せ:世界をかけた探しもの ②
戸惑い、慌てる声。怒り、威嚇する声。
けれど、天神様がそれぞれに目を向けると、声はぴたり、と止まった。
その視線だけで、圧倒され、喉が張り付いたかのように、声が出せなくなる。
突然訪れた静寂のなか、天神様は「宝探しだ」といった。
「君たちには、ある人物を見つけ出してもらう。年齢、性別、外見的特徴、名前は一切不明。だが、君たちと同じ、人だ」
「頭イっちゃってるだろ、お前」
「自分で探せよ」
目覚めるなり、奇声をあげて、ありとあらゆる罵詈雑言をわめいていた男と、石を叩き割ろうと何かを打ち付けていた男が、静かな天神様の声に、茶々を入れる。
この喉を絞められるような圧迫感の中、よく声がだせるものだ、と感心した瞬間、二人の体がさらに石に埋まっていく。
苦痛の声が上がるところを見ると、痛いらしい。胸まで埋まった二人を見ながら、ヴェナはとりあえず黙っておくことにした。
「君たち7人は少なくともこれまでの人生の中で、その人物と会話を交わしている。さらに、これからの人生で一度以上会話を交わすことになっている」
苦痛にうめく二人を無視したまま、何事もなかったかのように天神様は淡々と話を進めていく。うん、本当に静かにしていよう。
「君たちがやるべきことは、これから先、言葉を交わす相手の肌に触れるということだ。触れれば、それがその探すべき人物かどうか、すぐにわかる」
そりゃ大変だ、とヴェナは心の中だけでつぶやく。
ヴェナの仕事柄、一日に多くの人と会う。
そのすべての人々の肌に触れなくてはならないということは、変質者と間違えられかねない。相手が女性ならまだいいが、男性ともなるとそうそう肌に触れる機会はなかなかないだろう。
天神様には悪いが、ほどほどで、探すしかないだろうなぁ。
そんな内心の声が聞こえたわけでもないだろうが、天神さまは一同を見渡して、口元にかすかな笑みを浮かべて、玲瓏たる声で宣言する。
「その人物を見つけたのなら、一部の例外を除いて、どんな願いでも叶えよう」
その言葉が響くとともに、周囲にこれまでにない緊張が走る。
驚き、不信、希望。さまざまな感情が渦巻く中、男は悠然と笑って見せた。
「自分の命に代えても、叶えたい願いがあるのだろう?」
言葉の中に、一滴の甘美な毒を混ぜたようなその様は、『天神』というよりも、人を惑わし、堕落させるという『悪しきもの』のようにみえた。
そう思っているのに、天神様から目がそらせない。
自分の中にも、願いがある。
自分の命と引き換えにしてでも、叶えたい願いが。
でもその願いが叶うことはないと知って、絶望と諦観と無力さに耐え切れない夜を、幾度過ごしてきたことか。
「どのような願いであれ、『天神』の名のもとに、叶えてやろう」
ヴェナには不可能でも、天神様なら。
人智の力を超えた存在なら、あるいは。
言葉が、音が、目に見えぬ鎖となって体に巻きついてくる。
それは、希望、いう名の、呪縛。
「・・・どんな願いでも、といったな?」
茶々をいれて胸まで石に埋まった男が、それまでの軽薄な雰囲気をがらりと変えて、殺気すら感じさせる声を発した。
「それが摂理に反することでもか」
「叶えよう」
胸まで埋められたもう一人が、慎重に言葉を発する。
「一部の例外ってのは?」
「この世界の範疇において。それを超える願いは叶えられない」
「・・・本当に叶えてくださるのですか?」
一番最後に目覚めた女性が、どこか必死な様子で天神様を凝視したまま、言葉を乗せる。
「私の願いは一つではありません。それでも?」
「叶える」
「なんでも叶えられるあんたが、どうしてわざわざ俺たちに探させるんだ?」
「探しているのは、この世界の範疇外の存在ゆえに」
「もし、見つからなかったら?」
「見つかる」
それは決定されていることだというように、男は嗤う。
