56:不吉なこと言うのはやめてくれ
ポン……ポン……とスタンプする音が部屋の中に響く。
時折その合間に、深いため息が混じる。
この二つの音の出所はどちらも部屋の中心、低いテーブルに腰かけたのぞみである。
ダンジョンマスターとはいえ、遊び場として解放している以上はダンジョンの増改築だけをやっているわけにもいかず、もろもろの書類に目を通したりもしなくてはならない。
もっとも、書類はのぞみのところに届く前に大部分が精査されていて、のぞみのやることと言えばただひたすらに承認の印を押していくことくらいなのだが。
ため息の原因は、そうして退屈なスタンプマシーンになることを強いられているから! ではなく、のぞみが仕事をしているにも拘わらず、のんきに寝こけているボーゾに対して、でもない。
先日報道されたスリリングディザイアからの説明会に添えてあった、家族に対するインタビューに苛まれているのである。
テレビで父が語るに曰く、昔から内気でおとなしい娘でどうなるものかと心配していた。
正直なところ半信半疑であるが、話に聞くに立派にやってくれているようでなによりだ。
もろもろの支払いを引き受けた上に仕送りまでしてくれるようになって、どれだけ稼げているのかは分からないが、無理はしないで欲しい。と。
聞こえよがしに面倒さえかけなければいいだとか、出ていってくれた方が陰気臭くなくて良いだとか、好き放題に言っていたのにずいぶんな手のひら返しである。手のひら大車輪である。
言われていたことは良い。疎まれていたことも仕方ない。そうのぞみは思っている。
陰気臭い引きこもりコミュ障で、それを直す気もなかった自身が問題山盛りであったのは事実だからだ。
だが血縁の義理を果たすようになって、名前が売れだしてくるなり態度を返るというのはあんまりではないか。
そんな虚無感に、のぞみはため息が漏れ出るのを抑えられなかった。
「失礼いたします」
「あ……ウケカッセ? ご、ごめんね。まだ全部、ハンコ、できてない……ヘヒヒッ」
そこへやってきた有能な経理・渉外役のウケカッセに、のぞみは仕事の進みの悪さを詫びる。
「ああ、いえ。催促に来たわけではないのですよ。これを……」
ウケカッセはそんなのぞみの早とちりに頭を振り、紙の袋を差し出す。
「ヘヒ? なに、これ? おやつ?」
「残念ながら、そちらはベルノの領分ですので……」
「だ、だよねー……ヘヒヒッ」
苦笑しながら受け取ったそれは軽く、ガサガサと、紙同士が擦れ合う音が鳴る。
「手紙?」
はたして紙袋の中身は手紙であった。それもハガキや封筒、電子メールのプリントアウトまで、種々入り混じったものだ。
「お? なんだなんだ?」
その音に誘われるように、机で寝こけていたボーゾが身を起こす。
「ヘヒッ? なんだ……って、手紙みたい、だけども? うるさ、かった?」
「いんや? ただ匂ったんだよ。欲望の匂いだ」
ボーゾの紙袋を指さしながらの言葉に、のぞみは首を傾げながらとりあえず一枚一番上にあった葉書をとってみる。
「伯父さんから?」
その葉書の差出人はのぞみから見て母方の伯父に当たる人物であった。
内容そのものは少々時期を外してはいるが、ただの季節の見舞いで、おかしいものではない。ないが、今時若い姪にわざわざ送るような物としては少々違和感があるものだ。
「その伯父さんってのは親しいのか?」
「う、ううん……ち、小さな頃に、お母さんの実家で会ってたくらいで……正直、あんまり」
正月にはお年玉を貰ったりした覚えはある。が、特別に可愛がられた覚えもない。
むしろ母に限らず、両親の実家はいとこ達に仲間はずれにされたことばかり覚えていて、伯父伯母のことは印象が薄い。
そもそも中学生の時に祖父母が亡くなってからは、法事以外では避けているのだからなおのことだ。
「これは、金の無心でしょうね」
「だろうな」
名前が売れてきたところでの、疎遠な伯父からの突然の葉書である。
のぞみに、ウケカッセとボーゾの断定じみた推測を否定する材料はなかった。
「え、待って? ちょ、ま……てことは、もしかして、これ……全部……?」
ひきつった不気味笑顔を、のぞみは手紙のつまった紙袋へ向ける。
ウケカッセはそんな母なる主の内心を察しながらも、残酷な真実を誤魔化すことができず、沈痛な面持ちでうなづく。
「ええ。そうした欲望を潜ませた、ご親戚方からのものです」
「ヘヒィッ!? や、やっぱりぃいいッ!?」
容赦なく告げられた事実に、のぞみはたまらず頭を抱える。
「一応、明らかに騙りであると思われたものは先に弾いてありますが、あらためて見ていただけますか?」
「う、うん……」
いつまでも頭を抱えている訳にもいかず、のぞみはウケカッセに求められたとおりに差出人を確認していく。
すると出るわ出るわ。聞いたこともない名前が次から次へと。
「なぁるほど、これが宝くじを当てると親戚が増えるってヤツか。やったねのぞみちゃん! 親戚が増えるよ!」
「ヘヒッ!? そ、それはヤメテ! ふ、不吉すぎるッ!?」
からかうようなボーゾの言葉に、のぞみは身震いしつつ頭を振る。
しかし、状況はボーゾの表現したとおりなのだろう。
