表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/33

恋するゴミ屑

 物音に意識が浮上する。座布団を並べて横たわる体を捻って片手にカーテンを巻きつければ、それと同時に突然寝床のカーテンに大きな手が無遠慮に差し込まれた。開帳しようとする侵入者から全力で抵抗する。

「ん、ロッカ、おはよう」

「外から声かけりゃ起きるから開けるんじゃない。後、別に起こさなくても自分で起きると何度言えば、ぐいぐい引っ張るなカーテン取れる」

 上半分から覗く顔から逃れるために掛物を体に巻き付け背を丸め枕に顔を埋める。ジャックのおはよう攻撃のせいで私の朝は早い。


 身支度を済ませてからカーテンを全開、大あくびを漏らす。

「ふわあっ……ふ、おはよー」

 早起きジャックは朝食準備の役割をまっとうすべくテーブルに味噌汁をよそって並べていく。ちなみに夕食は私の役割、昼食は無い。この世界に昼食の習慣が無いわけではなく単純に金が無いから食事が無い。切ない……。

「ちょっとアーサー、次の仕事の依頼を貰えそうなとこどっかないの? 生活レベルをさ、せめて三食にしたいしさあ。もういっそ私が営業回りして定期的な納入先を確保すればどうかと思うんだけど」

 音を鳴らしてアーサーが椅子に座り、大きく顔を「ふんっ!」と背ける。目の悪い私に分かりやすく敵意を示してるんだろうけど、子供か。呆れつつも一応触れておく。

「何さ、まーだ店で置いてったこと拗ねてんの? ちょっとくどいよ。フォローはしてあげたじゃん。それに前は一応自分でかわしてたんだから猥褻依頼主くらい私がいなくてもなんとかやってくんなーい?」

 肘をついて溜息をつくと、アーサーは顔面を両手で覆って大反論してくる。

「執念深い云々はロッカが言えたもん!? あのな、痴漢って怖いんだぞー! あそこは普通無邪気なフリして俺を連れ出してくれるとこであって、無邪気なフリして立ち去るとこじゃないからな! もしあのまま枕営業強要されてたらと思うと俺は今からでもマジ泣きだ!」

「子供の前でなんて単語を」

 オロオロとしながらジャックに突っ込まれるアーサー。事なかれ主義の男がここまで腹を立てるとは珍しい。何日目だと思ってんだ。

「悪かったって! もう反省したってば……」

 両手を挙げてオーバーリアクションで降参の意を示す。ジャックが正座になっていそいそと私のフォローに回る。

「ロッカ、反省したって」

 指の隙間からアーサーが疑わしげにこっちを見る。しばらく低く唸ってたけど、顔を覆っていた手を下ろしてボソッと呟いた。

「次やったらロッカの名前叫びながらガチ泣きするからな」

「止めなよ、三十一歳」

 こいつには思春期のプライド真っ盛りなエベリンの爪の垢でも煎じて飲ませてやろうか。




 頭痛がしそうでこめかみに掌を当てながら商店街の道を一人歩く。あの赤い屋根から三軒目の角で曲がって、太い通りを二つ過ぎれば花壇の立派な喫茶店があるから、右に曲がって……。

「あらぁ、ロッカちゃん今日は一人なの? お買い物ぉ?」

 喫茶店のお姉さんが箒を手に可愛らしく声をかけてくる。

「おはよう、メリーさん。今日は仕事くれそうな店に頭下げる営業回りだよ」

「まあ一人で? カーペンター様は?」

 カーテンで囲ってる私のスペースで自宅内プチ引き篭もりを決行しているとこだよ。

「……えーっと、私にはちょっとワカラナイ」

 微妙な笑顔しか出てこんわ、あんなもん。引き篭もりの息子を持った母親ってこんな気持ちなんだろうな。

「そぉ。ねぇえ、あの話考えてくれたぁ?」

 乾いた笑いが出る。

「いやぁ、お金は欲しいけど、仲間を売るのは、ちょっと……」

「売るだなんて! ちょっとカーペンター様のパンツか靴下をこっそりお借りしてきてってお願いしてるだけなのにぃ。ちゃんと洗って返すのよ?」

「それ……何に使うんですか」

 恐ろしくて今まであえて聞かなかったことを遂に問いかけてしまう。大きな目が更に見開かれ額を突きつけながら囁かれる。

「店で裏メニューに出すの。直接出したりしないわよ? ちょっと煮出すだけだから傷まないように気をつけるし、カーペンター様も誰も傷つかない。ちょっと見ないお値段のラブドリンクでもお金を払っちゃう人はたくさんいるんだから、お小遣い稼ぎよ、ね?」

