93:カッとなって変身する姿ってそれでいいの?
「ヘヒィェエエエ……ッ! こ、こんな、こんなのってぇえ……ッ!」
はるか彼方の洋上。大きく開いた遠間から絶え間なく放たれる砲弾の中、のぞみは魔神たちに庇われながら砂浜を右往左往に転がりまわる。
「落ち着けってのぞみ」
「こ、こここ、これで……どうやって落ち着け、と!?」
浜に腰掛けた冷静沈着なボーゾの言葉に、のぞみは頭を抱えて丸くなる。
取り囲むようにして絶え間なく巻き起こる爆音と衝撃。
こんな状況で気持ちを揺らさずないられたのなら、戦場だって怖くはないだろう。
「だから! 走り回るのを止めて、落ち着いて回りを見てみろって! でかい音や派手に飛び散る砂ばっか見てないでよお?」
荒っぽい調子で促すボーゾに、のぞみはビクリと体を震わせながらも相棒の言葉に従う。
するとどうか。
まっすぐに飛来する砲弾が、ほぼ直角の不自然な曲がり方をして、砂浜に落着するのがのぞみにも見えた。
それもその一発だけではない。次のも。その次に続くものも。のぞみへの直撃コースを描くもののことごとくが、まるで脅しているだけだと言わんばかりに逸れていくのだ。
もちろん、そんなはずはない。
その全てはのぞみを支える魔神の働きによるもの。
ザリシャーレが舞うように手を振ると、砲弾はそれに引かれて。
イロミダがしとやかに微笑むその度に、魅了されたかのように勢いを失って砂や海へ落ちる。
「ヘヒッ……もしかして、今までずっと無事だったのも……」
「そう、二人のおかげってこった」
飾と色の魔神の働きで攻撃が届かなかったと言うことを察したのぞみは、今まで自分が逃げ惑っていたことで、逆に守りにくくしていたことを悟り青ざめる。
目を泳がせるのぞみの内心を察してか、ボーゾは苦笑を向ける。
「おいおい。責任感じてるってんならガタつくなよ? せっかく冷えた頭も冷やし過ぎてカチコチに動かなくなってちゃ意味がないぜ?」
そんなパートナーの言葉を受けて、のぞみは辺りを飛び散る砂から顔を守りながら、呼吸を整える。
そうして守ってくれている味方の事が目に入るくらいに落ち着いて周りに意識を向ければ、砲撃は砲弾の質量ゆえに派手な砂煙や水柱を上げているだけ。
弾丸そのものはいわゆる榴弾やらなんやらではなく、魔法的な細工も何もなし。ただ単純に、金属の球体が飛ばされてきているだけであると分かる。
砲撃の出どころである大型の帆船という見た目そのままの、大航海時代設定の映画にでも出てきそうなシンプルかつレトロな武器に過ぎない。
「こ、これなら……二人が、守ってくれてて……どうこう、なるわけも、なし……ヘヒヒッ」
「そういうこったな」
砲撃が大きな脅威にならない。
そうと理解できてしまえば、のぞみの顔に浮かぶ引きつり笑いにも、いつもの調子が出てくるというものだ。
「あ、二人が……って言えば、ベルノ……」
そこでもう一名、戦力として頼り連れてきた魔神メンバーの事に思い至り、海上にその姿を探す。
すると砲弾が飛び交う洋上で、やはりタコ足に絡まれ食らいつき続けている姿がすぐに見つかる。
「こ、この……状況でぇ……?」
「そこはアイツの事だからな。やられるわけもないが、平常運転やってるのが見つかったことに安心しとけよ」
安定の食欲優先のマイペースっぷりにのぞみがげんなりとする一方で、ボーゾがむしろ安心する材料だとフォローを入れる。
そのあたりは欲望の魔神たちを従える者の一人として、もちろんのぞみも分かっている。
そういう特徴を踏まえて働いてもらう。
例えるならクセの強いスペシャリストを部下に抱えた者の心構え、とでも言うべきか。
しかしクセはクセであるとして、従える側の問題として考えなくてはならない問題であることは事実である。
「ご、合流して欲しい……けど、食事の……中断は、無理……だから……ど、どうしよう……かな? ヘヒッ」
「そうだな。俺らの手元に食事中のアイツを釣れるような食材は無いしな」
「後払いは……効かない、かも……だし……な、無い無い尽くし……ヘヒッ」
そこで動かす側と動く側。その欲望のすり合わせをどうしたものかと、のぞみは考え込む。
「そ、そうだ! 味を変える……! 海水ばっかの生食だけ……じゃ、飽きが来る……ッ!」
閃きを得たのぞみは、早速手の内に小さなゲートを展開。
しかしそこから出てくるのはモンスターではない。醤油に味噌にポン酢と、様々な調味料が光を潜って現れたのだ。
ちなみにこれらは、スリリングディザイアに棲息する大豆型モンスター・グレートビーンや、樹木系のが落とす柑橘類の果実を素材にしたものである。
その味はパークの食を担うベルノこだわりの逸品。
自然、その品質ゆえに値の張る高級品ではあるが、関連モンスターの討伐と素材納品に貢献することで探索者も詰め合わせを手に入れ、口にすることができる人気の報奨品である。
「こ、これで……誘えば、大ダコを引きずってでも、泳いで来る、はず……ヘヒヒッ」
「待って待って、マスター。それならいっそここは、それをあの船にやって、ベルノに暴れてもらいましょうよ」
のぞみが合流手段を確保し、早速動こうというところで、ザリシャーレが待ったをかける。
その修正案に、のぞみはすぐさま何度も首を縦に振る。
だが食いついたのぞみが動こうとしたその時、ベルノと彼女を捕らえているタコ足に砲撃が直撃!
