66:悪趣味な敵も歌もノーサンキュー
白い飛沫と散った怪物を顧みることなく、ヒヒイロカネの剛拳が火を噴いて進む。
「ヘヒッ……調子はどう? かな、クノ? ヘヒヒッ」
行く手を阻むモノをやすやすと打ち砕きながら進むその様を、のぞみはモニター越しに眺めて笑みを漏らす。
『よい調子でござる。主様とバウモール殿からお借りした力のおかげで捕まりようがないでござるよ』
「それは、何より……ヘヒッ」
ロケットパンチに乗り込んだクノの返事のとおり、送られてくる偵察の成果で、マップはどんどんと組み立てられていく。
『しかし、敵を振りきり撃ち抜きながら通路を通りすぎているだけでござるから、どうしても大雑把な情報ばかりで、申し訳ないでござる』
クノが乗り込んだことで強行偵察機となったロケットパンチであるが、駆け抜けるだけではどうしても普段のように細かな情報は送れない。
その事を詫びるクノへ、のぞみは首を横に振る。
「き、気にしない……で。とにかく、一番重要な情報を……安全、確実に、届けてほしいな、って……ヘヒヒッ」
のぞみが言う一番重要な情報とは、もちろんダンジョン発生に巻き込まれ、内部に取り残された人々の居場所や状態のことだ。
それを把握し、人々の安全を確保さえできてしまえば、もうこちらのものというものだ。
『クゥッ……申し訳ないでござる。そちらも手がかりはまったく……この階層も大分に見回ったはずでござるが、いまだに人っ子ひとり見当たらないでござるよ』
しかしクノは悔しげに歯噛みし、肝心の成果を得られていない事も正直に報告する。
「う、うん……天使風の……っていうか、敵の赤いマークしかない、ね……ヘヒヒッ」
クノの報告のとおり、偵察によって広く開かれたマップであるが、そこには赤い光点しかない。
味方、救助対象を示すマークは一つも存在しない。
「ってーことは、生きてるならどっかに集められてるってことじゃねえのか?」
そこへのぞみの胸元からボーゾの推測の声が上がる。
「そ、それだ……! クノ、この階層を一巡したら、すぐ次に、行って……! 探す範囲をもっと広く、深くに……ヘヒッ」
それにのぞみは一も二もなく食いつき、クノに偵察・捜索の範囲を広げるように指示を出す。
するとしかしクノは、そのヤモリの顔を曇らせる。
『それには是非もないのでござるが、しかし、主様はご無事なのでござるか』
「ヘヒッ? へ、平気平気。でないと、こんなのんびり通信、出来ない、し……ヘヒヒッ」
『いや……しかし、そちらの……主様の気配の周りに集まった敵の気配の濃さは、尋常ではないように思うのでござるが!?』
「あー……うん。まぁ……ね、ヘヒヒッ」
クノが心配する通り、マップ上でのぞみの周囲はまっかっかである。
天使風味のモンスターどもとその親玉にしてみれば、自分たちの住処を荒らす異物の根源が居座っているのだ。
それはもう全力で排除にかかるだろう。
誰だってそうする。のぞみだってそうする。
しかしのぞみがのんびりと構えているとおり、取り除こうという手はまったく届いていない。
突っ込んできたものは隆起した床や天井が作る壁にぶつかり、その下に開いた出汁のプールに真っ逆さま。
遠巻きに射撃を仕掛けてきているものには、強烈な魔力弾を放つ砲口を向けて。
そして砲撃をかわそうと飛び上がったものは、透明にしていた障害物や、釣天井で叩き落とす。
堀に防壁。さらに砲撃。このような形でのぞみの周囲は完全に要塞化の様相を呈していた。
これだけの防備があれば、いくらのぞみでも焦る必要もないというものだ。
もっとも、のんびりに構えているとは言っても、防御陣地のなかでぬくぬくと報告待ちをしている、というわけではない。
のぞみを守る堅牢強固な防御陣地を崩そうと、ダンジョンの支配権を奪い返すべく敵ダンジョンマスターが激しい侵食をかけてきているのだ。
しかし、のぞみの両の手元に展開したマジックコンソールを叩く指が、その進行を押し止めている。
こちらも天使風モンスターを相手取る要塞と同じく、防いで取り返すばかりか、逆に支配域をもぎ取ってさえいる。
直に踏みしめずのダンジョンハッキングは、のぞみに少なくない負担をかける。
バウモールと戦った時になど、頭痛のあまりに動けなくなるほどであった。
だが、のぞみもあの時のままではない。
大小さまざまのダンジョンコアの数々を吸収し、ダンジョンマスターとしての格を上げている。
さらにそこへ知識欲の魔人であるベルシエルの助けを受けて、情報を捌く力を大幅に増しているのである。
よほど大慌てに、たとえば一階層を丸のみに取り込もうとでもしない限りは、多少の抵抗があったところで、無理が過ぎるというほどでもないだろう。
そういうわけで、敵地であろうが拠点を組み立てられた時点で、敵ダンジョンマスターにカウンターを仕掛ける形で支配域を広げることもたやすい。
「だから……こっちは群がられてもちょっとうるさいくらいで、問題は……全然、だから……クノは心配しないで……先に、進んで……ヘヒッ」
『主様が問題ないとおっしゃるのでござれば……』
