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82:本当に異常は無かったのか?

「いやはや、一時はどうなるかと思ったよ」


 幼児のような甲高い声で 安堵の声を上げるのは、スリリングディザイアに暮らすネズミ獣人のラットマンだ。


 彼は言いながら、砂地に縛られ転がった同族の拘束を切っていく。

 ここは砂漠エリアの洞窟と繋がったラットマンの集落のひとつ。縛られているのは、先程まで凶暴化して同胞たちに襲いかかろうとしていた者たちであった。


「いや、アンタらがいてくれて助かったよお。オレたちだけだったらみんなみんな狂っちまってたかもだ」


「いやいや。俺はたまたま、今日のイベントでここにスタンバイさせてもらってただけだから」


「なにを。うどん兄さんが、そのたまたまで居合わせてくれたお陰でオレたちが助かったには違いないんだからさ」


 ラットマンたちから感謝を向けられているうどん兄さん、というのはもちろん、うどんサマナーである探索者の香川である。

 砂漠エリアで遭遇する、一休みできるうどん屋台。ただし麺が踊り食い状態であることを気にしないメンタルが必要不可欠。

 そんなお客様参加型ランダムイベントのために、待機していたところを、偶然暴走モンスターの鎮圧に貢献することになったというわけだ。


「しかしなあ……俺としては暴れだしたのをおうどん様で縛り上げて隔離場所に運んでいただいただけだしなぁ……」


 香川の言う通り、ラットマンたちを拘束しているのはうどんである。

 ネズミの獣人を縛ってもろとも砂地に転がっているので、それはもう砂やら毛やらで食べ物としては悲惨なことになっている。


 しかし多少乾いている風ではあるものの、そのコシ、そのしなやかさが損なわれている様子はない。


「そう言えば、うどん兄さん。アンタの出すうどんたちってのはモンスターなんだろ? よく平気だったもんだな」


「ああ。持ち主さん側のお知らせじゃあ、ブロックマンとか、オイルマンとか、そういうのも同じようにバーサークしてたって話だったし。なあ? アーガの人」


「ふへぇ? はい、そーですそーですそのとおり」


 急に話を振られた砂漠地帯には不似合いなスーツの女。女性型スタッフアーガの一人は、休憩ついでに頂戴していたうどんを急ぎすすってうなづく。


 ラットマンのような知恵あるモンスターには、集落へ密かにアナウンスする方法もある。

 しかし普段であればそれでよくとも、今回はダンジョン全体を騒がせたトラブルの直後。ということで、直に様子を見てのぞみに伝えるべく、各エリアにアガシオンズが情報告知もかねて飛んでいるのであった。


「そんなのまで寄生? 感染? だかされて狂ってる状態じゃあ私たちも危ないって、対処ができるようになって、ようやく今動けるようになった訳ですから」


 そう言ってアーガは再び口の中にうどんを迎える。


「ふーん。そうだったのか」


「そうだったのかって……ホントにうどんの兄さんと、呼び出してたのは、なんともなかったんだな」


「ああ。全くもって普段通り。いつも通りのおうどん様たちだったよ」


 言いながら香川は湯切り網を指揮棒のように振る。

 すると狂戦士化していたラットマンを縛っていたうどんがひとりでにほどけて、香川の近くに浮いたお湯の玉に突っ込む。

 すると砂や毛にまみれて、とても食べれ無さそうだった麺が、打ちたて湯でたての状態に戻る。


「呼び出すときは常にこうやって清めているのだが、それが良かったのかも知れないな」


 あとで自分が美味しくいただきますから。と、香川は役目を果たしたうどんたちに手を合わせ、客に出す分とは分ける。

 いくら完璧に清められるとはいえ、さすがに一度戦いに出したものを客に振る舞う分に使うつもりにはなれなかった。


「まあ、それだけ完璧に清められるなら、あるかもしれませんけれど……洗って落ちるくらいならここまで苦労しない、って言うか、広まってないと思うんですよね」


 しかしそこで食事休憩モードに入っていたはずのアーガが口を挟む。


「その心は?」


「いやだってですよ? 私たちも含めてですけど、モンスターってそれぞれの習慣、習性にそって暮らしてるワケじゃないですか? そのうどんたちが、清めの水にくぐるみたいに、私たちはお風呂かかしませんし、ラットマンの皆さんだって砂風呂なり水浴びなり、定期的にしてますよね?」


