3、魔王の目指すところ
そこはなだらかな丘陵地帯から続く、それほど高くない山の間に作られた集落だ。人口は千人に届かない程度で、ちょっとした街道沿いの町程度の数の人間が住んでいる。
一年近く前、メナリーに連れて来られた真竜諸島共和国の避難民たちが、一カ所に集まって住んでいる場所だ。
「ブレスニークが落とされたらしいぞ!」
夕方、村に戻ってきたばかりの駆け出し冒険者風の少年が、租界地の中央にある広場で騒ぎ立てる。それを聞いた人間たちが、丸太を加工して作られた家々から続々と出てきた。
「おい、今の話ほんとかよ?」
「ブレスニークって、ここの領主様よね? 大丈夫なのかしら?」
「また帝国が来るのか!?」
「もういやぁ……」
租界地の人間たちが口々に思ったことを放言している。
そんな中、がっしりとした体格の老威丈夫が前へと出てきた。
「今の話、本当かの?」
「ホントだよ王様。ここに帰る途中に寄った村でみんな噂してたし、街道ですれ違った冒険者も教えてくれた……」
「そうか……わかった。ほれ皆の衆、すぐにここまで追ってくるわけではないじゃろ。解散じゃ」
王様と呼ばれた男が手を叩きながら促すが、不安げな顔を浮かべた租界地の人間たちは立ち去ろうとしない。
彼らは帝国の真竜諸島侵攻により、首都を追われて逃げ出してきた者ばかりだ。ふたたび帝国が追ってくるのでは、という心配で、落ち着かないようだ。
「落ち着くのじゃ、皆の衆。何、帝国といえど、こんな片田舎までわざわざ追っては来ないじゃろ。それにブレスニーク聖騎士王家も簡単にはやられん。今から儂らで対策を考えるから、とりあえず戻るのじゃ」
初老の男が何度も手を叩くことで、人々はようやく歩き出す。それでも不安げな会話が止むことはなかった。
「メンシークさん」
流れに逆行して近づいてくるのは、黄緑色の髪を後ろでちょこんと結んだ二十歳前後の女性だった。
「ロマナ。やはり、リリアナ殿の言うとおりになったの」
「どうするの?」
「とりあえずリリアナ殿にお伝えをしておくれ。儂も後で行く」
「わかった!」
ロマナがすぐに元気良く走り出していった。人波を器用にくぐり抜け、あっと言う間に姿が見えなくなる。
それを見送ったメンシークは、
「一応、ここの防備を固める準備をせねばな」
と小さく呟き、メンシークは村の奥、山裾の方へと歩き出した。
「リリアナ、こっちは?」
幼い声が、天井の高い洞窟内に響く。
灯りの魔法で照らされた場所には、白銀の鎧が一つ座っていた。
前面が大きく開いた形の胴に潜り込む金髪の女性が、
「それは五番の刻印を彫って、肩に後付けするから、その辺に置いておいてアーシャちゃん」
とくぐもった声で答える。
「わかった」
白髪に小さく細い体躯の少女アーシャ・ユルが、リリアナの指示に従って小さな装甲を両手に持ち、離れていく。
そこに、入り口の方向から、
「大変! 大変だよ、リリアナ! アーシャちゃん!」
と洞窟内に響き渡る女性の声が聞こえてきた。
「ロマナ、うるさい。響くんだから聞こえるって」
鎧から顔を出したリリアナが、不満げな顔で文句を言う。
「そんなことより! 大変! ブレスニーク聖騎士王家が帝国に襲われたんだって!」
「あ、やっぱり」
慌てるロマナに対し、大したことではないと言わんばかりにリリアナは作業を続けた。
「ちょ、ちょっとリリアナ?」
「大丈夫。どうせこうなるってわかってた。だから戴冠式も行かなかったんだし」
鎧の中に上半身を突っ込んだリリアナが呆れたように答える。
「そ、そうは言ってたけど」
「ヴィート・シュタクなら絶対にそうする。集まったところを叩くのが楽だから。きっとエリクさんも公爵さんも死んでるよ。逃がすわけがない」
