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ブラックキャット(中)

 猫にされたマナは歩道に立ち尽くしながら考える。

 状況としては悪い。まず、ただの猫になってしまっている。それは即ち、人語をしゃべることができない。そして、なによりも重大なことは魔導が使えないということ。

 ここでマナは最優先事項を考える。今までの最優先事項はファウストの命令であった。が、今は緊急事態だ。幸運なことに自宅もすぐそこだ――帰ろう。

 自宅の正面門を潜ったマナはため息をつく。猫になると自宅の庭が広いことに腹が立つ。歩けど歩けど、玄関は遠い。

 噴水広場を抜ければ玄関はすぐそこだ。

 玄関のドアが内側から開かれた。姿を現したのは機械人形のアリス。

「マスターお早いお帰りでございますね」

「にゃ〜ん(よかったわぁん)」

 これでひとまず助かった……助かった?

 マナはここで重大なミスをしたことに気がついてしまった。

「お命頂戴致します」

「にゃ〜っ!!(しまったぁ〜!!)」

 焦るマナ。戦闘の構えをするアリス。漲る殺気。

 機械人形アリスは殺人人形キリングドールであった。

 疾風の如く翔けたアリスは足を大きく振り上げた。

 マナの眼前に迫る足の裏。それは何かを踏み潰そうとしている体制。つまり、マナは踏み潰されようとしていた。

「にゃ〜っ!!(殺される!!)」

 間一髪でアリスの攻撃を避けたマナの額に冷たい汗が流れた。

 アリスの右足が地面に埋まっている。あれを喰らっていたら即死どころの騒ぎではなかった。臓器などが……かなり悲惨なことになっていたのは間違いない。

 マナ四足で全速力を出した。だが、たかが猫VS殺人人形。マナの敗北は決まっていた。

 今まで後ろにいたはずのアリスがマナの前に立ちはだかる。

「マナ様、もっと必死にお逃げになってくださらないと面白くありません。さあ!」

 相手を小莫迦にした笑みを浮かべるアリス。狩を楽しんでいるのか、日頃の恨みか……。マナは楽には逝かせてくれないと身震いをした。

 マナは再び走り出した。

 自宅の庭は広いので逃げ場ならいくらでもある。が、ここは外に助けを求めた方が懸命だ。しかし、今走っている方向は正面門とは逆方向。距離はあるが、ここのまま裏門まで行くしかない。

 アリスは動かなかった。ハンデを与えているのである。

 不審に思ったマナは足を止めて後ろを振り返ってしまった。後ろなど振り返らずに早く逃げるべきだったと瞬時に後悔する。

 掌を天高く上げたアリスは声高らかに唱えた。

「コード000アクセス――30パーセント限定解除」

 魔導を帯びた風がアリスを包み輝かせる。そして、まだ何を唱えている。

「コード003アクセス――〈コメット〉召喚コール

 そらより召喚された巨大なロケットランチャーを小柄なアリスが肩に担いだ。

 死の恐怖を感じたマナは全速力で逃げた。

「ターゲット確認――ショット!!」

 爆音と共に発射された魔導弾が光の尾を引きながらマナに襲い掛かる。

 轟々と地面ギリギリに飛ぶ魔導弾は、大地を剥ぎ取り、風を巻き起こす。

「にゃぎゃ〜っ!!(助けてぇん!!)」

 叫び声をあげるマナの横を魔導弾が抜ける。その反動でマナは巻き起こった風によって大きく飛ばされた。

 魔導弾をギリギリで躱したマナは一息ついて前方を見た。魔導弾は〈コメット〉の名に相応しく彗星のように輝き飛んでいく。と思えたのもつかの間。魔導弾は軌道修正をしてマナに向かって再び進路を変えた。

 前からは魔導弾、後ろには〈コメット〉を構えたアリス。――まさか!?

