2、独りよがりの追想
オレたちが辿り着いた牢屋は、元々は下級政治犯を収容する石壁の牢屋だった。
今はその格子が力尽くで折り曲げられ、周囲の壁にはいくつか傷跡がついていた。
「爪……跡か?」
コンラートが入っていた牢屋を出てすぐの壁に、四本の爪で引っ掻いたような痕跡が残っていた。
「どうかしましたか? 大佐?」
「ミレナ、これ、何だと思う?」
「えっと……」
赤髪の剣聖ミレナが、オレの横から同じ場所を覗き込む。
「魔物の爪跡のような感じかと思います」
「だよな。しかしこんな場所に四本指を持つ魔物が乗り込んでくるわけがない」
「ということは、これをコンラートが?」
二人して体を起し、周囲を見渡す。
十人以上の軍人が慌ただしく現場を駆け回っていた。
幸い、死人はなかったそうだが、何人かが風圧で吹き飛ばされて負傷したそうだ。
屈んだミレナが、足元を指で擦る。照明の魔法で照らされた石畳の床には、同じような傷跡が残っていた。
「ここにもあります……爪が硬くなるような技能や能力を持つ称号を得た、と? しかし」
「なるほどな」
「大佐?」
「事態はやはり最悪だ。メナリーに攻めるどころじゃないな。してやられたか」
思わず舌打ちが漏れる。
照明に照らされた政治犯用の収容所を見渡した。
「ミレナ、気をつけろ。敵はコンラート・クハジーク。ヤツが手に入れた称号はやはり、聖龍だろう」
そう告げると、ミレナが息を飲む。
オレたちは、聖龍の称号を持つ魔物『レナーテ』と交戦経験がある。終始作戦通りに進んだとはいえ、厳しい戦いだった。
隣に立つ副隊長も、思い出しているのだろう。
しかし、すぐに真顔に戻りオレを見つめる。
「私も、あの頃より成長しております。たとえレナーテがもう一度出てこようとも、必ず打倒してみせます」
後頭部でまとめ上げられた赤い髪は、まるで燃える炎のようだ。そのいかにも生真面目そうな顔つきにも曇るところはない。
出会った頃よりも歳を経て、女らしくなった部分もある。剣聖の称号を経て一年で、その能力の使い方に習熟したおかげでもあるだろう。
それらをさておいても、ミレナ・ビーノヴァーという人間は得がたい補佐官だ。
「助かる」
「当たり前のことです、大佐」
「そうかい」
少しだけ頬が緩みそうになるが、誤魔化すようにマスクに触れて背中を向けた。
「なら行こうか、ミレナ」
「はい。コンラートを追います」
いつもどおり剣聖を従え、オレは調査する左軍の兵士たちの間を堂々と通り抜けていった。
■■■
コンラートが脱獄した日の翌朝、帝都にある軍の士官学校の校舎の裏手では、三人の少年少女が自主訓練を行っていた。
「おいレンカ、聞いたかよ?」
素振りをやめて剣を鞘に入れた少年が、汗を拭きながら隣の女子に話しかける。
「なになに? 何の話?」
レンカと呼ばれた女子は、活発そうな短い金髪の少女だ。大きな目を輝かせながら、話しかけてきた少年に近づいた。
「お前の憧れのヴィート・シュタクが、とうとう嫁を取ったらしいぞ」
「え!? それホント? マジで!? 嘘でしょ! 嘘だと言ってよ、シモン!」
「い、いや、うちの親父が昨日の論功行賞の場にいてな。何でも、そ、そう! ブレスニークの生き残りを引き取ったそうだ」
肩を揺さぶられている生真面目そうな赤髪の少年が、少女レンカの勢いにたじろぎながらも答える。
「ひ、引き取っただけでしょ!? それにブレスニークって謀反起したところじゃん! 良くて軟禁でしょ!」
「いや、何でも右軍に協力した功績で、減刑されたそうだ」
「何でよもう! そんなん関係ないじゃん、謀反なんだから黙って処刑されててよ、もう!」
この世の終わりと言わんばかりに膝をついて落ち込んだ様子を見せる。そのままぶつぶつとレンカが色々と悪態を吐き続けていた。
「ま、まあ元気出せよ、レンカ。どのみちオレたちみたいな士官候補生ぐらいじゃ、大佐には」
その落ち込みように、なぜか申し訳ない気分になった赤髪の少年シモンが励まそうとする。