千切れ飛んだタコ足に混じって、ベルノは海中へ没する。
「べ、べべ……ベルノぉおッ!?」
それにのぞみが青ざめ叫ぶ。
「うーわ……これは……」
「やぁーっちまったなぁー……」
しかし一方でザリシャーレやボーゾは全く別方向の心配をしているように見える。
「ヘヒィッ!? いや……いやいやいや!? べ、ベルノ……が!? 撃たれて、落ちて……ッ!?」
見るべきところが違う。そのはずだ。
海に背を向けて、そう仲間に訴えるのぞみ。
だがボーゾを始めとした欲望の魔神たちは帆船たちに向ける同情の目を変えることはない。
「いや、だってよぉ……」
「アイツらがこれからどうなるのかを考えたら……ねぇ?」
「寝た竜を起こしてしまったのだものの。えぇ……」
しかしボーゾもザリシャーレもイロミダも、手向かってきた敵を憐れむだけ。
ベルノに対する心配する様子はまるで見せない。
このあんまりと言えばあんまりな反応に、のぞみは悲鳴じみた声を上げてオロオロと目線をさまよわせる。
その一方で不意に海が爆ぜる。
「ヘヒィッ!?」
のぞみが音に驚き、跳ねるようにして振り返る。
するとちょうど、高々に立ち上がった波に揺らされた帆船の一隻が中央からへし折れるところであった。
「な、なな……なんじゃ、とてぇーえ……ッ!?」
のぞみが動転するその前で、折れた船を持ち上げる水柱はその高さを増していく。
やがて高々と立ち上がった海水が弾け散り、その奥にいたモノの姿が露わになる。
それは巨大な猿であった。
はちみつ色の体毛を茂らせ、風船のように膨らんだ腹を持つ、大帆船に勝るほどの大きな大きなメスの猿だった。
「食事の、邪魔をしたなぁああああッ!?!」
鬼のごとき憤怒の形相に顔をゆがめた大猿は、激情を吐き出すような咆哮で海を波立たせる。
そうして担ぎあげた帆船の船体に焼き菓子のように食らう。
「べ、ベルノ……? だよ、ね? ヘヒヒッ」
猛り狂うほどの怒りの原因。そして何よりも繋がりからひしひしと感じるもの。
そこからのぞみは船を食らう巨猿の正体がベルノであることを察する。
「ほれ。心配いらねえっていうか、心配しなきゃならんかったのは船の連中の方だったろ?」
「う、うん……とりあえずは……ベルノが無事で、良かった……ヘヒヒッ」
しかしベルノの変化に対して動じた様子はない。
むしろ敵陣のど真ん中で憤りのままに暴れまわる姿に安心してさえいる。
その一方で帆船艦隊が砲撃どころでは無くなったことで、ザリシャーレとイロミダはむしろ暇をもて余している風であった。
「……こうなってしまうと、もうベルノが敵を全滅させるのを待つばかりになるのかしらね」
「そうね。腹いせ終わったら元に戻るだろうし……っていうか、それまでそっとしといた方が楽でいいわ。大猿変身までだったら巻き込まれる心配は無いものね」
「な、なんか……別の変身がある……みたいな、言い方……ヘヒヒッ」
「あるわよー? こっちで言うインド神話? それに出てくる神様みたいに色々と化身はあるんだから」
「いや、うん……大猿変身とはまた違う変身って言えば……まあ、いいや……ヘヒッ」
ベルノが無事であること。それを確認したのぞみは、もう勝負は決まったものとする美女魔神たちにあてられて、すっかりのんびり雑談する姿勢である。
その様子に、ボーゾが定位置であるのぞみの胸の谷間に収まりながら呆れたような目を向ける。
「おいおい、のんきしてる場合かっての。このまんまじゃベルノがここのダンジョンコアまで食っちまうんじゃねえか?」
なるほど確かに。
言われてのぞみが確かめてみれば、ダンジョンコアの持ち主はあの帆船艦隊。正確に言えばその内の一隻に乗った誰かに違いない。
このままではボーゾが言う通り、程なくコアもろともにベルノの胃袋に収まることになるだろう。
「ヘヒッ……で、でも……もしそうなった、ら……ベルノから後でコアを受け取れば済む話……ヘヒヒッ……というか、そもそも……ダンジョンマスターでないと、コアの回収は……できない、し……ヘヒヒッ」
そう。そもそもダンジョンマスターでなければコアの回収と吸収はできないのだ。
もし出来ていればのぞみが直々にコアの回収にダンジョンアタックに出向く必要はない。
もしボーゾの言う通りの事態になれば、代理にベルノを派遣すればいいだけの話である。それはむしろ、スリリングディザイアの幹部勢からすれば歓迎すべき事態。その第一例となるものである。
「そうよね。もしそうならマスターが危険にさらされることが減って、美しさと健康を磨いたり、気楽に着飾ったり、そんな時間が増やせるのよね?」
「そうね。良いことずくめな話よね。でもベルノだけに行かせてたら、フードコートの仕事ができないって不満がるかもだから、ワタシたちでも回収してこれるようにならないといけないわよね」
それを示すように、ザリシャーレとイロミダは歓迎の言葉と共にうなづき合う。
この緊張感を欠いた反応に、ボーゾはたまらず頭を抱える。
「あー……うん。すまんかった。俺の言い方が悪かったぜ。俺は単純に、回収するべきコアがどこにいっちまうか分かったもんじゃないぜってことを言いたかっただけなんだよ」
この言葉にヘヒッとのぞみが海に目をやれば、大猿ベルノと必死に応戦する艦隊の中から、一隻だけ離れていくものがあるのを見つける。
「あ、あの船……! あの船が、コア持ちの……乗ってる、ヤツ!?」




