第三話 聖女の両親の場合
シルフィは私達夫婦には過ぎた娘だった。
生まれた時から、彼女は私達とは大きく違った。
サラサラと長い銀の髪に、白い卵型の面。けぶるような大きな瞳に、桜色の唇。
小さな村の役人である父親と、平凡な村娘であるその母親の間から生まれた、まるっきり両親に似ていない美しい娘。
母親は、自分の胎から生まれ出たはずなのに、こうまで違う娘の存在が、信じられなかった。
本当に、私達の娘なのか。
父親の髪は黒く、瞳は茶色だ。村で役人を務めつつも、畑も耕しているために、がっしりとした体格に肌はよく陽に焼けている。母親も同じで、髪は茶色く、瞳も茶色だ。
どうしてこんなにも違う色合いの、美しい娘が生まれてきたのか理解できなかった。
父親は、妻が浮気をしたのかと一瞬疑ったこともあったが、素朴で大人しい妻が、浮気をするとは思えなかった
まるで、カッコウの雛を孕んだかのようだ。
そう、きっと何者かが、自分達夫婦の間に生まれるはずの娘とすり替えたのではないか。
そうも考えた。
それでも、だましだまし、夫婦は、彼女を育てた。
シルフィは美しい上に、優しく賢い娘だった。
役人の忙しい仕事を抱えこみながらも、畑仕事もこなす父親をよく手伝った。
そう、あの娘は文字や数字を教えたこともなかったのに、不思議と文字や数字を知っていた。それで税の計算の間違いを指摘してくれたこともあった。
その桜色の唇から零れる言葉も美しかった。彼女はいつも丁寧な口調だった。歩く姿もどこか優雅で、首の長い白い鳥のような様子があった。
彼女の手には不思議な力があり、彼女が触れる緑の植物はすくすくと伸び、たわわに実を実らせた。怪我をした者の怪我も癒すことの出来る力。
後から生まれた彼女の弟は、身体が弱かったが、シルフィの力のおかげで、やがて健康になっていった。
その弟は、姉のシルフィを崇拝していた。
誰よりも美しく優しく賢い娘。
だけど、どうにも自分達の本当の娘とは、思えなかった。
シルフィの不思議な力を風の噂で聞いた教会から、そうした事象の鑑定をする司祭がやって来た。
そして司祭はすぐさま彼女の前で跪き、頭を垂れた。彼女は新たな“光の聖女”として認められた。
それからは目の回るような展開であった。
シルフィは教会に引き取られ、白い裾の長い礼服をまとう。
銀の髪の美しい少女にはその服装がよく似合った。
そして教会で、苦しむ人々の為に、癒しの力を使い続けた。
彼女は、国の王太子の伴侶にこそふさわしいという話が出た。
伯爵家の養女に迎えた後、王太子と婚姻をさせようということになった。
今までシルフィの親として育ててきた平民の両親の意見なんぞ、誰も聞こうとは思っていない。
それはすでに、当然の決定事項だった。
あれよあれよという間に、シルフィは私達夫婦の前から去って行った。
それでも、シルフィを養女に迎えるという伯爵家へ向かう日の朝、銀の髪の美しいシルフィは、ほろほろと涙を流し、私達の前で、「今まで育てて下さってありがとうございました」と述べた。
そして立派な馬車に乗り、立ち去っていく。
あまりの早い展開に、私達夫婦には戸惑いしかなく、彼女の幼い弟だけが、悲しみにずっと声を上げて泣いていたのだ。
残されたのは、伯爵家から支度金として渡された金貨のずっしりと詰まった布袋だけ。
あのシルフィは、最初から自分達の本当に娘とは思えないほど、出来た娘だった。
いなくなった後だからこそ、余計に感じるのかも知れない。
彼女は本当は、私達の元にいるべき人間ではなかった。
伯爵家の養女に迎え入れられ、教会で“光の聖女”として讃えられ、ついには王太子殿下の婚約者にまで昇りつめた娘。
とてもとても、平々凡々な自分達の娘とは思えない存在だった。
だけど、何をどう間違えてしまったのだろう。
シルフィは、ある時を境に断罪され、“偽聖女”と糾弾されるようになった。
私達夫婦は、彼女を養女として迎えた伯爵家にも足を運んで、事情を聞こうとしたが、目の前で鉄の門が閉められ、養父となった伯爵から詳しい話を聞くどころではなかった。
裁判もあったらしいが、貴族と教会だけが参加することを許され、結局、私達夫婦が彼女の姿を見ることが出来たのは、刑場だった。
シルフィの弟は泣き叫んだ。
「どうして、どうして、どうして」
どうして姉さまを殺すの?