そこに、黙って素振りをしていたもう一人の少女が、
「いい加減諦めるべきよ。相手は帝国の英雄様よ? 懸想する方が失礼でしょ」
と口を挟む。
冷ややかな表情で眉間に皺を寄せた、長い濃紺の髪の少女だった。
「何よヴィエノ! 知ってんのよ、アタシ! アンタがしれっと右軍基地の見学をしようと親の力使おうとしてんの」
「な、何を言うのよ、レンカ。わ、私は単に今後のために」
レンカの言葉に、ヴィエノと呼ばれた少女が、わかりやすいぐらいに目を泳がせる。
「アタシに何も言わずにシュタク大佐を一目見ようとしてんでしょ! スカした顔してるけど、アンタが自室に大佐の肖像画張って毎日うっとり眺めてんの、知ってんだからね?」
「そ、そんなものは張ってないわよ! だ、だいたいシュタク様……じゃない大佐は、流行の役者でもないんだから、そんな肖像画などあるわけが……」
「三番地の裏にある貴族向けの絵画屋で、金に物言わせて書かせたでしょ」
「し、知ら、知らないわよ私は!」
問い詰められたヴィエノが必死に弁明しようとするが、レンカとシモンの二人は白い目を向けるだけだ。
そんなやりとりを三人の少年少女がしているとき、軍学校を囲む高い壁の上に人影が走った。
「誰だ!」
シモンが剣を抜きながら、三ユルほど上に立つ人影に向けて叫ぶ。
レンカとヴィエノの二人は驚きながら、シモンの後ろに隠れた。ただ二人とも剣を抜いたり魔法を唱える心構えは始めている。
「あー、悪い。ちょっと懐かしくてな」
そんな三人を見下ろすフードを被った男は、苦笑しながら両手を挙げて交戦の意思がないことを伝えた。
「懐かしい?」
「ここの卒業生なんだよ、オレは。お前たちは?」
「し、侵入者に答える必要は」
赤髪の生真面目そうな少年が、緊張した声で答えた。
「ちょっとシモン、卒業生ってことは軍属でしょ?」
「そうよシモン、一応、無礼はないようにしておかないと」
後ろから二人の少女がヒソヒソと注意をするが、シモンは剣を下げる様子はなかった。
そんな彼らの会話を気に留めることもなく、フードの青年が校舎裏の空間を見回してから、
「ああ、察するにここで学校の試験に向けて練習してたんだな」
と、照れたような笑いを見せる。
「そ、そうなんですよ、アタシたちはここでですね」
「レンカ!」
「な、何よ怒んないでよシモン。相手は卒業生だって言うんだから、別に答えても」
金髪の少女レンカが頬を膨らませるが、赤髪の少年は未だに気を許した様子はなかった。ヴィエノも髪にかかった青髪を揺らして、困ったように目尻を下げる。
「悪い悪い。もう行くよ。ただ、オレもそんな感じで、仲間と試験に向けて特訓させられたことがあったなぁって」
そんなことを少しだけ懐かしそうに呟くと、レンカが、
「え? 先輩もですか?」
とシモンの後ろから身を乗り出して楽しそうに問い返した。
「あのな、レンカ……」
「貴方ねえ……」
仲間二人が呆れたようにため息を零す。
「じゃあ頑張れよ、後輩」
それだけ告げて、フードの男は壁の反対側に飛び降りていった。
「待て!」
シモンが身体強化の魔法をかけながら駆け出し、大きく飛び上がって壁の上に手をかけて登り切る。
「いないだと!?」
キョロキョロと周囲を見回すが、走り去る人影すら見えなかった。
「ちょっとシモン!」
「いたか? シモン!」
少女二人が声をかけるが、シモンは剣を納めて下に飛び降りた。
「いや……もういなかった」
「もうシモン、先輩に無礼働いちゃ駄目でしょ」
レンカが脳天気に叱ろうとするが、生真面目なシモンは首を横に振った。
「軍属なら所属や階級と名前を言うはずだ。それを言わなかったってことは、怪しいと思ったんだ。そう思わないか? ヴィエノ」
「あ、ああ……まあ、そうだな。警戒するに超したことはないか。帝国は戦争中だしな」
シモンに同意を求められて、前髪を整えながらヴィエノが目を逸らして答える。
「とりあえず、教官に」