さらに先を急ぐようにと指示に、クノは後ろ髪を引かれるようにしながらもうなづいて、乗り込んでいるロケットパンチを次の階層へ向けて飛ばす。
それをモニター越しに見送って、のぞみはコンソールを操作する指を急がせる。
「さて、と……じゃあこっちも、この階層を念のために詳しく調べて……次に行かないと……ヘヒヒッ」
敵も強力なモンスターを配置して、ロケットパンチの強行偵察機に対策しているかもしれない。
フォローのために、のぞみ自身も手を伸ばさなくてはならない。
「おい、のぞみ……なんか妙だぜ!?」
「ヘヒッ!?」
だが、そこへボーゾから注意を促す声が。
従ってボーゾの指さした方向へ目をやると、マップに出来ていた赤い塊が散っていっている。
外の様子をモニターで確認してみれば、がむしゃらに攻め落とそうと群がっていた天使風味のモンスターたちが、一斉に撤退しようとしているところであった。
それならば。と、のぞみはトラップ砲台やマイン型トラップを設置。追撃をかける。
だが逃げに徹した天使風味たちは自分たちの犠牲やダメージには目もくれず、むしろ手傷を負ったものが盾となる形で、無事なものを逃がしにかかっている。
そしてのぞみの支配の手が及んでいない床や天井が盛り上がり、モンスターたちの逃げ場になる。
「ど、どゆこと?」
この突然の方針転換に、のぞみは戸惑い瞬きする。
さらに追撃を仕掛けようにも、のぞみの構築した陣地は防衛に特化している。
攻撃の手は、新たにできた壁の裏にまでは回るほど柔軟ではない。
「に、逃げたいっていうなら……無理してあいてすることない、かも? ヘヒヒッ」
「バカ言うなよ! あんだけ無理無茶無謀な突撃の繰り返しをしてた連中の手のひら返しだぜ!? 何企んでんのか不気味でしょうがねえや!?」
「だ、だよね……ヘヒッ」
相棒から見通しが甘すぎるとぴしゃりと叱られて、のぞみは猫背をさらに丸くする。
「じゃ、じゃあ……とにかく、邪魔な壁を無くして……と」
物陰でなにを企んでいるのか。それを暴いてやろうと、一気に支配域を広げにかかる。
だが、操作しようとしたマジックコンソールが突然に弱々しく点滅を始める。
「な、なに、が……ッ!?」
いきなりのことに戸惑うのぞみだが、その間にも周りを照らしている魔力の輝きは見る見るうちに弱まっていく。
やがてのぞみの腕も、痺れたように力を失い、垂れ下がることに。
異変を問う言葉も、いつも以上に舌のろれつが覚束なくなって、まともなモノになってすらいない。
「こ、この歌……クソが! そう言うことかよ……!?」
「う、うたぁ……?」
のぞみは何のことかと、力の抜けた口を動かして苦しむ相棒に尋ねる。
しかしボーゾの返事を聞くまでもなく、のぞみの耳には旋律に乗った歌声が滑り込む。
美しい旋律であった。
透き通って、清らかな、濁りのない滑らかなメロディ。
それに乗った歌声もまた素晴らしい。
聞き覚えのない言葉であったが、まるでそう整えられているかのように不思議にするりと耳を通して、心身へ染み渡っていく。
そうして一音一音が入り込むその度に、のぞみの体からはさらに力が抜けていく。そして目の前も暗く沈みはじめて――
「……い! おい、しっかりしろ! 気をしっかり持てよ! のぞみッ!?」
しかしパートナーの懸命な呼び掛けに、手放しかけた意識を辛うじて掴み直す。
「なぁにぃ……これぇえ……?」
「……やられたんだ、ヤツら……欲望のパワーを否定して、かき消してやがるんだ……!」
この苦しげなパートナーの説明に、のぞみは身震いする。
欲望を司るボーゾはもちろん、彼をパートナーとしているのぞみの力の源は欲望だ。
つまり今ののぞみたちは、エネルギーをその根っこから枯らされている形になる。
「そぉ……ん、なことぉお……?」
「……できるんだよ。クッソ……ヤツらの姿を見たときに、やけに似てるとは思ってたんだが……」
「アレ、見たこと……あった、の? ヘヒッ?」
「ああ、そうだ。だが、ヤツらがそのまんまでいるハズがねえ……そんなワケがあるはずがねえんだ……!」
「どう、して……?」
「……あいつらは、あの、わからんちんの使いっ走り……勇者が滅ぼした、秩序の神の下僕なんだ! こっちの世界で生まれるはずがねえんだよ!」
世界崩壊。
その以前に滅ぼされ、その座を奪われた神の使い。生み出す元が消滅しているのであるから、なるほどそのままの力を備えて地球のダンジョンに生まれるとは考えにくい。
しかし、そんなボーゾの否定の言葉を嘲笑うかのように、のぞみの正面の装甲が軽々と引っ剥がされる。
そうして二人の前に姿を表したのは、目玉を右左それぞれに動かしながら歌う天使風味のモンスターであった。
美しく聞こえていた歌声も、こうして出どころが見えてしまうと、とたんに作り物めいた歪さ、無機質さ。そして不気味さばかりが際立つ。
「……ヘヒッ……あ、悪趣味……」
そんなのぞみがつぶやくように吐き出した感想に、しかし天使風のモンスターは機械的にただ手を伸ばすだけであった。




