断章 クリフ・オウンティネンの帰途(前編)
前後編になります
「……悪いが、帰らせてもらう」
椅子に腰掛けた特級冒険者クリフが暗い表情で告げる。
彼の両足の膝から下は、無残な様子だった。足首のかなり上から切断されており、ズボンの裾はだらんと重力に従って垂れている。とても歩ける姿には見えない。
現在の世界の治癒手段で、失った足を生やすなど、聖女級の強力な魔法しか存在しない。他にも伝説の治療薬や一部の宗教が伝える極秘の儀式などでは行える。だが、いずれも交易都市メナリーでは無理な手段だった。
「どうやって?」
それに酷薄な表情で問い返したのは、巫女レギナ・バジナだ。砂色の髪に侍女服を着て、その上に革鎧をまとっているという、一風変わった姿をしていた。
「うちの遊撃騎士団の生き残りが五名ほどいる。シーカーも都合した。義足をつけてEAを装備すれば、歩くぐらいはできる」
「メナリーの港は帝国に破壊されましたよ。今は沖に撤退しましたが、港からアエリア大陸に向かうものがあれば、即座に撃沈されるでしょう」
無表情な中にも小馬鹿にしたような調子を感じ取り、クリフは役立たずになった自分の膝を叩く。
「それでも……! オレは、帰るんだ!」
大声で叫ぶ彼の声には、悲壮感が漂っていた。
レギナは頬に手を当てて少し考えたが、本人の心が折れていると察した。これ以上は会話をしても無駄だと思い、
「好きにしたら良いと思うわ」
と交渉の席を立つ。
「もうテメエと会うこたぁねえだろうよ。ホントなら殺してやりてえ」
「やれるものなら、どうぞお好きに。貴方に女神マァヤ・マークのご加護がありますように」
扉の方向に向かいながら、大きくため息を吐く。
「何か言いたいことがあるのかよ?」
「いえ。とんだ期待外れだと残念なだけですよ」
肩を竦めるレギナに、クリフは椅子にかけてあった剣を掴む。
「何とでも言え。あんな化け物揃いの戦いに、オレたち常人は立ち入るべきじゃなかったんだ」
「単なる世間知らずですか」
ドアノブを回して部屋から出ようとするレギナの背中に、剣を抜いて腕の力で投げつける。
しかしそれは彼女の張った魔力障壁によって弾かれて、板張りの床の上に落ちる。
レギナは何も言わずに肩越しに侮蔑の視線を送り、部屋の外へと出て行った。
「……クソが!」
言われなくても、自分が道化だったことぐらいは自覚している。
聖騎士王家の姫を捕まえてみれば、こちらが単なる生け贄扱いにされてしまった。
いざヴィート・シュタクと戦おうとすれば、向こうはアエリア聖国の王冠を放り投げてきた。
その上でEAを着た巨大骸骨や女神の登場、神話の軍隊だ。生きてメナリーまで戻ってこれたのも、レギナがたまたま近くにいたのを回収しただけという。
何はともあれ、あの仮面の男が言った言葉を確かめに戻らなければならない。
王城の敷地内とはいえ、離れた別宅に住まわされていたサーラなら、生きている可能性だって充分にある。
今は本国に戻るしかない。
それが困難な道だとも理解していた。現に他国は港を塞がれ帰る手段を失い、メナリーに滞在したままだ。
「……サーラ……生きていろよ」
自分の愛した娘の姿を思い出す。
帰らなければ。
今はとにかく、あの笑顔が見たい。
そう思い、彼はメナリーを後にするのだった。
彼と数名の遊撃騎士団は、メノア大陸の南から向かうことに決めた。
南方は帝国の一部となってから日が浅く、そこまで忠誠心も高くないだろうと推察したからだ。それに以前はアエリアと交易していた都市だってある。
帝国左軍が巡回する街道を行くことはできず、大きく迂回しながら進む。帝国兵から離れた場所なら、EAで全力疾走もできる。
「隊長……、大丈夫ですか?」
奥深いジャングルの中を歩いていると、隣のEAから心配げな声が聞こえてくる。
「大丈夫だ。行くぞ」
彼らはただひたすら進む。
幸い、EAは残った。彼も仲間も元は冒険者たちだ。獣や野草を手に入れて野営をするなど慣れている。
それでも、疲労は溜まっていく。
三週間も進んだところで、帝国南方の都市へと進む最中に村を見つける。
