モツケサ・ナッテ・フトサ・スケロ(馬鹿になって人を救え)
地獄とはこういう光景なのだろうか、とレジーナは遊歩道を歩きながら考えていた。
既に高くなりつつある秋空の青と、真っ白な石塊で構成された大地が、まるで切り取られたかのように強烈なコントラストを描いている。
あちこちからもくもくと噴き上がる蒸気は時たま悪魔の腕のように生物的に蠢き、吹き渡る風には絶えず酸っぱいような硫黄の臭いが混じった。
見渡す限りのそこここに観光や巡礼の人々がいるのに、何故か騒がしい感じがせず、全ての音が見えない薄皮一枚向こうにあるかのように遠く感じられた。
人が死に、罪あるものが墜とされるという地獄。
それが現実に存在するというのなら――こういう光景なのだろうか。
「これは――なんというか、寂しい場所だな……」
遊歩道を歩きながら、イロハがぽつりと呟いた。
寂しい。その一言は色んな意味を含んだ言葉に聞こえた。
レジーナはふと想像してみた。
死んだ後、肉体という鎧も脱ぎ去って、裸の魂でこんな荒涼とした風景をさすらう自分の姿を。
いつ来るかわからない終わりを、この石塊だらけの世界で、ぽつねんとたった一人で待ち続ける自分の姿を。
それは永遠の炎で灼かれ続けるという地獄の裁きとは別に、なんだかとても恐ろしいことのように思われた。
「たまげだなぁ、アオモリのオソレザンもほとんど同じだ。ほれ、あそご見れ」
オーリンが遊歩道の脇を指さした。
そこにはうず高く積み上げられた石の山と、カラカラと寂しい音を立てて回る風車が挿してある。
白茶けた石の山にかけられているもの――あれは、赤ん坊のよだれかけだろうか。それも明らかに最近まで使われていた形跡がある。
なんとなくではあるが、この石を積んだ人の事情がわかってしまって、レジーナは思わず立ちすくんでしまった。
「風車を挿すのはオソレザンと一緒だなぁ。有毒ガスが噴いでらはんで、風下さば行がねぇようにっていう配慮でもあるけど、一番は慰霊のためだ」
「慰霊――ですか」
「こごのよんた地獄では、花を供えるどガスでみんなダメになってまるがらの。風車だば腐らないべし。子供も喜ぶべ」
へぇー、考えたものですね……などと感心するのは流石に憚られた。子供が喜ぶ――その言葉がこの石積みの全てを表していた。
生まれてきたはずの命が呆気なく絶えてしまった時、残された人はその哀れな魂に対して何をすべきなのだろう。
ただこうやって石を積み、風車を手向けて冥福を祈るしかないのだろうか。
「人は死んだら御山さ行ぐ――か」
ふと、ぽつりとオーリンが呟いた。
「アオモリでばな、人は誰でも死んだらオソレザンに行ぐって言うんだ。オソレザンさ来れば死んだ人に会える、声ば聞ぐごとができるってさ」
オーリンは荒涼とした風景をぼんやり眺めながら頷いた。
「こうやって石ば積んでさ、その前で死んだ人の名前を呼べば、その人の声が聞こえるってな。こごでもそうなんだべ。誰でも、死んだ人間さ会いでぇって思らさるごとはあるんだびのぉ――」
オーリンはなんだか悟ったような口調でそう説明した。
うず高く積み上げられた石積みを見るだけで、なんだか胸が締め付けられるような気持ちがした。
石積みの前から離れてしばらく、レジーナたちは黙々と歩を進めた。
物見遊山の観光であるはずだからもっと騒いでも良かったはずだが、何故か三人とも、知らず知らずのうちに無言になっていた。
大陸の三大霊場と称されるカワラケ地獄のおのずからの威厳がそうさせるのか、それともそれぞれに死別した誰かとの思い出に浸っていたのか。
いずれにせよ、無言の正体を確かめる気にはなれず、レジーナたちはほぼ無言のまま、カワラケ地獄全体を見渡せる小高い丘の上に来た。
眼下には、ところどころ硫黄の黄色に汚れた大地と、まるで魔女の秘薬のような、鮮やかな青に染まった火山湖が見える。
既に西に傾き始めている太陽の光が白い地面に反射して、なんだかちくちくと目が痛かった。
「凄いですね――本当に。これが地獄――」
