第19話:未来へ
眼に映るのは、視界いっぱいに広がる拳。
首を捻って避けるが、最初から顔面を狙うその容赦のなさに思わず舌を巻く。
三沢竜司を形作るのは、恵まれた体格とセンス、そして経験が合わさった喧嘩殺法である。
これといった型がないにも関わらず、体感的にだが彼は確かに二人の仲間たちより強いと感じた。
人に躊躇なく拳を向けられる、その振り切れた暴力が彼の強みなのだろう。
再び向かってくる拳を今度は片手で受け止め、冷静に彼を俯瞰して見つめる中で、そんな考えが頭を過った。
「……やるな、言うだけの事はあるじゃねえか!」
「……」
無言のまま拳を掴んだ手を離して、繰り出される蹴りを腕を使って防御しながら俺は後の展開を脳内に思い描く。
ここまでは、大きな狂いなく計画は進んでいる。
俺はこのまま流れに任せるだけ。
結末に導くのは俺じゃない。
しかし、できるだけのサポートはしてやりたい。
重い拳の一撃を、半歩下がるだけで回避する。
ここからは、俺も反撃をするとしよう。
繰り出される蹴りを再び躱して、がら空きのボディに膝蹴りを叩き込む。
痛みに嘔吐く三沢先輩を無感情に見据え、次の出方を観察した。
しかし以前、藤堂に言った”高校生にもなって喧嘩なんかするな”という言葉が、自分に返ってくるとは思わなかった。
思わず自虐的な気分になるが、すぐに意識を切り替えて自然体で拳を握る。
「つ、強すぎ、でしょ……」
背後にいる白花から僅かに引く声が聞こえ、首だけで振り返ると彼女は顔を引きつらせていた。
全く、誰のために戦っていると思っているのだろう。
この執着力だけは強い先輩を何とかしなければ、このままストーカーやらなにやらに発展していくかもしれないのだ。
問題が大きくなれば学校側も知る事になるし、そうなると彼女の両親その他家族にも伝わって心配させてしまうだろう。
今の内に対処しておくべきなのだ。
「……なんかの武術か? ちッ、天馬! 大和! いつまで寝てやがる!」
怒鳴った所で、雨傘先輩は恐怖の眼差しで俺を見て震えるだけ。熊谷先輩に至ってはまだ意識すら取り戻していない。
そして三沢先輩も、一発の蹴りだけで口から涎を垂らし、痛みに呻いて膝をついた。
結局、暴力というものはより強い暴力には抗えない。
だから今回は、三沢先輩にとって得意だった暴力が、俺はより得意だっただけの話でしかない。彼が暴力という手段を選んだ時点で、俺の勝ちは揺るがない。
そして、まだ終わらせる気もない。例え彼が膝をついていても。
痛みに顔を歪める三沢先輩の首を掴み、壁に叩きつける。
「ぐっ、く、クソッ、がーー」
「これ以上やっても無駄だ。これで懲りたろ。白花に街で会っても他人のふりしろ。あと俺の事も誰にも言うな。いいな?」
「クク……ば、馬鹿がッ、て、てめえんとこに、仲間大勢……連れて、攻めーー」
三沢先輩の足を踏み、拳に力を込めて溝に打ち込む。
ゴフッという奇妙な音が口から飛び出るが、無視して殴る、蹴る。
足を踏んでいる事で、後ろに倒れる事もできず痛みに顔を歪める三沢先輩。
しかしまだ、彼の瞳には反抗的で鋭利な輝きが宿っているのを見て、俺は更に拳を握って打ち込む。
「ぐ、あッーー」
凄惨な悲鳴を喉を掴んで容赦なく潰す。
それから何度も、何度も、俺は一方的に。過剰なほどに腹部を殴る。三沢先輩も、流石に痛みが許容量を超えたのか、瞳には恐怖の感情が宿った。
サポートはこれで十分だろう。
そう確信した瞬間、ついに青い顔をした白花が駆け寄って来て、
「ーーい、いや、もう、いいよ……鷹宮くん……!」
「……」
手を掴まれ、固く握られた拳をそっと優しく開かれる。
白花は悲し気に俺を見て、手を握ったまま「もういい、から……」と小さく呟いた。
「……ぼーっとしている場合じゃなかった。紛れもない、これはあたしの問題なのに。鷹宮くんが……手をあげる必要なんてなかったのに……」
自分に言い聞かせるように白花は口の中で「ごめん……」と呟き、そっと俺の拳を優しく撫でた。
そして彼女は、決意を固めた表情で一歩踏み出して、肩で息をする三沢先輩に対してぺこりと頭を下げた。
「み、三沢先輩。中学生の時に、ちゃんとあたし達は話し合うべきでした。あたしが、逃げ出してしまったせいで、余計拗れてしまった……」
「……」
「まずは、こんな状況にしてしまった事を、謝らせてください……というか、その、怪我とか、大丈夫ですか……?」
真摯に頭を下げる彼女を見て、俺はその場から一歩引く。
そして肩の力を抜いてそっと見守った。
すると、藤堂が俺の隣に来て、会話を始めた二人を目を細めて見つめた。
「上手くいったな」
耳元で囁かれる言葉に、無言で首肯した。
「……」
「お前が無駄に荒々しく痛めつけて、白花の心境に変化をもたらす、か。最初聞いた時は何言ってんだと思ったが……」
そもそも、中学時代にきちんと話し合って別れるべきだったのだ。
後輩と先輩のカップル。
そんなどこにでもある一組のカップルの別れ話が拗れてしまっただけ。
相手がどんなクソ野郎であろうと、白花はべたべた触られるのが嫌だとまずは口で伝えるべきだった。ビンタで教えるのではなく。
