天岩戸に紐解かれし黒歴史
寺から帰ったらイビキをかいているアーサーが玄関に転がっていた。亀甲縛りで寝苦しそうに呻いている。その体勢でよくも眠れるものだ。ジャックの方は台所の前で両手を伸ばし土下座するようなコンパクトな姿になってて、あれは寝てるのだろうか。アーサーを解放してジャックはユアンが横に転がして、上に掛け物をかけ直してやる。
そして迎えた翌日はユアンを除いて軒並み二日酔いという駄目な大人を体現した朝を迎えた。
昼の方が近い朝食を済ませた後、私は誰もテーブルから離れない内に「改まって話がある」と告げた。額を押えて青白いアーサーと胃を押えるジャックと何ともなさそうなユアンを前に、私は眩暈に耐えながら真剣に告げた。
「私、人間じゃないと思う」
声が震えた。テーブルの下でズボンを握り締めても手の震えが止まらない。酒の力を借りたからってよくも確かめに行けたものだ。
地底にきてから付きまとう泥。怪しいと目星をつけていた寺に行けば案の定人外は接触してきた。名前を知られていた。周囲の人間まで把握されていた。
悪霊が思わせぶりなことを言って嘲笑っているだけかもしれない。でも土地神を形成している部品とやらが死体をかき集めたものだとすれば、そう、例えば地表からだってそれは持ってこれるはずだ。地表と地底が唯一共有している部分は地球の地盤なんだから。
私は物理的に落下してここに来たんじゃない。ぬかるみに足を取られたみたいな感覚がして、夢の中にいるみたいに非現実的で、よく分らない内に気付けばアーサーの前に投げ出されていた。私は死体じゃなかった。死んだことに気付けていないなんてことはないはずだ。でも、それなら私はどうやって地底に来たかと言われれば…………そんなの、科学者や魔法使いでもないのに分かるわけがない。ヘドロが形をなくして溶けていくのを見た時、帰れるかもしれない興奮と非日常で麻痺した神経で恐怖は無かった。この場を過ぎれば関係の無い超自然的な出来事だと思っていたから。
でも私がアレと同じ存在かもしれないって想像したら。
泥人形、私が?
そんなわけない。空腹感はある。水を浴びたって溶けなかった。感情だってある。首に手を当てれば拍動を感じる。生きてる。それなのに昨日からずっと吐き気が止まらない。
椅子を少し引く音が鳴って息が止まる。ゆっくり顔を上げると誰の顔もこちらには向いてなくて、三人は後ろを向いて顔を寄せ合っていた。
「異世界から来た、実は女、こう見えて大人ときて、次は人間じゃないって……設定過多じゃね?」
「そういうお年頃かも」
ガチン、と歯が噛み合う音が力強く鳴る。
「設定っていうか一部はまあ。君達って本当に鈍いよね」
「鈍い自覚はある。でも人目には敏感」
「それはそうと昨日の夜にアーサーのドッペルゲンガーを見たんだが」
「何その死亡予告。俺また死にそうなの? 生身の連中でも持て余してんのに怪奇現象まで追加してくるのマジでやめて」
「影武者出現で逆に被害分散」
「最高じゃねえか!?」
口角がひくつく。
テーブルを軽く掌で叩いて視線を集めた。
「せ、設定とかじゃなくて真剣に言うけどね? 私が異世界から来たっていうのは本当だし、私は先日二十七歳になった性別女なの。私が人間じゃないかもって思った理由はちゃんとあって」
私が地表から来てここは地底だということ。異世界に来た時の状況。囮捜査の時に会ったヘドロの存在と言動。幽霊と聞こえた声。泥のこと。地術なんて無いこと。寺での出来事。接触してきた人外が話した土地神について。私が不安になっていった点を自分なりに順序立てて必死に説明する間、一言も挟むことなく三人は静聴した。
そして私がそれ以上何をどういえば、すれば良いのか分からずに口籠るとアーサーは頷いて腕を解き、自分の胸に手を当てた。
