72:にぎわい増す町に胸ふくらみんぐ
夕方の出坑市。
景色が朱色の光を帯びたその中を車たちが進む。
そんな車たちの中の一台。
スリリングディザイアのある白山地区に向けて走る車の後部座席に、手塚のぞみの姿がある。
「ヘヒィ……疲れたぁ……」
シートにぐったりと体を預けてため息を吐くその姿は、文字通りに疲労困憊といった様子である。
「今日もいくつものダンジョンを制圧されましたからね。お疲れ様でした」
そんなのぞみに運転席から渋い労いの声がかかる。
今回も送迎と、護衛役を担当している紫羽毛のドラゴンパピー、グリードンのものだ。
手慣れた様子でハンドルを操る彼の姿に、のぞみもまた慣れたもの。初見の時のように動揺と醜態を見せるようなことはもうない。
「ま、まーねー……今日だけで、ダンジョン化してたのを二つ。未発生のを三つ……だったっけ。で、でもそれは、いいの……護衛について来てくれた二人のおかげで、危なげない感じ、だったし……ヘヒヒッ」
そう言ってのぞみが隣に目をやると、もう一人の護衛役である、しっとりとした黒髪の色白美人、色欲のイロミダの姿がある。
「だ、ダンジョンもだけど……それよりも、移動で疲れた……かな。ヘヒヒッ」
「おいおい。だらしねえぞ。お前は運転してたわけでもなし、クッションの利いたシートに座って寝たり休んだりしてただけじゃねえか」
「ヘヒッ、そそ、そんなこと言ったって、どうしても、結構遠くになっちゃうし……」
胸元のボーゾからのからかうような声に、のぞみは慌てて反論する。
実際、のぞみが言う通り、ダンジョン発生はスリリングディザイアからもっとも近くても、車で片道二時間前後必用になる距離が開かないと起こらなくなってしまっている。
その先の小ダンジョン同士の距離はそれほど離れることもないとはいえ、どうしても移動時間に多く取られることになる。
そして座りっぱなしでいていいと言っても、それはそれでまったく疲れないわけではないのである。
こうして遠距離でないと発生しなくなったのは、スリリングディザイアが大きく成長してきたがためにだ。
スリリングディザイアの近隣でダンジョンコアが形成されようとしても、それらはすべて萌芽の内に、のぞみの内にあるコア、スリリングディザイアのそれに引き寄せられて吸収されてしまうのだ。
そう、まるで小さな隕石が、重力に引かれるままに星に近づくかのように。
つまり、スリリングディザイアの重力圏ともいえるエリアは、危険なダンジョンがほぼ発生しない、地球人類にとっての安全圏であると言える。
もっとも、例外というのは存在する。
砂漠のダンジョンの事例にあるように、スリリングディザイアと接触し、逆に乗っ取りを仕掛けに来るような強いコアも存在するのだ。燃え尽きずに地表に落着する隕石が皆無では無いように。
自動吸収の領域が拡大しているということは、のぞみと一体化したダンジョンコアが成長している証である。
安全圏が増えることでもあるし、それ事態は歓迎すべきことである。
だがこのまま拡大を続けては、やがて北は北海道、南は沖縄。それどころか海外にまで飛ばなくてはならなくなるかもしれない。
「そうなったときのためにも慣れておけよ」
「ヘヒィイ……気が重ぉぃい……」
いずれやって来そうな未来予想図。それにのぞみは萎れるようにうなだれてしまう。
「のぞみ様。そんなにお疲れなら、ワタシの膝を枕に横になっては?」
そんな主人の姿に、イロミダは形のよい唇を柔らかくほころばせる。
そうして気前よく差し出された白い太ももに、のぞみは反射的に喉を鳴らす。
きめ細やかな肌の下に、肉の詰まっているそれは、見ただけでも柔らかさと弾力を絶妙のバランスで兼ね備えているであろうことが分かる。
さすがは色欲。
同性ののぞみでも、思わずむしゃぶりつきたくなるような太ももである。
「……い、いいの? ヘヒ、ヒヒッ」
こんな良いものを、本当にいいのか。
そうおずおずと確認をとるのぞみに、イロミダは美貌に浮かべた笑みを深くしてうなづく。
「ええ、もちろんです。さ、どうぞ遠慮なく」
「そ、そそっそ……それじゃあ、し……失礼、をば……」
重ねての差し出しの言葉に、のぞみは錆び付いたような動きで体を横に倒していく。
ムッチリとした太ももに狙いは違わず。
距離が縮まるにつれて、のぞみの鼻息は荒くなる。
「おい、なに緊張してんだよ。女同士の膝枕ひとつで変な空気作るなよ」
「だ、だって……こ、これはしょうがない! これは、いいものだもの……! ヘヒッ」
そこへボーゾに突っ込まれて、のぞみは言い訳じみた言葉を口に出す。
「じゃあ、そのいいものを味わってみてくださいな」
「ヘヒッ」
イロミダのやんわりした声が耳に届くやいなや、のぞみが上体を支えていた肘がすくわれる。
そうしてのぞみの頭は、すぐ下に控えていた太もものクッションに落ちることになる。
「フヒャヘヒィッ!? こ、これはぁ……ッ!?」
飛び込む形になったというのに、衝撃を感じさせずに受け止めてくれる柔らかさと弾力。
頬に触れる肌の滑らかさ。
そして、人肌の持つ温もり。
「ヘヒ、ヒヒヒ……こんな枕、初めてだぁあ……」
これらが産み出す心地よさに、のぞみはうっとりと頬擦りを始める。
「ふふ、気に入ってもらえたようで何よりだわ」
「う、うん……ひ、人に膝枕なんてしてもらうの、いつ以来かな……」
「いや、自分だけじゃどうやってもできないだろ?」