彼らは少し離れた林の中に隠れることにした。
「隊長はここでお待ちください。道を聞いてきましょう」
魔物や野党も少ないのか、海辺にある開放的な集落だ。木の柵で囲まれていただけだった。
「頼む」
三人の部下たちが、EAから降りて、その村に進んでいく。
クリフもEAの前面を開けて、外の空気を吸おうとした。
「ふむ、シーカーか。こんなところで何をしている?」
声がして振り向くと、褐色の肌に長い金髪の女性が立っていた。
年齢は三十代半ばぐらいに見え、背も高い。露出した腕や太ももに無駄な肉はなく、よく鍛えられた体をしていた。
古びた鎧を身につけた姿は、冒険者というよりは騎士に近い風格を持っている。そう感じたクリフは油断なく様子を窺うことにした。
「誰だ、アンタ」
「私か。まあ気にするな。この辺を根城にしている騎士崩れだ」
「気にするなって……帝国か?」
「ここは帝国の領土なのだから、帝国に決まっているだろう?」
相手は何を言ってるんだとばかりに、不思議そうに首を傾げる。
頭は良く無さそうだが、腕前は良さそうだとクリフはEAの前面を閉めようとした。
「まあ待て。こんなか弱そうな女性にEAなんぞで挑むものじゃない」
確かに相手は、腰に剣を差しているだけだ。それ以外は胸当てと脚甲ぐらいしか装備はない。
「誰か呼ぼうとするか、味方を待っているかもしれないからな」
「残念ながら私は一人でね。見逃してもらえると助かるな」
褐色肌の女は、余裕のある言い回しで笑う。
特級の冒険者か、それとも名の知れた騎士か。
相手の腕前がわからぬ限りは、うかつに手も出せない。負けることはないだろうが、死ぬ間際に大声で味方を呼ばれるのが困る。
「……なあ姉さん、オレたちを見逃しちゃくれねえか。ただ国に帰りたいだけなんだ」
「ほう? 国に?」
「ああ……あんたの国の軍隊にこてんぱんにやられてな。嫌になって国に戻るところだ」
「ふむ……」
女は顎に手を触れ考え込む。
「どうだい? アンタは思うに金銭などじゃ買うことはできないタイプと見た。だから真摯にお願いする」
「まあ、金に困ったことはないのは確かだ。しかし、ここで見逃すというのも困る。そうだな……では」
相手が戦闘の態勢に入ったと感じ、EAの前面を降ろそうとした。背中側に跳ね上げられていた兜が降りるときに、クリフの視界が一瞬遮られる。
「甘いな、冒険者」
その隙をついて、相手の女騎士はクリフの部下へと襲いかかる。
体勢を低くし、地を這う蛇のように蛇行し高速で近づいた。身体強化の魔法も見事なものだった。
「ぐっ、バカな……」
呻き声を上げた部下のシーカーが前に倒れ込む。
女騎士の持っていた剣が、胸部装甲を貫いていた。抜かれた切っ先には、どろっとした赤い血液が付着していた。
「ちっ」
EAが完全に閉じられると同時に、クリフは背中を見せて逃走を開始した。
「あ、待てこら!」
襲いかかった騎士が声を上げるが、身体強化と加速の魔法を生かして一目散に逃げ出した。
部下を殺されて逃げるなど、情けなくある。だが逃げるのが上策だ。
敵の数すらわからず、しかも相手は相当の手練れだ。一撃でEAの装甲を貫くなど、並みの腕前と武器ではできない。
知らないうちに負け癖がついてしまっていたことに、彼は気づいていなかった。以前なら絶対に逃げなかった状況でも、相手が帝国だと知ると、心が逃げに回る。
遠ざかっていくクリフの背中を見送りながら、女騎士は腰の鞘に剣を納める。
「あー、くそ、逃がしてしまったか……しかしシーカーを四機も鹵獲できたわけだし、ヴラシチミル殿も文句は言うまい」
残念そうに肩を落としながら、褐色肌の女騎士は乗り手のいないシーカーに近づいていく。
「今更シーカーなんぞいりませんよぉお、皇太后殿?」
「うぉっ? ヴラシチミル殿!? いたのか!」
「カロリーナ様……道案内の途中で急に消えたのでびっくりですよお」
姿を見せたのは、やせ細った体躯の上に白衣を羽織り、丸い眼鏡をかけたエルフだった。
「すまんすまん。いや、せっかく貰った剣の切れ味も試したくてね」
