5、即断
オレは珍しく皇族用に仕立てられた服を着て、帝城アダルハイドの上層階を歩いていた。
所詮は庶子なので、お付きなどはいない。
ここまで来た用事は終え、最上部に近い廊下を歩いているときに、久しぶりの人物に出会う。
「これはこれは、エリク兄上ではありませんか」
多くの高級文官を連れ歩く宰相補佐であり、皇太子でもあるエリクの姿を見つけた。我が世の春とでも思っているのか、通路に敷かれた赤い絨毯の真ん中を、堂々と歩いている。
「ヴィレーム? 珍しいね」
「私がここにいることは、確かに珍しいですね。普段は軍務で忙しいですから」
「あ、ああ。そうだね。何をしに帝城まで来たんだい?」
「ああ、ザハリアーシュ兄上に用事がありまして」
それは三男であるオレと長男であるエリクの間にいる皇子の名だ。
南方貴族出身の母を持ち、がっしりとした体躯の脳みそまで筋肉でできているような性格の男だ。
「ザハリアーシュにね。そうか」
金髪の皇太子が意味ありげに笑う。
ザハリアーシュが、自分の競争相手になり得ないと思っているのだろう。
まあ、実際に権勢に差がある。エリクの母である皇妃は西方貴族の出身であり、なおかつ東方ブレスニーク公爵家が推す皇太子だ。
ゆえに南方しかないザハリアーシュでは、エリクと競争にすらならない。
オレは庶子でそもそも、皇帝の座とか興味ないしな。真竜国の奴らを滅ぼせば、どっかに引っ込んで綺麗な嫁と慎ましやかに暮らす予定だ。
やれやれと内心でため息を吐いていると、エリクがオレの姿を上から下まで視線を動かし、
「もう少し良い服はなかったのかい?」
と小馬鹿にしたように笑う。
今日は珍しい態度だな。いつもの爽やかさがない。
まあ、申し訳程度に刺繍が入った白のベストに、光沢のある黒の膝丈コートという、派手さにかける格好だ。
その上、黒髪黒目というのだから、やはり地味か?
「何せ滅多に着ないものでね。本当なら軍服で来たかったぐらいですよ」
対して皇太子エリクは、皇族らしい金に光る刺繍の入ったローブを羽織っている。その後ろにいる貴族たちも、似た様な服だ。
どうも帝城ではローブ系が今の流行らしいな。父さんが好んで着るからか。
「そんな調子でいたら、婚約者に嫌われるかもしれないよ? ヴィル?」
わざとらしい呼び方だ。
しかしな、エリク。オレはお前をもう少し賢い男だと思っていたよ。買いかぶりだったか。
「そうですね、兄上。婚約者の国から連絡がなくなり他国と組んで攻めてきた上、最後は骨になって放置され犬の餌、なんてのは御免被りますね」
挑発し返すと、エリクの笑みが消える。
それはエリクが未だ独身である理由だ。
ザハリアーシュは上級の貴族の娘を娶り、子供もすでに数人いる。
だが、皇太子であるエリクは未だに正室も側室もいない。
「……ヴィレーム」
精一杯こちらを睨んでるところ悪いがな、兄上。その辺の町娘でも、もっとマシな目つきをするぞ。子犬か。
「それでは失礼しますよ。ああ、兄上」
「……なんだい?」
「ブレスニーク公爵が、皇帝陛下の執務室を訪ねているようですが、何かありましたか?」
その問いに、エリクは口の片側だけを吊り上げ、
「きっと私の皇妃候補についてだろうね」
とさらに挑発してきた。
はっ、バカらしい。
「強欲はきっと身を滅ぼしますよ。それでは」
軽く頭を下げて、踵を返す。
ああ、エリク。
可哀想な長兄よ。
どうしてお前は気づかない。
すでに帝国の時流は、お前の元から外れたということに。
■■■
「今、何と申したか!?」
皇帝の執務室で、アネシュカ・アダミークが吠える。
柔らかな赤いソファーに座る老人が、立ち上がった将軍に向かい、
「儂が先の漏洩騒ぎの引責を取り、息子に爵位を譲る。そして皇太子エリク殿下を推す代わりに、孫娘シャールカを次代の皇妃とせよと言った」
と吐き捨てた。
もう一人の人物は皇帝ユーリウス。彼は向かい合った側に座ったまま、つまらなそうに公爵を眺めていた。右腕を失っているので左腕で頬杖をつき、膝の上には皇帝の証である錫杖を置いている。