「まあ分かる。ロッカの年頃だと人と違う部分を感じて、もしかすると自分は特別なのかもとか思ったりするもんなんだよな。俺も昔、人に異常に粘着され褒め称え奪い合われるのは人知を超えた何か、そう、美神の生まれ変わりだからかもしれないと思い悩んだ時期があった。そして家族にそれを相談したばかりに妹に言い触らされ、美神として崇め奉られだした数年後の十七の夜、死のうと思った」
ジャックは重々しく頷いて「生きてて良かった」とのたまう。
「他人に漏れるってのは割ときついな」
「おいおい、どうせなら黒歴史言っちまえよ。若かりし頃のやつだし、もう笑い話になるだろ」
「ユアンは全身に黒歴史装備中」
「そういやそうか」
「僕のこれは身を隠すために考え尽くされた最良の判断だろうが!」
「みんなから評判悪い。ローブ止めて欲しい」
「いやジャック、多分そっちより仮面の方が問題……」
笑っていたアーサーの肩が跳ねる。
「あっ、ヤバい。そろそろ止めないとロッカが思いっきりむくれて」
私は立ち上がってカーテンに向かい、外出鞄と寝具セットを小脇に抱えてテーブルに向き直る。
「人が真剣に打ち明けてるのに設定とか言いやがって、家出してやるー!!」
扉を勢いよく開け放って足元にいたストーカーを蹴り飛ばし私は猛ダッシュで家から飛び出した。
「で、何故」
一畳分の物置きを整理して寝床を確保しながら、わずかに持ってこれた私物を棚の隙間に並べる。
「僕の家にいるんだ。そしていつも鍵が閉まってるのに何処から侵入してやがるんだ」
仮面が物置きの外から見下ろしてくるので、物置きの扉を閉める。
前から掃除しながら買った服とか研磨した眼鏡レンズ候補コレクションをこっそり並べてる勝手知ったる私の別荘地。物置きの細い窓に立て掛けられていた板をはずせば狭い空間に清涼な空気と明るい光を取り入れられて程良い環境となる。
扉が勢いよく開かれた。
「無視出来る立場かー!?」
ぶすくれたまんま扉を指す。
「扉の前に表札つけといたでしょ。ここは今私の占領下にあるの」
「表札ってのはまさかコレか」
扉から紙をはずして凄むユアンを蹴りだして今度こそ扉を固く閉ざす。
私が立て篭もる物置きの外でテスラの説教が聞こえてくる。
「もう、王子は自分も闇が深いくせにどうして子供に理解が無いの? こういうジャンルは茶化したりしちゃ駄目なのよ」
プリプリと怒るテスラに「すみませんでした」としおらしく謝るアーサー。
「人は誰しも黒歴史を築いてゆくの。私だってみんながドン引きするような青春を謳歌しているし、いつか思い返したらアイタタタて思うかもしれないわ。でもそれで良いの。だって今凄く楽しいんだから。王子はもっと子供の心に配慮して大人の包容力を身につけて欲しいわ! それでジャックはもっとシュンとして!」
「シュンの顔…………」
顔面不器用のジャックが新たなお題に戸惑い悩みだす。
テスラがいることで家主の気配がまったくしなくなっている。別の部屋に退避したのか自宅から脱出したのかは知らないけど、物置きの外にいるのはアーサー、ジャック、テスラの三人のようだ。
「はあ。でも立て篭もっちゃったんなら仕方ないわ。こういう時はソッとしてあげるのが一番良いの。そして出てきた時には何事もなかったようにいつも通り接して迎え入れてあげるのよ。じゃないとロッカ君ぐれちゃうかもしれないんだから」
テスラ……言ってることはおおむね良いと思うけど、そういう相談を本人に聞こえる位置でやったら台無しなんだわ。巧妙な精神攻撃なのかお子様だからなのか特に追及はしないけど、少なくとも中学生くらいの子に駄目だしされている大人のなんと情けないことか。
所詮私も情けない大人の一人だけれど。
「ロッカ」
ジャックがノックをして扉越しに語り掛けてくる。
「俺も昔、人から忌み嫌われるのは自分の親が本物じゃなくて、魔界から召喚された魔族だからだって十年くらい信じてた」
黒歴史長いな。
「でも角生えてこなかった」
