はい、こちらは因習村が舞台の乙女ゲーム〜私、最初に殺される狐面の神主と結婚します〜
右に能面。左に民芸人形。
古びていながら手入れが行き届き、品格ある座敷が広がっている。そこに正装の人々が居並び──上座には狐面をかぶって控える神主。
(うそ……なにこれ? ゲームのVR体験!?)
まじまじと手を目の高さまで上げてみる。
私の手じゃない?
幼い頃からある小指下のホクロが、ない。陶器人形の繊細さを持った見知らぬ指が、私の意思にそって動く。
私は座敷の真ん中に正座していた。老若男女の視線が無数の針として刺さって、ハリネズミになりそう。
「貴子」「貴子さま」と声を抑えたひそめきが、耳をひっかいていく。
(……これ私って貴子?)
因習村を舞台にした乙女ゲーム『千尋万里の神錆び恋』、略称『さび恋』。
貴子はそのプレイヤーキャラで、数奇な運命のヒロインである。
ゲームの舞台は昭和だ。貴子は昭和後期の生まれで孤児院育ちの天涯孤独の身の上。のはずが、孤児院を出る年齢で両親の故郷から迎えがやってきて、それについていく。
この両親の故郷というのがご定番、山に囲まれたポツンと一村ド田舎村で、上寂村といった。
村についてから、貴子はなぜか下にも置けない扱いを受けた。
村長の屋敷に案内され、一族が会する場で『神錆び巫女』という村の神を慰撫する血筋だと告げられて、結婚相手──攻略対象を選ぶよう言い渡されるのだ。
ところが、その攻略対象はどれも貴子に執着する鬼門キャラばかりだった……!
「君が神錆び巫女か……かわいいね」
私の前に、まずメインヒーローの上磨守直が進み出た。守直は二十歳手前の好青年で、ここは昭和末期が舞台だというのに当時めいた野暮ったさはない。どの時代でも通用する普遍的な美貌を備えている彼には、流行を追った髪型や服装は必要ないのだろう。
守直は村長一家の次男で、村の実務を任されている。ゆくゆくは村長になる未来を期待された青年。
なんだけど……彼は貴子に選ばれたら豹変するのだ。
手を握られて、私はそのまとわりつくような感触に彼のルートを思い出す。
そう、あの独占欲丸出しイベント──
『貴子! 貴子はどこだ!』
『はい、私はここに』
『俺から離れないでくれ……』
『でも、お手洗いとか』
『だめだ! 君が視界からいなくなるのに耐えられない……!』
どうみても依存症男との物語だった。
貴子が男性を見るのも、視線を受けるのも嫌がり、ひたすらストーキングする。
最後は独占欲が災いして村人と諍いを起こし、それが大規模な全体の乱闘に発展して村は炎上する。
(あんなに付きまとわられるのは無理!)
手を振り払って押し出すジェスチャーで選ばないと示したら、守直は名残惜しそうに下がっていった。
「よろしく、巫女様」
次に、朗らかな声かけをして前に出てきたのは上磨継次。
先代村長の次男、守直の叔父さん。
縁の太い眼鏡をかけている三十代前半の、知的な学者肌という風貌。清潔感があって、柔和な大人の雰囲気を持っている。
けど、この人、ないから!
(だってこの人、妻・帯・者だから!!)
それがなんで巫女の結婚相手候補になれるかというと、巫女との結婚は村の定義では神との結婚でノーカウントとかなんとか。
村長一族の男は全部対象で立候補できるのよ。既婚者は遠慮するのに、彼は奥さんがいながら立候補したってこと。
とにかく継次はヤバかった。
村が祀っている土着の神に心酔している彼は、貴子との結婚を「神事だ」と奥さんをねじ伏せる。貴子のことは「神の依代」として、その向こうに神の存在を見ながら愛する。
奥さんは奥さんで、座敷牢に入れられちゃって彼の神格を上げるための供物扱い。奥さんと三人で座敷牢に閉じ籠るエンドは尖りすぎていた。
『ここへ篭って御神体へ感謝を唱え、即身仏を目指すのだ』
『もう……、やめましょう』
『あなた……、ここまで傾倒してしまって……!』
『錆び神よ、我と村が栄えんことを、今年も芥子の豊穣たらんことを……! 神錆羅魔神随麻葉蓬蓬……!』
(あの祈祷エンドには画面の向こうで息を引きつらせたわ)
ゲームだから、そういうエンドもバリエーションとしてあるなって納得できたのよ。私、重婚なんて絶対いやだから!