 予想を上回る答えキター。

「ヤッパリ遠慮シマス」

「どうして片言なのー? 一回十万だすのよー?」

 早々に離脱しよう。

「それじゃあ私は仕事に戻るから」

「もう真面目さんなんだからぁ」

 腰に手を当てて軽く傾く可愛らしい仕草の変態メリーさん。

「帰りにお店寄ってってねぇ? クッキー焼いておくからお裾分けするわー」

 あはははは、怖くて食えなーい。


「いつもありがとう、メリーさ」

 言い終わる前に頭に衝撃を受ける。口を閉じて凍り付いている間にいくつもボロボロと降ってきて、残りは盛大に地面へビタビタと落下していく。無言で見下ろした物が何かしゃがんで確かめるまでもない。臭気が出るまでわざわざ置いといた生ゴミはいつもながら非常に臭い。

「アーサーの家から出て行け! ドブネズミ!!」

 一歩家屋から離れてから見上げれば屋根から人影が逃げていくのが確認出来た。器用に屋根を走る姿こそ私は鼠小僧と呼んでやりたいんだが?

「あらぁ」

 メリーさんの能天気な声を聞きながら、頭に手をやってベッタリ乗ってるものを摘んで鼻先に持ってくるとキャベツだった。

「くっさ!」

「またやられちゃったわねえ。うちでお湯用意しましょうか?」

「うぅ、それより犯人の顔見なかった? あんのクッソアマ、絶対百倍返しにしてやる」

 肩や頭を払うとベチャ、ベチャ、とゴミが地面に落ちていく。メリーはアッサリ頷いた。

「見たわよぉ」

「おおっと! 誰か分かる?」

「うちの裏メニューの常連ポロンちゃんよ。この先の漬物屋さんなのぉ」

 暴言と共に降ってくるこの生ゴミ、もう何度目になるか数えたくもない。愛しの王子の家に同居人がいるのをどうしても看過出来ないらしい。歩けば悲鳴の上がる外見の怖いジャックに仕掛ける勇気は無いらしく、嫉妬という嫌がらせは私が一身に受けるはめになっていた。

