20、シャールカとリリアナ
どれくらい、その場で立ち尽くしていただろうか。
自分が呆けていたと気づき、オレはバルヴレヴォの中で目を閉じる。
「……終わったか」
何の感情も湧いてこない。
ただ本当に、終わったんだなという感想しか抱けなかった。
しかし、胸の中にわだかまっていた、汚泥のような心が溶けていくのを感じる。
空を見上げれば、灰色の空だ。
今でも思い出せる、幼馴染みたちの姿と声。それすらも心の中から消えていくような気がした。
膝から力が抜ける。
「隊長!」
膝をつきそうになったオレを、ミレナが横から支えてくれた。
「ありがとう、ミレナ。お前も魔力が枯渇してるだろうに」
「いえ……私は隊長を支えると決めたのです。これぐらいは当然です」
「ははっ、本当に助かった」
終わった。
ああ。本当に終わったのだなと。
ただ今はそれだけを思う。
ミレナのEAに抱えられたまま、オレはゆっくりと歩き出す。
「さあ、これからどうするかな……」
「どうされるのですか? 少佐」
「実はな……」
「実は?」
「何にも考えていないんだ」
そう告白すると、ミレナが小さな笑い声を上げた。
「良いではないですか。まずはゆっくりしましょう」
「そうだな」
「私は、少佐に……どこまでも付いて参ります」
「良いのか?」
「剣聖を明らかにした私では、どうせ軍に居場所なんてありません」
「……栄達も狙えると思うが」
「圧倒的な力を持つ者が居座れば、望まずとも派閥が生まれるでしょう。誰かを脅かすより、誰かを……支えていきたいと思います」
「さすが副隊長」
「そうです。隊長あっての副隊長ですよ」
随分と副隊長が板についてきたもんだ。喜べよ、前副隊長のシュテファン。
「ありがとな」
「いえ」
神殿広場から首都へと続く道への入り口で、父さんが笑顔を浮かべて待っていた。
まだ処理しなければならない問題はいくつもある。
それでも、最大の目的であったレナーテは葬ったのだ。
だが今だけは、何も考えずに泥のように眠りたい。
心地よい疲労感を覚えながら、オレは父さんが待つ方へ、ミレナに支えられて歩く。その背後には、母さんのEAも立っていた。
「……終わったんだな」
生きる力の一つだった、復讐を失った。
目標であるレナーテ討伐を終え、オレの心は炎が燃え尽きた後のように、何もなくなってしまっていた。
■■■
リリアナは首都の大通りをレクターのままで歩く。
ボウレたちは遠巻きに見つめたまま、戦闘を仕掛けてこなかった。警戒はしているようだが、手を出さないように言われていた。
特に障害もなく、リリアナは中心部の広場が見える場所まで辿り着く。
彼女はそこで、道の先に立ち塞がるEAがいることに気づいた。胴の前面部を開き、兜を上げているので、中の人間が見える。
「なぜここに来たのですか、勇者リリアナ・アーデルハイト」
長い銀髪の女性が、強い口調で勇者を責めるように問い掛ける。
リリアナの方もレクターの搭乗部位を開いて、姿を現した。
「ルカ……ちゃん……もう一度だけ、ヴィルに会いに」
「ヴィルに?」
「いるんだよね?」
そのやり取りで、勇者が未だヴィート・シュタクの正体に気づいていないとルカは確信する。
ヴィート・シュタクがレナーテと戦う場に来ないわけがない。それぐらいは理解しているだろうと思ったからだ。
「戦う意思はないのですね?」
「うん。ないよ」
リリアナが両手を上げて、疲れた顔で微笑む。
シャールカは考え込む。
どうするべきか。
ヴィート・シュタクことヴィルは、おそらくレナーテを打ち倒した。
しかし全力で戦い、疲れ切っているのはわかっている。