なお、このルートでも継次を不気味がった村人が火を放ち、最後に村は炎上する。
継次の顔を見るだけで首を横にしたら、彼は静かに後ろへ下がった。
「オレも都会にいたんだよ」
入れ替わりで前に進み出たのが、華仁。
(これまたダメなの出た~)
都会でジゴロをしていた出戻り男!
見た目も、チャラい。こんな場面でもゆるいリネンのシャツでいる。TPOをわきまえなさい。
華仁は村が密かに特産とする麻薬の仕切りを任されていて……それで村内の女性と関係しまくっている不貞キャラ。
『だれ……? その女性』
『あ、バレちゃった。火遊びだよ一番は君だから』
『そういう問題じゃない!』
(とんでもない、タコ足配線野郎!)
そして、判明する華仁が関係しまくった村人女性たちの嫉妬で、村は疑心暗鬼に満ちるのだ。
もちろん最後に村は炎上する。
だめだ……だめだだめだだめだ、このゲームは本気でだめだ。なんでこんなゲームのヒロインの中で記憶が生えたんだか、転生なんだか、リアル日本人の私の意識が目覚めてしまったの?
めちゃめちゃ向いてない。この村も滅びる運命だし。お問い合わせ先ない? 依存ストーカも既婚狂信者もタコ足配線男も本気でクレーム入れたい。
他に攻略対象いなかったっけ……いないわ。開発チームのコメント見たことがある。
『まともな攻略対象を入れると世界観が壊れるので』
最後は村を燃やすじゃん!
もう! その世界観のなか入ってから言ってよ! 壊れていい、そんな世界観!
そうよ。壊れてしまえばいい。壊してしまわないと私、この村の運命に巻き込まれるんでしょ。
こんなゲームの世界観とシナリオに、私が付き合う必要ない。
座敷の一同の注目を受けながら私は、上座の端っこにいる人物を指差した。
「わ、私! あの人と結婚します!! 狐のお面をかぶった……あの人!」
指名を受けた人物は、わなわなと震えていた。
当然よね。
この人は結婚ができない人なの。ゲームの攻略対象でもない。
上磨周也。依存ストーキング守直の兄。
村長一族の長男は隔代で村の神主になるとかで、実質神様扱い。けれど生涯この村に縛られて結婚も許されない身。
だめって断られるだろうけど、どう……? ゲームのシナリオをかき乱すだけ乱してやるわ!
しかもこの人はゲームでは最初に殺される人。明後日には死体になって蔵の前で発見される人なのよ。
希望した人はダメって言われたし、死んだし、と時間稼ぎしてこの村から逃げてやる。
さあ、断って。神主だから結婚できないって。
しずしずと進み出た神主は、私に目を合わせた。──と思う。お面越しに、熱心な視線を感じる。
「──喜んで、承ります」
(よろこんで!?)
受けられてしまった!
この人が良くても周りに反対されるんじゃない? 懐疑的に見回したら「行幸だ!」「瑞兆だ」と座敷はものすごい祝賀ムードになっていた。
(なんで? この人は結婚だめだったんじゃないの……? どうしよう)
でもまだ逃げるチャンスはあるはず。
この人、明後日には殺されるんだから。
⁂
私の結婚相手が決まったら、あっという間に集まりはお開きになり、私は自由に使っていいと個室を与えられた。
家具も部屋も上等だけど窓は格子がはまっているし、出入り口は襖じゃなくてドア。しかも鍵をかけられている。これって実質、監禁じゃない。
板間にはテレビがあって……ぶ、ぶ厚い! 画面の周囲は板で囲われていて、パチパチ上げ下げするスイッチとダイヤルがついている。
(これが……テレビなの!?)
