見送り
「チェルシー。何があるか分からない、危険かもしれない地には、連れて行かない。聖女じゃなくても、連れて行かない。ここに居るのがダイナンでも、それは変わらないよ」
――聖女じゃなかったら。
――ダイナンだったら連れて行ってくれたかもしれないのに。
そんな甘えた思考を読み取られて、チェルシーは気まずくて視線を落とす。
「はい」
さっきまでの、素直な返事ではない。悔しさと情けなさが声に現れてしまったけれど、エドワードは何も言わなかった。
そっと元の位置に座って、エドワードはチェルシーを見る。
「私がいない間、お前にオルダマン侯爵家を任せる」
ピッと無意識に背筋が伸びた。
信じられない重責を、今、任せられた。
「いいか。私がいなくなれば、ここを守れるのはチェルシーだけだ。屋敷と、ここにいる人を全員、守ってくれ」
口の中が一気にからからになった。
エドワードは、チェルシーに『やらなければいけないこと』を与えることで彼女の気持ちを強くしようとしただけかもしれない。
家を守るなんて大それたことを任せられるほど、チェルシーに何かできるとは思えない。
だけど、真っ直ぐな視線がチェルシーを射抜く。
「いいな。任せたぞ」
別の意味で震え出しそうな手を強く握りしめて、チェルシーは頷いた。
「はい。守ります」
チェルシーの返事を満足げに聞いて、エドワードは、立ち上がる。
「明日、早朝には出立する」
今すぐに出立すると言われなくてよかった。
ああ、でも、すぐに駆けつけて欲しい気持ちもある。
愛しい人の笑顔が浮かんで、遠ざかっていくような気がする。『きっと立派な仕事をやってくるよ』と、彼は言った。チェルシーは何と返事をしただろうか。危険があるだなんて知らなかった。何かあるかなんて、考えても見なかった。
「この家を守るということは、お前のことも、守るんだ。いいな?」
泣きそうになるのを、ぐっとこらえる。
今涙を流してしまえば、きっといつまでも止まらない。止めてくれる手はない。
涙で濁った眼では、希望なんて見えないから。チェルシーは今は泣いて良い時ではないと顔を上げる。
「今日の晩餐は一緒にとろう」
エドワードは最後に一度微笑んで、部屋を出て行った。
考えなければならない。
エドワードが、チェルシーにこの家を任せてくれる意味を。家令のリドルではなく、チェルシーにこの家を守れと言った。
チェルシーがダイナンの婚約者でもあるし、令嬢でもあるから。
チェルシーはその権利を得たのだ。
そして、本当にもしも、絶対に考えたくはないけれど、可能性がないとは言えないもしも。
ダイナンも、エドワードも戻らなかったら。
――追って来るなと、言われたのだ。
早朝、エドワードは旅支度をして玄関に立っていた。
早朝だというのに、眠ってなくて、支度を完璧に仕上げたチェルシーにエドワードは苦笑いを向ける。
「チェルシー、大丈夫だ。落ち着いて待っていなさい。二人で、仲良くは無理かもしれんが、帰ってくるから」
仲良くは無理?
おかしな言い方にチェルシーが首を傾げると、彼はわざと起こった顔を作る。
「へまをして面倒ごとに巻き込まれた息子を叱ろうと思っているんでね。そうすると、ダイナンは不貞腐れてしまうだろう?」
そうやって、親子喧嘩をしながら帰ってくると言う。
ああ、そんな風景が目に浮かぶ。エドワードはいつもみたいに穏やかに微笑んで、ダイナンは『不貞腐れてるってなんですか。私は子どもじゃないんですよ』と、文句を言うのだろう。そうして、二人ともチェルシーを見た途端、満面の笑みになるのだ。
「ええ。私も、心配かけさせたこと、怒ってやります」
チェルシーもわざとらしく怒った表情を作って見せた。
エドワードは少しだけ目を丸くして、フッと優しく微笑む。
「よし。行ってくる。後は頼んだ」
「はい。お帰りをお待ちしております」
エドワードが乗り込んだのは、二頭仕立ての小さな馬車。軽い、一番速さが出る馬車だ。
チェルシーの事ばかり気遣って、彼だって、ダイナンのことが心配でたまらないはずなのに。
これから向かう先では、気がかりをなるべくなくしていられるように、チェルシーは笑みを浮かべた。大丈夫だと、胸を張った。
エドワードは、チェルシーを見て困ったように笑った後、手を振って旅立った。
エドワードが発って、まずは何をすべきかとリドルに聞いた。
すると、隣に立っていたアナが、
「睡眠をとるべきです!」
言いながら寝室に放り込まれてしまった。
なるほど……と思いながらも着替えて寝台に転がれば、思ったよりも疲れていたようで、自分でも驚くほどよく寝てしまった。
起きれば、すぐに温かな食事が準備された。
「旦那様でも、ダイナン様でもお休みはとられます。今日は休んでいただいて、明日から、また招待状などを準備をお願いします」
リドルはにっこりと笑って、チェルシーがしていた仕事を持って行ってしまった。
「お二人が戻られた時に、結婚式の準備が進んでなかったら嘆かれるでしょうからね。特にダイナン様が」
アナは、気が休まるというハーブティーを淹れてくれる。
「そうね。明日からまた頑張るわ。手伝ってくれる?」
「もちろんでございます!」
寂しいけれど、心細いというのは、リドルやアナたち使用人に対して失礼だ。
これだけ多くの人に囲まれていながら、チェルシーが心細さを感じるはずがない。
彼らが戻って来るまで、頑張ろう。大丈夫だと信じて待っていよう。
しかし、そんなチェルシーの決意など、権力の前では何の意味もなさないことを、次の日に痛感することになる。