「貴公らも納得済みの話ではなかったか!?」
アネシュカがいきり立つが、公爵は鼻で笑って見下した態度を取る。
「事情が変わったのじゃ。我がブレスニーク公爵家が治めるは東方。EAに必要な素材がもっとも効率良く集まる土地じゃ。将軍よ。意味はわかるな?」
「なかなか言うではないか、公爵」
今にも剣を抜きそうな黒髪の女丈夫に一歩も引かず、老人は好戦的な笑みを浮かべる。
「レナーテの喉元はもうすぐじゃ。ヤツが倒れれば大陸が乱れるは必死。その後始末をするのは次代。エリク皇太子殿下と貴族たちよ」
「ほざいたな、たかが年貢の取りまとめ役ごときが!」
腰に下げた鞘から片刃の剣を抜き、紅の女将軍が殺気を放つ。
「皇帝の前で刃傷沙汰か。所詮は平民よ。我らの苦悩はわかるまい」
そう言って老人はチラリとソファーに座ったままの皇帝を見た。
視線を受けた方は体を起こし、錫杖を残った左手に持つ。
「ブレスニーク公爵」
「何でしょうかな、皇帝陛下」
「帝国千年の計画の成就は近い。準備はできたか?」
皇帝が公爵に向けた錫杖の先には、子供の拳ほどの石が加えられており、怪しい光を放っていた。
「は? ミレ……ニアム?」
「わからぬか? 言葉の意味が」
ユーリウス帝は心底呆れたように、ため息を漏らす。
それまで強気に出ていた公爵の顔が、戸惑いに染まった。
彼が聞いたことのない単語だった。
ミレニアム、千年を示す言葉だとは知っている。それ以上の意味を、公爵の長い人生では求められたことはない。
ブレスニーク公爵は杖をついて立ち上がり、
「お、お戯れを。こちらはすでに把握しておるのですぞ」
と強い語気で言う。
「ほう? 何を?」
「ヴィレーム殿下が、魔王の称号を持つ者だということをです! そのような者のところに、我が孫娘をやるわけにはいかんのです!」
冷や汗を垂らしながら、公爵が叫んだ。
だが部屋の中にいた公爵以外の誰もが、魔王という単語に焦りもしない。近衛兵や宰相であってもだ。
ヴィレームの母である右将軍アネシュカにいたっては、怒りを通り越して呆れたような目を向けていた。
「ククッ」
皇帝が喉を鳴らす。
「な、何がおかしいのですかな?」
「聖騎士殿の末裔が、帝国千年の計画すら知らんとは、世も末だと思うてな」
明かな侮蔑に、老人が激しく憤る。
彼にとって、帝国に自ら冠を渡した聖騎士王国の末裔というのは、自尊心の中心となっている。
他の公爵どもとは違う。メノア建国に協力し、その後に合流した国の末裔だ。本来なら対等の家柄であるべきだ。
老人は本気でそう思っていた。
「そ、そのようなものは、我がブレスニークには伝わっておりませぬ!」
「公爵」
焦る老人に対して吐かれたのは、冷たい呼びかけだった。
「へ、陛下、儂は」
「何を増長したのか、お前の馬鹿さ加減には呆れる。EAの素材が取れる領地? そんなもの、奪ってしまえば良いだけだ」
「は?」
「何、抵抗しても構わん。失われた我が右腕に代わり、帝国右軍の勇士たちが、そなたらを魔物の餌にしてEAの素材にしてくれるぞ」
「陛下! そのような物言いは許されませぬ! 儂ら東方だけではなく、他の公爵たちも黙ってはおりませぬぞ!」
「黙れ」
「は?」
「黙れと言っている……アネシュカよ」
愛する夫に声をかけられた瞬間、彼女は刃を振り上げ、老人の眉間を切る。
声も上げれず、ブレスニーク公爵は額を抑え絨毯の上に崩れた。
鮮血が辺りに飛び散る。
「武器も持てぬ聖騎士の末裔など、私が怖れるか。まだわからぬようだな?」
「ぐ、へ、陛下、これは……何を」
転がったまま、何とか口を開く老人に、皇帝はつまらなそうな表情で、
「バカが。聖騎士、魔王、そんなものに意味はなくなるのだ」
と吐き捨てる。
「ご、ご乱心か」
「お前らが乱心と呼ぶなら、私はずっと以前から乱心しておるわ。今でもあの屈辱忘れんぞ」
皇帝の言葉と同時に、アネシュカが老人の腹目がけて蹴りを入れた。
くの字に曲がり、骨が折れる。
哀れな老人は、もはや呻き声も発せなかった。
右将軍はその上に右足を置いて体重を思いっ切りかける。
