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つ:つがいの魂換え②


「君は、誰だ」


 さっきまで大勢の人々に囲まれていた人と、セロンたちが入ってきた。


「私は、シズキ」


 鏡を見つめたまま答えると、鏡はただの鏡になってしまった。泣きすぎて、目が痛い。目をこすりながら立ち上がると、セロンたちは驚きに満ちた顔をしていた。


「つがいの鏡が・・・」

「セロン、ルアンを無理に起こしたのだな?」

「はい」

「おろかなことを。みよ、私のルアンと異界の娘とが入れ替わってしまった」


 先ほどまで鏡に映っていた彼は、ルアンというのか。

 そういえば、いつも夢の中で会っても名前は聞いたことがなかったっけ。

 もう一度、鏡に現れてくれないだろうか、と鏡を見つめていても何も映らない。ただ、自分の姿があるだけだった。


「では、ルアンは・・・」

「これはルアンの皮をかぶった別人だ。夢と夢とが触れ合って、中身だけ行き違ってしまったのだろう。コウズ」

「はっ」

「ルアンを捜せ。そこの娘に聞けば多少の手がかりになろう。セロン、ルアンが戻るまで、狩は禁ずる。玉城から出ることも許さぬ」

「そんな、リオーシャ様・・・」

「嫌なら早くルアンを連れ戻せ」


 リオーシャと呼ばれた人は、最後にシズキをにらみつけた。


「よいか、その体はルアンのものだ。さっさと傷の手当をしろ。これ以上ルアンを傷つけたら、お前が戻ったときに八つ裂きにしてくれる」


 苛烈なまでの憎しみを込めた目でにらみつけられ、むっとするが、それと同時にこの人がルアンをとても大切にしているのだと気づいて、素直にうなずいた。

 この体は、さっき幻のように映ったルアンのものであって、私の体ではない。

 手を広げて見下ろせば、私のものよりも細くて、滑らかな褐色の手が映る。爪も短く整えられていて、小指と親指に指輪をはめている。私の手よりも、ずっときれいな手だ。

 私は一応成人女性らしい体型をしていたのが、今は少年のようだ。それなのに、鏡に映るのは、以前の私そのものなのだから、変な感じだ。鏡をもう一度覗き込み、ルアンがいないことを確認すると、リオーシャを見た。


「手当てのできる人を呼んでいただけますか?」


 リオーシャは憎憎しげにもう一度にらみつけると、セロンにその役目を言いつけ、不機嫌なのを隠そうともせず、身を翻して行ってしまった。

 鏡の中を覗き込む。

 私は、私のままの姿だ。


「・・・こい。ここじゃ手当てもできん」


 低い声で言われて、名残惜しい気分でその場を離れた。セロンも、コウズも自分の姿が鏡に映らないように気をつけているのが、なんとなく印象に残った。

 先に歩くセロンの背を追って、痛みをこらえて歩いていると、コウズが手を貸してくれた。


「ありがとうございます」

「・・・いや」


 礼を言うと、なんとも複雑そうな顔になった。


「・・・本当に、悪ふざけではなく、ルアンじゃないんだな」

「夢なら、もう覚めていると思います」

「だろうなぁ」

「私は、シズキです。さっきは、取り乱してしまってごめんなさい」

「ああ、俺はコウズだ。コウズ・イル・ディ。なんだか妙な感じだな」


 そうだろうなぁ、と思う。

 なんとなく、セロンとコウズは、ルアンのことをよく知っている仲なんだと思った。友達が急に中身だけが別人になってしまったら、それは妙な感じがするだろう。


「リオー様だっけ。さっきの派手な人が言っていたことって、よくあることなんですか?」

「リオーシャ様、だ。この玉城の玉主である方だぞ。・・・それほど多くはないな。夢とふれあい、精神が入れ替わってしまうことを魂換えというのだが、それが起きるのは・・・」