 問われたラットマンたちは首を捻って記憶をたどり、間違いないとうなづく。


 ネズミというと不潔なイメージがついて回るが、ラットマンたちはどちらかと言えばハムスターなどの愛玩用げっ歯類寄りで、きれい好きに作られている。

 衛生面から来る病、感染症などに対しては普段から予防を心掛けていると言っていい。


「で、マスターも急ぎだったとはいえ、薬が不可欠って感じで用意してたんですよ? それだけ対処してたモノの寄生が洗い流したくらいで防げたのかっていうと、ちょっと……」


「なるほど、一理ありますよね」


 アーガの並べる理由を受けて、香川も納得を示す。


「そう言えば、俺がお招きしているのとは別の、普通にダンジョン内で過ごされているおうどん様方はどうだったのですか?」


「あー……それですか。まあ、気になります、気になりますよね」


 比較して、同種同族はどうだったのか?

 ようやくに出た当然の疑問である。

 しかし、問われたアーガは答えに窮して視線を泳がせる。


「何かおかしなことでも?」


「あー……いや、別におかしな質問ではないですよ? ええ、特別に変わったことも……うん、なかった、ですし……」


 どうにも歯切れの悪いアーガに、香川もラットマンたちも首を捻る。


 この反応にアーガはどう語ったものかと逡巡するも、それもわずかな間の事。語るべき言葉をまとめて口を開く。


「変わったことが無かったっていうか、うどんやひやむぎたちに限って言えば、完全にいつも通りだったんですねー……ほら、あれって基本的に見つけた相手の胃袋を目指して一直線なヤツだから」