「で、でも、結構な数のEAを集めてたみたいだよ? こっちにも要請があったぐらいだし」
「そんなの、アイツには意味なんかない。アーシャちゃん、八番の新触媒のビン取って」
努めて感情を抑えるような声が、鎧の中から反響して聞こえる。
困惑した様子のロマナの横を、小さなビンと金属の棒を持って通り抜ける。
「アーシャちゃんまでそんなに落ち着いて」
「わかってたから、準備してた」
「リリアナのお父さんが送ってきたっていうEAの設計図で作ってるっていう?」
「もう完成する。リリアナ、これ」
アーシャが近づいて声をかけると、リリアナが頭を出してそれを受け取る。
「ロマナ、私はこれが完成したらメナリーに行くから」
「え?」
「次の狙いは絶対にメナリーだから」
「でも、こっちに来るんじゃ?」
「ヴィート・シュタクなら絶対にメナリー。徹底的にやると思う」
「あそこは他大陸の使者もいっぱい住んでるんだよ? 先にこっちじゃない?」
怪訝なロマナに対し、リリアナが無表情のままだ。
「ううん。帝国にとって、他大陸だろうが関係ないよ。メナリーを最高戦力で叩く。だから行かなくちゃ」
「行くって……何で?」
「逆に向こうの最高戦力を叩く機会ってことだよ。これが完成すれば、やれる」
リリアナがその白銀の鎧を見つめる。
彼女がかつて着込んでいたEA「レクター」。それを元に改造された機体だ。
龍鱗装甲の輝きはそのままに、表にも薄く刻印が彫られていた。周囲には六本の剣が鞘に入ったまま、洞窟の壁に立てかけられていた。
「それに私が現れたら、ヴィート・シュタクは私に向かって来なきゃいけない。そうすればメナリーの戦力にも余裕ができる」
彼女が再び鎧に向かおうとしたところに、風鳴り音が鳴った。
次の瞬間、リリアナの眼前には矢が迫っている。しかし、それは魔力障壁によって防がれ、地面へと落ちた。
「残念だな。魔王様、殺し損ねちゃった」
悪びれた様子もなく、弓を担いだ少女が歩いてくる。
「魔弓の射手……また」
アーシャが眉間に皺を寄せてレクターの前に立ち塞がった。
「あー、大丈夫、今日は殺しに来たんじゃないからさー」
肩口で切りそろえた金髪にやせ細った体躯をし、体には魔物の革の鎧を身につけていた。顔つきは幼く大きな目は、どこか濁った輝きをした青色だった。
「ソニャちゃん、もう諦めたら?」
ため息を吐いたリリアナに対し、ソニャと呼ばれた少女が肩を竦める。
「なんでぇ? 私は称号持ちだし、勇者様が魔王様だって知ってるからぁ?」
魔弓の少女ソニャは、にたにたと薄ら笑いを浮かべた。
「あんまり暴れると、また魔素を焚きつけるよ?」
「もう大丈夫だしぃ。魔素の流れも読めるから、避けるだけぇ」
右の人差し指を顎の先に当てて、小首を傾げるような動作をした後にニヤリと笑う。
「でも、今日はそんな用事じゃないんでしょ?」
呆れた様子の言葉に、笑っていたソニャが真顔に戻る。
「おや、もう知ってるのかな。ブレスニークが滅んだの」
「知ってる。ソニャちゃんこそ、自分の家なんじゃないの? 平気?」
「私はシンドレル家だし、お母さんの実家ってだけぇ。関係ないもんねー。お兄ちゃんを利用した家がなくなってせいせいしたぁ」
「ふーん。で、行くの?」
「どこに?」
「メナリー」
「行くよぉ。お兄ちゃんを殺したヴィート・シュタクも来るっぽいしねえ。魔王様も行くのかなぁって聞きにきたわけぇ」
「そうだと思った」
短い返事の後、リリアナは再び鎧の中に入って作業を続ける。魔法刻印の溝に新触媒と呼ばれる液体を焼き付けながら塗る作業だ。
「間接的な原因の魔王様は後でのお楽しみとしてぇ、直接的な仇のヴィート・シュタクは先にやんなきゃねー」
「ふーん」
間延びした調子の少女とリリアナの興味なさげな会話に、ロマナは剣呑な雰囲気を感じ取り身震いをする。
