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す:スカウト①


 ここにごく普通の会社員がいる。

 普通の家庭に生まれて、普通に育ち、普通に会社に入った、普通のOLだ。

 上司に無茶振りされて切れそうになりながらもぐっとこらえて仕事をして、冷蔵庫の中のよく冷えたビールを一気飲みすることだけを楽しみに疲れ切った体に鞭打って帰ってきたというのに、そんなときに限ってビールが切れていて、「あー、そうかいそうかい、そうくるかい。いーだろー、受けて立ってやろーじゃないか!」と冷蔵庫に対して喧嘩を売りつつ買いつつ、脱いだばかりのヒールの高い靴を踏みつけてスーツとまったく合っていないスニーカーに足を突っ込んで100メートル先にあるコンビニまでビールを求めて肩をいからせながら足音高く買いに行くような、そんな普通のOLだ。


「もしもし、お嬢さん」


 普通のOLはビールを買って今日のたまりにたまったうっぷんを晴らすという崇高な目的のため、決して歩みを止めることはない。


「あ、あの、お嬢さんってば!」


 それが例え、この真夏に白い縦襟コートを着込んでマフラーと手袋で完全武装しているような変な男に声をかけられたとしても、当然無視するにきまっている。


「待ってください!あの、お願いですから!」


 無視して通り過ぎて、焦ったような声が追ってきたとしても、進む足のスピードには変化はつけない。いくら深夜とはいえ、後10メートルほどでコンビニだし、コンビニの前にはちょうど良くアイスをほおばっている若者たちがいる。それに、今は非常に気が立っているから、いくらでも暴力的対応ができそうな気がした。

 だから、普通のOLである私は、いきなり腕をつかんできた男の腕をくっつけたまま、足を止めることなくずんずん進んでいく。あとちょっとでゴール(ビール)だ!


「え、あの、ちょっとまって。お願い、全力無視はやめましょうよ」


 うるさいおかしな男を足を止めずに肩越しに睨みつけると、心底困ったような顔があった。


「ふつう、声をかけられたら、とりあえず止まりませんか? 今だって腕をつかんでいるのに、無視して歩き続けるなんて」


 非常識だと言わんばかりの男の抗議の言葉に、不快指数と不機嫌指数が一気に跳ね上がる。

 ふつう、知らない人に声かけて、か弱い女性の細腕をつかむような怪しい男の話は聞かない。そう。だから普通のOLならば、無視するのが正解なのだ。間違っていない。


「間違ってはいないんでしょうけど、なんだかまったく普通じゃない対応だと思うんですけどね」


 男の困り顔がさらに情けない顔になったが、そんなことはどうでもいい。

 今はビールが何よりも優先される。

 腕を振り払おうとしたが、さしてしっかりつかんでいるようにも見えず、委託もないというのに、なぜか張り付いたように男の手は離れない。くっついているんだとしたら、非常に気持ち悪い。スーツ代を弁償してもらわなければ。

 とにかくコンビニついた。

 入り口に固まっていた若者たちのうちの一人が顔見知りで、軽く手をあげて挨拶すると、小さく頭を下げられる。腕にくっついてきた男を見て、何とも不思議そうな顔をしていたが、いまは説明している暇はない。

 足早に奥の飲料売り場に行くと、念願のビールがそこにあった。

 三本手に取ってレジへ向かう。

 いつものバイトの男の子がやる気なさそうにレジを打って、言われた金額を渡す。

 いつも思うが、この子の「ありがとうございました」は「あーした」としか聞こえないな。どんだけ省略しているんだ、この子は。

 とにかく、我慢も限界。

 コンビニの外に出ると、顔見知りを含めた若者集団は姿を消していた。

 袋から一本取り出して、ぐっとあおる。

 炭酸が心地よくのどから胃に流れて、カッと熱くなる。あまりアルコールに強くないから、すぐに酔いが回るから実に経済的だ。

 さらに一本取り出して、今まで一時も腕から手を放していない男にプルタブを開けて反対側の手に渡す。


「え、あ、いいんですか?」


 戸惑うように見る男に、赤くなり始めているだろう頭で大きくうなづいてやれば、おとなしく受け取る。


「じゃ、いただきます」


 のどが渇いていたのか、同じように一気に飲み干すが、全く赤くなる様子がない。なんだ、意外といける口なのか。雪のように白い肌をしているから、酔ったら、茹でたタコのように赤くなるかもと思ったのに。つまらない。


「はぁ。酒の類じゃ酔ったことはないですかねぇ。自分もそうですけど、親族の類もみんなこんな感じなので。ああ、妹だけはよく酔っ払ってましたが」


 酔ったことがないのか。それはもったいないというか、非経済的というか、健康的というか。酒なんて、酔うために飲むようなもんなのに。


「それはいけませんね。お酒は味と香りを楽しむもんでしょう」


 一理ある。

 そもそも、酔えない男の正論に、酔っ払い女のたわごとが勝てるわけもないし。

 早々に議論を放棄したところで、さて、この季節を勘違いした情けない顔で色白の酔えない変態さんをどうしようか、と思う。

 腕をつかまれたまんまじゃ家に帰れないし、バイト君は寝そうになっているし、人通りも車通りも途絶えているし。


「ところで、ぜひお嬢さんにやっていただきたい仕事があるんですよ」


 勝手に話し出した男はもちろん無視だ。


「たぶん、あなたにとってはとっても簡単だと思うんですよね。なんといっても度胸がありそうですし、酔っ払った姿は特に妹によく似ている」


 どうやっても腕が外れそうにもないし、こうなったら通行人を巻き込むか、車道に放り出してやろうか、と思ったところで、おや?、と思う。

 この辺は飲み屋街が近いから、今の時間帯ならこれから出勤のお姉様方やお兄様方やこれから管をまくぞー!と気合を入れているおじ様たちが多いのに。

 高速道路の出入り口もあるから24時間いつでも車通りも多いはずなのに。

 タイミングなのか、ちょうど人も車も通らない。珍しいこともあるもんだ。これじゃ人も呼べないし、車道に放り出しても意味がない。困ったな。


「というわけで、お嬢さん」


 お酒の話だったっけ、と飛んでいた意識と視線を男に戻せば、男は白い顔の中で唯一赤い唇の両端を、にぃ、と上げた。


「一緒に来てくださいな」


 一瞬で、世界が回る。

 ただでさえ疲れているのに、一気飲みなんかして大きな動きなんぞしたら。

 普通の酔っ払いの行きつく先は、ブラックアウト、だ。





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