宝くじ的にダンジョンマスターの力と、コントロールできるダンジョンを合わせて手にいれたのぞみから、細くても縁を盾に分け前を引き出そうとしているのだろう。
だが知らない名前が多いとはいえ、のぞみも自分の血縁すべてを把握している訳ではない。袋一杯の手紙のどれが騙りで、どれが関わりの薄い本物か判断などできない。
「そ、それに……羽振りが良いのは私じゃない、のに……ヘヒヒッ」
のぞみはうなだれつぶやく。
その言葉のとおり、スリリングディザイアの上げる収益は確かに大きいが、のぞみの懐に収まっているのはそのほんの一部に過ぎないのだ。
第一にパークそのものの運転資金。
幹部である魔神衆や、それに続くスタッフモンスター達への給料。
それから地域、技術者および研究者への投資。
これで利益のほとんどが吹き飛んでいる。
のぞみはパークスタッフの最上位者として、給料の分配を受けているに過ぎない。
その給料の中から、学費や税金、実家への仕送りも含めて、個人的なもろもろの支払いに必要な費用を捻出しているのだ。
のぞみが真に自分の好きに使える金などそれほど多く残ってはいない。
しかし、外からみればそんなことは分からないだろう。パークのオーナーとして、運営資金から好き放題に引き出していると思っているのかもしれない。
そう思われているからこそ、こうして急に知らない親戚が出てくるような事になっているのだろう。
だが、スリリングディザイアの利益は身内全員で出しているもの。のぞみは自分だけの都合でどうこうするつもりはない。
ましてや羽振りが良さそうだからと近づいてくるような、本当に親類縁者かも分からない連中にばらまくつもりにはなれなかった。
「ど、どうしよう……か? ヘヒヒッ」
「どうしようもこうしようも、のぞみがどうしたいか、だろ?」
「ええ。私どもは意見はしても、ママの願いに、欲望に従い、叶えるまでです」
どう退けるか。のぞみはそのための知恵を借りるつもりで尋ねたのだが、ボーゾ達からはその前段階を示すように求められる。
それを受けてのぞみは目を瞬かせる。が、すぐに己の言葉足らずを悟り、ヘヒッと笑う。
「ご、ゴメン、ね? よ、余分なお金を……使わないで、この人たちと関わらないように、したいな……って、それも、穏便……に、ヘヒヒッ」
のぞみはそう言ってから、大丈夫かな、と上目遣いに経理を見る。
都合の良いことを言っている自覚はあるし、手間をかけるだろうということも分かっている。だからつい、相手の機嫌を窺ってしまう。
しかしウケカッセは嫌な顔をするどころか、誇らしげに胸を張る。
「ママの願いは承知しました。このウケカッセがなんとかしてご覧にいれますので、どうぞお心安らかに!」
「なんか策でもあんのか?」
自信満々な風のウケカッセに、ボーゾがニンマリと問いを投げる。
対するウケカッセは、もちろんだと、不敵な笑みを浮かべてメガネを押し上げる。
「ここはひとつ、ママのご実家を窓口にしてしまいましょう」
「ほっほーう?」
「ヘヒィッ!?」
そうして献上された策に、ボーゾは愉快気に笑みを深める。が、一方ののぞみは受け取り損ねて目を白黒とさせている。
「な、なんで!? 実家なんでッ!?」
架空の化け物でも見たかのように動転するのぞみに、ウケカッセはあくまでも冷静に説明を始める。
「親類を名乗られてもママはハッキリと覚えていない。ならばちゃんと分かるところに投げてしまえ……と、それだけの事ですよ」
「ウソをつけ。どうせもっとえげつないこと考えてるんだろ?」
だがその説明をボーゾが鼻で笑って一蹴する。
「ウソとは心外な。ただ、金の話となれば、少しでも自分たちの取り分を増やしたいと考えるのが人情というもの。自分たちの金庫の中身を守る為ならば、さぞ頑張ってくれることでしょう。と……こんな皮算用を抱えているだけですよ」
「そ、それ……大丈夫、かな? 酷いもめ事になったり、しない?」
ウケカッセがしれっと吐き出した腹案に、のぞみは湧き上がってきた疑問を口に出す。
金を、自分の取り分を増やしたいと考えるのは、接触してきた人たちも同じこと。
結託して手塚家から奪い取ろうと考えることも大いにあり得る。
それではのぞみの願う穏便とは程遠い。
のぞみはなにも実家と親類縁者の間に、骨肉の争いを持ち込みたいわけではないのだ。
真っ当な親類づきあいが、金の問題で崩壊するなど、ただむなしく悲しい話でしかない。
しかし自分に騒動、災難の手が伸びてきてほしくない。そういう打算がのぞみの中にあるのも嘘ではないが。
ともあれ色々と損が起きるとの予感に、のぞみが危機感を抱くのを、ウケカッセは分かっているとばかりにうなづく。
「ママの心配ももっともです。ですが、まあ何とかなるでしょう。要はご実家が甘い汁を損だと思わない程度に行き渡らせていればよいだけの話なのですから」
「で、でも……!?」
しかしそれでものぞみが食い下がるのに、ウケカッセは笑みを浮かべて手のひらを前に出す。
「まあここは一つ、いつものように取引を任せるつもりでいてください。私は「金銭欲」を司る魔神なのですよ?」
任せろと言うその笑みには気負いはなく、ただ自信に溢れている。
それに押されて、のぞみはつい首を縦に振ってしまうのであった。