「お前も結構痛々しいな」
アーサーのツッコミにジャックがボソッと返す。
「美神よりマシだし」
「俺が悪かったから傷の抉り合いだけは止めとこうぜ、ジャック……」
このまま仲間割れを始めるのかと思ったら、ジャックは気を取り直してノックしてくる。
「もしかしたらって思ってた間、俺も心細かったりしたのに、ごめん」
「ジャッ……」
私は胸がいっぱいになり取ってに手をかけた向こうでジャックは尚も言葉を重ねた。
「だからお昼ご飯」
少し間を開けて私は扉を薄く開けた。「おお」と歓声が上がったのを聞きながら床に紙切れを置いて再び扉は閉じる。
「なんだ、手紙か?」
紙を拾った音がする。テスラが「ジャック、ロッカ君なんて?」と聞いたのでジャックが音読した。
「トイレの紙十セット、釜戸の燃料二千円分、水十リットル、小麦粉一袋、卵は夕方からタイムセール、昼食は作らん」
外が静かになった。
その後、商店街に行きたくないアーサーとジャックによる壮絶な押し付け合いが繰り広げられていようと私の知ったことではない。
物置きの外でテスラが「いらっしゃいませー」と人を招き入れる声がする。
「あれ、仮面はいないのか?」
エベリンだった。
「仮面さんは私を見て逃げた。ジャックと王子は長期戦になりそうだからお買い物に行って私はお留守番」
「よくこんな不気味なところによその子を一人で置いていったな」
「さっきロッカ君がジュース出してくれたし、私ここ慣れたから平気だよ」
「閉じ篭ってるって聞いたんだが」
「お腹すいたって言ったら、さっきオヤツも作ってくれたよ。パンの耳で」
「よ、良かったな」
「トイレも行ってたよ」
「固く閉ざされてるはずの扉気軽に開きまくりじゃねえか」
焼いてカリカリにしたパンの耳からバターの香りが漂い齧れば砂糖と混ざり合って舌に広がる。オヤツというか時々うちで主食になってる節約食だ。携帯もしやすいし主に昼食になっている。
「怒らせたから取り成して欲しいってジャックに頼まれたんだが、ロッカの機嫌どれくらい悪いんだ?」
「ん、もひょへひひょ」
サクサクとパンの耳を齧るテスラにエベリンが「やっぱりいい、本人に聞くわ」と近づいてきた。扉を挟んだところで声がする。
「ロッカ、お前大人げないぞ。日頃あれだけ俺達のことをお子様とか言っておきながら」
パンの耳をチマチマ齧る手を止める。
「うちの野郎共も何かあったらすぐ引き篭もるけど歴とした大人です」
「お前は間違ってる。あれは参考にしちゃ駄目な大人だ。設定を茶化したとか聞いたけど詳しくは聞かれたくないだろうから止めておいた。確かに人から指摘されたり馬鹿にされると結構堪えるよな。流石のロッカでも引き篭もるくらい傷付くのも仕方ないと思う」
「そもそも設定じゃないと」
「俺もどう慰めればいいのか考えたが、俺の黒歴史について告白して痛みを分かち合うしかないという結論に達した。人は誰しも闇を抱えていることが分かれば出てきやすいだろうしな」
「そんな身を切る思いで暴露話しにこなくても、悪いけど今回そういう趣旨で引き籠ってるんじゃないんだって」
「言い訳を重ねると後で苦しむだけだ! いいか、聞け。俺は父を尊敬していた。しかもつい最近までだ」
「いや、何も父親を黒歴史と呼ばなくても。迷惑な男だけども」
自虐的なエベリンの黒歴史に思わずフォローと本音が出る。しかしエベリンはいかに父親をカッコいいと思っていたか、悪を許さない熱血警官を目指していたかを熱く語っていく。親の仕事を見学したことがないから私も父さんは職場ではどんな風だったのかついぞ知らないままになってしまった。大体の人はそんなものだと思う。
「だが父は未熟な警官だった。なのに俺は父の言葉を真に受けてジャックを魔族か大悪党とでも思いこんで勘違いも甚だしい正義感を振るおうとしたことすらあった」
