85:まさかのご指名勘弁してください
「ど、どうして……こうなった? ヘヒヒッ」
のぞみが困惑のままに引きつり笑いを浮かべる。
「どうして……って、お前が無茶振りに応えたからだろうがよ」
「で、ですよねー……まあ、言ってみただけ、だけども、が……ヘヒッヒヒッ」
パートナーからの容赦ないツッコミにのぞみは引きつり笑いを重ねる。
そんなのぞみたちがいるのは、人気の無く広大な屋内空間である。
修復の途中か、あるいは持ち主に手放されたのか。
そんな印象を受ける荒れた倉庫のような空間は、一歩足の踏み場を間違えれば何が起こるか分からない緊張感と不気味さを漂わせている。
「いや、だって……フリーボーナスに、私と戦いたい、だなんて言われたら、無下には……できない、し……ヘヒヒッ」
そう。のぞみはいま、お客様相手の戦いに備えているのだ。
そしてこの荒廃した倉庫はのぞみが戦いのために用意したボス部屋なのだ。
「なにも律儀に応えてやることはなかったんじゃねーの? そういうサービスは受け付けてませんーとか、魔神たちのうち誰かを指名させるーとか」
「たとえば……腹ペコベルノ……とか? ヘヒッ」
「お、いいんじゃねえの? ヤバいことになりそうだが、フルパワーをお披露目しとくのも悪くねえしな!」
膝を叩くようにのぞみの胸を鳴らしてボーゾが言う。が、さすがに食欲の魔神を、飢えた状態で放つのは絶対にやりすぎだ。無理ゲーの域に入ってしまう。
致命傷になる前に強制帰還判定が降りるには違いないだろうが、数人程度の探索者パーティーなど、ショーとして盛り上がる間もなく平らげられてしまうことだろう。
「で、でも……頑張ってボスモンスを倒して、その上に、ご指名いただいた、からには……お応えしないと、なるべく……ヘヒヒッ」
「おう! 誰かの欲望に誠実に応えようとする。それもまた欲望だな。のぞみの為したいように為すがよいだろうぜ!」
しかし仮定の話はともかく、すでに引き受けて、ボス部屋まで用意してあるのである。今回はもうどうしても引っ込みようのない状況である。
「ほ、本人は、ともかく……ステージギミックは……手強い、感じに……ヘヒッ……したいな、ヘヒヒッ」
「魔神パワー抜きにのぞみだけでってなると、そういう方向性になるわな……ってか、なるほどだからこういうボス部屋に仕立てて……」
「えげつないお留守番……するから、ね……ヘヒヒッ」
挑戦者を迎えるために設えたボス部屋を眺めてボーゾが色々と察したのに、のぞみはイエスとサムズアップ。
「ちょっと、頑張ってかき集めた、クリア報酬……簡単には、渡せない、し……ヘヒヒッ」
無茶振りに応えたというのは、なにも急ぎにボス部屋を整えたことばかりではない。
お客さん相手のイベント戦とはいえ、ダンジョンマスターに勝利した結果にふさわしいリターンの用意することにも、結構な負担をしているのだ。
具体的には借金である。
このイベントでのぞみを打ち負かした者に報奨金を与えることになったらば、北郷要から借り受けて支払うという話になっているのである。
のぞみに打ち勝つと言うことは、スリリングディザイアをそっくりそのまま手に入れると言う事である。
スリリングディザイアそのものを譲ることは、のぞみとしても断じてできることではないし、手加減する分を割り引けばその必要もない。
しかし持ち株の大部分を渡すくらいは、本来勝者が手にする物を考えれば奮発しすぎと言うものでもなくなってしまう。
もっとも、持ち株云々は仮にスリリングディザイアが株式上場していれば、の話なのであるが。
例え話はともかく、こうして相応の報酬を弾まなければとなったところで、プール資金の少なさが仇となったと言うわけだ。
特に近頃はイベントがらみもあって投資・融資の話が増え、それにのぞみができる限りにゴーサインを出してしまっていたことも大きい。
ウケカッセがその欲望のままに資金繰りをしていてくれなければ危うかったことだろう。
「……だ、だから、ここは……譲れない……ヘヒッヘヒヒッ!」
そんな身内の苦労を思えば、のぞみも普段以上に気合が入るというもの。
魔神パワーやボーゾの力は使わない。使わないがしかし、それ以外のダンジョンマスターの権利、能力のすべてを駆使してでも、挑戦者すべてを退ける構えであった。
「……っと、さっそくおいでなすったようだぜ」
そうしているうちに、マップに挑戦権を得た探索者パーティの反応が、ボス部屋入り口前に現れる。
「……う、うん……どう、来る……かな? ヘヒヒッ」
手元に浮かべたマップを眺めながら、のぞみの唇が笑みの形に裂ける。
同時に、探索者の反応が扉と接触して――
「ギイヤァアアアアアッ!?」
大きく重たい物の倒れる音と、それに負けぬ悲鳴が響いた!