「よし、帰って着替えたら覚えてろよ、病人め。正面対決で今日こそこのアホなやりとりを終わらせてやる!」

「本当。ストーカーってつくづく病気なのねって思うわ。ロッカちゃんも苦労するわねぇ」

 私はうっかり真顔でメリーを見た。首を傾げて両手を組む可愛らしいメリーさん。私はメリーの仕草が大好きだ。可愛いもの。でも友達にはいらない。理由など言わずもがな。

 大きくて深い溜息が出てきた。




 扉を開けてカーテンに直行し、全開する。

「おわ!? ちょっと、大変傷ついてる俺がお籠もりしてるんだからノックぐらいしてくれよ!」

「そこはアーサーの家にして陣地に非ず。荷物取るし服着替えるからどいてよ」

 顔を上げたアーサーはどこうとせずに間抜けな声で質問を投げかけてくる。

「何だその姿。どうしたんだ?」

「屋根から生ゴミかけられたのさ。今日は傷ついてるらしいからハリセンは勘弁してあげるし、自分が臭いとか我慢出来ないし、とにかく速やかにどいて」

 後ろに親指を向けて出ろと合図すると四つん這いで場所を譲られる。ジャックは出掛けているらしい。

「もしかして、それは……また俺のストーカーの類からとか?」

 恐る恐る聞いてくるアーサー。

「犯人分かったからしばきに行ってくる」

 タオルを濡らして汚れを拭き取りながらカーテンの中に入ってアーサーの目の前で閉める。

「しばきにって、そんな狂気に満ちた相手にいつもの調子で殴り込むってか?」

 カーテンを開けられちゃたまらないので手早く汚れた服を脱ぎ捨てて新しい服に仕替える。

「泣き寝入りなんてすると思う? 敵は漬物屋にあり。自宅は押さえたんだからまずは挨拶でしょ。報復方法だって帰り道に四通りは練ったんだから」

「ちなみにどんな」

「生ゴミを集めてアーサーの食べ残しですって毎日届ける。アーサーの家に生ゴミを送りつけていると噂を流して村八分にしてやる。生ゴミ投げてよこしたら毎回その姿で抱きしめにいってやる。捨て身で行くなら一番の嫌がらせは目の前でアーサーに」

「あ、もういいです」

 凱旋の幕を開ける。

 玄関に向かえば後ろからアーサーが回り込んできて扉を塞ぎながら手をモヤモヤ動かして何か言いたそうにしたものの、言葉を飲み込み、溜息と共に脱力した。

「分かった観念するわ。名前叫ばれてる以上俺が原因なんだし、俺も凶行を止めに行かせていただきます」




 相変わらずアーサーが歩けばウェーブでもしてるかのように黄色い声が上がっていく。黄色どころか野太いのが混じっているのもいつも通りだ。

「はあ……なあロッカ引き返さない?」

 往生際の悪い。

「こちらをご覧ください。右に見えますのが生ゴミも漬けてる漬物屋でございます」

「つーいちゃったぁ……」

 頭を抱えるアーサーだけど、女達の叫び声に釣られてエプロンを纏った女が一人飛び出してくる。店の入口で内股になって両手を組む姿はまさしく恋する乙女のシルエット。

「アーサー!」

 蕩けるような声が記憶と合致する。いつも生ゴミと共に暴言を残していた声、確かにこの女だ。

「ちなみに知り合いだったりするの?」

 今更な質問を投げかけるとアーサーは声を潜めた。

「俺、女って本当に苦手なんだよ。男なら良いわけじゃないけど、性別女でまともに会話出来るの妹と母くらいしか存在してないから」

 そこら辺に群生してるストーカー共、この男は恋愛向け物件以前の問題だから他をあたってくれまいか。


 美形に目が釘付けの女の真ん前に立つ。身長は同じ位。顔が見える至近距離で近づけば女の視界から美形が消える。その瞬間、漬物屋ポロンの惚け面がみるみる般若に変わっていった。

「この男女っ、よくも私の前に顔が出せたわね」

「おやおやそれはこっちの台詞だけど? さっきはよくもやってくれたじゃない。毎回毎回おたくの異臭がする漬物を届けてもらうの迷惑だから、保護者同伴で苦情言いに来てあげたよ」

 ポロンが血管を浮かび上がらせて憎悪を吐き捨てる。

「苦情? 苦情が言いたいのはこっちだわ! ゴミの都合でアーサーを連れまわすなんて許せない!! いい加減にしてよ!?」

「誰がゴミだ、誰が。あんたに何の権利があって私の交友関係口出されなきゃなんないわけ?」

「私はアーサーが好きなのよ! 彼のことを利用するなんて許せないだけっ……あ……」

 恋する相手を前に勢いで宣言してしまい口元に手をやって恥じらいながらアーサーを見た。それからすぐに悔しそうに私を睨みつけてくる。

「そっちこそ家に住みついたりして何が目的なの? いいえ分かってるわ、アーサーに既成事実を迫るつもりだってことは。いつもギラギラ欲望に満ちた厭らしい目でアーサーを見てるものね」

「え?」

 アーサーが自分の身を抱き締めて私を見る。シバキ倒すぞ。


「目ん玉腐ってんじゃない? 居候は私だけじゃないよね。色っぽい謂れの付き合いじゃないし、見当違いも甚だしいよ。誤解なんだから謝って二度としょうもない嫉妬行為をやらないって誓ってもらおうか。今ならギリギリ許す」