この世界、本当に昭和だ。スマホもないしインターネットもない。令和までの遠さが途方もなくて眩暈がしてきた。
壁に手をついたら、ココンと硬質な音がする。
思わず手を見返した。私が出した音じゃない? 続く音がドアからした。ノックされているんだ。
「はい」
「周也です。君が……選んだ」
狐面の神主の!!
まずい、会うの気まずい。
仮にも、この人を結婚相手に選んだけど、その理由は「このままでは村が燃えるのに巻き込まれるから」とか「ゲームのシナリオを掻き乱したい」という理由。
(言えない。聞かないでくれますように)
祈る私の前で扉が開く。
周也はこの部屋の鍵を持たされているんだ……。
ドアの向こう、私より頭ひとつ高い周也を見上げる。
その狐面で、彼については奇妙であるという印象しかない。
「ずっとここに閉じ込められていると、気が塞ぐだろうと思って。僕と……散歩にでも出ない?」
村のみんな「私を護るため」と言ってこの待遇を平気でしているのに、この人は私が閉じ込められているって認識があるんだ。それで、気を遣ってくれている。それなら、行ってみるか。脱出の下見もできるし。
部屋から一歩出て、私は彼が腰に差している日本刀にびっくりした。
集まりでは神主らしい装束を着ていたのが、今は半袖のシャツに黒いズボン、簡素で清潔感のある服装をしている。その腰に、刀!
「あ、あの。その刀……」
銃刀法違反なんじゃない? ゲームの世界観でどうこう言っても仕方ないけど。
「これ? この村の神主は普段から帯刀してるんだ。昔は警察みたいな、不届き者を斬る役目も兼任していた名残だよ」
さすが因習村、よくわからないルールで満ちている。彼にとっては普通なんだろうし、どうこう言っても始まらない。
私は大人しく周也について、お屋敷の廊下を次々と通った。上磨一族はみんなここで生活している。それでもプライベートを保てるだけの部屋があるのだ。ゲームのマップを思い浮かべた。あれを知らなかったら絶対迷っているだろう。
屋敷から出れば、鼻腔を冷えた空気が抜ける。
「行き先だけど、この村はとくに目立った観光地もなくて……僕が案内できるところに行こうか」
「うん……私は何があるかわからないから」
周也の後ろについて通りがかりの畦で彼岸花を見つけて、私は今は秋のお彼岸だと思い出した。
「貴子……って呼んでもいい?」
「え、ひゃ……」
周也は速度を落とし、私のすぐ隣にいた。
唐突な会話の開始に、たじろいでしまう。
「呼んでいい? 僕のことも周也って呼んでほしいから」
「うん。いいよ」
仮面の向こうでふっと笑う息遣いがした。ゲームでは存在感がないし──ある意味あったけど、すぐ死んじゃって物語に関わらないから──こういう物語でお約束の『犯人ばりに怪しいけど、最初に被害にあって死ぬ役』扱いで終わっていた。でも、けっこう人間味があるっぽい。
「えっ」
急に周也が私の腕を取って距離を詰めた。
あ、軽トラックが通っていく。このせまい道で私が車にぶつからないように、田んぼに落ちないように、周也は気を回してくれたんだ。
「急に、ごめん」
「ううん。気をつけてくれて、ありがとう」
ちょっと空気がこそばゆい。初めてのデートをする中学生みたい。
似たようなものかな。私たち、明日、結婚するし。付き合いたての少年少女みたいに距離感を測る段階なんだ……。
私の持っている現代の記憶は二十代後半のものなんだけど、貴子は十八歳だった。初々しさにドギマギしてしまう。
改めて、石段を登っていく周也へ注意を向ける。
体格や背丈は弟の守直と似通っていて、でも守直とは異なる茶色の髪が金色に縁取られて陽に透けている。顔はわからないけど、全体に均整がとれた体格をしている。
そうこうしているうちに、一番上に来た。
「着いたよ。花畑」
「あ……わあ!」