「着いたぞ! さっさと入れ!」


 言いかけたコウズをさえぎるように、セロンが大声を出した。その顔は非常に不機嫌で、ただでさえ目つきの悪い目元をさらに鋭くしてこちらをにらみつけている。


「コウズ、典医に薬草を分けてもらってきてくれないか。俺じゃ、話にもならない」

「ああ、わかった」


 コウズはベッドのふちにシズキを座らせると、さっと出て行ってしまった。

 セロンは口をへの字に結んだまま、水差しを持ってくる。裾の広いズボンを腿の辺りまで捲くり上げていたシズキの足元に洗面器のようなものを置くと、シズキの足をつかんで傷に水をぶっ掛けた。


「いっ・・・!」


 洗い流すとか、そんなんじゃなく本当にぶっ掛けたというのがふさわしく、勢いよく水しぶきが飛び散るほどに、強くぶっ掛けられた。

 痛みをこらえきれずにぬれた足を抱え込む。

 せっかく乾きかけていた傷から新しく地がにじんでくる。


「なにするのよっ!」


 痛みに震える声で怒鳴りつけても、どこ吹く風でセロンは少しも気に留めずに、今度は新しく流れてきた血を流すために水をかけた。


「お前は、どこの人間だ?」


 低い声。不機嫌が満面に出ていて隠そうともしていない。


「日本というところよ。といっても分からないんでしょうけど・・・」

「・・・その口調は、よせ」


 嫌悪感いっぱいの低い声で言う。


「ルアンの顔で、声で、女の口調で話すな。気持ちが悪い」


 その気持ちは分かる。

 シズキだって、兄のヒロキがいきなり女言葉を話すようになったら、気持ち悪く感じるだろう。それは分かるが、もう少し言い方ってものがあるだろうに。


「ルアンじゃないの。私はシズキで、ついでに女なのよ。ルアンもあなたみたいにそっけなくて悪意のこもった言い方なんてしていなかったと思うけど」

「バカを言え。ルアンのほうがよほど口が悪い」


 当然のように言うセロンにあきれた視線を向ける。シズキと夢の中で話すとき、ルアンはいつも素直で優しい話し方をする子だったのに。

 セロンが嫌悪感満々でも丁寧に血を流すと、薬草を持ったコウズが戻ってきて、治療はすぐに終わった。

 薬草のシナはかなりしみたけど、血は止まったし、痛みもない。

 ・・・シナ?

 薬草の名前だ。知らないはずのものを知っていることに気づいて、考えに沈みこみそう担ったシズキに、コウズはすぐ近くに椅子を持ってきて腰掛け、ゆっくりと話しかけてきた。


「シズキ、だったな。これからルアンを捜すために、君にいくつか質問させてもらいたい」

「あ、はい」


 考えをいったん置いておいて、コウズに向き合う。


「君は、ルアンとどこであっていた?」

「夢の中で、です。場所はいつも違いました」

「いつも。では最初にルアンと会ったのは?」

「たしか、半年くらいまえ・・・日が昇って沈


 次々と質問してくるコウズに、一つ一つ丁寧に答えながら、シズキはふと、奇妙なことに気がついた。

 話をしながら、いつの間にか、じっとコウズの目を見つめている。シズキ本人はあまり人の目をまっすぐに見ることが得意ではないのに。

 どうしてだろう?