「それはもう謝ってくれたしジャック気にしてないし、本人も自分のこと魔族だと思ってたみたいだし、なにもそこまで自分を追い詰めなくても」
「いいや、自分がいかに盲目だったかを思い知った。父の部屋にある魔族大全集を読みながら、いつか出合い頭に滅してやろうと光術の修行をした数か月前までの日々を恥じた」
それは恥ずかしいな。しかもつい最近までやってたのか。
「でもエベリンがやれる光術、一瞬光らせるやつだけなの。一番簡単なやつ」
あれだけか。
「俺はこの黒歴史を胸に刻んでこの町の秩序と平和を守り警察を正しい義の組織に変えていくぞ! 親父が歪んでいるなら正すのが息子たる俺の使命であるはずだ」
「エベリン、カッコいいわ! でも私はエベリンのパパ面白いからそのままでもネタ的に好きよ!」
「お袋と同じこと言うのは止めろ! いいかロッカ、黒歴史だって自分を形成する礎の一つなんだ。前に進むための踏み絵かもしれない。試練、いや宿命の方がカッコいいか。とにかくその痛みを越えてこそ男が上がるというものだ。そうだろう、ロッカ!?」
私は物置きで頭を抱える。
そしてテスラと同じ手を使うことにした。物置きから出た私をエベリンが「分かってくれたのか!」と迎え入れようとしてくれたが腕を躱して早足で台所に向かう。砂糖パンの残りを袋に詰めてエベリンに握り込ませ、テスラとエベリンの背中を押して家の外に誘導して静かに扉を閉める。
外で扉を叩きながらエベリンが猛抗議をしているのを背に、物置きに帰って小さな窓際にもたれかかる。
「扉が閉まってたから、こっから失礼するぜ」
背後の細い窓から手を振るセバリー。
「なんか黒歴史を暴かれてロッカが珍しく心を閉ざしてるって聞いたんだが、表にいたエベリンから察するに重症のようだな。まあ内容が内容だしな。自分は神だって言いながら走り出したとか」
窓際の壁からずり下がりながら頭を引っ込める。もう情報が錯綜し始めている。
「最近妙に沈んでるなあとは思ってたけど、そういうことだったのな。でもそういう設定って心の中でやるもんだし害は無いんだから暴いてからかうことねえよなあ。まあまあ他人に知られたら死にたくなることの一つや二つ誰にでもあるって。俺の闇に葬り去ってるやつも教えてやるから自殺は思いとどまれ。でも絶対他の奴に言うなよ。絶対だからな」
「そこまで身を切ってまで慰めようとしてくれるのは嬉しいんだけど全体的に偽情報だから、落ち着いて考え事が出来るようちょっと放っておいてはくれまいか」
「せっかく覚悟して懺悔しに来てるんだから照れ隠しはよせよ。ふー、あのな、俺テスラが好きだったことがあって」
ああ、はいはい。気を引くために意地悪しただか、カッコつけて失敗しただとかそういうアレね。
「ほら、あいつ男同士の禁断の恋とか大好きじゃん。だから楽しませたくて良い物見せてやるっつって、寝てる奴にキスしたことあるんだ」
私は振り返って膝立ちで窓から目を覗かせて口元に拳を当てセバリーを見上げる。こっちに顔を向けないままセバリーは沈黙した。
「ちなみに相手って」
「それだけは言わねえよ」
即答だった。
「つまり、被害者はエベリンかケトレってことか」
沈黙の後、セバリーがダッシュで逃げ出した。
「コンコンコン、ロッカ君いますか。ネリだよ」
窓を板で塞ぐ前に新手が現れてしまった。溜息をついて窓の前で頭を垂れる。
「あのさ、ネリ。悪いんだけど一人になりたいから何も言わずにソッとしておいて欲しいんだけど」
「ロッカ君、またあの土地神様のお寺行ったんだってね」
強制シャットアウトをしようと板で塞ぎかけた手を止める。ネリが周りを気にしながら小さい声で早口にまくしたてる。
「ネリ、あの後にお寺の由来聞いてたの。そしたらあそこは土地神様のとこだから、無闇に入ると土の下に連れてかれるから行っちゃ駄目だって。あそこの幽霊、きっと土地神様への生け贄を探してたんだよ。ロッカ君は目を付けられて取り憑かれちゃってるんだ。このままじゃ神隠しに遭うぞってお婆ちゃんが言ってたの」