「いやはや、南方の魔神騎士と呼ばれただけはありますなぁ。見事に使いこなしてらっしゃるう。ヴィレーム殿下はゴブリンを切るのが精一杯だったというのに」
「さすがに生身のヴィルと一緒にされてはな」
女騎士の名前は、カロリーナ・メノアという。御年四十五になる。
皇太子ザハリアーシュの母親であり、若い頃は魔物退治を自ら行っていた変わり者の貴族令嬢だった。南方の公爵の娘として、ユーリウス帝の第二皇妃の位置にいる。
「追跡もこのシーカーも部下に任せておく。さてヴラシチミル殿、遺跡の案内に戻ろうか」
「ほいほい。お願いしますねえ」
何事もなかったように、カロリーナは右軍EA開発局主任のヴラシチミルと揃ってジャングルの中を歩き出した。
今では唯一生き残っている妃であるが、ちなみに彼女は軍務や政務などには関わらない。そういうことからは一切手を引いた。
豪放磊落とも言える性格で、亡き右軍大将アネシュカとも仲が良かった女性である。ヴレヴォが陥落した後に、帝都でヴィルの面倒を見ていたこともある人間だ。
「さてさて、あの廃墟のような遺跡に何があるのかは知らんが、日暮れまでには辿り着きたいところだな」
「まあ、そこはお楽しみですよお。何せメナリーの戦場じゃあ、女神まで降りてきたっていうんですからあ」
「もはや私ごときでは手の出せない話だな」
そんな彼女は自分の生家がある南方の領地で、悠々自適な隠退生活を送っている。今回は右軍の要請で道案内を頼まれ、暇だったので自ら買って出たという具合だった。
「何をおっしゃいますやら。アネシュカ閣下すら認めた腕前は、さすがですなあ。そのエンチャッテッドソードは差し上げますよお」
「何だ、まだ貸し出しだったのか。すっかり自分の物の気分だった」
「ふひひひひっ、気が早いですねえええ。まあ報酬としては破格でしょうよぉ」
大声で笑いながら、南方にある遺跡を探して二人は進むのだった。
EAを失った三人の部下とともに、クリフは進み続けた。
「何なんだ、この大陸は……! 何であんな化け物みたいなのがゴロゴロしてやがる……!」
南方にある都市を目指して歩く中、クリフは心の中で愚痴る。
彼の運が非常に悪いだけではあるが、そんなことに気づく余裕は何一つなかった。
そうして辿り着いた南方の都市で、彼らはあっさりとアエリアへと戻る手段を見つけた。先代がアエリア聖教の教徒だという商家だった。親戚が王都におり使いを出すという。それに同行させてくれるのだそうだ。
「信じられるのか?」
EAなしでは動けないクリフは、客室を都合してもらって乗船していた。そこで生き残った部下と話し合いをしている。
「おそらく大丈夫でしょう。我々のことを警戒している様子はありません。むしろ隣の大陸に詳しい冒険者が、安く護衛が雇えて幸運だと思っているようです」
「そうか……まあ警戒はしておこう」
「はい」
「それで、アエリアの情報なんかは手に入っているのか?」
「いえ、ほとんど……。依頼主も帝国官僚からの未確認情報を聞いて、確認しに行くそうで」
「……どんな情報だ?」
「アエリア聖国は崩壊し治安が著しく乱れている。アエリア大陸に行くなら充分に留意せよ、だそうで……」
その情報を聞いて、全員が沈痛な面持ちとなる。
帝国中の貿易商家が、不要渡航注意の勧告を受けているそうだ。
おそらく聖国が崩壊したというのは、嘘ではないだろう。
クリフも、ヴィート・シュタクの寄越した情報が、偽物であるように祈っていた。
だが帝国が自国の商人に勧告している、というのなら嘘である可能性はかなり低い。
ここにいる全員が、アエリア聖国出身の冒険者だ。家族が残っている者も多い。クリフもサーラだけでなく、亡くなった弟の家族などが王都で暮らしていた。そちらも心配だ。
――サーラ、生きててくれよ……。
いつのまにか手を組んで祈りを捧げていた。
この願いを叶える存在など、いるのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、クリフたちアエリア聖国の一行はメノア大陸を離れていくのだった。
少し長くなったので分けます
後半は明後日