まあそれで激高して女に手をあげるのは正直、男としてどうかと思うが。
今、例え俺が暴力によって三沢先輩を押さえつけても、俺が白花の傍を離れれば再び彼女に復縁を迫るかもしれない。
もし白花が見ているだけだったら、このまま三沢先輩を痛めつけて終わっただろう。
だけど彼女は自分の意思で決意したのだ。
このままではいけない、と。
そしてその選択を選ぶ可能性も、俺の予想の中にあっただけの話で。
「……これは半ば賭けだったがな」
別に俺としては、このまま暴力で全てを解決しても良かった。
しかし白花の心には、一生消えないしこりとして残ったのではないか。
初めて、という特別な機会は何でも印象に残るものだ。そんな”初めての恋人”を暴力で退けた、そういう思い出はできるだけ彼女の記憶に残したくなかった。
後味の悪い記憶により、男や恋愛に対して苦手意識が芽生える事もありえたはずだ。俺の考えでは正直五分五分だったが、彼女は良い意味で選択してくれた。
逃げるだけでなく。
守られるだけでなく。
自分で一歩を踏み出し、勇気を持って話し合う道を選んだ。
小声で話す俺と藤堂を他所に、白花はしっかりと自分の言葉を告げて断りを入れる。
三沢先輩は顔をしかめたが、不承不承といった様子で頷いて力なく壁に背を預けた。体力的にも限界だったのだろう。
まあ、そこまでする事で諦めさせた訳だが。結局、俺が見ているこの状況で、三沢先輩に頷く以外の選択肢はないのだ。
薄暗い路地に、夕日が差し込む。
眩し気に目を細めて、俺は今回の一件が無事に終了した事を確認した。
* * * *
今日の出来事を俺は振り返る。
デートという意味では、失敗に終わっただろう。
しかし、白花は今日から気持ちよく寝れるはずだ。
過去にけじめをつけ、彼女は今日から自分の道を歩き出す。その姿はきっと輝きに溢れていて、多くの人々を照らすだろう。
それこそ、朝日のように万民を等しく。
三沢先輩とそのお仲間たちと円満に別れた後(俺は物凄い顔で睨まれた)、電車を乗り継いで俺達三人は令賀丘高校付近に帰ってきた。
驚くほど長かった一日に、精神的にも肉体的にも疲れた中で。
問題ごとが片付いたからか、どこかスッキリとした横顔を見据え、彼女の名を呼ぶ。
「白花」
「んー?」
後ろで手を組んで、小首を傾げる白花に、
「これでニセの恋人になる必要はなくなったな」
「……今、言う事かそれ」
呆れたような物言いの藤堂を他所に、白花はあっと今思い出したような顔で苦笑いした。
「……そういえばそうだったね」
「忘れてたのか……」
白花が後頭部に手を当てる。
髪がふわっと揺れ、香水の匂いが風に乗って香ってくる。
というか、今日の香水は柑橘系ではなく、より甘いイチゴのような匂いだった事に今気付いた。
「……でも、鷹宮くんが更にわかんなくなったなー」
「分からない?」
「……うん。喧嘩とか無駄に強いし、妙に策略家ぶってるし、喧嘩している時もいつもと同じ無表情でちょっとしたホラーだったし……」
「あれ、もしかして悪口言われてる?」
アハハと明るく笑う彼女の頬は、夕日に照らされ真っ赤に見える。
別れ道が見えてきた所で、白花がポツリと呟き、
「でも、本当にありがと。あたしのために……ここまでしてくれて」
そんな彼女を、俺は眩し気に見つめて。
「ーーだから、そんなすごい鷹宮くんには、これからも色々お願いするかもです!」
俺の前に出て振り返った彼女は、服の上からでも分かる大きな胸を跳ねさせながらビシッと敬礼して。
にへらと笑う白花に、俺はため息を吐きながら目線を逸らした。
「……いやいや、勘弁してください。今度、面倒事に巻き込む時はぜひ新川とか龍前とか、その辺に相談をーー」
「うわ、今、面倒事って言ったよ、この男!」
「鷹宮、お前、白花の心情をもう少し思いやってやれよ」
「……あれ、俺の味方はどこに?」
「そんなのいませーん!」
明るく笑いながらたたたと走っていく白花に、思わず声をかける。
「あ、あと白花! 俺の事なんだが、学校では喧嘩強いとかさっき言ったような事言わなくていいからな?」
「ふふーん、どうしよっかなー、フハハハハハ!」
「高笑いやめろ。近所迷惑だろうが」
「……俺、女子でする奴初めてみた」
「マジか。俺は二人目かな。ちなみに一人目はお前んちの姉ちゃんな」
「……」
苦い顔で無言になった藤堂を他所に、別れ道に差し掛かった所で気恥ずかし気に手を振る白花に俺は頷きだけ返す。
取り戻したその笑顔は素直に可愛らしい。
そのまま彼女と別れ、信号を渡って向かいの歩道に到達すると。
背後から「バイバーイ!」と大きな声が聞こえてきた。
流石に人の目があるので、俺は無言で小さく手を振るだけにとどめると。
今度は先ほどより大声で感謝を告げる言葉が俺の耳に届き、少しだけ気持ちが楽になった。
去っていく背を藤堂と共に見送り。
俺のしたことが、彼女に少しでも良い影響を与えていればいいと、そんな思いを抱いた。
とりあえず一章完結といった所です。ここまでお読みくださった全ての方々に感謝を述べたいと思います。
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