窓に張り付いたネリが息を吹きかけて「魔除けだから、この印を覚えると良いんだよ」と図解しながら言ってくる。
「土地神様の御使い様は人に紛れてるっていうから連れて行かれないようにネリお守り作ったの。お婆ちゃんに習った古代のお呪いでね、これあげるから肌身離さず持っててね」
開いていた窓のわずかな隙間から不気味なてるてる坊主が落ちてくる。
ああ。
窓を挟んだこの女の子は果たして本物だろうか。元々こういうことが好きな子なんだから行動におかしさは見受けられない。
「ネリ、お婆ちゃんが教えてくれた話、詳しく教えてくれる?」
「怖いかもしれないけど気をつけなきゃいけないもんね。うん、ネリ全部思い出してみる」
地震や噴火という大地の災いを封じ込めるという守り神は、人が死後土に還ることから死神としての顔も持つらしい。その死神が時々死期が近づいた人間を神隠しに遭わせて連れ去ることがあるのを心配しているという話だった。御使いを作るために生きた人間を材料としてリサイクルするらしい。そして死者の顔を持つ御使いは知り合いと出くわさないよう遠い地で解き放たれ、災いがくるまで人に紛れて暮らしているのだと。だけど半分死んでいるから人間らしくなく浮世離れしており、どれだけ調べても家族のような痕跡が見つからないから昔はなんとなく分かったものだと言っていたそうだ。
「それでね、ネリはピンときたの。消えた人がどうなるかみんなどうして知ってるのって」
確かに、怖い話でも以後誰もその人を見た者はいないって終わり方をするのに、その人の体験談を本当にあったらしいんだけどと話してしまうパターンと同じだ。
「そしたらお婆ちゃん御使い様に実際に会ったことがあるんだって」
「え」
「伝承なんかで聞くのと違って凄く普通っぽかったって。でもそれは稀で、まだ生命力が強くてほとんど生きている人間を御使いとして作り変えてしまったからなんだって。土地神様って死にそうな人を連れ去るんだけど待ちきれなくて早目に引きずり込むこともあるらしいんだよ。そのせいで土地神様の意思が十分反映せずに元の人格が残る配分が多過ぎて、そういうことになるらしいよ。それでね、お婆ちゃんが会ったみたいな御使い様が時々現れるから色々と知ることが出来たんだってさ」
神の意志を反映せずに彷徨う死体。アーサーもどきが接触してきたのはそういうことを想定してのことか。次に噴火する穴を塞ぐのが私だって、泥人形としての役目を果たせって念押しするための。
「御使い様がね、人間だった時の記憶のままに振舞うから遠い地の文化が広まって普及したりもするんだって。もしくは文化のバランスをとるために土地神様がわざと作り損なうのかもしれないってお爺ちゃんは言ってたよ。その故事から、まったく新しい文化や新しい技術が生まれた時に土地神が来たって言うんだよ。ネリ、インテリだから頭良いでしょ。あれ? なんの話してたんだっけ」
記憶が飛んでいるつもりは無かった。でもこの世界に来る前に目の前が真っ白になっていた。そこからすぐだと思っていた記憶が実は途切れた部分の繋ぎ合せだとしたら。
窓に額をつける。
ネリが不安そうに私の顔を見上げてくる。
「ごめんね。やっぱりロッカ君でも怖かった? でもジャックは顔が怖いし、仮面の変態さんいるだけで怖いし、私の魔除けもついてるから連れて行かれないようにすれば大丈夫だよ。さすがに土地神様もわざわざ狙わないよ」
「そうだね、ありがとう」
あちらの世界に帰してくれるんなら願ったり叶ったりだよ。
でもそうじゃないんでしょ。
私はもう遠い地に連れてこられたんだもの。