皇帝が左手に持つ錫杖の宝珠が光った。
「側近も臣民も騎士も、みなが私を生かすために死に、この右腕すら失った。帝都に戻った私が見たのは、美しい顔が焼けた妻と、相手を怖れ腰を曲げる貴族どもだ。あのときに思ったのだよ、公爵。きさまらは次代には必要ないとな」
そこまで言い終わると、皇帝は再びソファーへと腰を下ろした。
そして老人はただ脂汗を流して呻き続ける。そんな彼の細首をアネシュカが掴み、片手で持ち上げた。
「誰か、エリクを呼んでこい。どうせ近くで出番を待っている」
皇帝が叫ぶと、控えていた侍従が走って行く。
五秒とせず、皇太子エリクがその母である皇妃を連れ、部屋に駆け込んできた。
「こ、これは……?」
惨状に驚き呻く。それは彼が予想した事態とは全く違った。
「へ、陛下……それにアネシュカ……」
美しい皇妃が顔を青くし、卒倒しそうになっていた。
「エリクよ」
ソファーに座ったままの皇帝が、冷たい口調で息子の名前を呼ぶ。
「へ、陛下……これは」
「跪け、馬鹿者が。私を誰だと思っている?」
その叫びに、エリクはハッとして慌てて膝をついた。
いくら息子とはいえ、皇帝陛下の前ではエリクも尊攘の態度を貫く必要がある。
「も、申し訳ありません!」
「お前、まだわかっておらぬようだな?」
「な、何をでしょうか?」
「十年前、歳は十八だったか、貴様は。貴族連中を止められず、勝手に和睦などを結ぼうとした罪をだ」
「そ、それは! ……まさか、シャールカが何か」
エリクの質問を聞き、皇帝の顔が初めて憤怒へと変わる。
「アネシュカ」
「はっ」
忠実なる右腕、右軍大将アネシュカ・アダミーク。
彼女は左手一本で掴み上げた公爵の左胸に、右手の剣を突き立てた。
血を吐き、老人は絶命する。
その光景を見て、皇妃は後ろへと倒れ込んで気絶した。
アネシュカは刃を抜き、跪いたままのエリクの横へと死体を投げ捨てた。
「へ、陛下! それは!」
「バカが。きさまは廃嫡だ」
「え?」
「二度と皇太子を名乗るなよ。同じバカでも、ザハリアーシュの方が百万倍マシというものだ」
信じられぬ言葉を聞き、エリクの体が固まる。
公爵が目の前で殺されたことよりも、大きな衝撃を与えた。
「な、何を……おっしゃって……」
ずっと皇太子として育てられたはずの彼が、一瞬でその位を取り上げられたのだ。
グルグルと脳内に血液だけが回るが、何も喋ることができない。
そんな彼を見て、皇帝が鼻で笑う。
「シャールカが私に何かを言うと思うてか? あれはヴィレームにすら黙っておったわ」
「で、では……」
「だから廃嫡なのだ。ああ、貴様は自身の後見をする、西方と東方の貴族達を当てにしているようだな。ゆえに右軍にはザハリアーシュ派を推してもらうことにした。意味はわかるな?」
エリクは先ほどの出来事を思い出す。
帝城では滅多に見ることのない庶子ヴィレーム・ヌラ・メノア。
それがザハリアーシュに会いに来ていた。
ヴィレームのもう一つの姿は、ヴィート・シュタクだ。そして母は右軍大将アネシュカ・アダミークである。
つまり帝国で最強の者たちが、南方貴族と組んだ。
そして皇帝すらそれを推す。
そのために庶子ヴィレームが、継承権二位の次弟に会いに来ていたのだ。
「近衛、入れ」
皇帝が声をかけると、部屋の外に控えていた軍服の男たちが入ってくる。そしてエリクの元に駆け寄って拘束しようとする。
「へ、陛下、お待ち下さい!」
「一応は息子であった。殺しはせんがな、エリクよ、その老人を担げ」
「え?」
「担げ!」
「は、はい!」
気迫に押されるがまま、老公爵の亡骸を抱え上げる。その流れた血が豪奢な皇太子のローブを汚していった。
何を言えぬまま、ただ震えるエリク。
そこにアネシュカが、挑発するように憐憫の笑みを向けた。
「生かしてもらった恩すら忘れ、ヴィレームに刃向かうか。そもそもの話だ。そもそも、なぜ私が貴族ごときを怖れると思ったか」
「な、何を言うか、アネシュカ将軍!」
「何でも言うさ、『聖騎士』。さあ、その御力を使い、ブレスニーク公爵の屋敷へとその枯れ木を届けよ」