「ああ、なるほど」


 基本的に麺類系統のモンスターは自分を食べてもらうことだけを目的としていて、その手段にも標的にも見境が無い。


 つまり、バーサークしていようがいまいが何も変わらないのである。


「それでも、ウイルス汚染そのものは受けてたみたいなんですよね」


「ふむ。ウイルスを受けていようが平常運転。さすがはおうどん様!」


「いや、感心するところなのうどん兄さん?」


「無論! 食物として何一つブレない。素晴らしいことだろう!?」


 力説する香川に対し、ラットマンたちはそういうものなのかと納得を示す。


「いやいやいや、それはそれとして、ちゃんと指示通りに動いて、感染者と接触しても制御から外れたりしなかったっていう方が重要では?」


「そうですね。おかげで被害は減らせたわけですが、どうしたわけなのやら」


 しかしアーガのツッコミから話は元の流れに戻される。


「その辺はやっぱり、召喚って言ってもここのうどんを呼び出しているからではないから、じゃないですかね?」


「そうなんですか?」


「いや、なんでそこでうどん兄さんが聞くのさ」


 首を捻る香川に、ラットマンが肩を落としながら口を挟む。


「いや、俺はこのダンジョンの中から呼び声に応じてくださったのが来てくれているものだとばかり」


「え? 元の居場所とか分かってないのに呼び出したり送り返したりできてるの? アバウトすぎねえ?」


「んー……いつの間にか使えるようになってて、今まで普通に使えてた力だからなあ……で、実際のところどうなんです?」


 尋ねる香川に、アーガは苦笑しつつも器を持つのとは逆の手に映像を展開する。


「えーっとですね、香川さんがうどん召喚してる時に、ウチからうどんたちの数が減ったとか、そういう現象は特に確認されてないです」


 そんな言葉と共に映し出されたのは、香川によるうどんモンスター召喚のシーンと、その同時間のモンスターの数のカウントである。

 PV用にと普段から撮り溜めしてあるものらしい映像。それと並んだデータ上では確かに、うどんの数は減るどころか、むしろ呼び出しに合わせて増えてさえいる。


「へえ、これは……貴重なデータをありがとうございます」


「つまり、どういうことだってばよ」


 開示されたデータを見ての反応は、しかし香川とラットマンとで真逆であった。

 ワケがわからない。

 だからどうした。

 そんな風に首をひねるネズミ獣人たちに、香川はつまり、と先置いてから説明を始める。


「俺の呼び出すおうどん様は、別のところから呼び出してるヤツで、だから凶暴化ウイルスの影響を受けなかったんじゃないか……と、こういうわけさ」


 この解説を受けて、ラットマンたちは口々に納得の言葉を口にする。


「でもさ、他所から呼び出してるとして、このスリリングディザイアの他に、うどんがモンスターになって浮かんだり泳いだりしてるダンジョンなんてあるの?」


 しかしラットマンの一人から出たこの疑問に、香川もアーガも答えに迷う。


「探せばあり得ないことはない、というのがダンジョンと言うものでしょうが……」


「四国地方にならワンチャンあるかも……?」


 可能性については否定しきれない、といった程度の認識を二人揃って口に出す。が、そこからすぐさま香川が頭を振る。


「いや、だとしても無いな。そもそも俺はこのスリリングディザイア以外には潜ったことが無いんだから」


 そう。香川の呼び出すうどんモンスターがスリリングディザイア生まれでなかったとしても、香川自身は他所のダンジョンを知らない。

 そんな状態で、モンスターを引っ張ってくるなどできるわけがないはずだ。


「じゃあ、香川さんが実はダンジョンマスターになってて、そこから、とか?」


「ダンジョンマスターはともかく、俺自身の……っていうのは……なるほど、あるかもしれないですね」


 スリリングディザイア以外のどこかから、というのならたしかにアーガの言う通りだろう。というよりも、それ以外は無いだろう。


「じゃあ、ダンジョンコアさえゲットしちゃえば、うどん兄さんのダンジョンが出来上がるかもって?」


「うどんしかうろついてねえ!? ってなりそう!」


「それのどこが問題なんだ?」


 香川がしれっと口にしたその答えに、ラットマンたちはゲラゲラと笑い転げ始める。


 この反応に香川が解せぬ、と眉を寄せていると、アーガが空の器を片手に歩み寄る。


「私らとしては別に、香川さんがダンジョン持ちになろうがなるまいが、ウチのマスターに害がなければ、なんにも問題ないんですけどね?」


「無いですよ。そもそも俺は召喚術の使えるスペルキャスターってだけで、本当にダンジョンマスターになれるかもどうかも分からんのですから」


 圧力を含ませたアーガの言葉に、香川は疑われるのすら心外だとばかりに、考えているところを吐き出す。


 これを受けてアーガの顔が柔らかく緩む。


「あはは、こう言いましたけど、別にそこは疑ってないって言うか、問題にはしてないんですよ」


「じゃあ、何が問題だって言うんです?」


「もしかしたら今回の件で香川さんのうどんが凶暴化ウイルス拾ってて、潜伏中とも限らないので、あらかじめ備えてもらおうか、と」


 囁きながらアーガは、カウンターウイルスの入りのカプセルを香川に握らせる。


「なるほど、ありがたくちょうだいしておきます」


「はい。それでは私はまた別の仕事があるのでこれで! 香川さんも楽しんでくださいね!」


 そう言ってアーガは用は済んだとばかりに、ドロンと姿を消す。


「あ、代金……は、この薬でってことか?」


 それを見送って香川は、掌に残されたカプセルを見て苦笑するのであった。

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