01 プラグドロイド
初めに女がいた。
女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
迷宮惑星を構成する十二大迷宮のひとつ、カイ=エイト。
そこはヒト型知的生命体・ビィにとって最も暮らしにくい環境と言われている。
迷宮の天井の貼り付き、光の恵みを与える光導板は数百エクセルターン――エクセルターンは一年を表す単位だ――の間、明らかな機能不全を起こしている。
他の迷宮ではほぼ半々になる昼時間と夜時間のバランスが大きく崩れ、光導板が照るのは1ターン――ターンは一日を表す――におよそ二時間のみ。それ以外は常に闇が支配し、日照不足から気温が下がる。
そのような状態が誰にも正されることなく、数百エクセルターンである。
カイ=エイトはいつの頃からか迷宮全土が完全に凍りつき、夜と氷の世界と化していた。
寒風の音以外は何者も声をひそめる冷たい沈黙の世界。
ひとつの物語がここからはじまる。
*
カシャリ、カシャリと音を立て、カイ=エイト迷宮のとある場所をヒト型のシルエットが薄暮の中を歩いている。
わずかしか差さない光を助けに進む彼の姿はヒト型――ビィであるように見えた。しかしその人物はろくな防寒装備もまとわず、ボロ布のようになった薄手の服を着ているのみ。場違いな服装だった。普通に考えれば一時間と経たず動きを止め、無残な凍死体に成り果てるところだ。
だが彼は、滑りやすくなった氷の地表を慎重に踏みしめるだけで、行動不能になる様子はない。
すでにその行程を数時間。
注意深く見れば、彼の凍った服の隙間から覗いているのは生身の手足ではなく、プラグド化したそれと気づくはずだ。
彼が寒さに耐えられるのは、彼がプラグドであるからだろう。
だがむき出しの顔や頭は? プラグドが施されていない場所は、あるいは内臓の防寒処理は?
心配は無用だった。
彼は全身プラグド化された存在ではない。
それどころかビィですらなかった。
プラグドロイド。
彼は肉体をプラグド化されているのではなく、頭から爪先までゼロから完全に機械の体で作られた存在だ。
全身に施された断熱機能ゆえに気温の急変に強く、極寒のカイ=エイト迷宮にあっても動作を止めることがない。
しかしそのような機能にかかわらず、彼の体の動きは少しずつ鈍り始めていた。関節のわずかな分割線から少しずつ侵食してくる凍気で細かな氷が体内に染み込み、融解と凍結を繰り返して動きを妨げてきている。
彼は、このままでは完全に凍りつくことを危惧し、体内のヒーターへのリソース分配を増やした。
補給するまでにどこか体を休めるところはあるだろうか。
彼はそう考え、滑落の恐れのあるルートをあえて通ってまで少しでも生存できる可能性の高い場所へ急いだ。そうせざるを得ない理由があった。
彼の名はミドリカワ。
プラグドロイドのミドリカワ……。
*
「おい、この寒さは何だ! 何だこの寒さは!」
髪を古風なスキッパースタイルにキメた男が、氷上仕様に改造されたトレーラーから車外に出るやいなや大声で怒鳴った。迷宮生物の皮を加工して作った革のジャンパーはすぐに霜が降り始め、事前に準備していた防寒着を嘘のようにたやすく冷気が透過していく。
「いやあ、思ったよりこたえますねえ」
トレーラーからもうひとり、薄汚れた白衣に長髪の胡散臭そうな男が降りてきた。
「やっぱりスキンスーツが必要でしょう、BIG=ジョウ」
「あの全身タイツか? あんな見栄えの悪ィのを着るなんて俺の流儀に……」
BIG=ジョウと呼ばれた男は言葉の途中で死ぬほど冷たい寒風を受け、一気に歯の根が合わなくなった。
「反するが、た、た、頼む」
そうでしょうとうなずいて、白衣の男はBIG=ジョウをトレーラーのコンテナに招き入れた。
*