「ふぁ、あふ……あ、揚げ足はとらないで……ヘヒ、ヒッ」
のぞみはあくび混じりにパートナーに返して、そのまま寝落ちに傾いていく。
そんなのぞみの姿を、イロミダはしっとりとした微笑みで見守る。
「そのまま寝てしまっていても構いませんからね」
「ええ……でもぉ……」
「グリードンか、ワタシか。でなくとも他の誰かがおぶって行きますもの。心配しないで」
イロミダの柔らかな声での提案に、のぞみは唸るようなあやふやな返事をするばかり。
その様子はもはや、膨らみ続ける睡眠欲にされるがままと言ったところか。
「いやいや、それだと運びたがる欲望に溢れたヤツで取り合いになるだろ? ここはなるべく平等に……お神輿に乗せて運ばせるか!?」
「ヘヒィイッ!?! そそ、そんなの恥ずかしすぎぃいッ!?」
ボーゾが名案だと声を上げるのに、のぞみは跳ねるように膝枕から身を起こす。
「もう。せっかくのぞみ様が欲に任せてゆったりと休もうとしていたところだったのですから、水を差さないでくださいな」
「悪い悪い。俺にとっても損な話にゃ違いないが、突っつきたい欲望に逆らう気にならなかった。すまんの」
イロミダからイタズラを咎められたボーゾであるが、しかし悪びれもせずにテヘペロっと。
「愛嬌を振りまいても誤魔化されませんからね」
仕種そのものは手乗りサイズのボディに幼い顔も相まって、ボーゾの見た目には非常に似合っている。
が、その本性を知っている身内には通用するはずもない。ぴしゃりと跳ねのけてお終いである。
「あれま。コイツは手厳しいや」
しかしやはりボーゾは舌を出したままに肩をすくめるだけ。まったく懲りた様子はない。
だが対する身内も慣れたもの。ため息一つでこの場を流してしまう。
「間もなく我が家に到着しますよ」
そこへ運転席からかかった渋い声に、のぞみたちは窓の外を見る。
すると確かにグリードンの運転する車は、もうスリリングディザイアの門前町とも言うべき町並みの中であった。
ダンジョンアタックに役立つアイテムの店や、武具を取り扱う店。
探索者の需要にダイレクトに応じるそこから出てきた男が、仲間たちと連れたって居酒屋のある方向へ。
打ち上げに行くらしい彼らと別の男は、妻と娘らしい二人に近くのレストランへ引っ張られて。
また別の家族は、暮らすに不足したものを買い足すのか、食料や生活雑貨を取り扱う店へと入っていく。
スリリングディザイアに潜ることを生業とした者たち。
加えてその家族や、探索者向けの商売を営む者たち。
のぞみはそんな人々の暮らす場所として賑わう町を覗き見て、ニヤニヤヘヒヘヒと笑みを浮かべる。
そこへ運転手のグリードンに気がついた人たちが手を振るのに、のぞみは逃げるようにドアの陰に顔を引っ込める。
しかし隠れたその顔は笑みのままだ。
「ご機嫌じゃねえか、なあ?」
「そ、そりゃあ、もう! たくさんの人が暮らせてるって、ことは……それだけの人にウチが認められてる、ということ……ヘヒッ、ヘヒヒッ」
承認欲求が満たされるのに、のぞみは抑えきれないとばかりに笑いが漏れ続ける。
「ソイツはけっこうなことだな」
「ええ、のぞみ様が嬉しいということは、ワタシたちにとっても喜ばしいことですもの」
そんなのぞみに魔神たちは引くどころか、微笑ましげに眺めてすらいる。
そうしているうちに車はパークに近づいていき、改築中の建物が斜め前に現れる。
「あれが、忍さんたちが話していた学校になるのですね?」
「う、うん……! あの校舎で知識を教えて……ウチで、実技……ヘヒヒッ」
先日の専門学校の話は、のぞみたちスリリングディザイア側の快諾からトントン拍子に話が進み、こうして座学用の建物の準備にまで事が進んでいる。
「てか、実技教習はもう始まってんだけどな」
「う、ウチはいつでも……ウェルカム、だったし、ヘヒヒッ」
しかし探索者向け専門学校開設の噂は予想を超えて早く、大きく広まって、座学用の箱が出来上がる前に入学希望者が集まることになってしまった。
そこでボーゾが言った通りに、できる授業から始めてしまおうと、スリリングディザイアでの指導、教習を先行して執り行っているというわけだ。
「戦闘実習に、基礎訓練、さらには学費稼ぎまで、潜って嬉しいスリリングディザイア……ヘヒヒッ」
スリリングディザイアが今以上に、さらに多くの人々から必要とされるようになることの期待に、のぞみの笑みが深くなる。
そこでちょうどよく、と言うべきか。改築中の建物に並ぶ形で、車が赤信号に止められる。
すると校舎になる予定の建物からグリードンを見ていた者たちの一人が、車に駆け寄ってくる。
「あの! スリリングディザイアの関係者の方ですか!?」
ショートヘアに眼鏡をかけた快活そうな女性の問い。
それにグリードンは後部座席で固まっているのぞみの様子を認めてからうなづく。
「ええまあ、見ての通りに」
マスコットキャラクターの着ぐるみじみたグリードンが運転しているのだから、誤魔化しようもない。
スリリングディザイア関係者であることは素直に認めて、その上でのぞみを表に出すことなく応対する。
「私、こちらの探索者専門学校に出資している北郷要というものなのですが、協力者であり、また出資者でもあるスリリングディザイア様とはぜひ一度お話をしたかったと思っていまして!」
要と名乗ったその女性は、そうして張り付くように運転席の窓に額を寄せるのであった。