杉林が開けて、一面に彼岸花の群生が広がっていた。びっしりと密集し夕暮れ前の光を浴び、燃え上がっているよう。
その真ん中に、一輪だけ白い彼岸花がある。幻みたい。
「毎年、一輪だけ白い花が咲くんだ」
振り返ると、彼は静かに頷いた。近くで見てもいいみたい。
アルビノなのか品種なのか。私はかつて動画で見た白い孔雀を思い浮かべていた。
白い彼岸花は、赤の中で映える花を左右に広げ悠々と咲き誇っていた。
さく、と花畑に踏み込んできた周也が呟く。
「僕みたいだと思ってきた。形は同じなのに色が抜けていて、この赤の中に混ざれない」
かける言葉が見つからない。
村で神と同じ扱い、人の営みから外された孤独が空気伝いに流れてくるよう。
戸惑っている私の前で、躊躇いもなく白彼岸花が手折られる。
「あ……」
茎を短くしたそれを、周也は私の髪に挿した。
「いいの……? たった一輪なのに」
「君は特別だから、この花が似合う」
「そんな……私、そんな資格ない」
「いいや、あるよ。僕はずっと君を待っていた」
「え……」
疑問に固まる私の前で、周也はお面をずらす。
(素顔は見せられないんじゃなかったの……!?)
「神錆びの巫女と二人きりのときは、外すことが許される」
私の方をまっすぐ向いた周也は、メインヒーローの守直とよく似た──もっと静かで繊細な面立ちの美青年だった。
その美形が、熱っぽく私を見てくる。
「上磨の神主は生涯清らかでいなければならないけれど巫女は──」
「巫女は別?」
「うん……巫女は清らかだから、交わっても汚れない。巫女が選んでくれた時だけ、神主は結婚を許される」
「そうだったんだ……」
「幼い頃に教えられて」
周也の乾いた手のひらが、私の頬を包む。
「ずっと夢に見ていた。そしたら、やってきた君は清らかに気高くて。あの座敷で君が僕を見た一瞬で、君がいいって思った。君が、僕を選んでくれて本当に良かった……」
……いいんだろうか。そんな重い積年の想いを受け取ってしまって。
これまでの人生で思い描き続けてきた唯一妻になれる人、なんて。
目を合わせているとその真剣な想いに吸い込まれてしまいそうだから、私は彼岸花たちに視線を落とす。
──そこで強く抱き締められた。
「急でごめんね。結婚式も……明日にはすることになっているし」
急というなら、この抱擁のほうが急……!
でも、不思議と不快感がない。
夕暮れの肌寒さに周也の体温が心地よい。シャツから香る彼の……杉や白檀みたいな落ち着く匂いですっぽり包まれ、このまま動かず、ずっとこうしていたいと思ってしまう。離れたくない。
さっき垣間見えた彼の孤独に、寄り添ってあげたい、という気持ちは私の中に確かにある。
つい顔を上げて周也を見た。
ああ──彼から目をそらせない。
静かに唇が近づいて、触れた。
やさしい唇の心地と、残照の光のようにおだやかな心持ち。
私にとっては長く感じた、でもたぶん一瞬だった時間が過ぎて。
離れた周也の顔は真っ赤で、照れくさそうにうつむいた。握った私の手はそのままに。
(自分からしたのに照れて……かわいい人? それに……手!)
つい雰囲気でキスしてしまった私も、恥ずかしい。
「僕は、貴子と結婚できるの、嬉しいから」
「う、うん」
はにかんで、彼は続ける。
「もし貴子が他の男を選んでいたら……僕は村長と一族に直訴に行っていたところだ。『どうしても、貴子と夫婦になりたい』って、初めての我儘を言ったはず」
「そ、そんなに……?」
「うん」
「神主がそんな我儘言って、叶うの?」
「さあ……、怒られるんじゃないかな。掟を守らない神主不適合と判断されて消されていたかもしれないね」
「消す……」
「この刀で抵抗するけど、奪われて返り討ちにあって翌日には冷たくなって発見される、とか」
洒落にならない。
この人は、このゲームのルート全てで事実そうなっていた。あれは、村の掟を守らないと一族に……? 自分の家族に?