静かになった空間で記憶を辿っていた。死にかけで連れてこられるって結構特殊だ。ベッドの上から消えるわけないんだから土地神とやらが触れられるような土の上にいたんだろう。森の中で遭難でもしてたんだろうか。それとも何処かで倒れたとか。救急車に運ばれる前に消えた? 病気なんて持ってなかったはずなのに。
ぼんやり途方にくれていたら、玄関の方から鍵を回す音がした。ユアンがやっと帰ってきたのかな。
部屋をゆっくりと歩きながら物置きの前で立ち止まる気配。
扉がノックされる。
「あらロッカちゃん。こんな所でお籠りしてるの?」
驚いて扉を凝視する。
「え、メリーさん? なに、だって鍵開けて入ってきたのに」
「鍵は託されたのよ。何か黒歴史の大喜利やってるとかで」
事実と完全に違ってきた。
「強く逞しいロッカちゃんが心を閉ざすだなんてどうしちゃったの? 私は別に黒歴史なんて無い、というか普通人に言うのもためらわれて知られようものなら首を吊るか穴を掘って入った後にお金払ってでも生き埋めにしてくださいってお願いするようなもののことだろうから、それを披露するだなんてありえないと思うのだけれどぉ」
メリー、そこまでするような闇を抱えてるのか。
「そんなことよりねぇ、ジャック君が久しぶりにバイトに来たから例のアレを手に入れてきて欲しいってお願いしてるのに無理だって言うのよお? やっぱりこの依頼はロッカちゃんじゃなきゃ駄目みたいなの。やってくれないかしらー」
「そういう気分じゃないんだ。しばらく何も手につきそうに無いし」
少し間があいて、メリーは溜め息をつくと間延びした口調を控えて真面目な声で話しかけてきた。
「何に悩んでるのかは分からない。考えることは大事。でもこんな所で閉じ籠ってる間に時はどんどん無駄に過ぎていくわ。働かざる者にお金は降ってわいたりしないでしょ。こうしている間にも」
メリーは恐ろしい一言を放つ。
「定期納入の顧客が離れて戻ってこなくなるわよ」
私は黙って部屋から出てきてメリーの前で膝から崩れて項垂れた。
「一度離れた客がまた戻って来るなんて甘い考えで営業が務まると思っちゃ駄目。大事な商売相手のロッカちゃんだから特別に指摘しにきてあげたのよ? 貸し借りを長引かせるのも無粋なことだし、ロッカちゃんカーペンター様の例の品の入手、依頼するから絶対にお願いねー?」
一体、こんな仕打ちを受けるだけのどんな罪を私が犯したっていうのさ。
世界が、世界が憎い……。
例の物を横流しする約束を取り付けられながらメリーにお帰りいただくと既に外は薄暗かった。室内に戻ってランプに火を入れる。アーサーの家に避難でもしてるであろうユアンがいないのをいい事にベッドを占領して枕を抱いて丸くなった。酒のせいで痛かった頭も吐き気がなくなって眠気がきて瞼が落ち始めた。
まだ眠ってないはずなのに遠くで子供が泣いてる声がする。
ああ、でも眠ったのかも。
体がフワフワする。
記憶が呼び起こされる。中にいるのは頬を膨らませた子供の私。扉はつっかえ棒で閉じている。物置きで泣いて拗ねてるんだ。
しばらくすると後ろの小さな窓から「ぐぬぬ」と声がして驚いて振り返ると小さな窓から無理やり入ろうとしている兄がいた。まさかそんなところから侵入してくると思わず慌てている間に兄は物置きの棚や天井の縁をつかんで、その辺を足場にして全身を現した。体重なんて支えられない棚の板が割れる音。床に飛び降りると狭い所だ、逃げ場が無い。後退ろうにも迫って来る兄。
廊下に出て私の両手をつかんで空中にぶら下げた兄が「猛獣確保おおおお!」と叫ぶ。足をばたつかせて怒り喚く私の前で弟が泣きながら両手に分裂した私の宝物を持ってる。
「ごめんなさああああい!」
うわああああっとなんでも泣けば許されると思ってる弟がどんどん大きな声で泣くから、私も大声で負けじと泣くの。
懐かしい夢だ。
目を開くとユアンが買い物袋を片手に私を見下ろしていた。もそもそと起き上がってボンヤリと仮面を見上げる。
「おかえり」
