7、そういう素振り
エリク皇子は帝都にある自分の屋敷で頭を抱えていた。
廃位からほとんど眠っていない。目を閉じれば、あのときの光景が瞼に浮かぶ。
目の前で刺される老人、お前など必要ないと見下す父親、嘲笑う紅の将軍。
「殿下……」
ベッドの上から擦り寄ってきた女は、側室代わりの愛人だった。
彼とて男である。金銭的に面倒を見ていた後腐れのない未亡人が数人いた。
それも今ではこの女一人であった。何故なら他の愛人たちは、出戻った貴族の娘たちであり、仲間と見られないよう親が引き上げていったのだ。
皇太子位の剥奪は、それほど衝撃があった。
「すまないが……出て行ってくれ……」
「ですが……」
「悪い、一人にしてくれ」
「……はい」
女が手早く服を羽織り、薄暗い部屋から出て行った。
「ははっ……何が聖騎士だ」
誰もいなくなった空間で、自分の馬鹿さ加減を笑う。
確かに皇太子として育てられ、脳筋の弟であるザハリアーシュとは大きく差をつけることに成功した。
それが今では友人どころか商売人すら近寄らない。
落ちくぼんだ目元に涙が光る。
こんな簡単に、人は落ちて行くのか。落とされてしまうのか。
「殿下」
ドアの向こうから馴染みの執事が声をかけてくる。
「何だ?」
「皇妃陛下が来られています」
告げられたのは、まだ正室に座している母親が、自分を訪ねてきたという知らせだった。
「帰るように言ってくれ。今、私と話していれば、母上ですらあの女に葬られるかもしれん」
「それが……」
「何だ? はっきり言え」
「もう一人、客人を連れてきておりまして」
「誰だ?」
「……ブレスニーク次期公爵でございます」
顔を洗う時間を待たせ、軽く身支度をしたエリクは、応接室に入る。
彼の顔を見た美しい女性が、ドレスの裾を持ち上げて駆け寄る。
「エリク! まあ、こんなにやつれて……」
「母上……ご心配をおかけして申し訳ありません」
「いいのよ……本当にいいのよ……こちらも不甲斐ない母で申し訳ありません」
息子を抱きしめ、母も涙を流していた。
皇妃アルビーナ・メノアは、皇帝に決定を覆すよう、何度も説得を試みていた。
だが、付き合いも長い彼女には、それが決して変わらない決断であったともわかっている。
「それで、次期公爵は何の用かな?」
立ち上がったまま、申し訳なさそうな中年男性が頭を下げる。
彼は殺された公爵の息子でありシャールカの父、クサヴェルだ。まだ喪に服している期間であり、爵位を継ぐことはしていない。
「殿下、帝都を去る挨拶をしに参りました」
「そうか。此度は苦労をかけたな」
「いえ……こちらこそ、父の不始末を押しつけてしまい」
「言うな。乗ろうとしたのも私だ」
「申し訳ございません」
「まあ座りたまえ。母上もこちらへ」
二人を促し、彼も応接用の柔らかいソファーに腰を落とした。
皇妃アルビーナは隣に座ろうとしたが、エリクが固辞し、あくまで客人として向かい側に行くようにした。
しばらくの無言の間、執事が白い陶器に注がれた茶を差し出し、会話が再開される。
「クサヴェル殿、シャールカの様子はどうだい?」
「ふさぎ込んでおります」
「なぜだ? 彼女が悔やむことなどあるまい」
「エリク殿下と父上を止められなかったことを、その……悔やんでおりまして」
その言葉を聞いて、エリクは自嘲するように鼻で笑った。
「優しいことだな、そなたの娘は。こちらはヴィレームから無理矢理、引き剥がそうとしたのだぞ」
元皇太子の言い様に、クサヴェル次期公爵は言葉を無くす。
シャールカは顔は人形のように整っているが、愛想は少ない。あくまで礼儀として笑ったりということはできるが、それは技術として身につけているだけだった。
それでも心根が優しい人間であることは、父であるクサヴェルも良く知っている。
「剣と魔法の才に溢れ慈悲深く、そして美しい。そのような存在が皇妃になってくれたなら、きっと帝国も大きく発展してくれただろう」
やけになっているような言い草だが、それでもエリクの言葉の端々にはどこかシャールカへの未練を感じさせる。
「勿体なきお言葉です、殿下……」
「私とこれ以上会話をしていれば、再び怪しまれる。これ以上は、その優しいシャールカの身にも危害が及ぶかもしれん」
「わかりました。ですが、殿下もいずれ、東方の我が領地にお出でください」
「行くことはないだろうね」
「きっと、殿下のお心に叶う物も見つかりましょう。まだ棘は喉元にあります」
それだけ告げて、クサヴェル・ブレスニーク次期公爵が立ち上がる。
その言葉に、エリクは内心で小首を傾げた。
もしかして、父を斬殺されたこの男は、まだ諦めていないのかもしれない。
ブレスニーク公爵家は、確かに暗躍が過ぎるが正義感の強い家だ。元は聖騎士の血筋であるということも誇りに思っている。