「イエス……ッ! イエスイエス……ヘヒヒッ!」
「おほっ! きーれいに決まったんじゃーねーのぉ?」
成果を示す轟音に、オーナーコンビは揃って喝采の声を上げる。
入り口に配置した大扉は、そのまま開けようとすると、倒れ込んでくる罠として設定、配置しておいた物なのだ。
今回の挑戦者は見事なまでに引っ掛かり、下じきになってしまったのだ。
「のぞみと戦うために、のぞみが待ち構えてる部屋に突っ込むってーのにドアの罠チェックを怠るとか、探索者としては無警戒が過ぎるんじゃあねえのかねー?」
「ボス部屋のドアに、トラップが無い……! それは……コンピュータRPG的、発想……! 術中……すでに……首まで……ッ!」
ボーゾと一緒になってはしゃぎながら、のぞみの指は光の板の上を走っている。
ダンジョンの主にして鬼畜罠師。そんなのぞみが待ち構える場所へ直接乗り込もうというのに、無警戒に突っ込むというのはお粗末に過ぎる。
やるべき備えを怠って、なるべくしてなった結果であると言う他無い。
だが下じきになった探索者たちは、のし掛かるものを吹き飛ばして立ち上がる。
ライフゲージは誰もが大きく削れているものの、全員が健在。パーティメンバーに欠落は無い。
「こ、後衛は…片付けるつもり、だったのに……! ヘヒッ」
「とっさに体力自慢がいくらか支えたか。いい判断力じゃねえの」
全員健在でしのいだ彼らは、治癒の魔法で素早く失った生命力を回復させる。
この罠被害の軽減とリカバリーの素早いやり口から、彼らの探索スタイルがうかがえる。
戦闘力重視の編成で、トラップは完全回避を考えず、ある程度は被害を受ける前提でダンジョンアタックを進めてきたのだろう。
「ヘヒヒッ……そ、それだったら……」
そのあたりを察したのぞみは、笑みを浮かべながら、準備をしていたものを起動させる。
「……ヘヒッヘヒッ、ヘヒヒッ……よくぞ、ここまで……」
挑戦者たちの目の前に出たのぞみが、盛大な出迎えから脱した彼らを笑顔で迎える。
だがこれは本人ではない。
幻影トラップで作った像に合わせて、用意してた台本を読んでいるだけである。
のぞみが客と直に顔を合わせて、台本付きとはいえ、話ができるわけがないのだから。
「……さあ、あなたが望んだ相手がこの部屋で待ち構えて……」
しかし標的の姿と声を認めた挑戦者は、先手必勝とばかりに、のぞみの口上の半ばで踏み込む。
が、ダメ!
いつの間にか足元に広がっていた油に突進のための力が空回り。
走り出した勢いで油溜まりへ顔面からダイブする羽目に。
しかしタダでは転ばないと、油に倒れたメンバーの一人が小さなクロスボウをのぞみに向けて発射。
だがそれが彼らの敗北の引き金であった。
放たれた小さなボルトはのぞみの幻影を貫いて、その中に仕込まれていた火種を弾けさせる。
飛び散った火は幻影の足元の油に着火。瞬く間に入り口にまで燃え広がる。
当然入り口で躓き固まっていた挑戦者パーティを飲みこんで。
こうして第一の挑戦者は、ほとんど入り口を開けただけで、あえなく強制帰還という結果になってしまった。
「ヘヒッへヒヒッ 残念でした……また、どうぞ? ヘヒヒッ」
のぞみはそんな彼らを引きつり笑いで送って、安堵の息を吐く。
「ま、守り、きったぁ……?」
「うん。入り口を開けただけで撃退されかねない難しさってのは、さっきの様子の放送で伝わっただろうからな。堅実に行こうって欲望を持った奴は多いこったろうぜ」
これで敬遠されて、高額ボーナスを支払わなくて済むだろう。そんなのぞみの見立てに、ボーゾはあり得ない話ではないとうなづく。
だが、その見通しはすぐに甘いものだったと証明される。
息を吐いて降りた肩が戻るよりも早く、新チャレンジャー登場の告知が出たのだ。
「ヘヒィイッ!? 連続!? 続けて、ナンデッ!?」
新挑戦者の登場にオブジェクトとトラップの配置が初期化される中、のぞみは圧倒的に退けた端からの挑戦に目を回す。
「こうもなるだろうなぁ。難しかろうがボーナスは欲しいってのとか、難しいからこそ挑戦したいとか。そんな欲望が湧くってーのも、いくらかはいるわけだろうし」
しかしわちゃわちゃと右左するのぞみの胸元で、ボーゾは納得顔で繰り返しにうなづいている。
「ヘヒィイ……そ、そんな……のんびり構えて、ないで……」
「そう言われてもなぁ。襲ってきた坊主をぶっ飛ばしてから、しばらくはトークの補助に専念するようにって望んだのはお前だぜ?」
「ヘヒッ!? そ、そうだった……ど、どうしよ……ヘヒヒ」
「ほれほれ、どうするどうするって考えるよりも、やって来るお客さんに集中した方がいいんじゃねーの?」
「そ、そそ……そう、だった! 差し迫って、そっち……」
ボーゾの警告を受けたのぞみは、ヘヒヘヒと引きつり笑顔で、次なる挑戦者たちを迎え撃ちにかかるのであった。




