78:ウケカッセ大いに語る。が、本人的には物足りず
スリリングディザイアのフードコート。
そのビスケットを模したテーブルのひとつに、たっぷりのコーヒームースがかかったものがある。
とは言っても本物ではない。のぞみがもっさりとした黒髪を張り付けるようにして、突っ伏しているのだ。
「ヘヒィイ……よ、ようやっと一山……越えて……ヘヒヒッ」
「おう。お疲れちゃんだな」
「お、お腹はペコちゃん……ヘヒッ」
「だろうな。イベント後の片付けと次への調整にずいぶんかかったし。まあ今はどうにか一息つけるんだ。しっかり食ってしっかり休めとけ」
テーブル上のテーブルからボーゾが労ったとおり、のぞみは今の今まで食事もとらずに次に予定したイベントに向けての支度を整えていたのだ。
しかし手間は手間であるが、パーク全体の模様替えは、ダンジョンマスターであるのぞみがやるのが一番手っ取り早く、確実だ。
なにより細やかな実務は、普段から魔神たちに丸投げしているのだ。ここで自分の仕事を全うしないでどうする。というのがのぞみの思いであった。
だが、どれだけ意気込みがあろうが、やりがいのある仕事に打ち込んでいようが、疲れはするし、腹は減るのである。
「はーい、のぞみちゃんおまたせー!」
そうして腹の虫を鳴かせているのぞみの鼻先へ、ベルノが湯気の立つ皿を運んでくる。
「ヘッヒィ! まま、待ってまーしたーッ!」
これにのぞみは鼻の穴を広げて跳ね起きる。
唇を舐めて湿らせ手を磨り合わせるのぞみ。
その目の前に並べられた皿にはハチミツたっぷりのパンケーキが。
含んだ熱でバターをとろけさせるその右横には、切り分けたフルーツを盛ったガラスの器が。その逆側にはハニーミルクラテのマグカップがある。
「こ、これは……疲れた体に染み渡る……ヘヒヒッ」
「もっちろん! ダンジョンいじくっててのーみそバテバテなのぞみちゃんへのホキューなんだし! ハチミツ狩りで出たいーもの集めだよ!」
濃厚なエネルギーを含んだ甘味の塊を諸手を挙げて歓迎するのぞみに、このメニューをチョイスしたベルノはサムズアップで応じる。
「……フヘヒィイ……べ、ベルノの心遣いが、し、しみるぅう……ヘヒッ」
のぞみはいただきますと手を合わせるや、酷使した脳を労り、癒そうとするような甘味で口をいっぱいにする。
その緩んでとろけた笑顔に、ベルノは満足げに首を縦に振る。
「うんうん。食べるってことは命の基本! 食欲があるってゆーことは、すなわち生きると望んでるとゆーこと! つまりは生命の証ッ!」
ベルノが己の司る欲望を熱く、強く肯定する。
「そうとも、その通り! 生きているから欲が生まれ、欲があるからこそ生命は動く! まさに欲望は命のエネルギーってこったなッ!」
それをボーゾが分け前に食らいつきつつ、拳を突き上げて後押しする。
もちろんのぞみもその意見に否やはない。頬の内側が空き次第に次のを突っ込みながら首を縦に振る。
「どうも、お食事中に失礼します」
そこへ不意にかかった声にのぞみたちは振り返る。
するとにこやかに手を振るショートカットにメガネの女性、北郷要と目が合う。
「よう、北郷さん。いらっしゃいやしーってな」
警戒は必要。しかしお客様であるのでぞんざいにもできない。
そんな対応の難しい相手の登場に固まってしまったのぞみに代わって、ボーゾが応じる。
「はい。お邪魔していますね、オーナーさん」
これに要は、ボーゾの言うことがまるでのぞみの言葉であるかのように返す。
これはおおよそほとんどの相手に、ボーゾの存在をコミュニケーション補助の使い魔人形だと説明しているからだ。
当然、目の前のダンジョン関連商人も例外ではない。
「そいで、今日は何用で?」
「いえ。用事というほどのものではないのですよ。ちょっと実際に見てみようかと立ち寄ってみただけです」
「ほーん。それで、実際見てみてどうよ? ダンジョン景気に乗ってきたやり手さんとしてはよぉ?」
「噂以上。一言で表せばそんな評価になるかしら? 大型イベントに合わせていい具合に盛り上がってる感じだし」
そう言って要が見回したフードコートは、昼時から少し外れているにも拘わらず、全ての席が埋まっている。