 不思議な思いでいると、コウズがどうした、と尋ねてきたから、このことを話してみるとコウズはああ、と笑みを浮かべた。


「ルアンはいつもこちらが気まずくなるくらいにまっすぐに目を見て話していたからな」


 そうか、これはルアンの癖なんだ。

 そう思った瞬間、シズキは背筋に大きな不安が這い上がってくるのを感じた。


「・・・私の世界では、体を、感情を支配しているのは、頭の中だっていわれいるの。でも、今私とルアンは心が入れ替わってしまっているのでしょう?」

「そうだな。心というより、精神とでもいったほうがいいかもしれないが」


 うなずくコウズをみて、シズキはさらに不安はますます大きくなる。ふと思いついて、不機嫌な表情を崩さないセロンを見た。


「・・・タツキの好物は、シアの実?」

「ん? ああ」

「セロンの好物はシンロシ酒とソーロワ魚の煮物?」

「・・・どうして知っているんだ?」


 シズキは口を押さえてぞっとした。

 この体は鏡越しにみたルアンのものに間違いない。

 でも自分はシズキだという意識はある。

 なのに、適当に口からついて出た言葉はシズキの知らないものばかりだ。

 この体はルアンのもの。言ってみれば、この体は今、記憶喪失状態にあるのかもしれない。そこにシズキという精神というか、意識の核となるものがルアンのものと入れ替わった。ルアンの体にとって、シズキは異物に過ぎない。今こうしている間にも、ルアンとしての記憶が次々と回復してきているのが分かる。だけど、それを受け取ることがシズキにはできない。

 不安は急に梅雨の黒雲のように大きくなった。

 私と魂が入れ替わったなら、ルアンもきっと、今の私と同じような状況になっているはずだ。私とルアンは、記憶に押しつぶされてしまうかもしれない。


「コウズさん、私とルアンはどうすれば元に戻れますか? 過去にもこんなことがあったんですよね」


 夢物語のようにコウズの話を聞いていたが、急に本能と呼べる部分が急がなければならないと告げている。でないと、自分ばかりか、ルアンも危険にさらしてしまう。

 それだけは絶対に嫌だった。

 向こうの世界に、私の世界にいるルアンは、元に戻るための行動が何一つ取れないだろう。ルアンと鏡越しではなく、もう一度会うためには、シズキが何とかするしかない。

 顔つきの変わったシズキにコウズとセロンと惑ったように顔を見合せた。


「今までの例からいくと、君の世界の位置を確定して、ショウロという夢を見せてくれる生き物を捕まえてこなければならないな。そしてショウロの力を借りて、お互いの夢をつなげたときにこちら側に引っ張り込めば、元に戻る、はずだ」

「成功例があるんですね? 失敗例もありますか?」

「ある。最悪なのは両方とも戻れず、消滅しちまった例だな。だが、この方法が一番確率が高い」


 消滅。

 血の気がひいて、気が遠くなったけど、それどころじゃない。


「世界の位置の確定はどうすればいいんですか」

「夢の方角を調べ、この世界とどういうつながりを持っているのかを調べるんだ。これはそれほど時間はかからないだろう」

 

 ということは、次は、ショウロを捕まえてくる、か。


「ショウロはどこにいるか分かりますか」

「トロク山の山中にいるはずだ。ここからトリで丸一日の距離だ」


 往復で二日。夢を見るのに、一日はかからないだろう。


「あと、三日か」

「まて。ショウロを捕まえるのには慣れたものでも10日はかかる大仕事だぞ。運よくショウロを捕まえても、ショウロはトリを怖がる。帰りは歩くことになるから、5日はかかる」


 セロンの言葉に、シズキは強いめまいとともに、目の前が真っ暗になるのを感じた。


「じゃぁ、20日近くかかるってこと!? そんなに持たない!」


 いきなり立ち上がって、額に指を当てて考えた。ショウロを捕まえるのに時間がかかるのは仕方がない。だけど、移動時間は節約できるはずだ。何をすればいい? 私もショウロを捕まえに行って、捕まえたらすぐに眠ればいい。そうと決まれば、こうしている時間が惜しかった。


「ショウロを捕まえに行く」


 決意を込めてつぶやいて扉へ向かうと、コウズがその前に立ちはだかった。


「まて。少し落ち着け、な? 素人がショウロを捕まえられるわけがない。それに世界の位置が確定しなきゃショウロがいても仕方がないんだ」

「コウズなら、パイネでトロクまでこれるだろう。時間がない。位置が分かったら教えに来て」

 

