で描いたような五芒星。これがきっとセーフィエルの言っていた印だろう。

 その印を一歩通り越しすと、あったはずの五芒星が消えた。つまり空間軸が変わったのだ。

 次にマナは来た道だったはずの道を進んだ。するとしばらくして、また五芒星の印を見つけ、同じことを繰り返した。

 だいたい5回くらい同じことしただろうか?

 今度はなかなか五芒星が見つからない。

 もしかしたら、罠にはめられたのかもしれない。

 後ろを振り向き引き返そうか考えたが、もしかしたらあと少し前に進むだけで脱出できるかもしれない。

 マナは引き返さず進み続けた。

 すると地平線しか見えなかった道の先に、なにか別の光景が見えてきたのだ。

「やったわぁん!」

 マナはまっすぐの一本道を抜け、泉のすぐ近くまで来ることができたのだ。

 すぐ先にある泉にマナは走って向かった。しかし、驚いたことに、泉の水がからっぽなのだ。

 地肌を見せる泉。

 ただの巨大な穴がそこにはあった。

 もしかしたら、泉はまだ先なのかもしれない。

 マナは辺りを見回したが、今来た道以外に道はない。周りは森に囲まれてしまっている。

「あらぁん?」

 マナの目に映るセーフィエルの姿。

 木の根元にもたれて目を瞑るセーフィエルの姿。

 近づいてみると、セーフィエルは静かな寝息を立てて眠っているようだった。

 セーフィエルの近くには皮袋がある。

 その皮袋を見たマナはそーっとセーフィエルに近づき、その袋の中から三日月の器と銀の髪飾りを取り出し、自分の持っていた物と取り替えてしまった。

 自分が渡された物が偽者でも、相手の持っている物と取り替えてしまえば、大丈夫だろうとマナは考えたのだろう。

 そっとセーフィエルの近くを離れたマナは背筋に悪寒を感じた。

 罪悪感やセーフィエルが放ったものではない。

 森の気温が下がったのだ。

 赤く色づいていた森が葉を落とし、どこかで水のせせらぎが聴こえた。

 急いでマナが泉に近づくと、そこには先ほどまでなかった水があった。

 マナは急いで手に持っていた三日月の器で泉の水を掬おうとした。だが、いくら器の中に水を入れようとしても、蒸発して消えてしまうのだ。

「駄目よマナ」

 後ろで声が聴こえ、マナは驚いて振り向いた。

「セーフィエルちゃん!?」

「わたくしが持っていた道具と取り替えたでしょう。全て知っているわ」

「う゛っ……」

「それは偽物なの。あなたを試したのよ」

 なんとセーフィエルは、マナが自分の道具と取り替えることを見越していたのだ。

 セーフィエルは自分が持っている三日月の器で、冬の泉の水を汲み取り、それを銀の髪飾りで梳いて清めると、持っていた子瓶に移し変えてマナに渡した。

「これはマナの分」

「えっ?」

「差し上げるわ」

「どうして?」

 セーフィエルは答えなかった。

 換わりに道を指差し、

「帰り道は楽よ。トラップはなにもないから、道を進めばすぐに出口に出れるわ」

「どうして私に親切にしてくれるの?」

 やはりセーフィエルは答えず、先に道に行ってしまった。

 残されたマナはセーフィエルから受け取った子瓶を眺め、これが本物なのか疑った。


 マナは無事に冬の泉で材料を調達し、手こずったが加工してアミュレットを作ることに成功した。

 出来立てをすぐにファウストの元に届けると、その部屋にはすでにセーフィエルがいた。セーフィエルに遅れを取ってしまった。しかし、肝心なのはアミュレットの出来具合だ。

 マナとセーフィエルのアミュレットは、ネックレスなどの装飾品に加工されていないため、楕円の宝石に見える。

 蒼い光を放つ塊。二人の作ったものは、見た目ではまったく同じに見える。

 ファウストは二人からアミュレットを受け取り、両手に分けて握り締めた。

「さて、今から私が二つのアミュレットに、同じ力を同時に加える。先に壊れた物を負けとする。いいな?」

 問われた二人は頷いて見せた。すると、ファウストを取り巻いていた気が変わった。

 物理的な力ではなく、魔導をファウストの両手に集中される。

 魔導による負荷を徐々に加えていき、先に耐えられなくなったアミュレットが壊れる。

 ピキッとひび割れる音がした。

 どちらのアミュレットか?

 マナの物は右手、セーフィエルの物は左手。

 再びひび割れる音がした。

「勝者が決まった」

 ニヤリと嗤い、ファウストが両手を開いて見せた。割れて砕けていたのは、左手に握られていた物。

「やったわぁん、私の勝ちよ!」

 喜ぶマナはファウストから自分のアミュレットを奪い取り、ペットを愛でるように頬擦りをする。

「おほほほ、やっぱり私には魔導具を作る才能もあるのね!」

 上機嫌のマナはスキップをしながら部屋を出て行ってしまった。ファウスト見返すことも忘れ、そのファウストがしゃべる前にだ。

 長い前髪を掻き上げたファウスは横目でセーフィエルの瞳を見つめた。

「イカサマにも気づかぬとは、マナの修行は基礎からだな」

「さすがはお師匠様。お気づきになられていたのですか?」

 意味深なことを言うセーフィエルにファウストは頷いた。

「マナが持ってきた物は、おまえが作った物だな?」

「はい、その通りです」

「魔導具には多少なりとも、製作者の気が混じる。おまえが持ってきた物がマナの作ったものだな?」

「マナが目を放した隙に取り替えました」

 実は、マナが自分は作ったと思い込んでいるものが、セーフィエルの作ったアミュレットだったのだ。

「どうしてそんな真似をした?」

「彼女は虚栄を実力に、傲慢さが彼女のエネルギーソースです。自身さえあれば、彼女の魔導は磨きがかかります」

「ふむ、だかが私はマナの祖父から傲慢さを治して欲しいと言われたのだがな」

「今はまだ早いと思います。落ち込んだり、愚かさを知り、それを力に変える精神はまだマナに培われていません。今、彼女は挫折したら、立ち直れなくなりますわ」

 ファウストはしばらく黙ってしまった。

 なんて恐ろしい娘を弟子にしてしまったのだろうと思った。

 本当に見た目の年齢だけを、この娘は重ねているのだろうか?

 幼い女児の思考とは到底思えない。

 しばらく黙っていたファウストが重い口を開いた。

「どうして私の弟子になった?」

「学ぶことがあるからですわ」

 本当にそうなのだろうか?

 教えられずとも、セーフィエルは学ぶ力を持っているように思える。

 セーフィエルは三日月の口で微笑んだ。

「まだお師匠様は、わたくしよりも格が上ですもの」

「おまえは私を越えるか?」

「いつか必ず」

 ニッコリと微笑んだセーフィエルは一礼して、この部屋を静かに出て行った。


 二人の魔女(完)

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