「見当違い? 一つ屋根の下で暮らして彼に何の感情もわかないなんてありえない!! 身を偽ってまで一緒に暮らすなんてまともじゃない! アーサーの隣にいるのに相応しくないのよ。脅しにでも来たつもり? 話し合いの余地なんて無いわ。私は絶対に許さないんだから!」

 こいつ、私のことを女と認識して攻撃してたのか。

「自分が好きな男に誰もが恋をすると思ってるなんていかにもな恋愛脳だよね。そりゃなんの感情も無いとは言わないさ」

 アーサーが戦慄する。

「え!?」

「顔も確かに見惚れるよ」

「ハリセンで打つ時、重点的に顔面狙うのに!?」

「だからって外見だけで恋愛する程ガキじゃないんだよね。私は目が悪いから幸い先入観無しに中身がよく見える。だから惑わされることなく頼りないけどお人好しで消極的で地味なヘタレ男は私の射程圏外だと断言する」

「何か普通に傷つくんだけど」

 後ろでヘタレが何か言ってる。

「それで私よりずっと長くアーサーを見てるあんたはどうなわけ? 顔の造形以外の何か知ってんの? んなわけないよね。知ってたらこういう乱暴なことする女を敬遠してるって知ってるはずだし。脅迫で愛が勝ち取れるんなら強姦魔なんて恋愛マスターだよ」


 顔を引っ掻かれる。

「っつ!」

 顔を押えると筋が四本走っている。そこから当然ながら粘着質な血の感触が滲みだしてきた。

「きいいいいいいい!!」

 奇声を発して飛び掛かって来る。防御しようと両手を顔の前に出した途端、肩をつかまれて背後に引かれ体を受け止められた。代わりにポロンの手は口をへの字にして食いしばるアーサーによって跳ねつけられる。冷水を浴びせられた様に血の気が引いたポロンは手を押えてよろけながら後退する。信じられない光景でも見ているとばかりに震えながら。

「どうして、そんな子を庇うの? 嘘よ、こんなの酷い。あの口汚さを聞いたでしょ? 貴方は騙されてるのよ」

 アーサーは若干声を裏返しながらも言い放つ。

「漬物屋に教えられなくてもロッカが喧嘩っ早くて毒吐きドエスなのは仲間内じゃ周知の事実だから! 好きだと言ってもらって悪いけど仲間に手を出されるのは迷惑なんだっ。気持ちには応えられないし、これ以上手を出すなら警察に行ってもらう。できるだけ事を荒立てたくない。和解して俺達に関わらないでくれ!」


 危うい足取りのまま後退し続けるポロン。店の屋内にまで下がると影になって足しか見えなくなった。

「こんな」

 何かにぶつかった音がして、立ち止まる。そして、土を踏みしめながら再び店の外に出てきた。最初はゆっくり、店の外で日の光に照らされた瞬間にはこっちに向かって駆け出して。

「こんな子がいるからー!!」

 周囲で悲鳴とお巡りを呼ぶ野次馬の声が飛ぶ。見えない私は状況がさっきとどう違ったのか分からずポロンが突撃してくるのを間抜けに見入っていた。

「いなくなってよお!」

「ロッカ!?」

 横に突き飛ばされポロンの体はアーサーが受け止めていた。

「きゃああああ!?」

 ポロンは悲鳴を上げて両手を離し地面にくずおれた。アーサーの方は脇腹を押さえてあいつから距離を置き、尻もちをついた。抑えている脇腹の辺りが赤に染まっていくのを見て、ようやく私は何が起きたのか理解した。脇腹でアーサーが何か持っているように見えるのは包丁の柄なんじゃないのか。

「嘘、どうして? どうしてなの、アーサー!! どうしてこんな子を選ぶのよおおおお!!」

 馬鹿の遠吠えが遠くに聞こえる。

「うちの子、だからだよ」

 アーサーは苦しそうに背中を丸めて傷を庇いながら地面にゆっくり身を横たえていく。

「ロッカ、あのさぁ、本当、女って怖いんだから、挑発は、程々に……」

 茫然と見下ろしているとお巡りが駆けつけてくる声が遥か遠くで聞こえた。いや、そこら中で上がってる悲鳴で声の距離が分からなくなる。視界だって何かいつもよりグニャグニャになってる気がした。

「ああ。嘘よ、死なないでアーサー。愛してるの! ごめんなさい、好きな気持ちが抑えられなかっただけなの! こんな風になることを望んだんじゃなかったのに!!」


 この町には狂人しかいないのか?