「ああ、こったげの奇観は大陸さもながながねぇべな」
「あ、オーリン! あそこにもバヴァヘラ売りがおる!」
突然、イロハが色めき立った声を上げた。
見ると確かに、遊歩道の奥、火山ガスが吹いてこない辺りに見覚えのあるカラフルな日除け傘が立っている。
イロハは待ちきれないというようにオーリンの袖を引いた。
「また買っていこうではないか! 今は小銭の持ち合わせがないのだ! 後で返すから買ってくれ、オーリン!」
「ま、まだ食べるってが……なんと好ぎな奴だのぉ」
「いいから買うのだ! ほらほら早くせよ!」
さっき食べたバヴァヘラがよほど気に入ったらしく、まるで子供そのものの声を上げながら、イロハはオーリンを引っ張っていってしまう。
なんとなくそれについていく気にならなくて、ただその姿を見送った後には、ワサオとレジーナだけが残された。
「ワサオ、ついていかないの?」
レジーナが問うてみると、ワサオは何も答えず、欠伸をひとつしただけだ。
どうせ己の口には入らないものには興味がないタチであるらしく、レジーナの横に伏せてうたた寝を始めた。
一人になると、いよいよ寂しいまでの静けさが際立ってきた。
ただただ砂漠のように何もない大地を風が渡り、名前のわからない鳥がけたたましい声を上げながら空を飛んでゆく。
死んだ人に会える場所、か。
遊歩道脇の手すりに掴まりながら、レジーナはぼんやりと、今までに出会った人々の顔を思い出してみた。
父、母、王都の幼馴染みや友達、ギルドの仲間たち、ベニーランドの人々、オーリンとイロハ――。
殆どが健在でいる中に――一人だけ、遠くに行ってしまった人がいた。
『人間、馬鹿になって人を救わなきゃダメだよ、レジーナ』――。
ふと、なんだか懐かしい声を聞いたような気がした。
小さい頃のレジーナの手を引き、よく散歩に連れ出してくれた祖母の声だった。
『おばあちゃんはね、これまでに何人も何人も怪我した人を治してきたの。お金がほしかったわけじゃないの。ただ、痛いのが治って喜ぶ人の顔が見たかったんだよ』
亡くなってずいぶんになるレジーナの祖母は、王都の下町ではかなり名の知られた癒やし手――つまり、回復術士だった。
生まれ持った【回復術】のスキルを使って、半世紀以上も現役で、病み、傷ついた人々を癒やし、見守ってきた祖母。
祖母は王都の片隅に小さな施療院を持ってはいたが、やってくる患者の数に比例せず、その暮らしはいつも質素なものだった。
祖母は本当に分け隔てなく人を癒やし、治療費どころか今日の食事代もない人々をも暖かく迎え入れ、対価を受け取らないことさえざらだった。
決して驕らず、決して貪らず、決して人を見捨てなかった、優しく強い祖母の存在は、レジーナにとっては誇りそのものだった。
祖母はその日の治療がすべて終わると、まだ小さかったレジーナの手を引き、下町に散歩に出た。
活気ある人々の営みを愛おしいもののように見つめながら、祖母はいつもいつも同じことをレジーナに言い聞かせた。
『レジーナも大人になったら、きっと人を助けられる人におなりよ。それはスキルや技術の話じゃない、心のことさ。馬鹿になって意地を張って、それでも人のために尽くすこと、それだけが人間がこの世に生まれてくる意味というものなんだよ。ねぇレジーナ、約束だよ。きっと心優しい人におなり――』
「おばあちゃん……」
何だか、祖母のことがとても懐かしく思えた。
自分も偉大だった祖母の後を追い、回復術士を目指しては見たものの、十五歳で見出された自分のスキルは、回復術とは全く関係ない【通訳】のスキル。
根本的に回復術士としての才能がないと突きつけられてしまった後も、それでも諦めずに自分の夢を追えたのは、祖母の言葉があったからだった。
馬鹿になって意地を張って、それでも人のために尽くす人になること――才能がなくても、意地を張ることぐらいは自分にだって出来るはずだ、そう思い定めて走り続けた五年間。