「物置きに飽き足らず僕のベッドまで占領する神経を疑う。というか危機感を疑う」
抱き締めていた枕を見下ろす。
「大丈夫、まだ加齢臭はしてなかった」
「いつも通りの君に怒れば良いのか、安心すれば良いのか」
「今日ここで寝る」
「怒れば良いんだな!」
ブリブリ怒りながら台所に荷物を置きに行くユアンが喚く。
「機嫌が直ったんなら送ってやるから自分の住処に帰って寝ろ! 何が悲しくて僕は自分の家に帰れずに一日過ごさなきゃいけなかったのかと」
ベッドから降りて台所に向かう。頭がまだボンヤリしたまんま袋から出される南瓜を手に取って眺める。何作るんだろう。
「今日は帰りたくないの。駄目?」
ユアンの手からジャガイモ達がこぼれ落ちて床を転がっていく。
「別にここで住むとまでは言ってないし、明日には帰る。本当にベッド奪う気はないし、元々寝床グッズ持って家出したから自分の座布団で寝るから。なんなら気にせずエロ本とか見てていいし」
「見れるかっ! い、いや見ないしっ!」
何か言いたそうにもがいた後、ユアンは帰るつもりがないのを見てとり、諦めてそっぽを向いて特大の溜め息をついた。
「一日だけだからな。ベッドは使っていいけど余計なところは絶対探るなよ」
「いいのに。だってユアン何処で寝るの?」
「寝袋持って行ってコレクション部屋で寝る」
ローブを捕まえる。
軽食で済ませた後に少し空腹感を感じながらベッドの端に寄って下の寝袋を見下ろす。仮面を被った芋虫が仰向けになってるみたいな感じ。トイレに行くために残されたランプが薄っすらと仄かな光を放つだけの部屋、分かるシルエットはユアンの寝袋とベッドとランプを置いている棚、後は部屋の扉くらい。
「そういえば今日は色んな黒歴史を聞いたけどユアンのだけ聞いてなかったな。話してくんないの?」
「バラす意味が分からん。というかあっち向いて寝ろ。こっち覗くな」
「ああ、なるほど私が先に話せと。うーん、あ、兄弟で私だけ女だからって理由で門限が早かったのにムカついて中学生の頃に一時期自分のこと俺って言ってた」
「話を聞け!」
「これでは物足りないと。じゃあ、小学校でノートに片思いの男の子の似顔絵描いたまま提出しちゃって先生から矢印で牧野君って当てられたのとかは? ページ開いた瞬間破り捨てるレベルで恥ずかしかったけど。うーんと、じゃあねぇ」
「話すまで止めない流れかコレは。君は本当に執拗だからな……」
しばらく部屋の中ではランプの炎が作る光の波だけが動いていた。夜の光を眼鏡無しで見ると丸に見えるんだけど、炎はその丸が揺らめいて生きてるみたいに形を崩す。外では虫の鳴き声も聞こえていたけど、車の音も冷蔵庫の音なんかも当然聞こえない。耳鳴りがしてきそうなシーンとした間が怖い。狭い部屋で寝ることにいつも不満を感じていなかった。理由がある。寝息やイビキがこの耳鳴りを消してくれるからだ。
一人暮らし、多分向いてないだろうな。
ユアンがボソボソと語りだした。
「僕はこう見えても十六までは若様って呼ばれてたんだ」
「あはははは、それは確かに黒歴史だわ」
「まだ導入すら終わっとらん! 僕は有体に言えばお坊ちゃんだったんだっ」
あんまりな内容に即反応してしまったら芋虫が上半身を起こして左右に揺れながら怒り出す。そうか、でも確かに。目線を部屋に向ける。
アーサーの家と違って少し大きい、収入に見合わない持ち家だとは思っていた。例え家を自力で作ったとしても土地まではお金が無くてはどうにもならない。
「宗家の跡取りになるはずだったのが今じゃこれだ。あの頃の僕は世界が自分を中心に回っていると本気で思っていた。周りはみんな愚鈍で愚図で跡目に名乗り出てきても争う余地なんて無いと信じて疑わないくらい傲慢だったんだ」
「へぇ」
「誰もがそう思ってると過信して見下してきた。劇物を顔にぶっかけられるまではな」