もう戦う理由がないのなら、一度ぐらいヴィルに会うことを許しても良いのだろうか。
しかし、聖騎士の予知通りに魔王が誕生するなら、真竜国の首都で白と黒の鎧が激突した後だ。
ここで会わせてどうする。
「真意を聞かせていただけますか、勇者リリアナ」
「真意?」
「ヴィート・シュタク少佐を魔王と呼んだ、その真意をです」
「……彼は魔王だ。ならば、勇者の打ち倒すべき相手」
「因果が逆転しています。好き勝手に魔王認定されても、それは称号持ちにとって都合の良い世界しか出来上がらない」
「そんなことしない」
「したではないですか。あなたは勇者であろうとしたのですね」
「……そうだね。リリアナじゃなく、勇者になろうとした。でも、出来上がったのは勇者リリアナだった」
自分よりは上等な考えだとシャールカは自嘲する。しかし、声には出さない。
「まだ戦うのですか? リリアナさん」
「……でも、もう戦う意味もない。通して欲しい。ヴィルがいるなら、会わせて欲しい」
懇願するように、リリアナはシャールカに涙に歪んだ目を向けた。
それが幼い頃に戻りたいという気持ちの表れだと察した。
――ああ、彼女と私はどうにも似ているようです。
だが、対する銀髪の令嬢は憐憫を浮かべつつも、首を横に振る。
「できません」
その言葉を聞いたリリアナは、うつむいて拳を握った。
「ずるいよルカちゃん」
「ずるい?」
「私だって、勇者なんか欲しくなかった。称号がなければ、今もずっとヴィルの側にいられたかもしれないのに……」
「なら、貴方は戦いを止めれば良かったのです、リリアナさん」
先ほどまで遠巻きに警戒していた帝国のEAたちが、シャールカを守るように周囲に並んで剣を構えた。
「……私にとっては、真竜国も故郷だよ。こんなになっちゃったけど」
「あなたの置かれた環境には、充分に哀憐の情を抱きます。ですが、私はどうしてもヴィルに会わせることができません。恨んでも構いません。ですから、今はブレスニークに身を寄せなさい」
「……そっか。ルカちゃんが手配してくれたんだね、ありがとう」
「礼には及びません。ですから、今は」
ここから立ち去って下さい。そう言おうとした。
シャールカのすぐ横にいたボウレⅡが動き始める。
隣にいた仲間のボウレを鋭い剣捌きで切り倒した。
「なっ!?」
勇者も令嬢も驚く。
EAの中から、
「勇者殿、コンラートの兄です!」
と叫んだ。
「……貴方が」
「私がここを引きつけている間に! ヴィート・シュタクを!」
剣に秀でたコンラートを教えた彼は、三代剣聖流という剣の流派で免許皆伝を得たほどの腕前だった。
あっという間に残りの四体のボウレを叩き伏せ、シャールカに剣を向けた。
「ご令嬢、大人しくしてもらいましょう」
「ヨナーシュ・クハジーク大尉。これは裏切りですか?」
「こうしなければ、私の家族は殺されてしまうのです」
「慈悲を乞えば、許して差し上げます」
「命令をしたのは、あなたの実家だ!」
「……そうですか」
一瞬だけ目を見開いたシャールカだったが、すぐに感情が抜け落ちたような顔へと変わった。
「勇者殿、お願いします! 後生ですから! 私を、私の家族を助けて下さい!」
心からの懇願に、リリアナは戸惑うが、レクターを動かす気にはならなかった。
コンラートから、彼の兄が皇帝一家暗殺を企む一派の実行犯だと聞いていた。かといって、それを助ける気にはなれない。
「それはできないよ、コンラート君のお兄さん……」
「勇者殿! お聞き届け下さい! これは真竜国のためなのです」
「真竜国の……?」