「どうして、どうして、どうして」
どうして姉さまを殺すの?
姉さまが、何をしたの?
斧が振り下ろされる。何度も何度も。
苦しんで苦しんで亡くなった彼女の骸を見た時、初めて思った。
ああ、手放すのじゃなかった。
どんなに金を積まれても、あんなに優しい娘を手放すのじゃなかった。
手放すことが、彼女の幸せになると、皆、口を揃えてそう言った。
だけど、違うじゃないか。
違うじゃないか。
自分達には過ぎた娘だと思っていた。
だってあんなに美しくて、優しくて、綺麗な娘が自分達の娘とは思えなかった。
だから、彼女のいるべき本当の場所に、彼女にふさわしい場所に送り出したつもりだった。
なのに。
どうして。
夜になり、彼女の骸が放り投げられた、刑場の隅にある穴のあけられた場所へ向かった。
彼女の護衛を務めていた騎士の男もまた、一緒に作業に加わってくれた。
小さな弟が、処刑が終わった後の刑場で泣き崩れていた男を見つけて、声をかけたのだ。
騎士の男も喜んで、手伝うと言った。
カンテラの明かりで照らされた、土に開けられた穴の中には、何体もの死体が転がっていた。
目を凝らして、どの遺体が彼女のものであろうかと探し彷徨う。
そしてほどなく見つけた。
父親と騎士の男は、汚れることを厭うこともなく、穴の中に降りた。
そして、粗末な衣をまとった彼女の身体と、無造作にそばに転がされていた彼女の頭部を取り上げた。
月が雲に隠れた夜であったから、良かった。
荷馬車の荷台に彼女の身体を載せ、布を被せる。
そして彼女の生まれ育った村へと運んだのだ。
家の裏手の森に穴を掘る。
騎士の男は、夜目にも白く輝いて見える教会の礼服を持って来ていた。
彼女が聖女として働いていた時に、身に纏っていた衣装だった。
教会の中でも、今回の件に何かしら思う人々はいた。処刑に反対の意思表示をする者もいたが、すべて黙殺されていた。
せめて、その骸にたむけて欲しい。
そう言付けられた。
土の中で横たわる骸の上に、白く輝くその礼服と、生前、彼女が首から下げていた銀のメダルが置かれる。
そして土が被せられる。
ああ
後悔している。
とても後悔している。
私達はこの娘がどんなに優しかったのか知っている。
身体の弱い弟を思いやり、仕事の大変な父親を労わり、母親を手伝った
とてもいい娘だった。
あまりにも素晴らしい娘で、私達夫婦は信じられない思いで彼女を見ていたけれど。
彼女は確かに私達の娘だった。
その手を離したことを後悔している。
土がその白い礼服を、メダルを覆いかぶせていく。
やがてその姿が見えなくなる。
茶色い土が全て覆いかぶさり、まるで何事もなかったかのように、彼女の姿を消していく。
こんなことになるなら、何があってもこの子を手放すのじゃなかった。
埋めた土の上に、小さな石を目印に積み上げた。
夫婦は背を丸くして、いつまでも泣き続けていた。
私達夫婦は生まれ変わった後も、また夫婦となっていた。
とある男爵家に代々仕える使用人として生まれた私は、前世の妻と出会い、そして彼女が前世の妻であることを知らずして結婚していた。
結婚した後に、彼女が前世の妻であったことを知ったくらいである。
これもまた、運命というのだろう。
そして運命として導かれるまま、男爵家の令嬢として生まれたのがシルフィだった。
そう、私達夫婦は、前世であれほど無残に死んだシルフィのそばで、再び生きていくことを許されたのだった。
私達夫婦は、主君の娘という立場のシルフィを常に見守り、そして目を光らせてきた。
今世では決して、決してあのような出来事に彼女が巻き込まれないように。彼女をしっかりと守らなければならない。
もう決して、彼女を失ってはならない。
男爵家に仕えるその使用人夫婦は常に、男爵家令嬢シルフィを見守っていた。
時に、彼らは命を懸けてでも、主君の令嬢を助ける覚悟を抱いていたのだった。
そんな覚悟のほどなど、生まれ変わったシルフィは知る由もなかった。




