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に:人間②


 彼女が言うあの人とは、最近私の縄張りの境界線上に住みついた人間のことである。


 この人間は、ほかの人間がやってくるのを待って、何か奇妙なものと自分の縄張りの中にあるものをしょっちゅう交換している。これはほかのところでも良く見る光景だが、不思議でたまらない。どうして自分の縄張りから勝手に物を持っていかせるのか理解に苦しむ。交換しているものを道で見つけたことがあるが、石のように固くてとても食べられた代物ではない。あんなものを集めてどうしようというのか、さっぱりわからない。

 この人間はほかにも奇妙なところがある。

 両目の辺りに変な丸いものをくっつけているし、悪い食べ物を食べたわけでもないのに、いつも片足を揺らしている。奇妙だらけの人間なのだが、私は割合この人間のことは気に入っている。ほかの人間がいなくなったのを見計らって声をかけると、ああ、君か。とつぶやいて側にいつも置いている皿にミルクを注いで私の前においてくれる。

 私はその手に地面においていた手紙を押し付けると、さっきのじゃこ飯ですっかり乾いた喉を潤す。

「わざわざとど絵に来てくれたのか。ありがとう、ご苦労だったね」

 殊更に笑うでもなく、さらりと礼を言って手紙の封を切って読み始める。感情の起伏が激しい人間の中にあって、あの人は珍しく落ち着いた人間だ。無駄なおしゃべりや余計なちょっかいをかけてこないから、安心していられる。手紙を読み終わったあの人はしばらく何事か悩んでいたようだったが、やがて私のほうを見た。

「今から返事を書いたら、君はそれを持っていってくれるかな。僕は店を空ける訳にはいかないから、出来れば君に頼みたいのだけど」

 本音を言うと、またあの彼女のところへ行くのはかなり気が進まない。しかし少なくとも返事を持っていけば今後彼女に会ったときに水をぶっ掛けられたりすることも、皮をはがされることもないだろう。仕方がない。黙って座って待っているのを承諾と受け取ったあの人は、早速手紙をしたため、なるべく小さく折りたたむ。

 私が加えて運びやすい大きさにしているのだろうということはすぐに気づいた。人間は後ろ足だけで立っているせいか、前足が非常に器用である。

「これくらいで良いかな。気をつけていくんだよ」

 心配そうに言って手紙をくわえさせるあの人は、やはり人間の中ではかなりいいやつだ。

 自分の縄張りから私を見送るあの人を一度だけ振り向いてみると、なんとも不思議な気分になった。餌場の人間も彼女もあの人さえも、自分では手紙を届けにいけないという。別に歩けないわけでもないし、ほかのところへいくのなら平気でどこまでも行くのに、なぜ手紙を届けにはいけないのだろう。

 いや、本当に行けないわけではない。

 行ってはならない、行ける訳がないと自分で決めてしまっているのだ。私を自由だ自由だといってうらやましがるが、自分で自分を不自由にしているのにきがついていない。不自由でないと不安だといわんばかりに不自由にしがみついているようにさえ思える。本当はどこへでもいける後ろ足を持っているのに。

 私は首を振ると、彼女の縄張りへの道をいそいだ。


 ――――


 再び木登りをして、開けっ放しにされている窓の中を覗くと彼女の姿が見当たらない。

 これ幸いと窓に飛び移って手紙を落としていこうとしたとき、騒々しい怒鳴り声が響いてきた。ついで彼女が何かを怒鳴り返す声が響いたかと思うと、勢いよく中に飛び込んで来て、それ以上の勢いで扉を閉めた。閉まった扉がまた開きそうな勢いと音にまた怒鳴り声が響いたが、彼女はそれ以上の大声で泣き出した。片方の頬が赤くはれ上がっている。

 私はその泣き声の喧しさから早く逃げ出したかったが、あの人の殻の手紙は渡さなければならない。仕方なく窓枠から中へ飛び降りると彼女はようやく私に気がついた。涙と鼻水とで形容できない顔になった彼女は私の口から手紙を奪いとると、中身を読んだ途端、ますます激しく泣き出し、手当たり次第に物を投げ始めた。まさに身の危険を感じて逃げ出すと、彼女の泣き声とも雄叫びともつかない大声は、したのとおりにまで響いてくる。

 なんとも騒々しい限りだ。

 私はどんなに餌場の人間やあの人にたのまれても、もう二度と彼女には近づくまい、と固く決心した。さもなければ、次にあったときには本当に皮を剥がされてしまうに違いない。


 すっかり忘れ果てていたが、私が運ぶ手紙を待ちわびる人間がもうひとりいた。玄関の前を何度も往復して歩き回っていた餌場の人間は私を見つけると、笑みを浮かべて勢いよく駆け寄ってきた。今朝の死んだ魚よりも腐った目をした人間はここにはいない。期待に満ちた目で私の首に巻きつけられた布を見ると、会心の笑みを浮かべた。

「上手くいったんだな、よくやった、よくやった、偉いぞ!」

 私の首に巻きついた布を取ろうと興奮で震える手を伸ばす。一度目は違うところで空振りしたが、二度目に伸ばした手はきっちり結わえ付けられた布を取り外した。ようやく慣れないものがなくなり、思う存分首をかく。

 さっきからかゆくてたまらなかったのだ。

 餌場の人間ははずした手紙を読むと、何事かをつぶやいて、脇目も振らずに駆けて行った。それは今さっき私が歩いてきたばかりの道だった。

 手紙を届けることは出来なくても、直接会いに行くことは出来るのだろうか。

 人間というものは全くもって私の理解を超える生き物である。


 まぁ、いい。


 明日も餌場の人間が餌を忘れたら、遠慮なくその辺にあるものを食べさせてもらおう。

 しかし、今日のところはもう満腹である。

 私は昼寝をすべく屋根に上がると、大きく伸びをひとつして、お気に入りの場所で丸くなった。



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