94:海その物をフィールドとして用意したのが命取りだ
「アタイは、アタイは必ず生き残る! 生きて必ずアイツを復活させて、また会うんだ! ……っとまあ、あの船に乗ってるヤツの欲望はこんな感じで間違いないやな」
仲間を殿にして、戦いから離れていく帆船一隻。
それをボーゾはパートナーの胸から眺めながら、観察の結果を口に出す。
「この感じは覚えがあるな。元女海賊、アーシュラ……要も言っていたがやっぱ海のエリアを任されるならこいつだったか」
「ヘヒッ? その人がいる……のは分かる、けど……一人分? 他の欲望……は?」
ボーゾの観察結果は、要から先に渡されていた情報を裏打ちする形のものであった。が、のぞみが引っ掛かったのはその点ではなかった。
事実、のぞみの手のひらに表示された平面状のマップには、敵を示すマークが船一つ一つにわんさかと。
それはいい。
大きな船を動かすのに一人で手が足りる訳もなし。
仮に現実の船よりも制御に人手を取らなくとも、戦力は備えているに越したことはない。
だがボーゾはそれらの欲望についてはまるで気にした様子もなく、アーシュラと言う女海賊の欲望を探り当て、口に出して見せた。
まるで他には欲望を抱えるものなどいないかのように。
「ああ、他には欲望を感じないな。乗組員っぽいのは、全部そういう役目だけを与えられたモンスターなんだろ?」
「ヘヒッ!? だ、だって、それなら……」
当然のように言うボーゾだったが、それがのぞみには信じられないことであった。
魔神衆を始め、スタッフであるアガシオンズに諜報のゲッコードローンズ。そして彼ら以外にもスリリングディザイアには己の意思を、欲望をもって働いている者たちが大勢いるのだから。
ボーゾの言うとおりならば、大猿ベルノと戦っている艦隊には、そうした者が一人も乗っていないということになる。
「みんながみんな、マスターと同じやり方をやる、できるダンジョンマスターじゃないってことよ」
「ウチにも、お客様の相手をするモンスターにはギミック同然のモノもいますよね? そういうので固められている、ということですよ」
ザリシャーレとイロミダからフォローが入る。しかしそれは海賊アーシュラを庇うというよりは、のぞみの頭を切り替えさせて、納得をうながすようなものである。
確かに彼女らが言うとおり、スリリングディザイアにも欲求を持たず、ただ来客と戦うだけのモンスターは存在する。
だがそれはお客様の討伐用に差し出すものに強い欲求を持たせたくない、あるいはもういっそ食われることを望むように、というのぞみの精神衛生上の都合である。
出来ることなら、のびのびと欲求のままに生態系を作らせたいというのがのぞみの願うところなのだ。
そんなのぞみからしてみれば、同じ船を操る身内とも言うべき者たちを意思なき道具として揃えているということは、理解はできても腑に落ちないところである。
「のぞみ、自分と相手のやり口の違いに思うところはあるかも知れん。だが、何とかしないと逃げられるぞ?」
「だ、だよねー……!? そう……だった……!」
しかしパートナーの一言を受けて我に返ると、アワアワヘヒヘヒと対応に動き始める。
「ええっと……べ、ベルノのいる、ポイントから乗っ取りを……ヘヒィッ!? とどかないぃい……」
逃げる船を拿捕するため、のぞみはまず手始めにとダンジョンの乗っ取りを仕掛ける。
だがベルノを中継点に即掌握できる範囲から、ジェーンの船はすでに抜け出してしまっている。
侵食の手を緩めなければいずれは捕まえられるだろう。だがそれでは相手に対応するための時間を与えることになる。
「こ、ここは……ベルシエルパワーで……!」
ならばと、のぞみは知識欲の魔神パワーを借りて一気に勝負を決めにかかる。
だがその肩に二つの手が乗って待ったをかける。
「ここで頼ってくれないなんて、あまりに寂しい話じゃありませんか?」
「そうよ。それに、まず力押しだなんて華麗さに欠けてるんじゃ・な・い・か・し・ら?」
振り向いたのぞみに、イロミダとザリシャーレは自分達に任せるようにとアピール。
「そ、それは……そうかも……だけど」
二人のやる気に応えたい。だがどういう手を使えばいいのか。
その答えを求めるようにのぞみは視線を泳がせる。
「海上の船を捕まえるのに、なにも馬鹿正直に追いかけることは無いんじゃないかしら? むしろそっちのがマスターの得意分野じゃなかったか・し・ら?」
「そ、そっか……!? そりゃあそうか……ヘヒヒッ」
そこへザリシャーレが迷いから導くように助け舟を。
そのおかげで、のぞみの焦りで固まっていた思考が解されていつもの調子を取り戻す。
「う、渦巻き渦巻き……ヘヒヒッ」
そうして真っ先に設置したのが、大渦である。
すでに大猿ベルノを中心に、海域の一部は制圧済みなのである。
あとはそこに吸引型のトラップを設置してしまえばわざわざ追いかける必要もない、というわけだ。
そして期待通りに、のぞみの力で産み出された海面を窪ませるほどの渦潮トラップは、力強く辺りの海面に浮かぶモノをその中心へと引きずり込んでいく。
当然に逃げる船も例外ではなく、その尻を握って逃さない。