この盛況ぶりを改めて目に入れて、のぞみも口の端を吊り上げる。
「……こ、この盛り上がってる中で、席の一個を……占領? してるのは、申し訳……ない、けども……ヘヒヒッ」
「えー? それは私が呼んだからなんだし、のぞみちゃんが気にしなくてもいーじゃない。予約席予約席」
入れる客を一組減らしてしまっている申し訳なさに、のぞみが背中を丸めようとするのを、ベルノが笑い飛ばす。
「そーうそう。ここは逆に考えろよ、他の店に流れる客を一組、そっちの儲けを多くしたってな」
それにボーゾも乗っかる形でフォローに入る。
二人の楽観というか、軽いモノの見方にのぞみは苦笑を浮かべる。が、一方で重荷で深まっていた猫背は少しばかり伸びた。
そんなやり取りに、要は微笑ましげに頬を緩める。
「なるほど、なるほど。他所を潤わせても構わないとするだけの余裕がある、と。コレは頼もしいことですね」
「それはそうでもありますが、本質そのものではありませんね」
感心しきりと要が微笑みうなづくのを、鴉羽の幻影を散らして現れたウケカッセが甘いと断ずる。
「あ、アナタは……ッ!?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。私は当パークの経理担当「金銭欲」のウケカッセと申します。以後、お見知りおきを……」
要が驚き身構えるのに、ウケカッセは優雅に腰を折りつつ名乗る。
「え? う、え? なんで……」
だが要は構えた体はそのまま、ウケカッセとのぞみを交互に見比べる。
とんでもない有名人が、あり得ない人物と一緒にいるのを見てしまった。
まるきりそのものな要の反応に、要本人以外の首が傾く。
その反応に要は我にかえると、咳払いをしつつ服の袖や襟をいじり始める。
「し、失礼しました。ご丁寧にどうも。あまりに見知った相手に似ていたものですから」
「左様でございますか。その方もきっとさぞ経済感覚がしっかりと固まったお方なのでしょう」
「……え、ええ、それは、もう……」
にこやかな営業スマイルで返すウケカッセに、要は目線を逸らしたままうなづく。
「えー……ウケちゃんの場合は財布のヒモが固いだけでしょー?」
「そうだよな。本当に必要な出費なのかーとか、なんでここまで出さなきゃならんのか説明しろーってうるさいもんな」
「そ、そう……なの?」
「追加予算をせびられた場合には、です。なにぶん私以外の面々は欲望任せに散財する一方ですから。当パークの屋台骨は多少のことでは小揺るぎもしませんが、しかしそれでも無限ではありません。締めるところは締めませんと」
「な、なるほど……」
ウケカッセの言い分はもっともである。
いかに多く儲けていようと、それ以上に消費しているようではどうにもならない。
理性的に、刹那的に出なく長い目で欲望を満たす方法を取れる欲望魔神たちである。だがそれでも、一度熱が入れば突っ走りかねないのは間違いない。
「でもさー、ウケちーだってほっといたら溜め込むばっかになるじゃない? ご飯食べるより貯金する方が好きな変態なんだからー」
「だれが変態ですか、だれがッ!? 人聞きの、いや魔神聞きの悪い! 第一、予算はマ……スターの方針で多めに見て組んであるのです。それ以上を求めるのなら、私を納得させる理を組み立てなさいと言っているだけでしょう?」
しかしウケカッセも金銭欲の魔神である。一人で好きなようにさせていたら、蓄財に偏り走るのは目に見えている。
せめぎ合っているくらいがちょうどいいのだろう。
「納得させる利益を、の間違いじゃないのかよ?」
「それはそうですとも。出した先に儲けが見込めるのならば投資になりますから十分な理由ですとも。そうは思いませんか、北郷さん?」
「え?! ええ、そう……ですね」
悪びれもせずに堂々と言い放ってから唐突に話を振られて、要は戸惑いながらも同意する。
「そうです。おっしゃるとおり、きちんと還元される利益がないのであれば、組織としてはお金を動かす訳にはいきません。いきませんよ」
この利と理の通じた考えに、ウケカッセは満足げにうなづく。