「避難民の乗る船を手配したのは、ブレスニーク家です。彼らは貴方を迎え入れるために、真竜国の民を受け入れるつもりなのです! ですから、貴方がここで立ち上がらねば!」
シャールカに剣を突きつけたまま、ヨナーシュ・クハジークが勇者に願い続ける。
彼としては、行動に移してしまったがゆえに、もう引き返すことはできない。勇者に是が非でも動いて貰わねばならなかった。
おそらく自分の情報は漏れている。ゆえに多くのEAが警戒に当たっていた。ここで勇者の力を借りられなければ、全てが終わってしまう。
「みんなが……」
リリアナが呟いた。
――また、勇者に囚われる。誰もが勇者であれと押しつける。
自分一人の問題なら、命を捨てれば終わりだ。
しかし、真竜国の民は帝国から逃げることができず、この地でブラハシュアのように朽ち果てるかもしれない。
少なくとも仲間であるメンシークにアーシャは処刑されるだろう。ロマナも副騎士団長の娘で元竜騎士見習いだ。命を助けてもらえるかはわからない。
「ヨナーシュ・クハジーク大尉、黙りなさい」
「動かないでいただきたい! そもそもブレスニークの令嬢たる貴方がなぜ、私の行動を止めるのです!?」
剣を突きつける男の声に、焦りが見え始めた。
周囲には増援のボウレⅡたちが集まり始めていた。数はすでに十機を超えている。
早く勇者に動いて貰わなければ、無駄死にに終わると焦燥感に包まれ始めていた。
「ヨナーシュ・クハジーク」
今までで一番冷たい声だった。
横目で勇者を見ていた反逆者は、自分の剣がピクリとも動かなくなっていたことに、ようやく気づいた。
「なっ?」
「黙りなさい」
シャールカが切っ先を生身の指で掴んでいた。彼がいくら力を込めて引こうとも押そうとも、まるで動くことがない。
「く、くそ! 強力な身体強化の魔法か!」
全く動かなくなった剣を何とか抜こうと、EAの脚甲内に魔力を込めて付与魔法を発動させる。
「残念です」
その瞬間を知っていたかのように、シャールカが指を離す。バランスを崩したヨナーシュは、たたらを踏んでしまっていた。
その間にシャールカのボウレⅡはEAの胴と兜を閉め、万全の状態へと変わる。
「くそっ! こんな!」
ヨナーシュは何とか体勢を立て直し、剣を前に向けて構えた。
「え?」
しかし、彼の視界に広がっていたのは、大きな帝国の紋章入りの盾だった。
それがヨナーシュの剣を絡め取って、切っ先を叩き落とす。
流れるような動作で、シャールカのEAは突きを放つ構えに入っていた。
「今は貴方に構っている暇はないのです、申し訳ありません」
いつも通りの平淡な調子とともに、銀光が走った。
「兄貴!!!」
コンラートの声が響く。
ヨナーシュのボウレの首元に、シャールカの放った鋭い刃が刺さった。
コンラート・クハジークは、勇者の後を追いかけて、EAを着た特級冒険者たちとともに全力で走り続けた。
今し方、ようやく首都まで辿り着いたばかりだった。
兄の叫び声が耳に入り、それが聞こえてきた場所へと走った。
広場へ繋がる道の真ん中で、勇者の背中を発見する。その向こうには、銀髪の令嬢に剣を突きつけたボウレⅡが見えていた。
そのEAの中身が兄だと気づいて、彼はとにかく近寄ろうとする。
そのとき、状況が動いて、ヨナーシュの首にシャールカの操るボウレの剣が突き刺さった。
「兄貴ぃ!!」
青色のレクターが、白銀のレクターの横を通り抜けて、ヨナーシュの元に駆け寄る。
「兄貴! おい、兄貴!」
倒れたボウレの前面部を開けながら、コンラートが大声で兄弟を呼んだ。
生身が見えたヨナーシュの首は、すでに半分を削り取られており、目は虚ろになっている。
「クハジーク少尉、撤退しなさい」