いまだに、なんとかその端くれに齧りつくのが関の山の自分ではあるけれど、それでも祖母と同じ職業であり続けられていることは、レジーナにとっては誇らしいことだった。
再び、地獄に風が吹いた。
不意に――ぽろりと、涙がこぼれた。
会いたいなぁ。思わず、声を出さずにそう呟いてみる。
もう一度、もう一度だけでいい、あの皺だらけの手をつないでほしい、笑いかけてほしい、話しかけてほしい。
そう思うと、どうしようもなく悲しい気持ちになってきて、レジーナはぐすっと洟を啜った。
オーリンとイロハがここにいなくてよかった。いたら、きっと心配させてしまっただろうな――。
そんな事を考えていたときだった。「あらあら、ちょっとあなた!」というやかましい声が聞こえて、レジーナははっとそちらを見た。
如何にもおせっかいでござい、というような小太りのおばさんが、びっくりしたような表情で立っていた。
え? 誰? と思わずポカンとしてしまうと、おばさんは眉間に皺を寄せてずいずいと近づいてきた。
「あらまーこんな酷い顔になって! ちょっとあなた、あなた今泣いてたでしょう!?」
「え、ええ……?」
「当然だよ、ここに来る人はみんな死に別れた人の声が聞きたくてここに来るんだから! あなた、会いたい人がいるならぼーっとしてちゃダメじゃないの。さぁ、こんなところで泣いてないで、さっさと会いに行きな!」
「は、はぁ? 会いに行くってどこへ……?」
「何を言ってんだよ、イタコ様のところさ! 知らないわけないだろう!」
はぁ、イタコ――?
不思議な語感の言葉にレジーナが思わずオウム返しをすると、小太りのおばさんが「やだ、本当に知らないの?」と顔をしかめた。
「物凄い力を持った旅の巫女様だよ! 今ちょうどカワラケ地獄にいるんだ。ちょっとアンタ、知らないなら運がよかったよ! 偶然会えるような人じゃないんだからね! さぁ、私についてきな、イタコ様に会わせたげるから!」
一方的にまくし立てて、おばさんはガッとレジーナの左手首を掴んだ。
「え? あ、ちょっと……!」と抵抗するも、この体重差と勢いでは逆らうことなど到底無理だった。
二、三歩たたらを踏んだレジーナにも構わず、おばさんはレジーナを引きずって遊歩道を奥へ奥へと歩き始めた。
◆
カワラケ地獄の奥に引きずられてやってくると、小高い丘の上に黒山の人だかりがあった。
岩の上に祀られた小さな小さなお宮の前の人垣の中から、じゃらっ、じゃらっという奇妙な音が聞こえ続けている。
こんな場所に人だかり――? レジーナが奇妙に思っていると、小太りのおばさんは「ほら、イタコ様はここだよ」と欠けた歯を覗かせて笑った。
「凄い人ですね――これみんな、信者さんたちですか?」
「信者ってわけじゃないさ。みんなイタコ様に相談をしに来たってだけの人だよ」
「この人たち全員、ですか……」
「そうさ、もう大陸中に名声が轟いてるからねぇ。さ、お喋りはおしまいだ。口寄せが始まるよ――」
おばさんはそう言って、手を組んで瞑目してしまった。
少し興味が湧いて、レジーナは背伸びをしたり顔を左右に振ったり、なんとか人垣の中にいる人を覗き込もうとした。
と――そのとき、しくしくというすすり泣きの声が人垣の中から聞こえた。
同時に、人垣が少しだけ左右に別れ、レジーナはするりとその中に入り込むことが出来た。
中にいた人――白茶けた地面に茣蓙を引き、正座しているすらりとした背筋を見たレジーナは、あっと声を上げた。
そのどぎつい金髪と、染めきれていない、まるでプリンのような黒髮に見覚えがあった。
本日だけで三回目の邂逅となる、不思議な女性。
この人は――さっきバヴァヘラ売りのところにいた、あの女性だった。
「たげおもしぇ」
「続きば気になる」
「超・占事略決」
そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ(★★★★★)がら評価お願いするでばす。
まんつよろすぐお願いするす。