 体の大きなコウズを押しのけるようにすると、後ろから腕を押さえられた。


「どうして、コウズのトリの名を知っているんだ?」


 振り向くと、セロンが胡散臭げに見ている。

 シズキはその手を乱暴に振り払った。


「私が知っているわけがないでしょう! でもルアンは知ってる。ルアンのこの体とこの口がちゃんと覚えている!」

 

 不安に押しつぶされそうな予感にそれでもシズキは耐えた。耐え抜かなければならなかった。本物のルアンと、本物のシズキが合うためには、今ここでルアンの体とシズキの心ががんばらなくてはならない。ショウロを捕まえる方法は、ルアンが知っている。後はシズキが行動を命じればいい。


「タツキを借りるよ。その前に、リオーシャ様に断らないと。コウズさん、どいて」


 コウズは戸惑った様子のまま、道をあけた。両膝はもう痛まなくなっていた。


「手当てをありがとう、セロン。君は器用だな」

 

 口をついて出た言葉。ただ礼を言うだけのつもりだった口は、舌は、慣れた言葉を当然のように口に載せる。そのくせ、体の重みや視力、身長の違いなどに意識はいちいち違和感を感じている。苦笑して歩き出すと、リオーシャがいる場所がなんとなく分かった。おそらく、歩きなれた道なのだろう。さっきの謁見の間を通り過ぎ、左へ右へと進んださきに、思ったとおり、リオーシャがいた。不機嫌な相手が口を開くよりも先に、ショウロを捕まえに行くことを告げた。


「早くルアンと私が元に戻るためです。ついては食料と水、それに香玉をお借りしたい」


 香玉というのは、また勝手に口をついて出た。


「許さん。ショウロはすでに腕の覚えのあるものを送ってある。その体で勝手な真似はするな」

「では、捕まえたその場で夢を見れるよう、トロクへ参ります」

「許さぬ。ここで待て」

「リオーシャ様」


 とがめるように強く言うと、リオーシャはダンッと音が響くほどに強く机をたたいて、立ち上がった。あまりに強くたたいたため、茶器がはねて壊れた。


「ルアンのまがい物が、私の名を呼ぶな!出てゆけ!」

「時間がないのです。あなたは一生ルアンと会えなくなることに耐えられますか?私は耐えられない。自分が自分でなくなるのもごめんです。でも時がたてばそうなってしまう。私には分かるんです」


 ちょうど追ってきたコウズが部屋に入ってくるのを見て、振り返る。


「コウズさん、さっきの話の失敗例、時間がたってからショウロで夢をわたったんじゃないですか?」

「あ、ああ、そうだ」

「時間がたつほど、危険は増します。私はさっきからずっと感じているんです。この体に積もった記憶が、私をつぶそうとしている。記憶が、それにそぐわない私を変えようとしている。たぶん、ルアンも同じ状況のはず。そうなったら魂換に意味はない。両方死ぬか、まがい物が出来上がるだけです。私はさっきから、僕といいたくなるのを抑えているんです。だから一刻も早く安全に魂換を行う必要があるんです」

 

 漠然とした不安はもう明確な形をとっている。泣きたくなったが、みっともないのでこらえた。


「私は鏡越しでなく、ルアンに会いたい。どうしても会いたいんです。だから、玉主様、お願いです」


 まっすぐに玉主リオーシャの目を見つめる。これは、ルアンの癖ではない。強い意志を込めて見つめた。


「・・・セロン、コウズ」

「はい」

「トリをだすがよい。コウズはすぐに特定にかかれ。セロン、この者を連れ、トロクへ行き先発と合流し、ショウロを捕らえよ。女」


 リオーシャの瞳が鋭く光る。


「次に姿を現したとき、ルアンがいなかったら、お前の魂だけでも滅してくれる」

「はいっ!」


 それを聞いたシズキは本当にうれしそうに返事をした。

 走ってタツキのもとに向かうシズキをセロンがあわてて追いかける。


 全ては、ルアンとシズキが出会うために。




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