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77:隠れ、潜み、窺って

 豪華景品を収めた金庫破りイベントに盛り上がる迷宮エリアの一室。


 そこを派手な頭をした男二人組について抜け出た女は、先を行く男たちから離れてわき道に滑り込む。

 身を寄せた物陰で、女は耳の下あたりに両手をかけ、一気に前へ。

 すると覆面を剥ぎ取るように顔が剥がれ、目つき険しい黒髪の女、マキの顔が現れる。


「浮かれていい気なものじゃないのよ……まったく」


 マキは忌々しげにつぶやくと、不自由だった間の呼吸を取り戻そうとするかのように深呼吸し、手のひらに呼び寄せたキューブを捻る。

 ねじ蓋の容器を開けるようにして広げられたそこには、迷宮エリアとは別の場所の映像が映し出される。


 山道のエリアでは、大量発生した体長一メートル程の化物蜂に、探索者が追い回される阿鼻叫喚の絵図が。

 このモンスター蜂の名前はジェノサイドビー。縄張り意識が強く、攻撃行動に移るのも早い。おまけにその巨体に蓄えた毒液を一刺しで大量に流し込んでくる凶暴な蜂である。

 しかし、攻撃的で恐ろしいモンスターである彼女らであるが、ホーネットでも、ワスプでもない。蜜蜂ビーなのである。

 つまり、その巨体から地面に設置されている巣には、植物モンスターの花蜜や樹液から精製されたハチミツが大量に蓄えられているのである。

 ここまで言えば言わずもがなであろうが、山道エリアのイベントをしきっているのは「食欲」のベルノである。


 今もまたあるパーティが死に物狂いで勝ち取ってきたハチミツを舐めながら、引き換えに景品を渡しているところであった。

 景品のレベルは、引き渡すハチミツの量と質によって定められており、単純に言えばベルノの満足度次第ということになっている。


 ハチを駆除の経験を持ち合わせたメンバーがパーティにいるかいないか。それが明暗を分けるイベントとなっている。


 また別のところ。地下水脈エリアで催されているのは採掘ラッシュである。

 つるはしを握ったメンバーと、それらをモンスターから守るメンバーとに分担して、ファンタジーな宝石の原石を掘り出しているのだ。


 地下水脈がすっかり鉱山と化してしまったこのイベントも、主催のザリシャーレに原石を譲り渡すことで景品と交換する形式だ。


 これらと一風変わったものが、ベルシエルが受け持っている砂漠エリアのイベントだ。

 灼けるような日差しの降り注ぐ昼。そして寒々とした風の吹きすさぶ夜。

 この二つのエリアに共通する、遺跡風味の入り口から入れる特殊エリアには、謎解きを満載した迷路が用意されている。

 迷路内部にはお宝が配置されており、さらに突破までの時間や、説いた謎の数次第でゴール後の商品も追加される仕組みになっている。


 どのイベントも最高を目指そうとすれば難度は高い。だが、それなりに手軽な、無理のないところを狙えば達成は不可能ではない。


 それを妥協とみなして、あくまでも最高を踏み越えた達成感を、結果を目指す者。

 それとは逆に、ほどほどの成果を得たことを良しとして、魔人衆主催のイベント以外も楽しもうとする者。


 形はそれぞれに。

 しかしキューブが映す映像の中では、誰一人の例外もなく、冒険ごっこと、それを彩る難関を楽しむ者ばかりであった。


 そんな充実した者たちで埋められた映像を眺めて、マキは舌打ちをする。

 そしてその目はイベントを仕切る細かな欲望を司った魔神たちへ向く。


「……各エリアでイベントを仕切ってる魔神どもの内、どれか一匹でも乗っ取ることができないものか……」


 続けてポツリと漏れた言葉は酷く剣呑な、しかし同時に軽いものであった。

 まるで盤上遊戯で対戦相手の駒をどうにか自分の手持ちに加えようと思案。それがふと漏れてしまったという程度の重さである。


「直触れで干渉して乗っ取りをかけてみる……やってやれないことはない、かもしれないわね」


 直接干渉にわずかな可能性を見ているマキである。が、スリリングディザイアの内情からすれば現実的な話ではない。


 オーナー、ダンジョンマスターであるのぞみにとって、幹部魔神衆をはじめとしたスタッフモンスターたちは手放しがたい身内だ。必要とあらば切ると判断できる手駒などでは断じてない。