寝袋から上半身を起こしてユアンがこちらを向いて仮面をはずした。ランプを背にしたユアンのシルエットが光るだけで姿は全く見えない。
「走ってきて振り上げられた瓶の中身は誰が見ても滅茶苦茶危険な物だって分かってたのに、僕を助けようと、取り押さえようとした奴は誰もいなかった。顔が焼けるように熱くて、両手でとにかく目を押えてた。掌も溶けたが、まあ右手に少し跡が残るくらいでほとんど治ったな。取り押さえられるまでの間に従兄は散々僕を罵ってくれたよ。醜い化け物だ、いい面構えになったな、ざまあみろ、そんな顔で当主の座になどつけまい。今日から貴様の顔を見た者はあまりの醜さに蔑みと嫌悪と憐憫で顔を歪めることだろう、ってな」
仮面を元に戻して別の方を向くユアン。
「包帯を巻いて激痛と人目に怯える内に部屋から出られなくなった。それでもプライドでなんとか勉強だけは続けたけど、家庭教師には見切りをつけられて辞職された。新しい人間を雇う勇気なんて出なくて途中からは独学になった。その内、骨肉争いが激化して、落ちぶれきってる僕なんて誰も気にしなくなった。腫れ物に触るような周りの態度に耐えきれなくなった僕は十九でやっと家を出た。誰にも止められることはない。落胆したよ。そこでまだ僕は認めてくれている者が一人でもいて、引き留められることを期待してたのだと、未練がましい自分に死にたくなった。傑物と思い上がりまくった子供時代を過ごして落ちぶれていった。その現在が今の僕」
言い切ると、ユアンは寝袋にまたモゾモゾと戻って横になった。
なんというか。
「それガチのやつ」
「だから言いたくなかったんだよ!!」
「ごめん……途中で止めれば良かった。ユアン、そういう話いつも絶対したがらないのに珍しく話すから。ちょっとした今では笑える話で良かったのに」
芋虫が横を向いて仮面が見えなくなる。
「ロッカが化け物化け物って煩いから世間がどういうものを化け物って呼ぶか教えてやったんだよ。ここまで身を切ってやったんだから、悪霊の気まぐれで信憑性も無い適当な発言にかかずらってないで寝ろよな。いつも他人にどう言われようが魑魅魍魎が現れようが全く意に介さないくせに、神話みたいな話を真に受けるなんて馬鹿じゃないのか」
そんな話を振られると思ってなかったから苦虫を噛み潰したみたいに顔が歪む。
「それは、疑うだけの材料があるって言ってるのに」
「無い。アーサーはただの風使い、術の専門家じゃないから特殊分野を知らないだけだ。どうせ調べたら何か判明する。珍しいから宗教で逸話が残ってるだけだ」
「でも異世界っていうか、私が地表から来たのは」
「異世界が存在するならジャックは魔界でアーサーは神界の生まれだ」
「だから本当に」
「僕は宗教や神話の類は信じない」
こいつ、人外に二回も遭遇しといて。
馬鹿にされるまでもなく、私だって、否定したいわよ。
同じことグルグル考えてたくなんて無い。
でも怖いんだもの。
自分が実は死んでいることに気付いていないゾンビで、ある日急に自分を見失ったら? あのヘドロに生前の意思が残っていたら平然とあんなことやれるわけがない。ロボットみたいに必要な時にプログラムが作動するようになっていたら? 今まで土地神の影響が弱かったっていう御使いの最期はどうだったの? 意思と関係なく体が溶けていくかもしれない。表面上は人間でも皮袋の中身は泥で出来ているとしたら……。
「ロッカ」
ユアンが寝袋から何か取り出して私に投げて寄越す。
両手で受け止めて顔に近付けると林檎みたいな甘い香りがして、これは、ポプリ?
「今日はよく眠れるようにと思って作ったけど仕方ないから君にやる。枕元にでも置いたら」
横を向いたユアンの寝袋を見下ろす。
「ねえ、ユアン」
無視をされた。
「寝袋止めてベッドで一緒に寝る?」
「早く寝ろっつってんだろうが!?」
手元にあるポプリを顔の前に寄せて目を瞑る。
冗談じゃないのにな。




