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67:ワ タ ス モ ノ カ ヨ

 多くの人間に崇められながら、人間にもっとも遠かった。


 人に倫理を説き、加護を与えて導きながら、その一方で人間の敵も育てて、増えすぎた人々を間引かせる。


 それは確かに世界のサイクル、バランスを保つ秩序として機能していた。

 だがそのために、秩序の神は人間を……いや、生命というものを、世界の部品としか見なしていなかった。

 己の管理する世界の一部として、愛していたのは間違いないだろう。

 だがそれは、ひいきにしている実験動物に向けるようなもので、必要とあれば惜しみなく飼育していた意味を果たさせる程度のものでしかない。


 そうして作っていた安定の果てが、人間の平穏を欲した英雄の裏切りによる世界そのものの崩壊なのだから、皮肉なものである。


 結局、秩序の神の保っていたバランスは、世界の滅びを引き延ばしたのか。あるいは、ただ発展を妨げて停滞を生んだだけだったのか。

 結果として、すでに滅んでしまった以上はどちらであるのか判断できるはずもない。


「……なさい……目を覚ましなさい!」


「ヘ、ヘヒッ!?」


 ボーゾの語っていた秩序の神に対する語りを夢に見ていたのぞみは、浴びせられた強い言葉に現実へ引き戻される。


「……まったく……ずいぶんのんきに眠っているものですわね」


「ヘ? ヘヒ……どちら、様?」


 見下ろしてくる目に痛いほどの白と金で彩られた女神官に、のぞみは誰何の声を放る。


 おずおずと遠慮深く訪ねる言葉に、女神官は首をフリフリため息を吐く。そんな、これ見よがしに呆れた様子を見せつけて口を開く。


「人に名前を訪ねる時には、まず自分から名乗るものではなくて?」


「……う、あ……ど、どうも……手塚のぞみ、です」


 促されてのぞみは素直に名乗る。

 ネタに走った余裕のある名乗りに聞こえるかもしれない。が、見知らぬ人間に見下ろされていて、内心はガクブルものである。


「これはご丁寧に、私は秩序の神の神官カタリナと申しますわ。以後お見知りおきを」


 怯えるのぞみの胸の内を見透かしてか、カタリナは呆れと皮肉を込めて見下し名乗る。


 高圧的なカタリナの視線に、のぞみはヘビに睨まれたカエルのように身を強張らせる。


「……ヘヒィイ……た、助けてぇえ……」


 か細く震えた声を漏らしながら、のぞみは助けを求めて涙目をパートナーの定位置である胸元に向ける。

 だが、背丈に比して豊かな胸の間に、ボーゾの姿はない。


「ヘヒッ!? ぼ、ボーゾ!? どどど、どこへ!?」


 いつも側にいる頼もしい相棒の姿を求めて、のぞみは目線をあちこちに向ける。


「あ、ああ、あっれー!? し、縛られて……るぅッ!?」


 そうしてようやく自分の体が鎖に巻かれて自由を奪われていることに気がつく。


「ようやく気づきましたの? 随分と呑気なものですわね……これが欲望の魔神の契約相手ですの?」


 のぞみが慌てて身をよじりもがく。すると鎖からはみ出た豊かな胸が大きく右左。

 カタリナはそれに忌々しげに顔をしかめ、嘲りを含ませた言葉を吐きつつ目を逸らす。


 それに釣られるようにのぞみも目線を移す。

 するとそこには、のぞみと同じように鎖に縛られた上、檻に閉じ込められたボーゾの姿があった。


「ぼ、ボーゾ!? そ、それに……あの、人たちは……!?」


 縛られ捕らわれたパートナーの奥には、さらに多くの人々が寝かされている。


 それも、みな残らず悪夢に苛まれているかのようにうなされてだ。


「ま、将希……!? お父さんも……!?」