スキンスーツは体の形に合わせてピッタリとフィットする極薄の機能性スーツである。ほぼ完全に肌を覆い尽くし、極寒の地であっても冷気をシャットアウトできる。水中に潜っても水や呼吸に含まれるわずかな酸素を吸収し、循環させて長時間行動することも可能だ。完全な真空状態でも機能するとされている。
まとった姿は極薄の全身タイツで、体の線どころか尻の割れ目や性器の盛り上がりまでもが透けて見える。誰にも見られなければこれほど便利な服もないが、ウーホース迷宮では豪快さで知られるBIG=ジョウにも恥じらいはある。素っ裸同然の姿で凍りついた場所をうろちょろしたくない。
ジョウはスキンスーツの上に普通の防寒着を身にまとい、元の見た目に戻した。本当は上から何も身に付けないほうが断熱効果は高いのだが。
「あんたはどうするんだ、ゲオルギィ」
ゲオルギィと呼ばれた長髪の男は、ヒヒッと引きつった笑みを漏らして髪をかきあげた。
「小生はこの服自体を完璧な防寒仕様に改造していますので、ご心配なく」
「改造?」
「はい」
「便利そうだな」
「ヒーター付きです」
「俺のは」
「ありません」
「だろうな」
ジョウは素手で触ったら皮膚が張り付いてしまいそうなほど冷えきった櫛を取り出し、崩れたスキッパースタイルの髪型を直そうとした。櫛が通らない。呼吸した時に髪に水蒸気がついて、そのまま凍ってしまったのだ。
ジョウは口角をあからさまに下げた。BIG=ジョウである。BIG=ジョウといえばスキッパースタイルだ。こだわりの髪型は自他ともに認めるトレードマークなのだが、着替えで乱れたままの状態で凍りついている。
「失礼、BIG=ジョウ」
「んあ?」
「スキンスーツは頭まですっぽり被ったほうがいいですよ。首から上だけ凍傷になります」
「頭まですっぽりかよ」
「頭まですっぽりです。ああ、安心してください。スキンスーツは酸素吸入器と同等の効果がありますから、口元を全部覆っても呼吸はできます」
「目を覆っても?」
「透過率を変調させれば視界を邪魔することはありません。息で曇ることも」
「至れり尽くせりだな」
「状況が状況ですので。一刻も早く”彼”の無事を確かめないことには落ち着いて研究もできません」
ゲオルギィは真顔で肩をすくめた。
胡散臭いが適当な嘘偽りを述べるような男ではないとBIG=ジョウは知っている。ウーホース迷宮で幾度となくレース勝負やワイルドハントで共に戦ってきたライバルであり、だからこそその人柄は理解しているつもりだ。
「じゃあ行くか。まずはどうする……おお、ちゃんと声も出せるんだな」とBIG=ジョウ。
「優れものでしょう?」
「ああ。寒さもほとんど感じないな」
「それはよかった。で、彼の居場所についてですが……芳しくないですねえ」
「どうしたんだ」
「ポータルを通ってカイ=エイト迷宮に来た影響でしょうか、発信機の反応が酷く微弱なのです。それに何処かへ移動している。遭難時にはなるべく場所を変えないほうがいいということは彼も理解しているはずなのですが……」
「まだ生きているんだよな?」
「はい。彼は――ミドリカワは小生の最高傑作のひとつ。簡単に壊れるものではありません……ありませんが、この寒さです。おまけに暗くて足場が悪い」
「どこかから滑落したかもしれない?」
「かもしれません。私のカンでは……」
ゲオルギィはライトがなければほとんど見分けの付かない氷の裂け目を指し示した。
「クラックから滑り落ちて、下方で氷に叩きつけられて発信機に不調が現れたのだと思います」
BIG=ジョウもつられてクラックを覗き込んだ。氷と冷気の完全な闇しかない。寒さは感じないはずだが腰のあたりがぞっとした。
表情こそほとんど動かさないものの、ゲオルギィが焦りを感じていることはにおいでわかった。実際に何らかの臭いが発散されているわけではない。BIG=ジョウがBIG=ジョウとして生きてきた年月がそれを感じている。
「……さて、どこから調べる? ゲオルギィさんよ」




