16,最後の夜
「幼い頃から父はおらず、見つけていただいた村とは別の村で、母と二人で暮らしておりました。
母曰く、三歳まで父はよく来ていたそうです。三歳ですので、私に父の記憶はありません。
聖女が貴族の妾となり、村に隠される話を聞き、母は聖女だったろうかと考えましたが、記憶をたどる限り、母に魔力はありません。
三歳以降もしばらくは村へ父からの支援金が送られていたようです。村は潤っていたのではないかと思います。そんなことはあまり関係なく、私と母は細々と暮らしていました。
村の生活が豊かになる様を物心つく頃から眺めていました。ある時、ぱたりと豊かさが途絶え、急激に寂れました。父の支援金が無くなり、蓄財を使い果たし、浪費癖だけ残ります。そんな浪費欲が満たされなくなった逆恨みが私たち母子に向けられました。
十歳から十三歳まで本当に肩身の狭い思いで暮らしていました。村は寂れ、荒れてゆきます。あからさまな嫌がらせを受けるようになり、もう暮せないと母と私は村を出ました。
あてはありません。彷徨うなかで、隣村へ行くにも、森を通過しなくてはいけませんでした。
私たちは、そこで魔獣に出会ってしまったのです。普通なら昼間馬車で通る道を、女子供の足で抜けるにはどうしても夜になってしまいます。
母はおそらく魔獣に殺されています。
逃げなさいと叫ぶ母の言葉を背に受けて、私一人逃げました。おそらく私が逃げおおせたのは、魔力があったおかげなのではないかと思います。瘴気に当てられにくく、あてられてても回復が早いですもの。
森の端で倒れていたところ、村長のお嬢様に発見され、村長の屋敷で働くようになりました。そして十年後、魔獣が村に現れ、あなたが私を見つけられたのです」
ダレン様が聞いているのか聞いていないのか、穏やかになった呼吸音だけでは分からない。昼間も含め、回復のためほとんど床につき寝ていると侍女からも聞いている。
私は、彼の頭部を撫で、腕をさすり、胸に手をあて、言葉を紡ぐ。
「この魔力は父譲りです」
ぴくんとダレン様の指が動いた。おきてらっしゃるのね。うっすらと目を開く。暗がりの中に、月明かりが差し込む。初めて会った時、私の眼を覗き込んだ。私もあなたの魔力の証を見たわ。
薄明りの中で浮かぶ、懐かしい眼。
「ダレン様の魔力の証は、金なのですね。私は何色なのでしょう。母は父の魔力は何色か……、三色見えたと言っていたわ。
水色と、赤と、金。三色が重なるように滲んで、光っていたそうです」
ダレン様の目が開く。
「お話が過ぎましたか。起こしてしまって申し訳ないです」
さわさわと指先が動くので、私は誘われるように、握り返した。
「お休みください。私も一緒におりますから」
肩にかけていた掛布が擦り落ちる。彼の胸に添えていた手を離し、落ちた掛布を肩にかけなおす。
「ダレン様が、回復するまでは、こちらにいさせてくださいませ」
彼を癒し、眠くなれば、脇に頭を寄せ、ダレン様の身を背にして猫のようにまるまって私は寝る。そんな日々を数日過ごした。
ミザリーには何も言われなかった。ただ淡々と仕事をこなす。弱音を吐かず、愚痴をこぼさず、彼女が提示する仕事は無理がないので、それさえこなせば、私が夜をどう過ごそうとも彼女は口出さない。
そんなある日、「聖女様は、ダレン様をどうお思いですか」と突如切り出される。
今まで触れられもしなかった話題にびくりとした。私が彼をどう思っているか、知っていて、知らないふりをしているのだと思っていた。
「どうと言われましても……」
そう、どうと言われても困ってしまう。
「これ以上踏み込まれない方がよろしいのでは?」
ぎろりと睨まれ、私は緊張する。これまでのことを見られていたかのような後ろめたさが背筋を伝った。
「聖女様は、嫁すのですから」
「……はい……」
厳しい声に、返事しかできない。
「もうすぐ祭典の準備も始まります。ダレン様の屋敷から、王宮へ聖女様を移そうという声が出ています。大事な花嫁を、やはりダレン様も若い男性でありますゆえ、上の者も気にしているのです。お分かりですね。あなたには、清いまま、嫁していただきたいのです」
ぐっと膝にのせた手を握った。
「……ダレン様のお加減が、もう少し、よくなってからでも、よろしいでしょうか……」
絞り出した声は震えていた。
「では、三日後に王宮にうつっていただきます」
三日後、屋敷に帰る馬車の中で降り出した雨が激しくなる。夕食をとり、湯あみをし、寝衣に着替える頃には雨は大降りになっていた。風も強く、雨が窓を叩きつける。
初めてダレン様と会った日もこんな天気だったわ。お嬢様が飛び込んできて、私が彼女の代わりに寝室で待っていたのよね。
今日も、ダレン様の寝室にいるのだから、あの時と同じと言えば、同じなのかしら。気持ちは大分変ってしまったけれど……。
さすがに冷える。暖炉に小さな炎が揺れていた。爆ぜる音に誘われて近寄る。横に置かれた薪をくべる。
バチバチと乾いた音を立てて、ベージュの薪を赤黒く染めていく。火バサミで位置を変え、私はダレン様が寝るベッドへ移動した。
ダレン様の包帯は来た頃の半分に減っていた。顔の包帯もとれている。わずかに瘴気による変色はみられるものの、元の姿を取り戻しつつあった。
今日で最後である。できうる限り、寝ずに癒して差し上げたい。
肌寒さに、ガウンを手繰り寄せ、私は彼のベッドに座った。包帯が巻かれている体に手を触れる。彼の目がうっすらと開いた。
「起こしてしまいましたか、ごめんなさい」
「……いや……」
数日ぶりにダレン様の声だ。
「少し、声が出るようになりましたか」
「……ああ……」
「良かった。できるだけ、楽になるように、努めますね。ダレン様は、眠っていてください」
今日で最後なのだから、一晩起きてても惜しくはない。
ダレン様の手がすっと動いた。自らの掛布をふっとあげる。
私は、身を縮め、首を横に振った。
「私ね。嫁すように言われているの」
ダレン様が瞠目する。
「誰にも言ってはいけないことになっているの。秘密なんですって……」
「……すまない……」
私はもう一度、首を横に振った。
ダレン様が掛布を下げようとする。
一瞬息をのんで、私はそのわずかな隙間に入り込んだ。彼の脇に顔があたり、見上げると、驚く目があった。暗い世界で、黒目の中に金の尖った楕円が浮かび上がる。
「私ね、騎士団長の褒賞にされるんですって」
笑むと、腕が伸びてきた。私の背にそれは伸びて、私も彼の背に腕を伸ばす。背に触れた手から癒しを与えると、彼の身がくすぐったそうに動いた。
「……すまない……」
もう、何度聞いたか分からない謝罪に、彼の胸に額を押し付け、左右にこすった。
その日はそのまま、二人抱き合って眠った。
翌日、私はもう二度と戻らない旨を、侍女に告げ、屋敷を後にした。