 轟音を立てながら再び〈コメット〉が発射された。それは挟み撃ちだった。

避ける間もなく魔導弾の直撃を喰らう瞬間、マナの身体は抱きかかえられて上空に舞い上がっていた。

「にゃ?(何?)」

 マナは地面から舞い上がって来る爆風を感じながら、自分を抱きかかえている人物の顔を見上げた。

「おはようぉ〜、マナちゃん!」

「にゃ〜ん!(ああ、夏凛ちゃん!)」

 危機一髪のマナを救い出したのはゴスロリドレス姿がよく似合う夏凛であった。

 容姿も声も女性のようだが、夏凛は肉体的には男性だ。

 軽やかに地面に着地した夏凛は息も付かずに全速力で走った。

「マナちゃん、どうしてアリスちゃんに殺されかけてるの?」

「にゃ〜ん(説明すると長くなるのだけど)」

「やっぱり言葉がわからないからいいや」

 最もだった。『にゃんにゃん』鳴かれても夏凛には猫語が理解できない。そもそも猫語というもの存在しているのか?

夏凛はマナの魔導ショップに買い物に来たのだが、そこでちょうどマナが『何故』か猫になっていて、しかもアリスに襲われているのを発見した。

「マナちゃんこれからどうするぅ? 後ろからはアリスちゃんが追って来てるみたいだけど、あんなに可愛いアリスちゃんと戦うのはよくないよね?」

「にゃん!(殺っちゃって!)」

「そうだよね、可哀想だもんね」

 マナの言葉は全く夏凛に通じていなかった。

 夏凛はマナを抱きかかえながら正面門を抜けて路上に出た。その後をすぐにアリスが追う。

「コード000アクセス――50パーセント限定解除。コード005アクセス――〈ウィング〉起動」

 アリスの背中に突如翼のようなものが生えた。翼と言ってもそれは羽根などがなく、骨組みだけの翼である。

 魔導がアリスの翼に宿り黄金色に輝かせる。それはまるで天より光臨した神聖な存在であるかのようだった。

「コードΩアクセス――〈メルキドの炎〉1パーセント限定起動」

 アリスは上空から地上を走る夏凛たちに両手を向けて叫んだ。

「昇華!」

 紅蓮の炎が地上に降り注ぐ。それを見た夏凛は泣き叫ぶ。

「わお! アリスちゃんって何者なのぉ〜!? 〈メルキドの炎〉って!?」

 〈メルキドの炎〉を躱した夏凛はそのまま道路を走行するトラックの屋根に飛び乗った。後ろを見るとアスファルトの地面が赤く溶けていた。

 夏凛は車の屋根の上にマナを降ろして優しく微笑んだ。

「ガンバ、マナちゃん!」

 それは別れの挨拶であった。

 夏凛は時速60キロメートルほどで走っているトラックの上から軽やかにジャンプした。

 トラックの屋根の上に取り残されたマナは唖然とした。――逃げられた!?

