の:ノーマルの苦悩
俺と妹は、ノーマルである。
シスコンでもなければ、ブラコンでもない。
妹にはツンデレの要素もなく、口喧嘩を時々する程度の至ってノーマルな兄妹だ。
妹は年頃でおしゃれに興味を持ち、異性を意識し始めているようだし、俺もかわいい女の子と街ですれ違うとついつい目で追ってしまう健全な男子だ。
だから、決して、彼らとは相いれない。
家を出た瞬間に感じた悪寒に思いっきり飛びずさると、それまでいた場所に何かが通り過ぎて行った。コンクリートの道路に当たって素早く戻る。その方向を嫌々見れば、綺麗な長い黒髪を風にたなびかせ、ピンヒールで仁王立ちした女性が苛立ちもあらわに舌打ちした。
「私の鞭を避けるなんて、生意気なことしてくれるわね? ミハラ」
避けなきゃきっと昔見た映画みたいに鞭でぐるぐる巻きにされてどこぞに連れ去られていたんだろう。勘弁してくれ。
と、言う前に妹の悲鳴が響いた。
振り向くと、いつの間に回り込んでいたのか俺と同じくらいの身長でスポーツをしていそうな感じの短髪の女が、妹をがっちりとホールドして耳元に口付けたところだった。
「お・は・よ、三原ちゃん。私のかわいい変人さん」
「耳元でしゃべらないでっ!」
掌で思いっきり短髪の女を押し返す妹に憐れみの視線を向けるが、手出しはしない。何しろ、妹に絡んでくる連中は、基本俺に情け容赦ないし。逆に俺に絡んでくる連中も妹に対して容赦ない。だから、できるだけ個別に対応するようにしようと妹と相談して決めているから、心の中だけで頑張れ、と応援しておく。
と、今度は俺の頬に手がかかって、無理やり方向を変えられた。
ぐきっ、という擬音がピッタリだ。
いてぇ。
「誰を見ているわけ?」
ああ、朝からまた厄介な奴が。
俺はため息をつきたいのを堪えてそいつを見る。猫みたいな大きなつり目の小柄な男ががうっとりと俺を映しているのを見て、吐きそうになった。
「君は、僕のモノでしょう? 君みたいな変人を僕が所有してあげているのに、他の女なんかによそ見したら・・・殺しちゃうよ?」
突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込んだらいいのかわからない。
とりあえず、間違っても俺はお前のものじゃないし、と思いつつ、そんなことをいったらこの病んでる男が何をしでかすか分からんな、と遠い目をしていると。
「私の奴隷に勝手に触れるな、この小汚いちび猫が」
「はぁ? 何言ってるわけ? ミハラはもともと僕のだっつーの」
長い髪の女と小柄な男のバトルが始まった。
「三原さま、おはようございます。・・・ああ」
魂が抜けそうになっていると、妹の方に、かなり長身のがっしりした男が音もなく近づいてきて、声をかけた。
皺ひとつないスーツに身を包んだその男は、いきなり妹の足元に跪いて、スーツのズボンが汚れるのも構わずに妹の足を乗せる。
妹の肩がおびえたように、ビクッ、と震えた。
嫌な予感がしたんだろう。俺も嫌な予感しかしない。
悲しいかな、予想通り妹の足を乗せた男は、ゆっくりと見せつけるように、靴を舐め始めた。
妹の肩が、プルプルと震えだす。
「靴が、汚れておりましたので。綺麗になりましたよ」
「・・・い」
うっとりと妹を見上げる男の目に、被虐的な陶酔の色を見た俺は、同じものをもっと間近で見てしまったであろう妹の次の行動に備えて、とっさに耳をふさいで、走る体勢を整えた。
「いやぁぁああああっ!!」
妹が絶叫と共に走り出す。それに合わせて俺ももめている二人の間をすり抜けて走った。
「あ、まちなさい、ミハラ!」
「三原!?私の小鳥!」
「ミハラ、僕を置いてどこに行くのっ!?」
「三原さまっ、お叱りならばどうぞ罰を与えてくださいっ!」
四者四様の叫び声を聞きつつ、俺と妹は反射的に叫んでいた。
「ムリっ!」
今日も二人、全力疾走の朝だった。
この後も学校に着くまでの間に、ありとあらゆる変態、変質者の皆様との嬉しくない遭遇があるのだが。
これも毎日のことなので、割愛する。
嗚呼、それにしても。
ノーマルな俺たちが一番『変人』扱いされるって、どいうこと?
泣きそうになりながら、命の危機と貞操の危機と人権の危機と・・・いろんな意味での危機と闘いつつ、周囲の虎視眈々と狙う視線から逃げ回る日々の中で、精神的にも追いつめられてきた俺と妹は決意した。
マジで。
ノーマル仲間を探そう!
こうして、俺と妹による、ノーマル探しが始まったのだった。
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2XXX年。
人々の性癖が極端に特化し、『普通』という言葉が死滅してしまったこの国で、純粋な『ノーマル』は、絶滅危惧種に指定されている。
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