だからまだ、何かをしようと決意して、ここまでやってきたのかもしれない。
棘が喉元にある、という言い方にも覚えがあった。
シュタク特務小隊には、東方貴族の一員であるシンドレル家の次男テオドアがいる。彼のことを言っているのだとすぐに思い当たる。
「わかった。覚えておこう」
しかし、エリクはまだ、動く決心がつかない。
ゆえに、それだけしか告げることができないでいた。
「亀ぇ……」
冬の砂浜で、エリシュカが恨めしそうに呟く。彼女はびしょ濡れのまま、焚き火に当たっていた。
上着を脱ぎ布を羽織って何とか乾かそうとしている。いつもは結い上げている彼女の茶色い髪も、海水を被ったせいでボサボサになっていた。
彼女の視線の先には、海上に浮かび欠伸をしている全長十五ユルほどの大きな亀がいた。
ただし海竜と呼ばれるだけあって、伸ばしたときの首は長い。
「え、エリシュカさん、無茶はしない方が……」
隣で心配げに呟いているのは、背中にかかる金髪を一つにしばった、まだ幼さの抜けない顔つきの勇者だ。
「いや、何とでもしてみせる。これ以上、リリアナたちだけを頼るわけにはいかな……くしゅん!」
「クシャミ可愛い……」
「絶対に乗りこなしてやる……! 竜騎士の名にかけ……くしゅん!」
竜騎士の中性的な顔つきが怒りに燃える。
「ったく。まるで言うこと聞かないわねぇ、これ」
エリシュカに温風の魔法をかけていたセラフィーナが呟く。
「亀、なかなか凶暴」
その横では防寒具でモコモコしている小さなドワーフ、アーシャ・ユルが寒そうに震えていた。
老冒険者メンシークは、薪を譲って貰いに漁村を回っている最中であり、ここにはいない。
「捕まえるのは簡単だったんだけどね……セラさんのおかげで」
「そうねえ。周りを凍らせて、捕縛魔法で縄を作って、リリアナが引っ張るだけだったから」
リリアナとセラフィーナが何とも言えない表情で呟く。
海竜という名の巨大亀は割とあっさり見つかり、それを勇者と賢者のコンビで捕獲して、この浜まで引っ張ってきた。そこまでは良かった。
しかし、竜騎士であるエリシュカが、その亀を乗りこなすのに時間がかかっていた。
「やっぱ亀だから竜騎士じゃ無理とか?」
アーシャが身も蓋もないことをポツリと言う。
「くっ、しかし、レナーテ様が竜と呼ばれた存在。この竜騎士筆頭であるエリシュカ・ファン・エーステレンに乗りこなせぬはずがない! うおおおおお!」
勢い良く立ち上がり、薄着のままエリシュカが冬の砂浜を海へと駆け出していく。
「元気ねえ……」
呆れたようにセラフィーナが呟く。
そこに、老冒険者メンシークが薪を担いで戻って来た。
「まだまだ時間がかかりそうですなぁ……」
「おかえりなさい、メンシークさん」
「ただいま戻りましたぞ。それより、気になる情報を得ましたぞ、お三方」
薪を下ろし、紐を解いて焚き火にくべていく。
「帝国の動き?」
「さっぱりわからんのじゃが」
リリアナの質問に、メンシークが苦笑いを浮かべる。
「どうしたの?」
「何でも、帝国はとうとう、海底隧道を掘り始めたようで」
「へ?」
「大陸側の港町近くで、下に向けてEAで土を掘り返しているとのことじゃ。何でも作戦名はニーズヘッグと言うそうじゃ」
メンシークの表情の理由がわかり、リリアナとセラが見つめ合った後、小さなドワーフへと視線を向ける。
「アーシャ、どう思う?」
「できないことはない。でも、数百ユミルある海峡の地下を掘り続けるなんて、いくらEAでも時間が掛かりすぎる」
「そうよねえ。何か目的があるのかしら……」
「同時に海上展開もして、ダメ元で掘っているのかも?」
「それか、もしかして高速で海底隧道を掘る手段を開発したとか?」
「ない。と断言したいけど、そこまではわからない」
「ニーズヘッグ……伝説の竜ね。地に潜み溶岩を食んだとかいう。本気かしら……」
セラの言葉に、三人が首を捻って考え込む。
そんな中、海の方から、
「取ったぞ-!」
と元気な声が聞こえてきた。
エリシュカが巨大亀の首に乗り、自在に動かしているように見えた。
「すごーい! さすが竜騎士!」
「ハッハッハッ、真竜国の守護たる我らを舐めるでな……うわああ」
エリシュカが自慢げに胸を張った瞬間、亀もとい海竜が首を大きく上下に振った。
その反動でエリシュカが空中を飛び、ふたたび海に落ち、大きな飛沫を上げる。
「エリシュカさん!」
慌ててリリアナが走り出す。アーシャは小さくため息を吐いて、焚き火に近づいた。
メンシークは乾いた布を持ち、やれやれと歩き出す。
そしてセラフィーナは、
「……もう少し時間がかかりそうね」
と、疲れたように呟いたのだった。
■■■