「さすがは。仰るようにたとえ直接でなくとも、巡り巡ってなんらかの利益が……と納得させてくれたのなら、経理役としても気前よく渡せるのですが」
「え?」
「うん?」
しかし通じたはずの要からの疑問符に、すぐさま首を捻ることに。
だがウケカッセはすぐに自分と相手のどこが噛み合っていないのかを汲み取ったのか、納得の顔でうなづく。
「先の、自分たち以外を潤わす余裕が本質ではない、という話に戻させていただきますが……パークのみならず、もっと広く潤し富ませていくものだとしている、ということですね」
「それは……まあ、地元に貢献しておけば見返りはあるでしょうけれども……それならば探索者や、関連業種への支援で十分では?」
「それは確かに。探索者自身や、彼らの家族、それを相手に商売するものとその身内。彼らの営みで動くお金、それだけでも経済面の貢献度は深く、重くなることでしょう」
要の見解を、ウケカッセは道理であると認める。
しかし要が口にしかけた言葉を身振りで飲みこませて、再び口を開く。
「ですが……それでは狭い、というのが我らが主の考えなのですよ。もっと広く、ダンジョンとの縁が近かろうが遠かろうが、ね」
「しかし、それでは……!?」
「ええ、ええ。言いたいことは分かりますとも。確かに、むやみに手を広げ過ぎては首が回らなくなって、悪くすればもろともに沈んでしまいます。そのあたりは匙加減が難しいところではあります……ありますけれども、ダンジョン所縁の業種とその人の営みが周りに影響を与えるのであれば、その逆もまたしかり、でしょう?」
この言葉を聞いて要は思わずうなづいていた。
すべての金の流れはダンジョンに通ず……などとそんなことがあるはずはない。
だがダンジョン経済として成り立ち、生業としている人間がいる以上は、あらゆるものと相互に影響を与え合っているのは間違いない。
「例えば食料や生活必需品の流通。これを助ければ、近くに居を構えた探索者はもちろん、その他の人々も暮らしやすくなる。ダンジョン素材に限らずに基礎技術研究を支援すれば、研究者・技術者は潤い、技術発展の助けにもなる。こうやってダンジョン関連業種以外にも手をさしのべ、より広く共栄の手を広げよう。それが私どもの主人の願いであり、目標なのです!」
「い、いやー……わ、私はただ……色んな人に必要とされて……ひ、評判も上がったら、良いなー……って、思ってた、だけなんだけども……ヘヒヒッ」
熱く持ち上げるウケカッセに、のぞみはそんな大それたものじゃないと苦笑混じりに。
「何をおっしゃいますか!? その考えが、願いこそが、今語った方針を生むきっかけになったのではありませんか!」
「つまりはのぞみの欲望が素晴らしいってこったな」
「そのとおり! さすがはボーゾ様、いいことをおっしゃる!」
「ちょ!? ちょ、ま!? 落ち着こう? いったん叫ぶのやめよ? ヘヒッ」
周りから何事かと注目されだして、その居心地悪さに、のぞみはウケカッセにストップをかける。
「いえいえ! これくらいではまだ語り足りません! 北郷さんにマ……スターの素晴しさを余さず伝えるまではッ!」
と、ウケカッセは語り口を向けるべく要へ振り返る。
「……いない!?」
しかしそこに要の姿はない。
どこへ行ったのかとウケカッセはフードコートを見回すも、求める姿はどこにもない。
「ん? 要ちゃんなら、むぐ……熱烈トーク中に帰ったよ? ドン引きされたんじゃないの……もぐもぐ」
そんなウケカッセに、ベルノがつまみ食いをしつつ目当ての人物の行方を教える。
「そんなバカなッ!? あの程度ではまだ勢い半ば、不完全燃焼もいいところだというのにッ!?」
ほったらかしにして逃げられたことにウケカッセが荒ぶる横で、のぞみは苦笑交じりに首を傾げる。
「……き、北郷さんは、なんで声をかけてきたの、かな……結局……ヘヒッ」
「おいおい。そいつは本人が言ってただろ? ウチを実際に見てみようって思ってきたって。で、たまたま見かけたから挨拶したんだろ?」
「ヘヒッ!? ほ、ホントにそれだけ……なら、いいんだけれど……ヘヒヒッ」
軽く流すボーゾに対して、のぞみは注目される居心地悪さと言い知れぬ不安に唇を引きつらせるのであった。