 乗っ取りをかけたとしても逆に仕掛けてきた側を特定。そこから怒りに任せての逆侵攻まであり得る。


 慎重を期して、アガシオンズには手を出さず、客である探索者の装備にスパイとなるモンスターを潜ませているのが最適解なのであるが、マキにそれが分かるはずもない。


「……まあそれはいくらなんでも欲をかき過ぎ、かしら? あの金にうるさそうな経理役に鼻薬でも嗅がせた方がまだ現実的ね」


 マキは自分の考えを鼻で笑って、先ほど出てきた金庫破りイベントの部屋へ視線を向ける。

 だが口に出したその考えは欲のかき過ぎどころか、見当違いも甚だしいもの。


 ウケカッセは確かに自他ともに認める銭ゲバである。

 であるがしかし、いやだからこそというべきか。買収が通用するほど安い相手ではない。

 むしろ買収など仕掛けようものなら、愛する主人のためにずるずると買収用の資金を引きずり出しにかかるだろう。


 それは他の欲望の魔神たちも同じこと。

 呼び名と欲望に忠実な態度から、適した釣り餌が分かりやすく、与しやすいように思えるだろうが、その実はまるで違うのだ。


 これも、のぞみが魔神たちを過度に律して、締め付けるようなダンジョンマスターであればまた違ったかもしれない。

 だが、社会良識と倫理に反しない範囲であれば問題なしと、のびのびにやらせているので、魔神たちものぞみに対して揺るぎない忠義を持つというものだ。


「……いやしかし、しかしね。上手く行く行かないは別にして、事は慎重に進めるべきだわ。いきなり内部も内部のメンバーに寝返らせるよう仕掛けるにはリスクが大きい……少なくともまだ」


 そんな誤認から来る自信のままにスパイを仕込ませようという自分の考えに、マキは頭を振ってつぶやき、待ったをかける。


「アイツらはこっちが正式に結んだ契約を認めないようなヤツらだもの。こっちに味方するように引き受けた振りをして、一方的に反故にすることだって十分にあり得る」


 うなづき忌々しげに見た映像は、地下水脈で臨時パーティを組んだメンバーを捨て石扱いしていたのを咎められた時のもの。

 自分の暴挙を棚上げしたとんでもない暴論である。

 だが、その言いがかり同然の疑いが、マキに慎重論を取らせていた。


「……引き出した中から、あの宗教女の推薦のを取りつかせたのを接触はさせたし、情報の抜き出しはそっちから少しずつ……とやるしかないか」


 一人つぶやき、うなづくマキ。

 しかし己を言いくるめようとするかのように独り言ちるその眉間には、深いしわが刻まれている。

 スリリングディザイアとの戦力差から密かに、着実に事を進めることには納得しつつも、じれったいと思う気持ちがきれいさっぱりに消えるわけではない。


「けれど、だけれども……それは悠長に過ぎる。それに、あの宗教女の主導で、あっちの世界の女どもの思うままに事を進められるのは、業腹ってものだわ……彼の、故郷での姿も知らないくせをして!」


 マキは苦々しげにつぶやいて爪を噛む。

 虚空を、その先にカタリナ達を見ているのだろうその険しい目には、仲間に対する信頼感などかけらもない。

 あるのは不倶戴天の敵へ向けるような、警戒と敵意だけである。


「やはりこちらでも独自の情報網を作らなくては、ということね。出来れば自分から乗り気でやってくれるような連中が好ましいのだけれど」


 そう言ってマキは変装用のマスクをつけ直して、自分の手駒となるような者を求めて歩き出すのであった。

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