「恋が、免罪符になると思うなよ、この性犯罪者が」

 顔を覆って震えるポロンが弾かれた様に怒りに満ちた怒号を上げる。

「性犯罪!? 清純な私がいつそんなことをしたっていうのよ!」

「ストーカー、つまり性欲に理性を働かせない行動、イコール性犯罪だろうが!!」

 どこかの神経が切れてる感覚がする。怒りで声が震えた。

「そんな言い方しないで! 私にとってこの気持ちは命より大事な宝物なのよ!」

 私は多分凄く不細工になるぐらい顔を歪めて女を指差した。そんなにあの顔を見ることに情熱を傾けるんなら両目を抉ってやりたい。

「あんたの生ゴミみたいな命より私にとっちゃアーサーの命の方が何倍も大事だね。命懸けの恋だかなんだか知らないけど他人の命まで賭けてんじゃないよ! 次の機会なんてあると思うなよ。私は今回マジで切れたからな。殺人の現行犯だ、あの女を引っ立っていけ!!」

 片手を振り下ろして空を切る合図で後ろにいたお巡りが縄を手にいそいそと捕縛に向かう。慄いたのか生ゴミが後ろにいざりながら顔を忙しなく動かしだす。

「なによ、なんで警察がこんな子の指示に従ってるのよぉ。あんた普通じゃない! 何者なのよ! 止めてよ! 離して!! 違うわ、私が死んで欲しかったのはアーサーじゃない、私悪くない」

「生ゴミが普通なら異常で結構だ」

 お巡りが野次馬を掻き分けて誰かを誘導してこっちに向かってくる。「医者」という単語を耳が拾った。私は座り込んで額をアーサーの胸に押し付ける。心臓が動いてる。

 止めて。こんなの嫌だ。迂闊なことしたって反省はするし謝るから死なないで。助けて…………。




 ベッドに寝るアーサーの横にへばりついて悲壮な空気を出す野郎二体を押し退けて覗き込む。治療が済んだら入院費用か無いことを確認されて『金の無いやつは帰れ』と速攻で自宅療養することになった。包丁で内臓は傷付かなかったし、刺さった物を治療まで抜かなかったことで血もそこまで失わずに済んでいたと説明を受けた。

「被害届け代筆しといたよ」

「痛い、辛い、死んでしまう」

 唸りながら悶え苦しんでいるアーサーの傷口にそっと掌を当てて優しく問いかけた。

「ありがとうは?」

「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございます、それだけは勘弁してください」

 ユアンが震えながら私の腰にしがみつく。

「止めたげてよう、死んでしまう、アーサー死んでしまう」

 こいつ、仮面の下で泣きべそかいてないか?

 ジャックも鼻をすすって顔を伏せる。

「アーサー……いつ死ぬの?」

「うわあああっ!」

 声を上げて泣き出したユアンに、アーサーが驚愕して痛そうにしながら上半身を起こす。

「え? 俺そんなに悪いの? 医者は運が良かったね、大丈夫だよって言ってたけど本当は余命告知されてたの? 今日峠とかじゃないよな!?」

「別に峠でもいいけど夕飯を食べてから死んでよね。何も買ってきてないし、おじやにするけど文句言わないでよ。はあ、今日も散々だったよ」

 エプロンをつけて夕食作りのために背中を向ける。後ろでビービーいい年した男が泣いてる声に紛れて鼻をすする。痴漢如きで泣きながら助けを呼ぶくせに私なんか庇って刺されてんじゃないわよ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