 そののぞみが救助しようと姿を探していた人々の中には、例外なくのぞみの弟と父の姿もある。


「ああ、ご家族を助けにいらしたのですわね。なるほど、急いで駆けつけたのも道理ですわ」


 目を見開いたのぞみの様子から、急ぎ襲撃をかけてきた理由を見て取り、カタリナは微笑みうなづく。


「人々の事なら心配することはありませんわ。世界が違うとはいえ、私はむやみに人を殺めるつもりなどありませんもの。用事が終われば解放させていただきますわ」


 きれいな笑顔で無事を保証する言葉に、のぞみは安堵の息をつき、かけて止める。

 カタリナのきれいすぎる、まるで無機質な仮面のような微笑みには、逆に背筋が震えたからだ。


「……そ、そそ、その……用事……って? ヘヒッ」


「欲望が生み出すエネルギーを頂戴しているのですわ。必要な分をいただき終わる頃には、みな物欲が消え失せて清廉な人物に近づいているはずですわ」


「そ、そんなッ!?」


 欲望を渇れるまで奪う。満面の笑顔と共に告げられた答えに、のぞみはがく然となる。


 たしかに欲望は過ぎれば身を滅ぼすことになる一面もある。

 だが、人間に、生命には不可欠なものでもある。

 たとえば食欲を失えば、生き物は飢えるままに痩せ枯れる。

 その他二つの三大欲求をもすべて失って、食わず眠らず繁殖せず、それでなお生存できるのは、もはや生き物とは呼べない怪物である。


 生き物としての定義だけでなく、社会のシステムの根幹には欲望が関わっている。

 集団で暮らす上で安全を求めるから法が生まれ、遠く距離のある所で生まれるものを求める思いがあるから物流が生まれる。

 欲望の枯渇した人間は、普遍的な欲望に根差した社会になじめずに世捨て人になる。


 それだけならばまだいい。

 欲望が枯れるということは、知識欲のような、向上心に通じる欲望も失われることになる。


 そんなことになれば、人間は何も為すこともなく、何を生み出すこともなく、ただ腐り落ちるのを待つだけの存在に堕ちる。


 それのどこが清廉な人物だというのか。


「だ、ダメ……!? そそ、そんなのは……ぜ、絶対に、ダメ……ッ!」


「あらまあ。随分と勢い付きましたわね。けれど、アナタのそれは無用な心配というものですわ」


 言いながらカタリナが笑みを深めるのに、のぞみは思わず身震いする。


「なぜなら、アナタは今ここで、ダンジョンコアを私に捧げて、天に召されるのですから」


 にこやかに言い放たれた残忍なセリフの直後、のぞみへ光が降り注ぐ!


「ギッアァアアアアアアッ!?!」


「あらまあ。なんて醜い悲鳴……」


 柱を成した光に閉じ込められたのぞみを眺めて、カタリナは不快げに眉を寄せる。


 一方、柱状の光に捕らわれたのぞみは、叫び声を上げて苦しみ悶えながら宙へ持ち上げられる。


「少し静かにしてほしいものですわ、ね!」


 カタリナは、そうしてのぞみの顔が同じ高さにまで持ち上がると、悲鳴を上げ続ける口へ向けて鎖を投げる。

 無造作に放られた鎖はひとりでにぐるぐるとのぞみの顎を縛り上げ、強引に閉じさせる。


「……これで少しはマシになったようですわね」


 無理矢理に閉ざされた口からうめき声を漏らしてもがくのぞみに、カタリナは悠々と手を伸ばす。


 するとのぞみは身を貫かれたかのようにひときわ大きく身を捩る。

 そして跳ねるように揺れた胸の間から光の玉が顔を出す。


「これは……なんというサイズですのッ!?」


 カタリナが驚いたように、のぞみから現れたダンジョンコアの大きさは尋常なものではない。顔を出したのは球体の半分足らずでしかないというのに、それでものぞみの体の厚みよりもさらに大きい。

