第六話 弟の場合
四つ年上の姉は、キラキラと輝く銀の髪を持つ美しい少女だった。
幼い頃、病弱だった僕はすぐに熱を出した。
そうすると、優しい姉はいつもそばにいてくれて、僕の手を握り、僕を癒してくれた。
そう、彼女は生まれつき不思議な力を持っていた。
傷ついた人々を癒し、緑の木々に力を与えるその力は、聖女のものだった。
教会から、それを判定するための司祭が遣わされ、司祭は当然のように彼女の前に跪いて、彼女を“光の聖女”と呼んだ。
彼女は、“光の聖女”と認められた少女だった。
それから彼女は伯爵家の養女となり、この国の王太子の婚約者となる。
平民の出ながらも、手の届かない場所にいってしまう姉の前で、僕は寂しくて泣いてしまった。
姉に「行かないで」と言っても、彼女は光の当たる道を歩くことが定められた人だった。
どうしてそれを、僕の我儘で止められるだろう。
優しい姉は、家を離れるその時までずっと、僕のことを心配していた。
泣き虫で、すぐに熱を出してしまう弱い僕のことを心配していた。
そして、彼女は行ってしまった。
それでも、彼女は幸せになってくれるだろうと、両親も僕も、それを信じて彼女を送り出した。
なのに、刑場で見た、引き出された彼女は不幸だった。
誰よりも幸せになれるはずの少女は、絶望の眼差しに、瞳を翳らせたまま、その首を落とした。
苦痛に歪むその表情と、痛みに耐えかねて漏らされる悲鳴。
どうして
どうして
どうして
疑問の思いがそのまま僕の叫びとなっていた。
ずっと僕は、叫び続けた。
あまりの声に、刑場から引きずり出されるその時まで。
ずっと声が枯れるまで叫び続けた。
どうして、姉さまを殺したの?
どうして?
どうして?
だって僕は姉さまほど優しく、素晴らしい女性を知らなかった。
神が地上に遣わせた特別な天使だと言われても、僕はそのまま信じただろう。
彼女の声は誰の耳にも優しく響き、その面は女神のように整って美しく
そして彼女の人となりも、天使のように純粋で、真っすぐであった。
僕は彼女のことを誰よりも尊敬し、当然のように愛していた。
その人が、簡単に殺された。
その瞬間、僕の前に広がる世界は色を失った。
世界はどこまでも明るく光に満ちていた筈なのに、この世界は聖女を、天使のような女性を殺してしまうのだと、絶望した。
殺すべきではない人を、自分達の欲望の為に、傷つけ、貶め、最後には簡単に、小鳥の首をひねるかのように、殺してしまったのだ。
時が止まったかのような、その絶望の中で、僕は願った。
ああ、神というものが本当にいるのなら
彼女を殺したものたちに、報いを受けさせて欲しい。
彼女の死を止められなかったものたちに、報いを受けさせて欲しい。
その声に応えるものがいた。
それは、神は神でも、暗闇の中で這いずる神であり、当然のように彼は代償を求めたのだ。
だから僕は彼に言ったのだ。
彼女を捨てた王太子の命を
彼女を欺いた侯爵令嬢の命を
彼女を養女にした伯爵の命を捧げると言った。
彼女を捨てた王太子は、ある日突然小さな蟲の大群に襲われ、生きながら喰われて死んだ。
彼女を欺いた侯爵令嬢は、谷底に落ちた馬車の下敷きになって、長いこと苦しんで死んだ。
彼女を養女にした伯爵は、賊に無残に殺された。
当然の死だった。
そして僕は願った。
もう一度、姉に、“光の聖女”に会いたいと。
その時には、あの忌まわしい前世の記憶など、彼女の中には無かったものにして欲しい。
前世を知らずに生まれた彼女と、もう一度、出会ってやり直したいと願ったのだ。
暗闇の中で這いずる神は、ひどく優しく頷いた。
そして僕達は全員、生まれ変わったのだった。
前世で“光の聖女”の弟であった僕は、王国の王太子に生まれ変わっていた。
王太子である僕には、前世の記憶があった。
“光の聖女”である姉を救えなかった、絶望の記憶だった。
だから、今世でもし“光の聖女”である姉を見つけたのなら、僕は即座に彼女を保護しようと考えていた。
必要なら、彼女と婚約し、彼女を妃にしてもいい。そうすれば彼女はこの世で一等、大切に守られる存在になる。
むしろ、そうした方が良いのかも知れない。
姉であり、“光の聖女”である彼女を僕の妃にする。
その発想は僕を興奮させた。
僕は姉を愛していたから、彼女を自分のものにすることは間違いなく、素晴らしいことだと思った。
前世で僕は、弟であったから、姉にそんな想いを告白するなんてとんでもないことだった。決して姉は僕の想いを受け止めることなど出来なかっただろう。
でも、今世では、僕は彼女の弟ではない。
それどころか、王国の王太子という権力者だ。
全力で彼女を守ることが出来る。
もう、前世のように彼女を無残に殺させることはない。
彼女を守り通すことが出来る力があるのだ。
だけどおかしなことに、今世では、姉が“光の聖女”として人々の前に現れることはなかった。
それがどうしてなのか分からない。
生まれ変わっても、彼女は絶対に聖女たる力を持っているだろうと思っていた。
暗闇の中で這いずる神も、そう言っていた。
彼女の魂は眩しいほど輝いている。その輝ける魂があるからこそ、彼女は聖女であり続ける。
そして、眩しい光が羽虫を呼び寄せるように、人間達も彼女に魅了され続ける。
今世でも彼女は“光の聖女”であるはずだった。
だから、僕は今もなお、彼女を探している。