エリクの端正な顔は、すでに血の気が引いている。
全てだ。
全てがお見通しだった。
おそらく公爵家の中心にすら、皇帝の密偵はすでに潜んでいる。
恐怖に唇が震えた。
バカなことをした、と思う暇すらない。
ホンの些細な嫉妬を、公爵にくすぐられた。
帝国の体制を変えなければならない。それは宰相補佐として働いて感じたことだ。あまりにも軍事に寄りすぎている。
それも真竜国を抑えれば終わることだと、ずっと黙っていれば良かった。
廃嫡。すなわり皇位継承権一位ではなくなった。
その言葉が重くのし掛かる。
この先、皇太子と呼ばれることすらない。
それが当たり前だと思っていたが、継承権に興味すらないヴィレームを見て悔しく思ったこともあった。
皇帝ユーリウスはいまだ座ったまま、面倒くさそうにシッシッと手を振った。
「では、行け、エリク・ヌラ・メノア」
イェデンではなくヌラ。すなわち皇位継承権の消失。
「……失礼……いたしました……」
エリクは肩に老人を担いだまま、頭を下げる。
こうして、皇太子が代わり、帝国は最後の戦争の開始へと進み始めるのだった。
その二つの知らせはあっという間に国中を駆け回った。
ブラハシュアの反乱勢力にEAの設計図を漏らした罪で、公爵は処刑された。
しかし、今まで帝国に尽くしたことを根拠に恩赦を出され、公爵の首だけで収まった。
その公爵から良からぬ企みを聞かされ、乗ろうとしたエリク皇太子は位を廃され、ただの庶子へと変わる。
すでにブレスニーク公爵家の周囲から、人は消え始めていた。
シャールカは帝都の屋敷内にある自室で、暗い顔で考えていた。
祖父が皇帝と右軍大将に殺された。
エリクは皇太子でなくなり、おそらく公爵家は伯爵位へと落ちる。
彼らが企んだ計画は、あっという間に水泡へと帰した。
苛烈。
凄惨。
正に即断であった。
彼女は、祖父であるブレスニーク公爵が、それなりの勝算を持って、皇帝との取引に望んだと知っている。
ブレスニーク公爵家の治める帝国東方は、EAに使う新触媒用の素材が多く取れる土地だ。そういうことになっていた。
ゆえに公爵が勘違いしたのだと、ルカは今更気づいた。
皇帝としては、直接治めても良かったのだ。ただ、邪魔をしないから生かしておいた。その程度だ。
彼女が考え込んでいると、ドアがノックされる。
「はい」
「私だ、シャールカ」
焦燥した顔の父が入室してくる。
「お父様」
「……何もかもなくなったぞ、シャールカ」
「それは……」
「今の帝国はおかしい。父上はやり方こそ間違えたかもしれんが、ただ帝国と大陸の行く末を心配しただけというのに……。こんな横暴が許されるのか……」
両膝をついて声を振るわせる父の側に、シャールカは駈け寄った。
広大な領地を持つ帝国は、貴族たちの協力を持って治められている。
その筆頭たる公爵家の当主を、簡単に殺す。
本来なら有り得ないことだ。
「シャールカ、……ヴィレーム殿下との婚約は今まで通りだ」
「え?」
「だが当分、距離は置きなさい。今、ヴィレーム殿下と一緒にいるところを見られたなら、お前だけでなく殿下の外聞も悪くなるやもしれん」
エリクが皇太子を降ろされたことは、貴族だけでなく町中の娘たちまで知っている話だ。そこにヴィレームとシャールカが逢い引きをしていたなら、あらぬ噂が立つだろう。
「……わかりました」
ブレスニーク家としては、これ以上波風を立てるわけにはいかない。少なくとも、皇帝のお目こぼしにより、当主の首だけで済んだことだけは事実なのだ。
それもシャールカの家族がいなければ、結婚式もつまらないだろうとか、そういう理由だったとは、公爵家の人間らは知らない。
「一度、領地へと帰る。準備をしなさい」
寂しげにそう伝えて、シャールカの父は部屋から出て行く。
結果として、彼女はヴィルにしばらく会うことはできなくなった。
エリクとの話が完全になくなり、喜んで良いのか悪いのか、わからない。
ただ、無性に婚約者の顔が見たくなったことだけは、間違いなかった。
即座に断じた