 上空からはメイド服を着た飛行物体が追いかけて来る。

 トラックの上に乗ってマナ逃げているようにも思えるが、実は逃げ場を失っている。その証拠に――。

「昇華!」

 再びアリスより降り注ぐ〈メルキドの炎〉。

 時速60キロメートルで走行するトラックの上から飛び降りたら大怪我をするだろう。しかし、このままではトラックと共に心中だろう。

 マナは鳥になることを決意した。

 トラックからジャンプするマナ。トラックを破壊、炎上させる〈メルキドの炎〉。

 巻き起こる爆風にマナの身体は軽々と吹き飛ばされてしまった。


 日が沈み、夜が舞い降りた。

 マナはトラックの炎上に紛れて姿を暗ませて、今の今まで都市の裏路地を徘徊して身を潜めていた。かれこれ、半日以上街を徘徊し、すでに零時を回っている。

 幸いアリスにはレーダーなどの機能が付いていなかったので、どうにか今までアリスに見つからずに済んだ。

 アリスの製作者はセーフィエルであり、マナはアリスの性能を把握し切れていない。それ故にアリスの戦闘能力は未だに未知数なのである。

 帝都の街は眠らない。街は輝き活気に満ち溢れている。しかし、光の当たらない場所には陰ができる。

 帝都の裏路地に住むホームレスたちはグループを形成し、自分たちの住むテリトリーのことを『ホーム』と呼んでいる。

 マナは小規模なホームのひとつに身を隠し、そこでファリスという名の10歳ほどの少女に拾われた。

 ファリスはマナの顔を覗き込んだ。

「う〜ん、捨てられたにしては毛並みも綺麗だし、お金持ちの家の猫かなぁ?」

 お金持ちというのは間違いではないが、捨てられたわけではない。そもそも本当は猫ではないのだから。

 マナの抱える問題は2つ。アリスに追われていることと猫であること。現状ではどちも解決する術はない。

 マナを抱きかかえるファリスの元へリヴェオが現れた。リヴェオはファリスの3歳年上の兄だ。

「また、そんなもの拾って」

「だってぇ……」

 ファリスはマナをぎゅっと抱きしめた。マナはファリスにいたく気に入られたらしい。だが、マナはここで一生暮らすつもりは毛頭ない。

 ホームに住む人々の視線がこの場に相応しくない格好をしたモノに向けられた。

 メイド服を着たモノとファリスの視線が合った。

「その猫をお渡し願います」

「にゃ!?(ヤバイ!?)」

 この場に現れたのはアリスだった。ついに見つかってしまったのだ。

 ファリスは何の躊躇もなくマナをアリスに差し出そうとした。

「メイドさんが探しに来るなんて、やっぱりお金持ちの家の猫さんだったんだね」

 マナをアリスに手渡そうとしたファリスをリヴェオが腕を出して止め、リヴェオはアリスの顔を見据えた。

「猫を見つけてやったんだから、お礼くらい貰えてもいいと思うけどなぁ?」

 ホームで生き抜いて来た者としてはこうでなければならなかった。

 アリスはほんの一瞬だけ相手を小莫迦にしたような表情をした。

「仕方ありませんね。コード000アクセス――60パーセント限定解除。コード006アクセス――〈ブリリアント〉召喚コール

 マナはファリスの腕の中から飛び出して逃げた。アリスはこの地区をふっ飛ばしても構わないと思っていることを悟ったのだ。

 アリスの身体の周りに4つの球体がダイヤのようにきらきらと輝きを放っている。

 煌々たる光が世界を白くした。アリスが〈ブリリアント〉を放ったのだ。

 アリスの周りに浮く4つの球体から次々とレザービームが発射される。

 マナは決して後ろを振り返らない。過去に引きずられて生きるような女じゃない。というか、後ろはきっと大惨事。

 爆音と爆風を感じながらマナはとんずらした。

 迷路のように入り組んだ路地を疾走するマナの目にある人物が映った。

「にゃー!!(時雨ちゃん!!)」

 マナの前方には『敵』と対峙する時雨がいた。その敵の手には『爪』が装着されていたが、今のマナにはそんなことなどどうでもよかった。

 閃光と爆発音に時雨も気がつき、その方向を振り向くと〈ブリリアント〉を発射するアリスがまず目に映り、次に自分に抱きついて来た黒猫が目に入った。

「マナ!?」

「にゃ〜ん!(あたり!)」