「そんな……! 掟に従わないってだけで、人を殺しちゃうの」
「僕だけは、人じゃない。村の掟の中で自由に人間を殺して裁断する権利まで貰ってきた。従ううちは敬うけど、外れたら交換するだろう」
「ひどい……」
「村にとっても悲劇だよ。神主を失った神は荒ぶるから、交代が整うまで村の気は乱れる。ちょっとしたことで不審が増幅されたり、みんな疑心暗鬼になったり」
なんだか色々物騒な情報もあったけど、それよりも──
「村が、険悪な雰囲気になる?」
「うん。神主がいないとね。この村は神の機嫌の影響をもろに受けるから」
私は村が炎上することを知っている。
それはもしかして、神主が失われたから? それがこの世界の裏設定?
それなら……私がいれば彼は生き、村は助かるんだろうか。
「日が沈んだ、じき暗くなる」
言って帰りを促す周也と手を繋いで石段を降りる。降りきったところで、私は彼に提案した。
「今夜、周也と一緒にいたい」
「えっ……!?」
夕陽と照れで赤くなったさっきよりももっと、腕まで茹で上がったんじゃというほど赤くなった周也はコクンと小さく頷いた。
朝まで、周也と私の部屋で過ごして確認した。彼は殺されず、死体で発見されることもなかった。
だから、村のしきたりに沿って、昼には私と周也は祝言をあげた。
⁂
夜になってしまった。……これって、今日初夜ってことよね?
お風呂のあと、私は監禁されていた自室と別の部屋に案内された。
襖を開けると、広々した和室で井草の匂いがふわっと香る。
奥に二人分はゆうにある緋色の布団が敷かれており、すでに周也がその上で正座していた。
縁側の向こうの竹林から影が落ちて、チラチラと誘うよう。
成り行きとはいえこんなに綺麗な男の人を夫にしてしまって……これから……するの?
寝具が鮮烈な色をしているから、つい意識してしまう。
「僕の巫女……」
布団に座った私の顎先を、周也は猫をあやすみたいにくすぐった。
勝手に喉が震えて、声が漏れる。
「ん……」
背を撫でる周也の手のひらが、じん、とあたたかい。
「急に式までさせられたんだ。今日は……営みはやめておこう」
「え……」
「君の心がちゃんと、追いついてからでいい。今日は、月でも見よう」
こてっと布団に寝転がり彼は縁側越しの月を仰ぐ。
同じように私も横に寝そべった。
月の光が目元にかかって、世界は少し青白くなる。
目を細めていれば、すぐ横に手が置かれた。
「もしよければ……手だけ、貸してくれる?」
「……うん」
大きな手は、秋の空気に冷えている。火照った今の私の手って周也はどう感じるんだろう。
息を詰まらせる音に周也を見れば、綺麗な薄茶色の目から、涙が伝っている。
「え……周……也?」
「君が温かくて柔らかくて。人ってこうだったな、って」
(泣くほど……!? でも……それほど長く、一人だったのかもしれない)
村でたった一人きりの、白彼岸花の立場。
彼は、私が思う以上に飢えて過ごしてきて、諦めた人だったのかもしれない。
人として、触れ合える人をたったひとり持つ歓びに泣くこの人は、美しくて。
ゾッとするほど、魅せられる。
気持ちに身体が反応して重ねた手に力が篭れば、周也は肩を跳ねさせた。
涙を拭う彼は眉を下げ微笑む。
「僕に『家族』が戻ってくる……ありがとう貴子」
逃げようと思っていたし、そのために選んだだけだったのに。
周也の運命も、気持ちも私に絡め取ってしまった……。
「月明かりが気持ちいいね」
「……うん」
握り合ったままの手で、彼を意識する。
こんな穏やかな瞬間は好きだな。思いながらすぐ寝ついて、夜は静かなまま終わった。
⁂