「君たちが見つけられなければ、この世を滅するまで」
そんなことをしたら、その人物も死んでしまうのではないか、と思ったがその人物は世界の範疇外だというから、天神に連なる人なのだろう。
だとすれば、こうやって機会を与えるのは慈悲なのだろうか。
ぞくり、と背筋に冷たいものが流れる。
そう。
これは、慈悲であり、機会なんだ。
全てを破壊しつくす前に与えられた、最後の機会。
つまり私たちには、その人物を見つける以外、道はない。
「では、どんな願いでも叶えられるという証をいただきたい」
「いいだろう」
一番年長の老人が言えば、天神様はうなずいてちらり、とヴェナを見て、わずかに笑みを浮かべたような気がした。
「では、明日。日の出と日没までの間に奇跡をみせよう。そう、君たちの願いをどんなに不可能なことであっても叶えるという証になるものを」
すると、ずっと黙って他の人々のやり取りを眺めていた男が困ったように頭をかきながら、つぶやいた。
「おらぁ、馬鹿だけど、わかっかなぁ?」
「わかるさ。君たちの健闘を待っている」
天神様がそういって右腕を大きく動かした直後、ヴェナは突然吹きつけてきた突風に耐え切れず目をつむった。
岩に足を取られているはずなのに、体が浮き上がり、風に吹き飛ばされるような感覚とともに、意識も飛ばしてしまった。
次に目を開けた時は、家のベッドの上だった。
下半身が岩に閉じ込められていることもなく、自由に動く。隣を見れば、いつも通り、娘がかわいらしい寝息を立てていた。
あたりを見回しても、見慣れた部屋に相違なく、ヴェナは目を瞬かせた。
夢、だったのか?
唐突な状況の変化に、どこからどこまでが現実だったのか、わからなくなった。けれど、夢かと思った瞬間に湧き上がってきたのは、強烈なまでの焦燥だった。
夢だ、なんて、冗談じゃない。
焦る気持ちのまま、娘を起こさないようそっと寝所を出て、まだ仕事をしていた弟を捕まえる。話を聞くと、ヴェナは天神様のお社の前で倒れて雪に埋もれていたところを、よき隣人であるフェルデナンテに助けられたのだという。
今度からは、フェルデナンテの忠告をちゃんと聞くように、そもそも雪道に油断するなどもってのほか、とこんこんと説教をしてくる弟の声を適当に聞き流して、寝室に戻る。
部屋を出る前とまったく違う体勢で、毛布にしっかりとくるまっている娘の頭を起こさないようにそっとなでる。
希望を、見たと思ったのに。
それすらも、夢だったというのか。
そうだとしたら、天神様に文句を言いに行かなきゃならない。
唇をかみしめて、今夜は眠れそうもないな、と小さくため息をついた。
それでも、小さな体を抱き寄せて、その規則正しい呼吸を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
翌朝は、娘の歓声で目が覚めた。
「かぁちゃん、いい匂い!」
窓から身を乗り出すようにしてはしゃぐ娘の向こう側。
雪化粧を施された針葉樹が広がっているはずの窓の外に、柔らかな薄桃色の花が視界いっぱいに咲き乱れていた。
季節は、冬。
木々は雪ではなく、桜の花で身を飾っていた。
『どんなに不可能なことであっても叶える』
脳裏に、天神様の声がよみがえる。
ちらり、とこちらを見た、男の目。いたずらを思いついた娘と同じ色を浮かべていたっけ。
希望の糸は、まだ切れていなかった。
それなら、やるべきことは一つだけだ。その結果、変質者呼ばわりされようが、痴女呼ばわりされようが、知ったことじゃない。
触りまくってやろうじゃないか。
必ず、天神様の探し人を見つけてみせる。
ヴェナは、娘と花々を見ながら、鮮やかな笑みを浮かべた。
この日。
この世界の植物という植物に桜の花が咲き乱れ、さくらんぼの実をつけた。
それは、5つで視力を失った娘の、一番好きな花だった。