報告しようと言おうとしたときに、軍学校全体にけたたましいラッパと打楽器の音が響いた。
「あれ、これって……」
「ああ、緊急招集だ。なんかあったのかな?」
少女二人が困惑している中、シモンは剣を鞘に収めた。
「とりあえず行こうぜ、二人とも」
努めて笑顔で言いながらシモンが声をかけた。
「わかった」
「はーい」
けたたましい音が響く中、士官候補生たちは集合場所に向けて走り出すのだった。
軍学校を離れたコンラートは、日が差し始めた裏通りを、フードを被ったまま歩き続けた。
――同じようなことをしている後輩がいるもんだな。
学生時代はは落ちこぼれと言っても良かった。何せ剣とEAにしか興味がなく、それぐらいしか真面目に取り組まなかった。
真面目なミレナにうるさく言われながら、テオドアにフォローしてもらいつつ、何とか卒業したようなものだった。
ふと耳に届く音がある。
すでにかなり遠くなった軍学校の方からだ。
魔法なしで使える身体強化の技能により、コンラートは帝都の建物の上を何度も飛び跳ねて走ることができた。脱獄の際にも役に立った力だ。
「何だったっけか、この音。えらい遠くだってのにはっきり聞こえるな……ま、いっか。もう学生じゃねえんだしな」
コンラートは気にせずに裏通りを歩く。
腹は減ってないが、どうも魔力が貯まってこないなと訝しげに思った。
「おい、兄ちゃん、こんなところを歩くなんて訳ありか?」
声をかけられたのは、前方からだ。
「へへへ、仕事終わりの駄賃だ」
「悪く思うなよ」
下品な舌なめずりが聞こえるのは後方からである。
「物盗りかよ」
比較的治安が行き届いているとはいえ、帝都にもこういう輩は出る。
朝方に出くわすことは珍しいが、コンラートが大通りから外れた場所を歩いているせいでもあった。
「大人しく出すもの出せよ」
刃の至るところが欠けたボロボロの剣を向けて、前方を塞ぐ中年の男がドスの効いた声で脅そうとした。
「一文無しだよ、悪りぃな」
フードを降ろしたコンラートが、やれやれと肩を竦める。
「何だ、お前、その目、希少人種か?」
「目? どう見たって普通のヒトだろうがよ」
「バカ言うなよ……って、まあどっちでもいいか。おら、少し痛い目見とけ! ガキんちょ!」
あからさまに殺す気のない剣が、コンラートの右肩目がけて振り下ろされる。
その刃先をあっさりと二本の指で掴んだ。
「遅えよバーカ」
剣を軽く引っ張ると、強盗は前につんのめる。その腹に向けて、少しだけ力を込めてコンラートは左の拳を突き刺した。
「うげっ」
男が呻き声を上げて、前のめりに倒れる。そのままコンラートにもたれかかった。
「あ?」
腕が貫通していた。男の背中側の地面へ、内蔵が飛び散っている。
殺す気などなかったので、大して力を込めたつもりもなかったというのにだ。
「ひ、ひいいいい!?」
「なんだアイツううう」
残りの強盗たちが、這々の体で逃げ出していく。
「お、おい」
慌てて腕を抜くと、赤い血がべったりと右腕に付着していた。
「……本気かよ」
どさりと音がして、死体がコンラートの横に倒れ込む。
そもそも、元々が腕力などあまりなかったコンラートである。今まで身体強化の魔法を使っても、人を一撃で殺すなどできなかった。
「……これが、聖龍の力……か?」
拳が震える。彼の体全体が身震いしていたからだ。
何が何だかわからない。牢を抜け出したときも使った能力だったが、今は意識もせずに発動してしまった。
頭が混乱し始め、コンラートは拳についた血を振り払い、そのままフードを被って走り出す。
「なんだよ、本気かよ、なんだこりゃ……なんだってんだよ……」
称号持ちの力。
彼は何人もの称号持ちを知っている。
勇者リリアナを初め、賢者や剣聖もだ。最近では巫女の存在なども知った。
しかしこの『聖龍』というのは、何か違う気がする。
加減すらできない自らの能力に、彼はおぞましさを感じた。
目を閉じたコンラートは建物の影から影へと、裏通りを一目散に走り抜けていった。