冷たい声がコンラートの上に降り注ぐ。
「兄貴!」
その体を揺らすが、ヨナーシュの目はすでに虚ろになっていた。
彼は聞き慣れた弟の声を聞きながら、命の灯火を失った。
「兄貴いぃぃ!」
慟哭の声が周囲に響く。
その少年の慟哭の声を聞きながら、リリアナは考える。
どうして、みんな、私を放って置いてくれないのだろう。
もう終わろうとしていたのに、真竜国の民という人質を取ったブレスニーク公爵家が、彼女を戦いへと駆り立てようとしている。
「クハジーク少尉、兄を連れて撤退しなさい」
相変わらず、感情があるのかないのかわからない声だった。
「……さねえ」
青色のレクターが、兄の亡骸をそっと地面に寝かせる。
「クハジーク少尉」
「許さねえ! てめええ!!」
剣を抜きながら、コンラートは盾を持ったシャールカへ振り下ろす。
「……本当に、残念です」
盾で受け流し、兄のときと同じように剣を地面へと抑えつける。
そのまま突きを放って、シャールカの剣が再び空気を切り裂こうとした。
「駄目!」
白銀のレクターが叫びながら、シャールカの剣を弾いてしまう。
「……リリアナさん」
「駄目だよルカちゃん!」
「皆さん、クハジーク少尉を取り押さえなさい。勇者は私が相手をします」
シャールカ・ブレスニークが感情のない指示を出すと、応援に来ていたボウレⅡたちが動き始めた。
しかし、その一機の胸に、太い矢が突き刺さる。
「特級冒険者チーム、参上だぜ」
レクターを丸くしたようなEA六機が走ってきた。そのうちの一機が持っていた弓から矢を放ったようだ。
「……そういうことですか、リリアナさん」
「ルカちゃん、違う、違うの! ただ、これ以上、死人が出るのは避けたくて!」
「貴方をヴィルに会わせることはできません。ボウレ部隊は、その乱入者の相手を」
大盾を構えたシャールカのボウレⅡが、勇者に向けてゆっくりと歩み始める。
「くそがああああ!」
だが、リリアナを押し退けてコンラートが渾身の突きを繰り出した。
「無駄です」
並みの達人なら受け止めることさえ難しい一撃を、シャールカは首を曲げるだけでかわす。
彼女は再び剣を振るい、コンラートの命を絶とうとした。
「おおっと、させねえよ、お嬢さん」
そこに男の声が聞こえてくる。
勇者たちと同系統の鎧が空高くから、剣を振り下ろしてくる。
シャールカは後ろに大きく飛び、距離を取って回避した。
それから再び盾を剣を構える。
「特級冒険者チームと言いましたね。何者ですか?」
「さっき、ルカちゃんとか呼ばれてたけど、アンタがブレスニークの令嬢さん?」
冒険者の男がEAの中から、気さくな調子で声をかける。
「だとしたらどうしましたか?」
全てを撥ね除ける氷壁のような返答に、冒険者の男が口笛を吹く。
「怖いねえ。オレは特級冒険者のクリフってんだ。クサヴェル・ブレスニーク次期公爵に依頼され、家出娘を連れ帰るように言われてきた」
「……お父様の差し金ですか。しかし、ここは帝国右軍の陣中です。ただで帰れると思うのですか?」
「そりゃタダじゃ帰らねえよ? アンタを連れて帰らなきゃいけねえんだ。オレたちゃ冒険者だ。魔物の巣深くで首領だけ狩って帰るなんてのは、ザラだよ」
「一つ聞きます」
「なんだい? ご令嬢」
「貴方たちは、あの避難用輸送船で来たのですね?」
「そうだけど、どした?」
「……ならば、殺します」
「怖い怖い。おいみんな、ケガさせんなよ」
クリフという男が、余裕ぶった調子のまま、後ろに控える仲間のEAへと声をかける。
聖龍レナーテを倒した直後、新たな騒乱の火種は、瓦礫で埋められた真竜国の首都で始まるのであった。