「でも、魔王様ってぇ、ヴィート・シュタク狙う意味あるのぉ? もう皇帝も将軍も殺しちゃったんでしょー? 自分から出ていかなくても良いんじゃない? 逃げちゃえばさー。逃がさないけど」
「あるよ」
「へぇ、どんな? あ、幼馴染みだったっけぇ? その幼馴染みにずっと騙されてたんだったぁ。それで勇者から墜ちちゃったんだよね、ごめんね、ま・お・う・さ・ま?」
バカにしたように挑発するソニャに対し、アーシャとロマナが、
「いい加減にして、魔弓の射手」
「ソニャちゃん! もう帰りなよ! 魔王魔王って失礼にも程があるから!」
と憤りを露わにする。
「えぇ? なんでなんで? ホントのことなんでしょ? あ、二人とも優しいから庇っちゃうんだぁ。いいなぁ、魔王様ってばぁ」
口に手を当てて羨ましがるような口ぶりをしているが、その言い草は明らかに愚弄しているものだった。
ロマナとアーシャが更に詰め寄ろうとしたとき、リリアナがEAから上半身を抜き出す。
「幼馴染みだよ。それがどうしたの?」
鋭い視線で睨みつけるリリアナの迫力に、ソニャが一瞬身を強ばらせる。だがすぐにニヤニヤとした顔に戻った。
「何でも勇者様ってぇ、ヴレヴォの町で他の幼馴染みが死んだこと知っても、真竜国に味方して、国滅ぼされちゃったんだっけぇ。駄目だなぁ」
「わかってるよ。でも今の私には、ヴィート・シュタクを止める理由がある」
洞窟の中に浮かぶ灯りの魔法がわずかに震え、リリアナの顔にかかる影が形を揺らめかせる。
「へぇ? お国のお友達殺されちゃったからぁ?」
「戦争の被害を減らすためだよ」
はっきりと国にしたリリアナの言葉に、ソニャが片目を開いてもう片方を細める。
「ほー? へえ? 勇者みたいだねぇ?」
「今の戦争は悲惨過ぎるから。もうちょっと被害が少なくなる方が良い。争うのは否定しない。でも、枠組みが必要」
「ああ、決まりのある戦争とか言うやつ? 何でも、昔の貴族は敵を倒して賠償金を交渉してたとか?」
「似てるかもね。民を皆殺しにして、復讐して復讐され、どこまでも際限なく殺し合う。その結果、世界全体が衰退していく。そんな形の戦争は終わらせたい」
「理想論ってヤツだぁ。習ったよ、それ!」
ソニャが大きな拍手をしながら笑い飛ばすが、リリアナは意に介した様子はなく言葉を続ける。
「二つの勢力で争うのは否定しない。何か奪い合うのも否定しない。でも、死ぬのは兵士だけで良い」
無辜の民さえも巻き込んで、悲惨な結果をもたらす戦争。争いは否定しないが、少しでも被害をなくす方向に進んで欲しい。
戦う二国に故郷を持ち、死を見続けた彼女はそう思った。
「おっもしろいこと言うねぇ魔王様。ソニャ、感心しちゃったぁ。すっごぉい。でも、決まりを破ったら誰が罰するんですかぁ? 例えば北西三カ国連合みたいに破ったらさぁ?」
顔を間近に寄せ、下からねぶるように魔弓の射手の少女が視線を動かす。至近距離で視線を合わせたとき、リリアナは、
「魔王だよ」
と簡潔に告げた。
「へぇ、魔王様が管理するのぉ? でもそれって魔王様が世界を支配するだけだよねぇ?」
「そうだね。私が間接的に支配するだけだね。行きすぎた国を罰するために」
「できるのぉ?」
「世界中の国から集まった人間の合議によって事を為すだけ。最終決定権は私が持つ。そんな組織を作るだろうね」
「あ、偏った正義作りだ。それ滅ぶんだよぉ。みんなに攻められてさぁ」
「大丈夫だよ。私は魔王だ。魔素を介した色んな技能や特性があるから。それに魔素がまた濃くなれば、魔王も『読心』や『敵探知』を使えるようになる」
淡々と述べるリリアナに対し、ソニャが何かに気づいたような顔とともに、人差し指を立てた。