それから、『妻』となった私に対して、周也の執着は凄まじくなった。
あるいは、結婚前の時間が短かったせいで、単に彼のそういう面を知らなかっただけかもしれない。
弟のストーキングみたいにどこまでも拘束することはないけど、そばにいたがって、なるべく私を人目に晒したがらない。
そしてたまに散歩に出たら──
「……ねえ、あの村人、いま君が道を通るのをわざと塞いだよね?」
「え!? う……ん、どうかな」
狭い村社会だから、ぽっと出戻った町育ちの私が村長一族に迎えられ、丁重に扱われているのをよく思わない人もいる。
ちょっとした意地悪くらいあるだろう。
「……殺そう」
「……っ!? ちょ、ええ!?」
こ……殺……!? 冗談だよね? それくらい私が大事だからっていう喩え──シャラア、と鞘走りの音がして、周也は腰の刀を抜いていた。
「今、首を刎ねてくるから」
驚きで喉がびっくりして咽せそうになった。
私は周也の腕に縋り付く。
「まっ……まって、だめ……!!」
「僕はそれが許されているよ? 神主の妻を邪険にしたんだ。立派な理由だよ」
「だって私の邪魔になっただけで!!」
「『君の邪魔になった』それだけで、罪だよ」
白刃を振るう構えをした周也に、私は彼も立派にこの狂った因習村世界の住人で、どの攻略対象よりヤバいと悟った。
私が大事すぎて、私だけのためにすぐ私刑を決行しようとする断罪の神。
「だめだよ周也、いや! やめて!!」
腰に抱きつけば、彼はぴたりと動きを止めた。
「いやなの?」
「うん」
「君への敬意がない相手なのに?」
「そうとも限らないし、それくらいのことで」
「殺したって、僕は罪に問われないのに?」
「そういう問題じゃない」
彼はもう一度「本当にやめてほしいの?」と確認して、私が強く止めると刀を鞘に収めた。
「じゃ、やめる」
今度はまた急にあっさりな……。
「君が第一だから、君が嫌がることならやめる」
「そ、そう……」
どっと、肩の力が抜けた。私次第でとても危ない人だけど、私だけは止められるんだ。
猿回しみたい。
「貴子、大好き」
さっきまで殺意満々で抜刀していたとは思えない、愛情に満ちた声と笑顔。
ここまで気持ちを向けられて大変だけど、嫌じゃない。
「君にとっては、ゲームなんだろうけど」
「!?」
心臓が跳ねる。
私にこのゲーム外での記憶があるって、バレてる?
「どれほど君だけを見て君のことを考えていると思う? わかるよ。君はこの村よりずっと大きい世界を知っている人だなって、ここは仮初の遊びみたいな場所なんじゃないかって」
周也は完全にゲーム周りのことを理解しているわけじゃない。けれど私が『何か』抱えていることまでは読み取っていたらしい。
「……逃がさない。絶対」
ごくりと唾を飲んだ。それもバレてたのね。たぶん、最初から。
あの熱心な距離の詰め方はそれでか。
「君は、そういう遊びが好きなんだろう?」
好きだわ。
私の抱える記憶は──本性は、こういうハラハラした気持ちを味わいたくて『さび恋』をやっていたんだもの。
「ええ、そうね。だから、私が逃げる気をなくすくらい惹きつけてね」
私がいることで周也が生きがいを持って命を繋いで、結果的に村が平穏であるなら。
私はここに残って彼の手綱を取り続ける、胸に芽生えた愛でもって。
──今日も村は炎上を回避できている。
因習村ゲームがしたすぎて……書いてしまいました!
楽しんでいただけていると、いいな!
よければ評価やリアクションぽち⭐︎よろしくお願いします。
また、へんてこなお話を書きそうです。
その時もお会いできましたら、うれしいです。