今回、我らが飛行船ルドグヴィンストに専用装備が取り付けられている。
広大な基地の一角にある飛行場で、エディッタの指示の元、整備員によってバルーン部分に大きな装置が取り付けられている
半球形になったガス袋の先端部分をほとんど覆う、かなり大きな装置だ。
「何だこれは?」
部下を引き連れて、アネシュカ・アダミーク将軍が歩いてきた。
全員が一度作業を止め、敬礼をする。母さんが手を上げると、再び動き始めた。
「これはですね、魔素拡散出力装置です」
「ほう? 何の意味がある? 何も聞いてないぞ私は」
「動体探索の魔法の原理はご存じですよね?」
「空気中の魔素を弾いて、その結果を得るものだとか。あの女が開発したと聞いている」
母さんが作業指示を出すエディッタに視線を送った。
「その通りです。まあ、その魔素を船体前方に集積させて、沢山撃ち出す装置ですね」
「何の役に立つ?」
飛行船のバルーン前面部に穴の空いた装甲版のようなものが取り付けられている。
「魔素を撃ち出します」
「……効果を聞いているんだ」
「波乗りですかね?」
「おい」
左目は隠れているので、右目だけがジトッとオレを見つめている。
オレはちらっと周囲を見回した。うちの特務小隊はEAの整備を手伝っているようだが、例によってコンラートはボーッとしていて、テオドアは働く素振りだけしてやがる。
その様子が将軍閣下にバレないと良いが。
「冗談ではありませんよ。ほら、EA用の『モーターボート』。あれを効率良く出発させる装置ですよ。マナカタパルトという装置です。まだ実験段階ですがね」
「なるほどな。詳しいことは後で聞こうか。ニーズヘッグの方はどうなっている?」
「順調ですよ。ここいらの海は浅い。その下に海底隧道を掘る作業は順調だそうです。ですが、そちらは私の担当ではありませんので、詳細まではわかりません」
「何を言う。どうせ把握しているのだろう?」
「いや、そりゃ把握してますがね」
「竜騎士の全数が把握できた。やはり四匹だ」
「随分減りましたね」
「だが、この四匹が強力なようだ。聖色竜と呼ばれてるらしい。まあ、こうなれば持久戦だがな。所詮は生き物だ。疲れも出る」
「その間に向こうは勇者を帰還させるつもりかもしれませんよ」
「大丈夫だ。ようやく位置を把握できた。ヴラトニアの最北部にある漁村だ。そこで大きな亀と遊んでいるらしい」
「はぁ……」
思わず生返事が出る。
リリアナは何をやってるんだ……亀って。
「行くか?」
母さんが挑発的な視線でこちらを見る。
「行きましょう」
オレも自信を持って答える。
「幸い、天候も良い。飛行船も出せる」
「ですね。ですが、念のため、近くから『モーターボート』で行きましょう」
「そうだな。精々、奴らをからかってやれ」
ニヤリと意地悪そうな顔で笑う将軍に、オレも同じような顔で答える。
「そういうのは得意ですよ」
飛行船ルドグヴィンストは特殊装備をつけているので、今回は母さんの専用飛行船『カノー』を借りる。
「カノー。伝説の聖女の名か」
目立つように塗られた赤いバルーンと黒い船体。母さんの趣味に合わせて、オレたちのルドグヴィンストより速度が出る飛行船になっている。ただし隠密能力は低い。まあ、こんだけ真っ赤ならなぁ。
「良い色ですね、隊長!」
赤毛の副隊長ミレナが、弾んだ声でこちらに言ってくる。
「お前、赤好きなのか?」
「え、ええ。……その隊長はお嫌いでしょうか?」
「いや、嫌いではないな。実はミレナ、右大将の軍服が羨ましいとか?」
「い、いえ、あのような服を着こなせるとは思いませんが、その、勇ましい色合いだと思います」
まあ、母さんの親衛隊が着ている服でもあるしな。皇帝直下の命令を聞くことすらある部隊だ。あの軍服を貰うには、忠誠心は当たり前だが、腕前も求められる。
「とりあえず行こう。今回は五小隊しかいないが、やれるな?」
「もちろんです、隊長!」
ミレナが敬礼をする。
お前は良いんだよ。その背後で震えている二名が不安なんだよ。
「コンラート、テオドア、お前らは大丈夫か?」
問い掛けると、ボーっとしてたのか、二人ともハッとした顔で、
「わ、わかってる」
「だだ、大丈夫っす」
と、どもった返事をした。
大丈夫かね。
まあ、今回は腕利き揃いだ。何とかなるか。
「では行こうか、諸君。今回はオレの上に中佐殿がいるからな。命令を守れよ」
運び込まれる新型機バルヴレヴォISを見る。
オレのバルヴレヴォと似たような形状だが、装甲は隕鉄ではない。その代わり、軽量であり速度はかなり出る。あと、モーターボートにも乗れる。
運び込まれる新型機の後について、オレたちも飛行船カノーに乗り込んでいくのだった。
飛行船名
ルドグヴィンスト
カノー
オーガ
トーノ