「あー、わかっちゃったぁ。だからヴィート・シュタクが邪魔なんだぁ。魔王様に勝てそうだからぁ」
「アイツは戦争を悲惨にし過ぎる。それを為す実力も組織も持ってる。だから、私の作りたい世界には、邪魔かな」
そこで初めてリリアナが肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
ソニャの言うことは正しく、彼女の理想にはヴィート・シュタクという復讐者の存在が邪魔だった。
だから世界から排除するしかない。それがリリアナの決断だった。
それを聞いたソニャはさらに距離を詰め、相手の両肩に手を置き耳元に口を近づける。
「でもぉ、今ヴィート・シュタクが戦ってるのって、皇帝と将軍が殺された復讐だよね? なら、殺した魔王様が悪いんじゃないのぉ?」
その挑発に、リリアナは小さな微笑みを返す。
「結果として帝国はあれ以上、民に被害を及ぼすことができなくなったよね?」
彼女の口調に迷いはない。
ソニャはその答えを聞いて、小さく意地悪げに微笑み、両肩をポンと叩いて離れた。
「ま、メナリーで会いましょうねぇ、魔王様」
ゆっくりと背中を見せ、後ろ向きに手を振りながらソニャが歩き出す。
「そうだね。メナリーで」
リリアナがそう口にしたとき、ソニャは肩越しにニヤついた顔を見せ、
「でもそれってさぁ、自分が判断して罰してやるから被害者は黙ってろって言うのと、同じだよねぇ?」
と言い残して去って行った。
「リリアナ……」
彼女の姿が完全に見えなくなった後、ロマナが心配げに近づくが、リリアナは、
「大丈夫だよ。あの子は最初から私に敵意を向けてなかったから」
と微笑みかける。
「でも」
「ロマナ、ちょっと食事を分けて貰ってきてくれないかな? お腹減ったから」
「あ、うん……」
「アーシャちゃん、続きしよ。メナリーに間に合わせないと」
「わかった」
そう言ってリリアナは鎧の中に再び潜り込む。
刻印に触媒を焼き付ける作業をしながら、彼女は自嘲した。
――まだ薄っぺらい理想なのは知ってるよ、ソニャちゃん。
しかし彼女は、自分が魔王となった意味は、それであると決めていた。
女神は全てを管理しろと言った。
魔素希薄化現象を止め、世界を魔素で満たす。そうすることで、魔王の力は絶大となるはずだ。
だからヴィート・シュタクと彼が率いる帝国軍さえ倒せば、彼女を止められる者はいなくなる。
その上で魔素が千年前の頃の状態に戻れば、失われた技術を使えるようになるはずだと知っていた。
例えば人物の情報を調べる『鑑定』。
敵意を向ける者を探る『敵探知』。
欺瞞を判別する『読心』。
ある程度の未来を知りうる『予知』。
失われた技術概念は他にもいくつかある。それらがあれば、およそ判断を誤ることはない。
加えて、今は感情を抑える『精神安定』を使えている。他にも同時に多数のことを処理可能となる『並列思考』などを操ることで、父にすら劣らぬEA製作を行っていた。
――最終的には、良い悪いを判断し罰するだけの道具となれば良い。私の目指す魔王は、そうなる。そうなれば良い。
自らの正義すら裏切った結果として今があるのなら、正義を考えない存在となれば良い。例え、それが力を持つ魔王ゆえの傲慢さだとしても。
「だから、邪魔なんだよね、ヴィルは」
「リリアナ? 何か言った?」
「何にも言ってないよ、アーシャちゃん」
「そう」
いつのまにか止まっていた手を、再び動かし始める。
一年の時を経て、彼女の理想の形は固まり始めていた。
それを進めるためには、やはりどうしても、かつての幼馴染みが邪魔であると再確認したのだった。
彼女は知らない。
それが形こそ違えども、幾多の魔王たちが歩んできたものと同じ、自らを滅ぼす理想の始まりだということを。
よしこい!