 マナを抱きかかえた時雨であったが、実はそんなことをしている状況ではなかった。

 狂人者からシザーハンズが繰り出される。

 時雨は輝く妖刀村雨でシザーハンズを受け止めた。しかし、シザーハンズは2対でひとつ。2撃目の爪が時雨を襲い、そこにアリスの〈ブリリアント〉は発射される。

「はぁ!?」

 時雨に不幸がやって来た。腕の中には人災マナ、襲い掛かるシザーハンズ、連続発射される〈ブリリアント〉レーザー。

 シザーハンズによって時雨の肉が抉られ血が吹き出る。が、そんなものは些細な傷である。すぐそこに迫っている〈ブリリアント〉こそが脅威だ。

 時雨はマナを抱きかかえながら路上に飛んだ。手は村雨とマナで塞がれ時雨は腕から地面に転がった。

「……痛い」

 時雨はすぐに立ち上がり村雨を構える。状況としてはよろしくない。〈シザーハンズ〉と戦っているというのに、なぜかアリスにも攻撃された。

「あのさぁ〜、なんでアリスに命狙われてるの? 日頃の恨みとか?」

「にゃーっ!!(後ろ!)」

 立ち上る煙の中からシザーハンズが煌いた。そして、前方には〈コメット〉を構えたアリスが!

 シザーハンズを紙一重で躱した時雨はヤケクソになった。

「逃げるが勝ち!」

 背を向けた時雨に〈コメット〉が発射される。

 轟々と鳴り響く輝きが時雨の真横を掠め飛ぶ。だが、この〈コメット〉には追尾機能がついている。

 急に進路を変えた〈コメット〉が時雨――ではなく、マナに襲い掛かる。

「にゃーっ!(早く避けてぇん!)」

「何あれ!?」

 逆走をはじめる時雨であるが、その先にはシザーハンズ、そのもっと先にはアリスがいる。

 二対のシザーハンズを構える狂人者。

 時雨が振るう妖刀の切っ先から輝く光が迸る。妖刀村雨の妖術のひとつである。

 妖刀から勢いよく飛び出した光の粒は狂人者の目を暗ませた。だが、〈シザーハンズ〉が本体あるので目暗ましは効果がない。

 2対のシザーハンズが時雨に振り下ろされる刹那、狂人者の身体を強烈な光が貫き、時雨をも貫こうとした。

 時雨は光を辛うじて避けた。

 狂人者の身体を貫いた光は槍であった。それをしっかりと握り締めているのはアリスだ。アリスは〈レイピア〉を召喚コールして、マナを狙ったのだ。そこにたまたま障害物となる狂人者がいたに過ぎない。

 〈レイピア〉を引き抜かれた狂人者の身体は地面に倒れた。

 機械人形アリスは無表情のまま〈レイピア〉を構える。

「時雨様、マナ様をお渡しください。わたくしの使命はマナ様の抹殺であり、他のお方に危害を与えるつもりはありません」

 『ウソつけ!』とマナ&時雨は思ったが、それは口に出してはいけないような気がした。

 一触即発な感じに追い込まれそうな状況に巻き込まれた時雨はアリスとマナを交互に見た。

「つまり、マナを渡せば問題解決って――」

「にゃぎゃ〜!(莫迦っ!)」

 猫爪攻撃を時雨は頬に受けた。ヒリヒリと沁みる痛さだ。

 交渉は決裂した。それも時雨の意思はなしにだ。

 〈レイピア〉を還したアリスが再びコードを唱えようとした時だった。地面に転がる狂人者の手が動いた。正確には、動いているのは〈シザーハンズ〉だった。

 機械人形と〈シザーハンズ〉が共鳴する。どちらもそれはソーフィエルのつくり出した魔導具であった。

 アリスの初期コードは010まである。だが、アリスは拡張パックを取り付けることが可能に造られていた。

「コード013――〈シザーハンズ〉認証開始――エラー、エラー、エラー、エラー、エラー!?」

 アリスの腕に装着された〈シザーハンズ〉。だが、様子が可笑しい。

 交互性に問題が生じた。それは、暴走の序曲。

「コード000アクセス――70パーセント限定解除。コード007アクセス――〈メイル〉装着。コード005アクセス――〈ウィング〉起動」

 アリスの身体を白いボディースーツが包み込む。その背中に黄金の翼が生え、腕には〈シザーハンズ〉が装着されている。

 この事態に焦るマナ。そして、時雨がぼそっと呟く。

「逃げるの忘れてた……」

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