 どこにどうやって宿っていたのか。どう考えても収まりようがないほどの大きさなのである。


「すばらしい……! すばらしいですわッ! いくら欲望の魔神がついているとはいえ、こんなにも大きな力を宿していたとは想像以上ですわ! これほどの力があれば、きっと勇者様も断片だけでも……いいえ、もしおられなくとも、あの方の復活の大きな助けになることは間違いないですわ!」


 想像以上の収穫を前にして、カタリナは声を弾ませる。

 そして目の前の大きく強い光に誘われるように手を伸ばす。

 すると、その触れるか触れないかという所に近づいた手に引っ張られるかのようにコアの引き出しが加速する。


 自分の中にある決定的な何か。

 それがずるずると引きずり出されていく感覚に、のぞみはうめき声と身悶えを激しくする。

 それに合わせてコアの抜け出る速度が緩み、逆にのぞみの体へ戻ろうとする。


「まだ抵抗する力があるのですの!? 大人しくするのですわッ!」


 対するカタリナは煩わしいと吐き捨て、コアにかざした手に力を籠める。


「欲望に任せて生きるようなアナタでは、所詮行き着く果ては破滅のみ! それならば、私の愛する方をよみがえらせる力として果てるのが良いのですわッ!」


 ダンジョンコアを引きずり出そうという力が増して、のぞみは轡の奥から悲痛な声を漏らす。


 苦痛の涙に濡れたその目は、他の人々と共に縛られて眠らされた父と弟に向く。


 血のつながりのある彼らにすら、自分は必要とされていない。

 ならばいっそのこと、より強い誰かの願いのために散ってしまった方がよいのではないか。

 そんな後ろを向いた諦めに染まってしまった心を示すように、のぞみの手足から力が失われる。


 だが、体が懸命にもがくのを止めてしまったところで、よどんだ眼は囚われのボーゾの姿を収める。


 のぞみのことを認め、ともに歩んできたかけがえのないパートナー。

 まだまだ長いとは言えない間ではあるが、実の家族以上に身内としてやってきた彼の姿は今、霞のように消えかかっている。


 彼自身の力の源を抑え込まれ、その上一蓮托生に繋がったのぞみがその力と命を奪い取られかけているのだ。

 この世界ではほかに寄る辺ない神であるボーゾが、その存在を維持し続けられるはずもない。

 そしてそれは残る欲望の魔神たちも、アガシオンズやクノたちも同じこと。


 つまり、のぞみが奪われようとしているのは、自分の命と、ダンジョンマスターとしての力だけではない。

 かけがえのない、新しい身内の命もまた奪われようとしているのである。

 加えて、ありえないことではあるだろうが、仮にダンジョンコアを奪い取った者が魔神たちをそっくりそのままに再誕させたとしても、彼らとのぞみとの間の思い出も、つながりも、すべてが失われてしまうことになる。


 そのことに気づいた瞬間、のぞみの瞳に輝きが戻る。

 暗く、しかし強く激しい意志の力を取り戻したのぞみは、髪を振り乱す勢いで身をよじる。するとその胸から、無数の腕が飛び出す!


「なぁあッ!?」


 こののぞみの異様な変化に、カタリナは驚きあっけにとられる。

 その止まった腕をのぞみの胸から生えた、影のような手の一つが捕まえ、瞬く間にねじり上げる。


「が!? うああああああッ!?」


 そうして絡みつきへし折りにかかっている間に、残る腕が露出させられたダンジョンコアを抱える。


 その一方で、大きく伸びた一本がボーゾをとらえる檻を突き破り、鎖でからめ捕られた欲望魔神を引っ張りだす。


 そして救出したボーゾが定位置である胸の谷間に納まると同時に、のぞみの体を縛っていた鎖と光の柱もまた砕け散る。


 ボーゾとダンジョンコア。

 のぞみはその二つを守るように、自由になった本物の手を回しながら、強い光をたたえた眼をカタリナへと向ける。


「……わ、ワールドイーター……!?」


 その眼光に、カタリナは腕を捻られた痛みに顔を歪めながらつぶやくのであった。

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