ずるずると僚艦の残骸と共にすりばち状の渦に吸い込まれていくそのさまは、アリ地獄にかかったアリのよう。
であるがしかし、それほどの威力があれば、自然海上制圧の中心ポイントであったベルノを巻き込むことになる。
だがのぞみがそんな大規模な罠に、打ち合わせもなしに身内を巻き込むはずもなし。
荒ぶるハチミツ色の大猿はすでに浜の上へと転移・避難済みである。
しかし食事の邪魔をされていきり立っていた食欲にはそんなのぞみたちの都合や考えが量れず、再び飯を遮ってくれた帆船たちへ向けて突撃を仕掛けようと踏み出す。
「だ、だぁめだよぉ……ヘヒッ」
が、それは主人が通さない。
ベルノの目の前の空間がねじれるや、そこから魚やら海草やらが猛然と吐き出され始める。
それを見るや、ハチミツ色をした大猿は舌なめずり。獲れたてピチピチの海産物モンスターたちに食いつく。
「食事を中断されて一暴れしたから、余計にお腹が空いていたのかしらね」
「そういうわけであとはワタシたちに任せて食事休憩としてなさいな」
猛然とモンスターシーフードを味わう大猿ベルノに声をかけて、ザリシャーレとイロミダのコンビが入れ替わりに大渦へ向かおうとする。
「じゃ、じゃあ……私も……ヘヒヒッ」
「あ、それはダメ!」
「フヘヒィッ!?」
いそいそとそれに続こうと準備していたところへ、ピシャリと突きつけられたノーの言葉。
それにのぞみは跳ねるようにして甲高い驚きの声を上げる。
「な、なぜ……!? ほわーい? ヘヒッ」
「何故もWhyも、そもそも総大将が率先して最前線行きしようとするのってどうなのかしら?」
「ヘヒィ……ド正論……」
「ここはワタシたちに頼ってほしいと言ったじゃありませんか。ひとつ任せてくださいな」
疑問に対するあんまりにも的確な返しにのぞみが返す言葉を無くしている間に、美女二人は洋上へ転移してしまう。
「し、仕方ない……かな、ヘヒヒッ」
それを反射的に追いかけて伸びた手を引っ込めて、のぞみは力無く笑う。
そして傍らの大猿ベルノが、用意していた調味料に気づくように高く持ち上げて見せる。
「おいおい、いいのか? 好き放題言わせて行かせちまって」
そうして食事に夢中な巨獣へのアピールを試行錯誤しているところへ、胸の谷間のパートナーから声が上がる。
「いや、だって……仕方無い、し……私を戦わせない、ために……って着いてきてくれたんだし、だのに私も行ったら……台無し……ヘヒッ」
「いやいや。我慢することはねえさ。身内の皆のために力を尽くしたい。そういうことを心から欲し望むことの出来るお前の思いは尊いモンだぜ? それに戦力の集中だってセオリーだろ」
「や……うー……でもぉ……任せて、待つ……それで責任を取る……のも、立派な責任者の、仕事……って言うし……ヘヒヒッ」
胸に抱えた欲望をくすぐり煽る魔神の囁きに、のぞみは自分に言い聞かせるようにして、衝動的に動き出そうとする自分自身を抑え込む。
ここで言われるままに動いたらば、自分のありたい姿が遠のくような気がするからだ。
のぞみが頭を抱えてイヤイヤと誘惑を振り払うのに、ボーゾはニヤニヤとした意地の悪い笑みから影を消す。
「よしよし。いい欲望のせめぎあいだったぜ。ごっそさん」
相棒が朗らかに言い放った一言に、のぞみは目を瞬かせる。
「えと、つまり……今のは……?」
「欲望エネルギー欲しさに油を注いでやったのさ」
しれっと白状するボーゾに、のぞみはこの小さなパートナーに手のひらで転がされていたのだと察する。
「ヘヒッ……ひどい、や……」
「悪い悪い。だが、欲望は定まったろうがよ?」
いつも通りながらあんまりな扱いに、のぞみはそっぽを向く。が、続くボーゾの一言にはうめき声しか返せない。
事実、ベルノを置き去りにザリシャーレとイロミダの援護に行きたいという望みはあった。
それをボーゾにくすぐられて否定したことで、より尊重すべき欲望に絞ることが出来たことに間違いはない。
そこも含めて、ボーゾはのぞみをからかい、弄んでくれたのだ。
助けにもなったところがある分、怒りをぶつけにくく、実にいやらしい。
「あー……うー……うん。いつものこと……だしね……」
なのでのぞみは渋々と。本当に渋々と矛を収めて受け入れる。
「おう。良い切り替えだな」
しかし矛を収めたとは言っても、弄られたことに含むものが無いではない。
上機嫌な相棒の言葉には答えず、生シーフードに夢中な大猿ベルノの毛を引っ張って、調味料の存在を主張する。
しかしそんな態度を取ろうが、結局ボーゾは抵抗しようという欲望を受けて満たされてしまうのであるが。
ともあれ、そんなのぞみの主張を受けて調味料の存在に気付いたベルノは、その大きな手をゆっくりと伸ばして……のぞみごとに掴み取る。
「ヘヒィイッ!?」
巨大な猿の手の中、のぞみは急激に高さが変わる感覚に振り回されながら悲鳴を上げる。
「チィッ……野獣の勘とでも言うか? ここで気取られるとは不覚……ッ!」
そんな舌打ちとつぶやきを聞き、のぞみが丸太のような指の隙間から下を覗けば、いかにもな西洋甲冑を着込み、剣を構えた戦士の姿があった。




